表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
弱くて、臆病で、仲間に助けられながら紡ぐ最後の英雄譚  作者: だんご


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
52/65

英雄の隣

 嫉妬が待っていた。


 7層の闇の中に、最後の大罪が立っている。五体の仲間が消えた後も、嫉妬は同じ場所にいた。動かず、追わず、ただ待っていた。


 アイリスがその前に歩いていく。


 アスが隣を歩いていた。頼まれていない。ロキに「隣にいてやれ」と言われたが、言われなくても離れるつもりはなかった。ソラに「アイリスを頼む」と託された。だがそれより前から、アスの足はここに向かっていた。


 嫉妬がこちらを見た。


「やっと来たか」


 笑っていた。ソラを刺した時と同じ笑い方だった。壊れていく人間を見て愉しむ笑い。だが今は少し違う。期待が混じっている。最後の一体。自分を殺しに来る相手を、待っていた。


 アイリスが聖光を放った。


 白い光が嫉妬を包んだ。体を焦がし、腕を吹き飛ばし、胴に大穴を開けた。英雄の全力。だが穴が塞がった。腕が生えた。焦げた表面が泥のように再生した。前と同じだ。器は傷つく。だが核に届かない。罪を認めていないから。


 嫉妬が口を開いた。


 ソラの声が聞こえた。


「お前のせいで死んだ」


 アイリスの手が震えた。ソラの声だった。風魔法の男の声。明るくて、少しだけ気が強くて、アイリスを慕っていた男の声。その声で、あの言葉を。


 聖光が不安定になった。手から溢れる光が揺れている。形を保てない。アイリスの感情が光に直接出ている。


「庇わなければ死ななかった。お前が強ければ庇わせなかった」


 ソラの声が続く。嫉妬がソラの声を使っている。死者の声を奪って、生者の心を壊しに来ている。


 アスがアイリスの前に出た。


「聞くな」とは言わなかった。聞くなと言って聞こえなくなるものではない。


 嫉妬を見据えた。剣を構えた。炎を纏った。白銀の光が剣に宿った。ナイトブロウ。守りたいという意志が形になる。今、守りたいものはすぐ後ろにいる。


 放った。


 白銀と炎が嫉妬に叩きつけられた。殺せない。わかっている。だが嫉妬の体が一歩退いた。衝撃で後ろに押された。一歩分の距離。一歩分の時間。アイリスが息を整えるための、一歩分。


 嫉妬がアスを見た。


 笑い方が変わった。標的が変わった。


 アスの声が聞こえた。自分の声だった。


「お前も英雄になれなかっただろう」


 自分の声で、自分の弱さを突かれている。


「アイリスの隣に立てなかっただろう」


 アスの歯が軋んだ。嫉妬の言葉は正しい。英雄にはなれなかった。アイリスの隣には立てなかった。ずっと届かなかった。背中を追いかけて、追いつけなくて、焦って、折れて、また走って。


