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第十二話 映画公開決定

試写会から一週間後、王都劇場から正式な発表があった。

公開日は二ヶ月後の春の盛り。

王国中の主要な劇場で同時上映されるという、過去最大規模の公開になるらしい。

エリスが嬉しそうに知らせを持ってきた。


「先生、宣伝活動の日程が決まりました」


「……宣伝活動」


「各地の劇場を回る、舞台挨拶前の地方プロモーションです。先生にも同行していただきたいと」


「私も……ですか」


「原作者として、ぜひ前に出てほしいというのが王都劇場の意向です」


正直、人前に立つのは得意ではない。

普段は机に向かって物語を書いているだけの作家だ。

人前で愛想良く振る舞うことには慣れていない。


「殿下も同行されます」


その一言で、少しだけ気が楽になった自分がいた。

宣伝の旅は、王都を出発して四つの地方都市を回る日程だった。

最初の街は、王都から馬車で半日ほどの港町。

海風が心地よく、劇場の前には大きな垂れ幕が掛けられていた。

『氷薔薇の公爵令嬢』の文字と、エレナとカイルの大きな写真。

それを見上げて、思わず足が止まった。


「すごいですね」


「先生の作品です」


殿下が隣で静かに言った。

垂れ幕の下を通るとき、何人もの人がこちらに気づいて足を止めた。


「あ、先生ですか!?」


「アルフォード先生!」


人だかりができ始める。

驚いて立ち尽くしていると、殿下がさりげなく半歩前に出て、人の流れを整えてくれた。


「皆様、ありがとうございます。先生は今からイベントの準備がありますので」


慣れた様子で対応し、それでいて誰の機嫌も損なわない言い方だった。

さすが、長く文化施設の責任者を務めている人だ。

人前に出ることに不慣れな私を、自然な形で守ってくれている。

舞台挨拶のイベントは、想像していたよりも温かい空気だった。

劇場の前に組まれた小さな壇上で、エレナとカイルが既に到着していて、私と殿下が並んで立った。


「アルフォード先生、原作者として一言お願いします」


司会者に促されて、マイクを受け取る手が震えた。

集まった人々の顔を見ると、知っている顔があった。

セシリアが最前列で、両手を握り合わせてこちらを見つめている。

その隣には、見覚えのない人々もたくさんいる。

皆、この作品のために集まってくれた人たちだ。


「……このたびは、『氷薔薇の公爵令嬢』の映画化に際し、足を運んでいただきありがとうございます」


声が少し掠れた。


「正直に申し上げますと、映画化の過程は、私にとって想像以上に激しい戦いの連続でした」


会場から小さな笑いが起きた。

脚本流出の経緯を知っている人も多いのだろう。


「ですが、その戦いの中で、原作の核となる部分を一緒に守ってくださった方々がいました。この度、この映画を皆様にお届けできることを、心から嬉しく思います」


拍手が起きた。

温かい拍手だった。

殿下が隣で、静かにこちらを見ていた。

その夜、宿泊先の小さな宿で、エリスが先に休んだ後、私は一人で庭に出た。

夜風が心地よかった。

そこに殿下が現れた。


「眠れませんか」


「少し、興奮が冷めなくて」


「今日のお話、よかったと思います」


「ありがとうございます。殿下に守っていただいたおかげです」


殿下が静かに庭の方を見た。


「明日からも各地を回りますが、人が多く疲れるかと思います。何かあれば言ってください」


「殿下も大変ではないですか」


「私は慣れています」


それだけ言って、殿下は少し黙った。

夜空に星が出ていた。


「先生」


「はい」


「試写会の日にお話ししたいと言ったことを、覚えていますか」


心臓が跳ねた。


「……はい、覚えています」


「今ではなく、公開後にお話しします。約束は守ります」


「……はい」


それ以上、何も聞けなかった。

ただ、星空の下で並んで立っているこの時間が、不思議と心地よかった。


二番目の街は、内陸の歴史ある古都だった。

劇場の規模は小さいが、地元の人々の熱意は港町以上だった。

舞台挨拶の後、地元の名産を売る屋台が並ぶ通りを、殿下と二人で歩くことになった。

護衛の都合上、エリスは別行動を取っている。


「先生、あれを見てください」


殿下が指したのは、果物を使った小さな菓子を売る屋台だった。


「この地方の名物です。一つどうですか」


殿下が代金を払い、二つ購入してくれた。


「ありがとうございます」


「……仕事の合間に、少しくらいは」


菓子を食べながら歩く通りは、夕暮れの色に染まっていた。

古い石造りの建物の隙間から、橙色の光が差し込んでいる。


「殿下、これも『視察』ですか」


からかうつもりで聞いた。

殿下が一瞬、こちらを見た。


「いえ。今日はただの私用です」


ただの私用。

その言葉に、不思議なくらい胸が温かくなった。


「……私も、そう思います」


殿下が小さく頷いた。

通りの向こうで子供たちが映画のポスターを指差して何か話している声が聞こえた。

アイリスと王子の絵が描かれたポスターだ。

その光景を、二人で並んで眺めた。

何も言わなくても、不思議と気持ちが通じている気がした。

三番目、四番目の街でも同じように舞台挨拶が続いた。

回を重ねるごとに、人前に立つことへの恐怖は少しずつ薄れていった。

そして、殿下と過ごす時間も増えていった。

仕事の合間の食事、移動中の馬車での会話、地元の景色を眺める時間。

どれも仕事の延長線上にあるはずなのに、気づけば仕事以外の何かに変わっていた。

エリスが時折、何かを察したような顔でこちらを見ることが増えた。


「先生、最近、殿下とお話しされる時間が増えましたね」


「……仕事の話です」


「そうですか」


エリスはそれ以上何も言わなかったが、その顔には何かを言いたそうな色があった。

最後の街、王都に最も近い湖畔の町での舞台挨拶を終えた帰り道。


馬車の中で、殿下と二人きりになった。

窓の外には、夕暮れの湖が金色に光っていた。


「先生」


殿下が静かに口を開いた。


「今回の映画の事で、お聞きしたいことがあります」


「はい」


「公開後に聞こうと思いましたが、今お聞かせいただけますか」


「今ですか?」


「はい。聞かせてください。……先生は、この映画化の過程をどう思いましたか。後悔はありますか」


少し考えた。


「後悔はありません。大変でしたが、最終的に良いものになりました。それに」


「それに?」


「一人では戦えなかったと思います。殿下がいなければ」


殿下が窓の外から、こちらに視線を移した。


「私も同じです」


それだけだった。

それでも、馬車の中の静かな空気が、今までで一番、何かに満ちている気がした。

公開まで、あと少し。

そして、公開後にきっと何かが変わっていく。

その両方が、不思議と同じくらい胸を高鳴らせていた。





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