第十五話 大ヒット
公開から一週間が経った朝、エリスが息を切らせて編集部に駆け込んできた。
「先生、興行収入の速報が出ました」
「……どうでしたか」
「今年の王国映画史上……いえ、王国史上最速で大ヒットの記録を更新しています」
言葉の意味を、すぐには理解できなかった。
「史上最速、ですか」
「公開一週間で、過去十年の恋愛映画の興行収入一位を上回りました」
信じられない数字だった。
頭の中で、これまでの戦いの記憶が一気に巻き戻される。
爆発、ミュージカル、滝修行、ジョルダン。
あれだけ衝突を繰り返した結果が、この数字につながっているという事実に、複雑な感情が押し寄せた。
王都劇場に向かうと、すでに祝賀の空気が満ちていた。
社長のロドリックが、珍しく満面の笑みで応接室に座っていた。
「先生! よくやってくれました!」
「……ありがとうございます」
「儲かっています! 本当に儲かっています!」
ロドリックが興奮気味に資料を見せてくる。
そこには、地域別の興行収入グラフがずらりと並んでいた。
殿下が静かに隣に立っていた。
「社長、先生の作品を評価していただけて嬉しいです」
「評価というか、儲かっていますからね!」
「……そうですね」
殿下の声に、わずかな苦笑が混じっていた。
ロドリックという人は、本当に数字以外には興味がないらしい。
それでも、その正直さが今は不思議と気持ちよかった。
監督が遅れて応接室に入ってきた。
今日も、いつも以上に元気だ。
「先生! 聞きましたか!」
「聞きました」
「やりましたよ! 大ヒットです!」
「監督のおかげでもあります」
正直に認めた。
監督が嬉しそうに目を輝かせる。
「いやいや、先生の原作があったからこそですよ! でも僕の演出も少しは貢献してますよね!」
「少しは、ですね」
「謙遜しなくていいですよ!」
「謙遜ではなく、本当に少しだと思っています」
監督が大笑いした。
こういう軽口が言えるようになったことに、自分でも少し驚いていた。
その日の午後、エレナとカイルが揃って王都劇場を訪れた。
「先生! すごい数字ですね!」
エレナが興奮気味に駆け寄ってきた。
「エレナさんの演技があってこその数字です」
「先生の原作があってこそです!」
カイルも続いて頷いた。
「映画を見た方々から、原作を読み始めましたという声をたくさんいただいています。書店でも原作が売れているそうです」
「……それは初めて聞きました」
エリスが資料を差し出してくれた。
原作小説の売上が、公開後に大きく伸びているというデータだった。
胸の奥が温かくなる。
映画を入口に、原作にも新しい読者が増えている。
これ以上嬉しいことはなかった。
夜、王都劇場の屋上で、殿下と二人になる時間があった。
祝賀ムードの中、しばらく人混みから離れたくて、誰にも告げずに屋上に出ていた。
そこに、同じ理由で殿下が来ていた。
「先生も、こちらに」
「……人が多くて、少し疲れてしまいました」
「同じです」
夜の王都の景色が、眼下に広がっていた。
劇場の看板に灯る光が、まだ多くの人を呼び込んでいるのが見える。
「複雑な気持ちですか」
殿下が静かに聞いた。
「……はい。あれだけ戦って守ったものが、こんなに大きな結果につながって。嬉しいはずなのに、何か実感が追いつかなくて」
「よくわかります」
「殿下も、同じ気持ちですか」
「私は、別の意味で複雑です」
「別の意味……」
殿下が一瞬、言葉を探すように黙った。
「この企画が成功したことで、続編の話が確実に動き始めます。それは喜ぶべきことですが」
「……何か気になることがあるんですか」
殿下がこちらを見た。
夜の光の中で、その表情はいつもより少し柔らかく見えた。
「先生にお話ししたいことが、まだ残っています。それを、続編の話が始まる前に伝えたいと思っています」
心臓が、また速く鳴った。
「……いつ、聞かせていただけますか」
「近いうちに」
それ以上は言わなかった。
ただ、夜風の中で並んで立つこの時間が、不思議と心地よかった。
眼下の劇場の灯りが、今日も多くの人を物語の中へ招き入れている。
アイリスの物語が、こんなにも遠くまで届いた。
その事実への喜びと、まだ聞けていない殿下の言葉への期待が、夜空の下で静かに重なっていった。