「知ってる」


 声が出た。震えていなかった。


「知ってる。全部知ってる」


 英雄にはなれない。アイリスと同じ場所には立てない。それは最初からわかっていた。だがそれでもここにいる。隣にいる。英雄じゃなくても、隣にはいられる。


 嫉妬の笑みが消えた。


 効かない。この男には効かない。自分の弱さを知っている人間に、弱さを突く攻撃は通じない。


 嫉妬が本気を出した。


 精神攻撃と物理攻撃が同時に来た。声がアスの頭の中に響く。同時に黒い腕が振り下ろされる。内側と外側から同時に壊しにかかる。


 アスの体が吹き飛んだ。腕で防いだが衝撃を殺しきれない。地面を転がり、岩に叩きつけられて止まった。口から血が出た。腕が痺れている。


「アス!」


 アイリスの声が響いた。


 アスが傷つけられた。目の前で。自分を守ろうとして。ソラと同じだ。自分の前に立って、傷ついた。また。


 アイリスの中で何かが弾けた。


 聖光が暴発した。


 光が制御を失って嫉妬に叩きつけられた。凄まじい出力だった。嫉妬の体が一瞬で半分消し飛んだ。押し返された。十歩分。二十歩分。聖光の洪水が嫉妬を焼いている。


 だがまだ殺せない。消し飛んだ半身が再生していく。罪を認めていない光は、どれだけ強くても核に届かない。


 嫉妬が再生しながら、口を開いた。


「お前は英雄でいたくなかっただろう」


 アイリスの動きが止まった。


 嫉妬の声が変わった。もうソラの声ではない。アスの声でもない。嫉妬自身の声だった。核心を突く声。


「みんなが笑っている。普通に泣いている。当たり前に生きている」


 六つの言葉が、アイリスの胸を一つずつ刺していった。


「それがずっと羨ましかった」


 アイリスの手が下がった。聖光が弱まった。


 記憶が流れ込んできた。


 幼い頃。物心がついた時には、もう「英雄」だった。光の能力を持って生まれた。選ばれた。特別だと言われた。期待された。背負わされた。


 断れなかった。


 友達が街で遊んでいるのを見ていた。窓の向こうで笑っている子供たちを見ながら、自分は訓練していた。光の制御。聖光の精度。戦闘技術。毎日。朝から晩まで。


 泣きたい時に泣けなかった。英雄だから。弱さを見せられなかった。英雄だから。普通に笑うことも、普通に怒ることも、普通に寂しがることも、英雄にはふさわしくなかった。


 誰にも言えなかった。


 ずっと。


 アイリスの膝が折れた。


 地面に膝をついた。聖光が消えた。手から光が消え、目から光が消え、アイリスの周囲が7層の暗闇に戻った。


 嫉妬が近づいてきた。ゆっくりと。再生した体で。


「認めないなら壊してやる」


 アスが動いた。


 立ちはだかろうとしたのではない。岩に叩きつけられた体を引きずって、アイリスのそばに来た。そして立たなかった。


 隣に座った。


 アイリスと同じ地面に、同じ高さで、座った。


 何も言わなかった。「大丈夫だ」とも「頑張れ」とも言わなかった。嫉妬が近づいてきている。時間がない。それでも何も言わなかった。言葉では届かないものがある。


 ただ隣にいた。


 アイリスがアスを見た。隣に座っている男を見た。血が出ている。腕が痺れている。それでも隣にいる。英雄ではない。ナイトブロウでは嫉妬を殺せない。何もできない。それでもここにいる。


 アイリスの唇が震えた。


「普通に笑いたかった」


 声が出た。小さな声だった。英雄の声ではなかった。


「普通に泣きたかった」


 目が熱くなった。


「みんなが持っている当たり前が欲しかった」


 涙が落ちた。


 アイリスの頬を涙が伝った。英雄になってから初めてだった。何年も何年も、堪えてきたものが溢れた。泣いてはいけないと思っていた。英雄だから。強くなければいけないから。みんなを守る側だから。


 でも羨ましかった。


 普通に笑って、普通に泣いて、普通に誰かの隣にいられる人たちが。ずっと羨ましかった。


「これが……私の嫉妬だ」


 涙が止まらなかった。止めなかった。


 アイリスが立ち上がった。涙を流したまま。拭わなかった。


 聖光が生まれた。


 今までと違った。眩しさがない。目を焼くような白い光ではない。静かな光だった。温かく、柔らかく、7層の暗闇を照らすのではなく、暗闇の中に灯るような光。


 嫉妬の目が見開かれた。


「お前が認めるとは」


 驚きだった。英雄が。光の英雄が。強さの象徴が。弱さを認めた。羨ましいという感情を認めた。英雄でいたくなかったと認めた。


 静かな光が嫉妬の体を包んだ。再生しなかった。光が核に届いている。罪を認めた光は、嫉妬を溶かすのではなく、嫉妬の中に入っていく。核に触れる。


 核が砕けた。


 嫉妬が崩れ始めた。体が散っていく。黒い粒子が7層の闇に溶けていく。


 最後に嫉妬が呟いた。


「羨ましかった」


 声が小さかった。壊すために使っていた声ではなかった。


「お前が誰かの隣にいられることが」


 消えた。


 嫉妬が消えた。黒い粒子が散り切って、何も残らなかった。


 アイリスの光が消えた。


 完全に。


 手をかざした。何も起きなかった。聖光が出ない。光の剣が生まれない。高速移動もできない。光の盾も張れない。全てが消えた。英雄の素質が消えた。


 英雄でなくなった。


 7層の闇の中に、アイリスが立っていた。光のない体で。ただの人間として。暗闇の中に、何も見えない場所に。


 手が触れた。


 アスの手がアイリスの手を掴んだ。暗闇の中で。何も見えない場所で。手探りで伸ばした手が、アイリスの指に触れて、握った。


 何も言わなかった。ただ握っていた。


 アイリスの指が、握り返した。


 7層が静かになった。


 六つの咆哮が消えた。大罪の悪魔六体全滅。千年の間、人間を殺し続けた六体の悪魔が、全て消えた。初めての静寂が7層に降りた。戦いの音がない。咆哮がない。悲鳴がない。


 ただ暗くて、静かだった。


 アスの手がアイリスの手を握っている。光のない暗闇の中で、二人の手だけが繋がっていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