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弱くて、臆病で、仲間に助けられながら紡ぐ最後の英雄譚  作者: だんご


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八つの歯車

 ミルがロキの部屋に入った。


 ノックはした。返事を待たなかった。ドアを開けて、メモ帳を胸に抱えたまま、透けた体で椅子に座っているロキの前に立った。


「門の構造を全部教えてください」


 ロキが顔を上げた。


「素材。魔力の流れ。楔の仕組み。外側から力を加えた場合の伝達経路。門が壊れる条件。全部です」


 ロキの目が少し見開かれた。千年を生きた存在が、小柄な少女の勢いに面食らっている。


「何をする気だ」


「計算します」


 ミルの目に迷いがなかった。メモ帳を開いて、ペンを構えて、ロキを見ている。情報をくれ。それだけの目だった。


 ロキが笑った。小さく。それからメモ帳に目を落として、話し始めた。


 門の構造。原初の英雄が命を使って作った封印の形。楔は門の中心に打ち込まれている。門は魔力の結晶体で、七層分の魔力が圧縮されたものだ。楔がその圧力を支えている。


 ミルのペンが走る。ロキの言葉を一つも逃さずに書き取っていく。


 外側から力を加える場合の条件。内側と外側の力が同時に、同じ周波で当たる必要がある。片方だけでは門は壊れない。内側から楔を解放して門の構造を揺らし、その揺れに合わせて外側から力をぶつける。周波が合った瞬間に門にヒビが入る。そのヒビを広げれば砕ける。


 メモ帳が一冊埋まった。二冊目に入った。三冊目。ミルの字は小さい。だが正確だ。一文字も乱れていない。


 ロキが全て話し終えた。


 ミルがメモ帳を並べた。三冊分の情報。門の構造図。魔力の流れの図式。楔の性質。外からの力の伝達率。


 計算を始めた。


 ロキの万全時の出力。ロキが千年前に門を封じる作業に参加した時の記録から逆算する。そこから現在の推定出力を差し引く。差分が出た。ロキが失った力の量。


 外からの八人でその差分を埋められるか。アスのナイトブロウの出力。エンチャントの上乗せ。炎の最大火力。ロイドの物理出力。レイの出力。シアの魔法出力。クロの罠による力の集中。ガルドの盾による衝撃の反射。アテネの回復による持続力。ミル自身のバフによる底上げ。


 全員の最大出力を足し合わせた。


 足りなかった。


 ミルがペンを置いた。メモ帳の上に。計算結果を見つめた。個々の力の合算では、門を壊すのに必要な出力に届かない。


「単純な足し算では無理です」


 ミルの声が部屋に落ちた。ロキが何も言わなかった。知っていたのだろう。千年分の計算で、同じ結論に達していたのだろう。


 全員がミルの報告を聞いた。八人と、英雄たちと、ロキ。広間に集まった全員が、ミルの言葉を聞いた。


「個々の最大出力を全て合算しても、門の破壊に必要な力に届きません」


 沈黙が落ちた。


「ですが——」


 ミルがメモ帳をめくった。過去の記録。37話。5層踏破の記録。


「5層で、八人で戦ったとき」


 ミルの目が全員を見渡した。


「私のスキルが無意識に発動して、全員の出力が底上げされました」


 あの時のことは全員が覚えている。危機的場面でミルの青い光が無意識に溢れ、八人の動きが変わった。レイが「やばいじゃないか」と言った。クロが「ずるいぞ」と言った。アリアドネが「合格だ」と言った。


「あのとき起きたのは単純な加算じゃなかった」


 ミルのペンがメモ帳に数字を書いた。


「乗算だった」


 全員の目がミルに集まった。


「一人の力に私のバフが乗る。バフが乗った力が隣の人の力と共鳴する。共鳴した力がさらに次の人と共鳴する。八人分の共鳴が連鎖すると、出力は足し算ではなく掛け算になります」


