第7話 五十騎の奇跡――二万五千の軍勢が止まった日。
アルディア王国、西方平原。
「進め! 止まるな!」
ヴァルガス帝国軍先遣隊。
五千二百四十の兵が、アルディア王都を目指して進軍していた。
国境砦はすでに陥落。
守備兵千人は壊滅。
アルディア側に、帝国軍を止められる戦力は残されていない。
少なくとも――。
帝国軍は、そう考えていた。
「将軍!」
「どうした?」
先遣隊を率いる将軍、バルガンが馬上から振り返る。
「前方に軍勢!」
「アルディア軍か?」
「いえ……」
偵察兵が戸惑っている。
「数、およそ百五十!」
「百五十?」
バルガンは笑った。
「我々を相手に?」
「それが……」
「何だ」
「所属が分かりません」
「旗は?」
「ありません」
「装備は?」
「黒です」
「黒?」
「全員……真っ黒な鎧を身につけています」
バルガンの表情が止まった。
「……まさか」
遠く。
地平線に黒い影が現れる。
先頭に五十騎。
その後ろに百の歩兵。
風が吹く。
黒い外套が揺れた。
バルガンの隣にいた老兵が、その姿を見て震え始める。
「そんな……」
「どうした?」
「あの鎧……」
「知っているのか?」
「子供の頃……祖父から聞きました」
老兵の顔から血の気が引いていた。
「三百年前……大陸中の軍が恐れた黒い騎士」
「…………」
「ノクス王国――黒騎士団」
「馬鹿な」
バルガンが吐き捨てる。
「ノクスは三百年前に滅びた」
「ですが!」
「たった五十騎だ!」
バルガンは剣を抜いた。
「帝国軍を止められるものなら、止めてみろ!」
◇ ◇ ◇
「敵先遣隊、約五千」
ヴァルドは馬上から敵軍を眺めていた。
その後ろ。
四十九騎の黒騎士が静かに並ぶ。
さらに黒骸兵百。
合計百五十。
「団長」
一人の黒騎士が口を開く。
「王命を確認してもよろしいでしょうか」
「申せ」
「敵兵を可能な限り――殺さない」
「その通りだ」
「…………」
「不満か?」
「いえ」
騎士は首を振った。
「経験がありません」
「私もだ」
「では、どのように?」
ヴァルドはしばらく考えた。
「武器を壊す」
「なるほど」
「鎧も壊す」
「はい」
「馬は驚かせて逃がす」
「はい」
「それでも向かってくる者は?」
「…………」
ヴァルドが眉間にしわを寄せる。
「殴れ」
「どの程度?」
「死なない程度だ」
「非常に難しい命令ですな」
「王命だ」
「御意」
ヴァルドが大剣を抜いた。
「黒騎士団」
四十九騎が剣を構える。
「三百年ぶりの戦場だ」
青白い炎が、黒い鎧の隙間から漏れる。
「王は我らに、新しい戦い方を示された」
ヴァルド自身にも、その意味はまだ分からない。
かつての王なら。
敵軍を一人残らず殺せ。
そう命じただろう。
だが、新しい王は違った。
殺すな。
敵すら生かせ。
黒騎士団にとって、それは理解し難い命令だった。
しかし――。
「我らは王の剣」
ヴァルドが大剣を掲げる。
「ならば王が望む勝利を捧げるのみ!」
「「「御意!」」」
五十騎が走り出した。
◇ ◇ ◇
「来るぞ!」
帝国軍が槍を構える。
「弓兵!」
数百の弓が空へ向けられた。
「放て!」
ヒュン!
空が黒くなる。
無数の矢。
そのすべてが五十騎へ降り注ぐ。
「防御!」
黒騎士たちが盾を構えた。
ガガガガガガガガッ!
