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弱くて、臆病で、仲間に助けられながら紡ぐ最後の英雄譚  作者: だんご


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罪の条件

 誰も口を開かなかった。


 7層の入り口。全パーティーが集まっている。英雄も、そのパーティーメンバーも、アスたち八人も。壁に寄りかかる者、地面に座り込む者、立ったまま動けずにいる者。全員がボロボロだった。だが体の傷より重いものが、この場を支配していた。


 ソラがいない。カイがいない。


 二人分の空白が、沈黙の形をしてこの場にある。


 エルがアイリスの隣に座っている。手に付いたソラの血が乾いている。洗い流す気力がないのか、洗い流したくないのか。エルの目は前を向いているが、何も見ていなかった。


 リーファが壁に拳を押し付けている。殴った痕が残っている。ルナがリーファの横に座って、膝を抱えている。ルナの目が赤い。泣いた後の目だった。もう涙は出ていないが、代わりに何かが消えた目をしている。


 アイリスは何も言わなかった。膝を抱えて座ったまま、同じ姿勢で動かなかった。


 ロキが全員の前に立った。


 飄々とした教官の顔は、もうどこにもなかった。細い目が開かれている。千年を生きた目が、そこにいる全員を一人ずつ見た。


「俺の本当の名前はロキだ」


 空気が変わった。


「7英雄の一人。アリアドネは偽名だ」


 全員が凍った。動きが止まった。息すら止まった者がいた。


 アイリスが目を見開いた。ロキを見ている。知らなかった。英雄として何年も過ごしてきて、消息不明のロキがすぐそばにいたことを知らなかった。


「1000年前からこの姿で生きている。人と瓜二つの体は、能力で作られたものだ」


 ロキの声は静かだった。隠し事をやめた人間の声だった。1000年分の嘘を、今ここで降ろしている。


「1000年前、原初の英雄と約束を交わした。悪魔を滅ぼし、世界を平和にする。それが俺の存在理由だ」


 誰も口を挟まなかった。挟める空気ではなかった。


「大罪の悪魔を殺す方法は知っていた」


 その一言で、リーファの顔が歪んだ。知っていた。最初から知っていた。ならばなぜ——その問いが顔に出ていた。


「だが代償が重すぎた。だから1000年前は封印を選んだ」


 ロキの目がリーファを見た。逸らさなかった。


「大罪の悪魔を殺せるのは、その罪を自分の中に持つ者だけだ」


 沈黙が深くなった。


「憤怒を殺せるのは、憤怒を持つ者。嫉妬を殺せるのは、嫉妬を持つ者。暴食、強欲、怠惰、色欲——全て同じだ。自分の中にその罪があると認めた者の一撃だけが、大罪の核に届く。それ以外はどれだけ強くても器を壊すだけだ。何度壊しても再生する。殺せない」


 だから通じなかった。英雄の全力が、核に届かなかった。器を砕いても、凍らせても、闇に沈めても、再生した。条件を満たしていないから。


「そして殺した者には、その罪が刻まれる」


 ロキの声が低くなった。


「英雄の素質が消える。能力が消え、スキルが消え、二度と戻らない」


 空気が凍った。英雄でなくなる。大罪を殺した代償として、英雄としての全てを失う。


「バッシュを知っているな」


 アスの胸が跳ねた。バッシュ。エンチャントを教えてくれた炎の英雄。もう戦えない体になった男。


「あれは負傷じゃない。呪いだ」


 ルシファーを殺した。傲慢の大罪を持つルシファーを。バッシュの中に傲慢があった。最強の炎を持つ男の中に、自分の力への傲慢があった。それを認めた一撃がルシファーを殺した。そして炎が消えた。


 アスの頭の中で、バッシュの言葉が蘇った。「最後の英雄の意味、いつかわかる」。あれはこういう意味だったのか。英雄が英雄でなくなる。それが大罪を殺す代償。


「俺は1000年かけて、この戦いに必要な人間を集めた」


 ロキの目が全員を見渡した。


「大罪を殺す者が七人。原初の門を壊す者が八人。そして内側に入る俺。合わせて十六人」


 十六人。この場にいる人間の中から、十六人。


「お前たちはその十六人だ」


 誰も動けなかった。


「最後の一人がアスだった」


 名前を呼ばれた。アスの体が強張った。ロキの目がアスを見ている。千年の目が、真っ直ぐにアスを射抜いている。


「バッシュが言った『最後の英雄』は、お前のことだ。だがそれは大罪を殺す役目ではない」


 門を壊す八人。アスたち八人のことだ。大罪を殺すのは英雄たち。門を壊すのはアスたちの役割。


「門の話は後でする。まず大罪を殺す」


 ロキの声が全員に向いた。


「だがお前たち八人は大罪に手を出すな。お前たちには別の役割がある」


 アスが口を開きかけた。何か言いたかった。だがロキの目を見て、閉じた。ロキはアスたちを死なせるわけにいかない。それだけはわかった。八人が欠ければ、門を壊せない。大罪を殺しても、その先が詰む。


