英雄たちの道
光が脈動していた。
原初の門は生きていた。巨大な光の裂け目が、7層の最深部で呼吸するように明滅している。収縮。膨張。収縮。膨張。心臓のように。千年の間ここで脈打ち続けていた。
光の中に、人の形がうっすらと見えた。
輪郭が朽ちかけている。手も足も顔も判別できない。ただ人の形をした何かが、門の中心にいる。原初の英雄の残滓。千年前に自らを楔として打ち込み、門を押さえ続けた者の、残された形。
千年だ。千年間、あの形のまま、ここで門を押さえていた。
ロキが門の前で立ち止まった。
透けた手を門に向けた。触れてはいない。光の手前で、手が止まっている。光が手を照らしている。透けた指の向こうに光が透けて見える。
「久しぶりだな」
アスたちには聞こえないほど小さな声だった。門の中の人影に向けた言葉。千年ぶりの言葉。約束を交わした相手への、最初で最後の再会の言葉。
遠くで音がした。
轟音。金属がぶつかる音。悪魔の咆哮。元英雄たちが戦っている。7層の道を塞ぐ悪魔の群れを、能力を失った体で食い止めている。まだ持ちこたえている。だがいつまで持つかわからない。
「時間は多くない」
ロキが振り返った。全員を見た。
「門の構造はミルに伝えた通りだ」
声が変わった。教官の声だった。説明する声。訓練の前に手順を伝える声。最後の訓練だ。
「外から八人が同時に力をぶつける。内側から俺が楔を解放しながら押す。二つの力が同じ周波で重なった瞬間に、門にヒビが入る。そのヒビを広げて砕く」
八人が頷いた。56話の訓練で練習した通りだ。八つの歯車を噛み合わせる。乗算の力で門を壊す。
「一度しかチャンスはないと思え。俺の体が持つのは一回分だ」
ロキの透けた手が下がった。千年の目が全員を見ている。
ゼンがロキの横に立っていた。
ロキがゼンを見た。
何も言わなかった。
ゼンも何も言わなかった。
暗殺者と幻惑使い。ロキのパーティーメンバー。ロキの意図を読める唯一の存在。二人の間に言葉はいらなかった。いらなかったのではない。言葉では足りなかった。何を言っても千年分の付き合いには届かない。
ロキが軽く頷いた。小さく。一度だけ。
ゼンが頭を下げた。深く。長く。暗殺者が人前で頭を下げるのを、アスは初めて見た。
頭を上げた時、ゼンの目は乾いていた。泣いてはいなかった。泣く代わりに、全部を飲み込んだ顔をしていた。
ロキがアイリスを見た。
アイリスは八人の横に立っていた。門を壊す力はない。戦う力もない。光を失った英雄は、ここでは何もできない。だがここにいる。
「お前は見届ける側だ」
ロキの声が柔らかかった。
「それも大事な役割だ。全部見ていろ。こいつらがやることを」
アイリスが頷いた。唇が震えていた。体も震えていた。だが足は地面に着いている。立っている。光がなくても、ここに立つことはできる。
ロキが八人を見た。
一人ずつ。
アス。赤い髪の、弱くて臆病で誠実な男。ナイトブロウを持つ男。最後の英雄と呼ばれた男。
アテネ。エルフのヒーラー。自分を後回しにしすぎる女。だがそれが八人を繋いでいる。
ミル。小柄で非力で頭がいい女。右手に魔剣、左手にメモ帳。八つの歯車の設計図を描いた女。
ロイド。獣人の戦士。因縁を断ち切った男。寡黙で、強くて、誰よりも前に立つ男。
レイ。熱血で、弱い自分を認めた上で前に立つ男。アスと似ていて、アスと違う男。
シア。クールで口が悪いエルフ。論理を曲げて感情を選んだ女。
クロ。軽い性格で場の空気を読む男。ここぞという時に動ける男。
ガルド。無口で頑丈なドワーフ。盾を構えたら準備完了。行動で全てを示す男。
「俺が鍛えた最後の八人だ」
ロキの声が震えなかった。教官の声だった。誇りの声だった。
「失敗作じゃなかったと証明してくれ」
失敗作。千年の間に何人もの英雄を育て、何世代もの戦士を鍛え、その全てが「足りなかった」。大罪を殺せなかった。門を壊せなかった。ロキの千年は失敗の連続だった。最後の八人だけが、まだ結論が出ていない。
「教官——」
アスが口を開いた。言い直した。
「ロキ」