 八つの歯車。37話でアリアドネが名付けた言葉。八人が完全に噛み合った時、個の限界を超える力が生まれる。


「あの時は一瞬だけでした。無意識の発動で、制御できていなかった。でも——あの瞬間の出力を計算すると」


 ミルが数字を示した。


「門を壊すのに足ります」


 空気が変わった。


 ロキが笑った。


 本物の笑みだった。飄々とした教官の笑みでも、千年の疲労を隠す笑みでもない。純粋な、嬉しいから笑う笑みだった。


「だから俺はお前たち八人を鍛えた」


 ロキの声が穏やかだった。


「最初からこうなると思っていたわけじゃない。だがこうなる可能性を信じていた」


 十六人の計画。大罪を殺す七人と、門を壊す八人と、内側のロキ。ロキが八人を鍛えた理由。英雄は個が強い。だが個が強すぎて連携しない。門を壊すには連携が要る。同時に、同じ周波で、力をぶつける必要がある。それができるのは、個が強い英雄ではなく、弱いから支え合ってきた八人だった。


 ミルが八人だけの場所で説明した。宿の部屋。八人が集まっている。


「個の合算では足りません。でも八人が完全に同期すれば乗算になります」


 メモ帳を広げて、図を描いた。八つの円が繋がっている図。


「そのためには全員が同じ瞬間に全力を出す必要があります。一人でもズレたら足りません。タイミングが合わなければ共鳴が起きない。共鳴が起きなければただの足し算です」


 一人でもズレたら。八人全員が、同じ瞬間に。


 レイが即答した。


「俺たちならできる」


 迷いがなかった。根拠を聞くまでもない。五層を踏破した。侵食編を生き延びた。大罪戦を戦い抜いた。八人で。


 ロイドが頷いた。一度だけ。


 シアが口を開いた。


「感情論だけど……根拠はある。5層で証明した」


 クロが肩をすくめた。


「やるしかないならやる」


 ガルドが拳を握った。それだけだった。


 アテネが両手を胸の前で合わせた。


「全員の体は私が持たせます」


 アテネの目に迷いがなかった。回復役として、八人の体を最後まで保たせる。自分を後回しにしてでも。アリアドネに指摘された癖は、今この瞬間だけは正しかった。


 ロキが部屋に入ってきた。いつの間にか。透けた体でドアの枠に寄りかかっていた。


「八人を鍛えた理由がもう一つある」


 全員がロキを見た。


「お前たちは十六人の中で唯一のパーティーだった。連携ができる集団だった」


 ロキの目が八人を一人ずつ見た。


「英雄は強い。だが英雄同士は連携しない。個が強すぎるから。アーサーとリーファが同時に攻撃しても、それは二人分の力でしかない。掛け算にならない」


 英雄の弱点。強すぎるが故の孤立。


「お前たちは違う。弱いから支え合ってきた。一人では勝てないから連携した。ガルム戦から、ずっと」


 ガルム戦。第一層のボス。あの時は七人だった。アスとアテネとミルとレイとシアとクロとガルド。一人では何もできなかった。だが七人で核を砕いた。


「弱さが武器になる。それが最初から、お前たちの最大の強みだった」


 ロキが笑った。教官の笑みだった。「合格だ」と言った時と同じ笑みだった。


 訓練が始まった。


 八人で同期訓練。全員が同じ瞬間に全力を出す練習。街の外の広場で、八人が円になって立った。


 ミルが中央に立つ。指揮者のように。メモ帳は閉じている。今は数字ではなく感覚の領域だ。


「三、二、一——」


 八人が同時に力を放った。


 合わなかった。


 アスの炎とロイドの斧とレイの剣とシアの氷とクロの罠とガルドの盾とアテネの回復とミルのバフが、バラバラのタイミングで放たれた。近い。だが合っていない。コンマ数秒のズレが、共鳴を殺している。


 もう一度。合わない。もう一度。合わない。


 何度やっても一人がズレる。アスが早い。ロイドが遅い。次はシアが早い。次はガルドが遅い。八人が同時というのは、想像以上に難しかった。


 二日目。


 合わない。焦りが出始めていた。残り時間は多くない。ロキの体は日に日に透けていく。結界は少しずつ弱くなっている。


 ミルが全員を止めた。


「力で合わせるんじゃない」


 ミルの声がいつもと違った。冷静だが、柔らかかった。


「呼吸を合わせるんです」


 全員がミルを見た。


「考えるな、感じろ——とは言いませんが」


 クロが吹き出した。


「言ってるじゃん」


 笑いが起きた。小さな笑いだった。だが二日間の緊張が少し解けた。レイが笑った。シアが口元を押さえた。アテネが微笑んだ。ガルドの口角が微かに上がった。ロイドが鼻を鳴らした。