 沈黙が長く続いた。


 リーファが拳を握りしめている。白くなるまで握っている。カイを殺した暴食。あれを殺すには、自分の中の罪を認めなければならない。そして認めたら、風を失う。リーファの全てである風を。


 クールが何も言わない。目を閉じたまま、壁に背を預けている。考えているのか、拒絶しているのか、外からはわからなかった。


 ナーバスが闇の中にいる。影に溶けるようにして座っている。表情が見えない。


 アイリスが自分の手を見ていた。光を生み出してきた手。聖光を放ってきた手。その手を見つめている。


「誰が何の罪を持つかは、俺は指名しない」


 ロキが言った。


「自分で気づかなければ届かない。他人に言われて認める罪は、本物じゃない。大罪の核は、嘘を見抜く」


 自分の中の罪を、自分で認めること。強制はできない。誰かに指させれて頷いても、それは認めたことにならない。自分の奥底にある醜いものを、自分の目で見て、自分の口で認めなければならない。


「時間はある。だがあまりない。大罪の悪魔は待っている。だが永遠には待たない」


 沈黙が重くなっていく。


 その中で、一人だけ動いた。


 アーサーが立ち上がった。


 壁に背を預けていた体が、腕を組んだまま立ち上がった。ゆっくりではなかった。迷いなく、一拍で立った。全員の視線がアーサーに集まった。


「知ってた」


 アーサーの声は静かだった。


 ロキの目が見開かれた。初めて見た。千年を生きた存在が、初めて動揺した顔をした。


「何をだ」


「殺し方じゃない。自分の罪だ」


 アーサーが全員を見渡した。最強の英雄の目が、一人ずつ見た。


「弱い奴が死ぬたびに怒ってた。なんで俺が最強なのに守れない。なんで間に合わない。なんで世界はこうなっている。ずっと怒ってた。世界にも、自分にも」


 誰も何も言わなかった。


「カイが死んだ時も怒った。ソラが死んだ時も怒った。バッシュが戦えなくなった時も、怒ってた。誰かが傷つくたびに腹が立つ。それを止められない。止める気もない」


 アーサーの声には演技がなかった。飾りがなかった。最強の英雄が、自分の中にある怒りをそのまま口にしている。


「俺の罪は憤怒だろう」


 ロキが何も言えなかった。


 千年の計画で、ロキは英雄たちが自分の罪に気づくまでの時間を計算していたはずだ。説明し、考えさせ、向き合わせる時間が必要だと思っていたはずだ。アーサーはその全てを飛び越えた。


「英雄でなくなる。それでいい」


 アーサーが言った。エクスカリバーに手を置いた。


「最強がなくなっても、怒りは消えない。俺の怒りは能力じゃない。これは俺自身だ」


 グレンが立ち上がりかけた。アーサーの右腕。豪快な大剣使いの目が揺れていた。何か言いかけた口を、アーサーが手で制した。


「ついてこい。見届けろ」


 グレンが歯を食いしばった。顎が震えている。拳が白くなるまで握られている。だが頷いた。一度だけ、深く。ミアが静かに立ち上がり、グレンの横に並んだ。穏やかな回復役の目に、覚悟が浮かんでいた。


 他の英雄たちは動かなかった。


 リーファは拳を握ったまま、立ち上がれずにいた。自分の罪はわかっているのかもしれない。だが認めることと向き合うことは違う。カイを失った傷が新しすぎた。


 クールは目を開けなかった。ナーバスは影の中にいた。アイリスは自分の手を見つめたままだった。


 それでいい。まずアーサーが道を示す。最強が先に行く。怒りを認め、英雄を捨て、大罪を殺す。その背中を見て、他の英雄たちが自分の罪と向き合う。ロキはそう計算しているのかもしれない。だがアーサーは計算されて動いたのではない。自分で立ったのだ。


「護衛の悪魔は俺たちが抑える」


 ロイドが言った。アスたち八人の役割。大罪には手を出せない。だが周りの悪魔を処理し、英雄たちが大罪に集中できる環境を作ることはできる。


 アーサーがロイドを見た。頷いた。それだけだった。


 アーサーのパーティーが先に動いた。アーサーが先頭を歩き、グレンとミアが続く。三人が7層の闇に向かって歩いていく。アーサーの手にはエクスカリバーが握られている。まだ折れていない。まだ完全な姿の、最強の剣。あの剣で憤怒を殺す。そしてあの剣は砕ける。英雄の素質と共に。


 背中が小さくなっていく。


 アスはその背中を見ていた。


 あの人が英雄でなくなる。最強の英雄が、最強でなくなる。エクスカリバーが折れ、円卓の輪環が消え、ランスロットが二度と放てなくなる。それでもアーサーは歩いている。振り返らずに歩いている。


 怒りを持ったまま、英雄を捨てに行く。


 残された英雄たちの間に、静かな波紋が広がっていた。自分の罪は何だ。自分の中にある醜いものは何だ。それを認められるか。認めたら、何を失うのか。


 問いだけが残った。答えはまだ、誰の口からも出ていなかった。




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