ロキの目がアスを見た。
「最初から成功してましたよ。俺たちは」
ロキの表情が崩れた。
笑った。泣きそうな笑いだった。千年の仮面が全部剥がれた顔で、子供のように笑った。目の端に光るものがあった。涙なのか、透けた体から漏れる光なのか、わからなかった。
ロキが前を向いた。門に向かって歩き出した。
一歩。二歩。三歩。透けた体が光に近づいていく。門の脈動が速くなった。ロキが近づくことで、門が反応している。千年前にこの場にいた者が、戻ってきたことを感知している。
振り返らなかった。
ロキは振り返らなかった。千年を生きた存在が、最後の仕事に向かう背中は、小さかった。透けた体はもう半分以上向こうが見えている。それでも歩いている。一歩ずつ。確かに。
光の裂け目に手を入れた。
透けた手が光に触れた。手が光に溶けていく。指先から。手首から。肘から。光がロキの体を飲み込んでいく。
「時間はあまりない」
その言葉をアスは知っていた。15話。アリアドネが初めてアスたちに言った言葉。「急いで強くなれ。時間はあまりない」。あの時と同じ言葉。最初と最後が同じ言葉だった。
ロキの体が光の中に消えた。
門の中。光の世界。外の闇とは正反対の、全てが白い空間。
ロキの視界に、人影があった。
朽ちかけた形。千年の間門を支え続けた体は、もう人の形を保てていない。輪郭が溶けている。手も足も判別できない。だが確かにそこにいる。千年前に「任せた」と言って、この場所に自分を打ち込んだ人間が。
「遅くなった」
ロキの声が光の中に響いた。
原初の英雄の残滓が、微かに動いた。笑ったのかもしれない。千年の間待ち続けた相手が来たことに、何かを感じたのかもしれない。朽ちた形が少しだけ揺れた。それだけだった。それだけで十分だった。
「約束を果たしに来た。もう少しだけ待ってくれ」
ロキが楔に手を伸ばした。原初の英雄の残滓に。千年分の約束を果たすために。
門の外。
八人が門の前に並んだ。
配置につく。56話の訓練通りだ。ロイドとガルドが前方。レイとアスが中央。シアとクロが左右。アテネが後方。ミルが中心。
ミルが全員を見た。メモ帳はポケットの中だ。今日は数字ではない。
「いきます」
短かった。それだけでよかった。
アテネが深呼吸した。目を閉じて、開けた。回復の光を手に準備した。八人全員の体を最後まで保たせる。それがアテネの仕事だ。
ガルドが盾を構えた。準備完了の合図。いつもの合図。
遠くから声が聞こえた。
轟音の合間に。金属の音の合間に。悪魔の咆哮の合間に。
アーサーの声だった。
「早くしろ!」
微かだった。だが聞こえた。元英雄たちが戦い続けている。悪魔の波が厚くなっている。時間がない。壁が崩れる前に、門を壊さなければならない。
八人が構えた。全力の構え。
アスの剣にナイトブロウが灯った。白銀の光。守りたいという意志の形。エンチャントの維持回路が開いた。炎が腕を這い上がった。三つの力が剣に収束していく。
ロイドの体が力を溜めた。斧を構えた。全力の一撃を、門に叩き込む。
レイが踏み込みの態勢を取った。剣を構えた。
シアが詠唱を始めた。最大出力の魔法を練り上げている。
クロが罠を——罠はいらない。門は逃げない。クロは全ての力をミルのバフに乗せるために、手を広げた。
ガルドが盾を構えた。盾で門を殴る。全力で。
アテネの回復の光が八人を包んだ。全員の体を繋ぐ光。
ミルの青い光が広がった。全員を包んだ。底上げ。八つの歯車を繋ぐ光。乗算の起点。
「全員で帰る」
アスの声が響いた。
八人が同時に動いた。
門に向かって、八つの力を放った。
炎と白銀。斧の衝撃。剣の一閃。氷の槍。盾の打撃。回復の光。青いバフ。八つの力が一つの点に集中した。
門に当たった。
びくともしなかった。
光の裂け目は脈動を続けている。八人の全力が、門の表面で弾かれた。傷一つない。ヒビ一つない。千年の間世界を分けてきた門は、八人の力を受けて微動だにしなかった。
ロキの声が中から聞こえた。光を通して、薄く、遠く。
「もっとだ」
第五十九話「英雄たちの道」
了




