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弱くて、臆病で、仲間に助けられながら紡ぐ最後の英雄譚  作者: だんご


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認められない

 アーサーが戻ってきた。


 グレンが肩を貸していた。アーサーの足はまだ動いている。だが体の中から何かが抜けた歩き方だった。右手に柄だけのエクスカリバーを握ったまま、全員が集まっている場所に歩いてきた。


 全員が見た。


 勝ったはずだった。大罪の悪魔を一体殺した。英雄として最大の戦果を上げた。だが誰も喜べなかった。アーサーの右手にあるのは刃のない柄だ。最強の剣が粉になって消えた。その意味を、全員が理解していた。


 リーファが目を逸らした。アーサーの姿を直視できなかった。あれが代償だ。あの姿が、大罪を殺した後に残るものだ。


 クールが何も言わなかった。いつも以上に無表情だった。壁に背を預けたまま、目を閉じている。考えているのか、拒絶しているのか。


 ナーバスが闇の奥にいた。影に溶けるように座って、微動だにしない。


 アイリスが自分の手を握っていた。光を生み出す手。その手をきつく握りしめて、何かに耐えている。


 誰も「次は俺が」と言わなかった。


 沈黙が長くなる前に、7層が揺れた。


 咆哮が五つ、同時に上がった。残り五体の大罪が動き始めている。一体減ったことで均衡が崩れたのか、それとも報復なのか。待ってくれない。罪と向き合う時間を、考える猶予を、大罪は与えない。


 護衛の悪魔も活性化していた。7層の闇の奥から、危険度10以上の悪魔が次々に湧いてくる。各英雄のパーティーに向かって散らばっていく。


 ロイドが立ち上がった。


「行くぞ」


 八人が走った。護衛の悪魔を処理しながら各戦場を繋ぐ。それが役割だ。ロイドが先頭で道を切り開き、ガルドが殿を務めて追撃を断つ。レイとアスが左右を固め、シアとクロが中衛で対応し、アテネが全員を繋ぐ。ミルが走りながら各戦場の状況を読み、指示を出し続ける。


「リーファの戦場が危ない。護衛が三体向かっている」


 ミルの声で進路が変わった。リーファの方角に向かう。


 リーファの戦場が見えた。


 暴食の大罪が口を開けて笑っている。リーファの真空刃が放たれ、暴食の口に飲み込まれていく。前と同じだ。何も変わっていない。風が喰われる。竜巻が消える。


 カイがいた場所が空いていた。


 ルナがその場所を塞ごうとしていた。土魔法の壁を立て、暴食の攻撃を受け止めようとしている。だが連携が崩れている。カイがいた頃のリーファのパーティーは三人で一つだった。カイが前に出て、ルナが支え、リーファが斬る。その三角が今は二辺しかない。


 リーファの攻撃が荒い。真空刃の軌道がぶれている。狙っていない。感情で振っている。暴食に向かって力を叩きつけているだけだ。技術が消えている。リーファの風は本来、研ぎ澄まされた刃だったはずだ。だが今は荒れた突風でしかない。


 アスたちが護衛の悪魔三体を処理した。リーファの背後に回り込もうとしていた悪魔をロイドが斬り、レイが止めを刺し、シアが凍らせた。リーファのパーティーの負担を一つ減らした。それだけのことだ。大罪そのものには手が出せない。


 リーファの横を通り過ぎる時、リーファの顔が見えた。


 歯を食いしばっている。涙ではない。怒りでもない。もっと深い何か。飢えているような顔だった。


 もっと強ければカイは死ななかった。もっと速ければ。もっと鋭ければ。もっと。もっと。もっと。「足りない」がリーファの中でずっと回っている。力が足りない。風が足りない。速さが足りない。全部が足りない。もっと欲しい。もっと力が欲しい。もっと鋭い風が欲しい。


 それが自分の中の何なのか、リーファはまだ気づいていなかった。


 八人はクールの戦場に向かった。


 色欲の大罪は、他の大罪とは違った。暴力的ではない。静かだった。人に似た形をしている。美しいとすら言える輪郭で、微笑みながらクールと対峙していた。


 クールの氷結が色欲の体を覆う。白い霜が這い上がり、凍りつかせる。だが色欲は氷の中で微笑んだまま、溶けた。氷が内側から溶かされていく。


 色欲が囁いた。


「冷たくて気持ちいい。もっと近くに来て」


 クールが無表情のまま距離を取った。一歩。正確に一歩。それ以上は退かない。それ以上は近づかない。


 フロストが前に出た。氷剣を構えて色欲に斬りかかる。クールに似た無口な男の一撃は正確だった。だが色欲の手がフロストの剣を受け止め、弾いた。フロストの体が後ろに飛ぶ。ベルが「フロスト!」と叫んで駆け寄った。


 クールは動かなかった。フロストが弾かれたのを見ても、表情が変わらなかった。


 感情を凍らせて生きてきた。誰にも触れなかった。傷つきたくなかったから。氷の壁を自分の周りに張り巡らせて、何も感じないようにしてきた。ベルが「クールさん!」と叫んでいる声が遠い。聞こえているのに遠い。


