原初の門
弾かれた。
八人の全力が門の表面で散った。光の裂け目は微動だにしない。千年の間世界を分けてきた門は、八つの力をまとめて弾き返した。
反動が来た。放った力がそのまま跳ね返ってくる。ガルドの体が後ろに滑った。盾で受けたガルドですら止まれない。ロイドが踏ん張って止まった。レイが膝をついた。シアが壁に手をついた。クロが尻餅をついた。アテネが倒れかけてアスが支えた。ミルが地面に片手をついている。
傷一つない。門に傷が一つもない。
ロキの声が中から聞こえた。光を通して、薄く、遠く。
「俺が内側から押す。タイミングを合わせろ」
門が微かに揺れた。内側からロキが押している。だが揺れが小さい。外から見てもわかるほど、ロキの力が弱い。体が透けすぎている。千年の存在が消えかけている体で門を押しても、揺らすのが精一杯だ。
「もう一度」
アスが叫んだ。八人が立て直した。構えた。
門が揺れるタイミングを見る。ロキが内側から押す周期。脈動と重なるように門が震えている。あの震えに合わせて外から打つ。
八人が同時に放った。
力が門に当たった。ロキの内側の力と——ズレた。0.5秒。たった0.5秒のズレだった。だがそれだけで力が分散する。内側と外側が同じ周波で重ならなければ、門は壊れない。
門が軋んだ。音がした。千年の間一度も出したことのない音を、門が出した。だが壊れない。軋んだだけだ。
遠くの戦闘音が激しくなっていた。
元英雄たちが押されている。悪魔の波が厚くなっている。アーサーの拳の音が聞こえる。グレンの大剣の音が聞こえる。エルの矢の音が聞こえる。全員が戦っている。だが時間には限りがある。
ミルが計算した。
「あと何回打てるか——全員の体力を考えると多くて五回」
五回。五回以内に八つの歯車を噛み合わせなければ、体力が尽きる。体力が尽きれば門は壊せない。壊せなければ全員がここで死ぬ。
「三回目。ロキの波に合わせます」
ミルがメモ帳を出した。走り書きの数字を見ている。ロキが内側から押す周期。門の脈動の波。二つの波が重なるタイミングを計算している。
「門の脈動が三回震えた直後にロキが押します。その瞬間に合わせてください」
門が脈動している。一回。二回。三回。
「三、二、一——」
八人が打った。
前よりは合った。ロキの力と八人の力が、ほぼ同時に門に当たった。内側と外側から挟まれた門が悲鳴のような音を上げた。
ヒビが入った。
門の表面に、細い線が一本走った。光の裂け目の端に、髪の毛ほどの細さのヒビ。
だが小さい。これでは足りない。ヒビを広げるには、もっと大きな力が、もっと正確なタイミングで必要だ。
門の中。
ロキの体が消えていく。
手が透けている。完全に。手の向こうに門の内側の光が見えている。腕も透けている。胴体もだ。もう体の半分以上が消えかけている。
原初の英雄の残滓が崩れかけていた。千年の間門を支え続けた楔が、限界を超えている。ロキが楔を解放しようとしている。だが楔が朽ちすぎて、解放するための手がかりすら掴めない。崩れかけた砂の城を、透けた手で触ろうとしている。
「あと少し持ってくれ」
ロキの声は自分に向けたものだった。体に向けた言葉だった。もう少しだけ消えないでくれ。もう少しだけ形を保ってくれ。あと少しで終わる。千年が終わる。
四撃目。
ミルのカウントで八人が打った。さらにタイミングが合った。三撃目より精度が上がっている。繰り返すたびに体が覚えていく。ロキの波を、門の脈動を、八人の体が覚えていく。
ヒビが広がった。一本だった線が二本になり、三本になった。門の表面に蜘蛛の巣のように広がっていく。ヒビの間から光が漏れた。門の中の光が外に漏れている。
だがまだ足りない。ヒビは表面だけだ。門の奥まで届いていない。ロキの内側の力が弱すぎる。外からの力がどれだけ正確でも、内側が足りなければ門は砕けない。
全員が肩で息をしていた。四回の全力放出。体が限界に近い。ロイドの腕が震えている。レイの膝が笑っている。シアの呼吸が荒い。クロが壁に手をついている。
アテネが膝をついた。
全員の回復を続けていたアテネの体が、限界を超えた。八人の体力を維持するために、自分の体力を削り続けていた。一撃目から四撃目まで、全ての衝撃を八人分回復し続けた。自分の分は回復していない。自分の消耗は放置していた。
膝が地面についた。手が地面についた。息が荒い。視界が揺れている。
アリアドネの声が蘇った。「自分を後回しにしすぎる」。あの言葉。訓練の時に言われた言葉。ずっと守れなかった言葉。今もまた、自分を後回しにしている。
手が腕を掴んだ。