 ミルの顔が少しだけ赤くなった。


「……言ってないです。私が言いたいのは、タイミングを数えるのではなく、隣の人の気配を感じて合わせるということです」


 三日目。


 呼吸を合わせることから始めた。八人が円になって目を閉じる。呼吸を揃える。吸って、吐いて。隣の人間の呼吸を感じる。


 ロイドとガルドが最初に合った。前線を張る二人の呼吸は、もともと近かった。何度も一緒に盾になり、何度も一緒に前に出た。二人の呼吸が一つになった。


 レイとアスが続いた。似た境遇の二人。弱い自分を認めた上で前に立つ男と、弱いまま走り続けてきた男。ぶつかりながら認め合ってきた二人の呼吸が重なった。


 ミルのバフが橋渡しになった。青い光が八人を包む。ミルのスキルは全員の力を底上げするだけではない。全員を繋ぐ。光の中で、八人の境界が薄くなる。


 アテネが全員の状態を感じ取った。回復魔法は体に触れることで効果を発揮する。アテネはその感覚を使って、八人の体の状態を同時に感じ取っている。誰が速くて、誰が遅くて、誰の力が強くて、誰が弱いか。微調整を入れる。回復の光を少しだけズラして、全員の出力タイミングを揃える。


 シアの氷がクロの罠と噛み合った。クロが仕掛けた罠にシアの氷が乗る。二人の連携は最初から相性が良かった。その相性が、同期訓練で精度を増していく。


 少しずつ。少しずつ合ってくる。


 訓練の最後。三日目の夕暮れ。八人が円になって立っていた。


 ミルが目を閉じた。メモ帳はポケットの中だ。数字ではない。感覚だ。八人の呼吸が聞こえる。八人の心臓が聞こえる。


 目を開けた。


 何も言わなかった。合図もなかった。


 八人が同時に動いた。


 アスの炎とナイトブロウ。ロイドの斧。レイの剣。シアの氷。クロの罠。ガルドの盾。アテネの回復。ミルのバフ。


 八つの力が、同じ瞬間に放たれた。


 地面が揺れた。


 足元の土がひび割れた。周囲の空気が震えた。木の葉が一斉に散った。八人の中心から衝撃波が広がり、広場の端まで届いた。


 一瞬だった。


 一瞬で崩れた。八人の同期が解けて、力がバラバラに散った。全員が息を切らしている。膝をつく者もいた。一瞬だけ。たった一瞬だけの同期だった。


 だが確かに起きた。


 八つの歯車が噛み合った。37話で一度だけ起きたことが、もう一度起きた。一瞬だけ。だが今度は意識的に。


 ロキが見ていた。


 広場の端で、壁に寄りかかるように立って、透けた体で静かに見ていた。腕を組んで。千年の目で。


「一瞬だけだったが」


 ロキの声が届いた。


「あれなら届く」


 全員がロキを見た。息を切らしながら。膝をつきながら。


「本番で出せるかは、お前たち次第だ」


 それだけ言って、ロキは壁から体を離した。歩いていく。透けた体で。足取りが遅い。だが確かに歩いている。


 八人が広場に倒れていた。疲労で。全力を出し切った体が、地面に転がっている。レイが大の字で空を見ている。シアがレイの横に座り込んでいる。クロが仰向けに倒れて笑っている。ガルドが盾に寄りかかっている。ロイドが壁に背を預けている。アテネが膝を抱えて息を整えている。ミルが地面に座ってメモ帳を開いている。倒れてもメモ帳を開くのがミルだった。


 表情が違った。三日間、合わなくて焦っていた顔が消えている。初めて「いける」という感覚がある。一瞬だけだった。だが起きた。本番でもう一度起こせばいい。


 アスが空を見た。夕焼けが見える。7層の暗闇ではない。街の上の、普通の空だ。赤い。明日になれば朝が来る。


「全員で帰る」


 呟いた。空に向かって。誰にでもなく。


 明日、最後の遠征が始まる。


第五十六話「八つの歯車」


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