 自分が何に飢えているか。認めたくなかった。


 アスたちは護衛を片付けてナーバスの戦場に向かった。


 怠惰の大罪は、動かなかった。


 他の大罪が攻撃し、再生し、笑い、囁いているのに対して、怠惰はただそこにいた。巨大な影のような存在が、7層の闇の中に座っている。何もしない。何も言わない。ただ、いる。


 だがその「いる」だけで、周囲の全てが鈍っていた。


 近づくと意志が消えていく。戦う気力が薄れていく。足が重くなる。剣を持つ手が下がる。「なぜ戦っているのか」という問いが頭の中に浮かんで消えない。


 シェイドが膝をついていた。闇魔法を使うナーバスより暗い男が、怠惰の前で膝をつき、動けなくなっている。リンが叫んでいる。「シェイド!立って!」短剣を握った快活な女が、パーティーメンバーの名前を叫んでいる。だがリンの足も遅くなっている。怠惰の圏内に入れば、全てが鈍る。


 ナーバスだけが立っていた。


 闇の中で、英雄だけが膝をつかずにいた。怠惰の影響を受けていないわけではない。ナーバスの体も重いはずだ。だが立っている。影に溶けるような男が、影そのもののような怠惰の前で、立っている。


 アスたちは護衛の悪魔を処理した。ナーバスの戦場に近づく悪魔はそもそも少なかった。怠惰の圏内に入りたくないのだろう。悪魔ですら避ける存在。


 全戦場を一巡して、八人は中継地点に戻った。全員の消耗が大きい。アテネが順番に回復をかけている。ミルが各戦場の情報を整理している。


 その時、ナーバスが来た。


 影の中から音もなく現れた。全員のところに戻ってきた。英雄が戦場を離れている。シェイドとリンが後ろについてきている。シェイドの足がまだ重そうだった。リンが支えている。


 ナーバスが全員を見た。闇の奥にある目が、一人ずつ見た。


「俺が次に行く」


 静かな声だった。迷いがなかった。


 リーファが顔を上げた。クールの目が開いた。アイリスが顔を上げた。全員がナーバスを見た。


 シェイドが声を出した。


「ナーバスさん」


 初めて聞く声だった。シェイドはナーバスより暗く、寡黙で、感情を表に出さない男だった。その男が、感情のある声を出した。止めたいのか、送り出したいのか、自分でもわかっていない声だった。


 ナーバスはシェイドを見なかった。全員の前で、口を開いた。


「ずっと全部面倒だった」


 ナーバスの声は静かだった。怒りも悲しみもなかった。ただの事実だった。


「消えたかった。闘うのも、生きるのも、誰かと一緒にいるのも。全部面倒だった」


 誰も何も言えなかった。英雄がそんなことを言う。闇の英雄が、自分の中にある怠惰を口にしている。


「それが俺の怠惰だ」


 認めた。自分で。誰にも指されず、自分の口で。


 ナーバスが振り返った。シェイドとリンを見た。シェイドの目と、リンの目を、順番に。


「面倒だが——お前たちを置いていくのが一番面倒だ」


 リンの目から涙が落ちた。快活な女の顔が歪んだ。シェイドが唇を噛んだ。何か言いたそうな顔で、何も言えずにいた。


 ナーバスの言葉が空気に残った。


 リーファが顔を上げていた。さっきまで目を逸らしていたリーファが、ナーバスを正面から見ていた。拳はまだ握られている。自分の罪はまだ認められない。だが「逃げていた」ことには気づいた。暴食を前にして、力が足りないと嘆くことで、自分の中の本当の問題から逃げていた。


 クールも目を開けていた。無表情の奥で、何かが動いた。まだ認められない。だが氷の壁の向こうに、見えてはいけないものが見え始めていた。


 ナーバスが怠惰のいる方向に歩き出した。


 振り返らなかった。


 シェイドが後に続いた。足が重い。だが動いている。ナーバスの背中を追って、闇の中に歩いていく。


 リンが泣きながら歩いている。短剣を握る手が震えている。涙を拭かない。拭いている暇がない。ナーバスの背中が闇に消えていく。追いつかなければ見失う。だから泣きながら歩く。


 三人の姿が闇に溶けていった。


 アスは見送った。


 あの人も英雄でなくなるのか。闇の英雄が闇を失う。影縫いも、影移動も、深淵も、全てが消える。ナーバスの中に残るのは、面倒だという気持ちと、それでも置いていけないという気持ちだけだ。


 ロイドが隣で黙っていた。何も言わない。ただ同じ方向を見ている。


 遠くで暴食の咆哮が聞こえた。色欲の笑い声が聞こえた。嫉妬の気配が揺れた。強欲が蠢いた。


 まだ三人が決められていない。リーファ。クール。アイリス。


 そしてロキは、まだ自分の番を待っている。



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