大きな手だった。ガルドの手。無口なドワーフが、アテネの腕を掴んでいた。膝をついたアテネの横にしゃがんで、腕を掴んで、支えている。
「お前もだ」
ガルドが言った。声を聞いたのは数えるほどだ。40話で「行け」と言った時以来かもしれない。その声が、アテネの腕を掴みながら言った。お前も守られる側だ。お前も回復される側だ。お前だけが自分を犠牲にする必要はない。
アテネの目から涙が溢れた。一瞬だけ。拭わなかった。拭う前に立ち上がった。ガルドの手に引かれて。少し泣いて、すぐに立った。
「ありがとうございます」
小さな声だった。ガルドが頷いた。それだけだった。
「これが最後です」
ミルの声が響いた。
全員が知っていた。体が持たない。五撃目が最後だ。これ以上はない。ミルのバフも限界。アテネの回復も限界。全員の体力も限界。
八人が構えた。
全員の目が変わった。覚悟の目だった。五層踏破の時の目。侵食編の時の目。大罪戦の時の目。何度も見てきた目。だが今日の目は、今までで一番澄んでいた。
ミルがバフを展開した。最大出力。青い光が八人を包んだ。前回までより強い。ミルが限界を超えている。腕の血管が浮いている。こめかみに汗が浮いている。体に負荷がかかっている。それでも止めない。メモ帳はない。数字はない。今あるのは八人を繋ぐ光だけだ。
「お願い——噛み合って」
ミルの唇が動いた。計算の天才が、最後に祈った。
八人が同時に全力を放った。
炎と白銀。斧の全力。剣の一閃。氷の最大出力。盾の打撃。回復の光。青いバフ。全てが門に向かって放たれた。
門に当たった。
ロキが内側から押した。残った全ての力を使って。消えかけた体の、最後の一欠片を使って。原初の英雄の残滓を解放しながら、門を内側から押した。
ズレている。
まだ噛み合わない。外からの八つの力と、内側のロキの力。周波がほんの僅かにズレている。ほんの僅か。だがそのズレが乗算を殺す。足し算にしかならない。足し算では足りない。
足りない。
崩れかける。力が分散しかける。門のヒビが広がりかけて、止まった。
声が聞こえた。
アイリスの声だった。
叫んでいた。何を言ったかわからなかった。言葉ではなかったのかもしれない。ただの叫びだったのかもしれない。光を失った英雄が、何もできない場所から、声だけを放った。
その声が八人の耳に届いた。
同時に届いた。
八人の意識が一瞬同期した。アイリスの声が、八つの歯車の回転を揃えた。理屈ではない。計算でもない。ただの声が、八人の「守りたい」を一つにした。
歯車が噛み合った。
八つの力が一つになった。足し算ではない。乗算。個の限界を超える力。56話の訓練で一瞬だけ起きたことが、今、本番で起きた。
力が爆発的に膨れ上がった。
門に叩きつけられた。内側のロキの力と、同じ周波で。完全に重なった。内と外。同時に。同じ波で。千年の門を内と外から挟み込んだ。
ヒビが走った。
表面だけではない。門の奥まで。深く。深く。光の裂け目の端から端まで。蜘蛛の巣のようなヒビが門全体を覆った。光が漏れた。溢れた。門の中の光が制御を失って噴き出していく。
裂けた。
門が裂けた。ヒビが限界を超えて、門が二つに割れた。
砕けた。
光が炸裂した。千年分の光が一瞬で解放された。白い光が7層の最深部を塗り潰した。暗闇が消えた。全てが白くなった。音が消えた。衝撃波が全員を叩いた。
7層が揺れ始めた。
足元が震えている。壁が崩れていく。天井があるのかないのかわからなかった空間から、破片が落ちてくる。地面が割れる。裂け目が広がっていく。
魔界が壊れ始めた。
門が世界の楔だった。それが砕けた。門が支えていたものが全て崩壊していく。7層の空間が収縮し始めている。壁が砕け、地面が崩れ、闇が剥がれていく。
「走れ!」
誰かの声が聞こえた。誰の声かわからなかった。全員の声だったのかもしれない。
八人が倒れていた。
立てない。全力を出し切った体が動かない。地面に倒れたまま、崩壊していく世界を見ている。門があった場所には何もない。光も闇もない。ただの空白。千年の間そこにあったものが消えた跡の、何もない空間。
ロキの声が聞こえない。
門が砕けた後、ロキの声が一度も聞こえない。中にいたはずだ。中から押していたはずだ。門と一緒に砕けたのか。光と一緒に消えたのか。
魔界が崩壊していく音だけが響いている。地鳴り。壁が崩れる音。空間が収縮する音。全てが終わりに向かっている音。
アスが手を伸ばした。
倒れたまま。門があった方向に。何もない空白に向かって。
「ロキ——」
声が掠れた。届かない。誰もいない場所に向かって、手を伸ばしている。
第六十話「原初の門」
了