矢が黒い鎧に突き刺さる。
いや。
突き刺さらない。
すべて弾かれていた。
「な……!」
帝国兵たちが固まる。
「第二射!」
再び矢が飛ぶ。
結果は同じ。
ヴァルドたちは止まらない。
「突撃!」
帝国軍の騎兵五百が動いた。
五百対五十。
十倍。
両軍の距離が縮まる。
「踏み潰せ!」
帝国騎兵が叫ぶ。
ヴァルドが大剣を横に構えた。
「全騎」
五十人が同時に剣を構える。
「王命を忘れるな」
「「「御意!」」」
激突。
――する直前。
「威圧解放」
ドンッ!
目に見えない何かが爆発した。
「ヒヒィィィン!」
帝国軍の馬が一斉に暴れ出す。
「なっ!?」
「馬が!」
「止めろ!」
騎兵隊が崩れる。
兵士が次々と落馬する。
だが。
黒騎士たちは止まらない。
「突破」
五十騎が敵陣へ突入した。
ガキィィン!
一振り。
帝国兵の槍だけが真っ二つになる。
「え?」
次。
剣が砕ける。
盾が割れる。
兜だけが吹き飛ぶ。
「な、なんだこいつら!?」
「武器を狙っているぞ!」
「殺され――」
帝国兵が気づく。
「……殺されてない?」
奇妙な戦いだった。
黒騎士たちは圧倒的に強い。
なのに。
誰も殺さない。
剣を折る。
槍を砕く。
盾を破壊する。
抵抗する者は――。
ドゴッ!
「ぐはっ!」
殴って気絶させる。
「団長!」
「何だ!」
「力加減が難しいです!」
「耐えろ!」
「敵ではなく我々が!?」
「王命だ!」
「御意!」
五十騎が。
五千の軍勢を蹂躙していた。
だが――死者はいない。
◇ ◇ ◇
「馬鹿な……」
バルガン将軍は震えていた。
「何なんだ……あいつらは」
五十騎。
たった五十騎だ。
なのに。
帝国軍の前衛が崩壊している。
「将軍!」
「弓兵を下げろ!」
「しかし!」
「魔術兵を前へ!」
百人ほどの魔術師が並ぶ。
「一斉詠唱!」
巨大な炎が生まれる。
「放て!」
炎の塊が黒騎士たちへ飛んでいく。
その瞬間。
ヴァルドが大剣を振った。
「邪魔だ」
斬撃。
ただ、それだけ。
炎が――真っ二つになった。
「…………」
戦場が静まり返る。
「魔法を……斬った?」
帝国兵の誰かが呟いた。
ヴァルドは大剣を肩に乗せる。
「面倒だな」
そして。
「黒骸兵団」
百の骸骨兵が動く。
「魔術兵を制圧せよ」
黒骸兵が一斉に走り出した。
「来るぞ!」
「撃て!」
魔法が飛ぶ。
炎。
氷。
雷。
黒骸兵たちは攻撃を受けながら進む。
何体かの身体が砕ける。
しかし。
『王国軍団補正』
黒い光が包む。
砕けた骨が元に戻る。
「再生した!?」
「アンデッドだ!」
「逃げろ!」
帝国軍の士気が崩れ始める。
「下がるな!」
バルガンが叫ぶ。
「敵は百五十だぞ!」
その通り。
数字だけなら。
だが兵士たちの目には――。
百五十には見えていなかった。
三百年前。
大陸を震え上がらせた国。
悪魔の王国。
滅びたはずのノクス。
その軍勢が戻ってきた。
「ノクスだ……」
一人の兵士が呟く。
「ノクス王国が復活したんだ……」
その言葉が広がる。
「逃げろ!」
「殺される!」
「俺は死にたくない!」
「隊列を崩すな!」
もう止まらない。
兵士たちが武器を捨て始める。
ヴァルドが剣を掲げた。
「止まれ!」
声が戦場全体に響いた。
逃げようとしていた帝国兵たちが固まる。
「武器を捨てろ」
ヴァルドが告げる。
「抵抗しなければ――」
一瞬。
言葉に詰まる。
三百年前なら絶対に口にしなかった言葉。
「命は取らん」
帝国兵たちは信じられないという顔をした。
「ノクスが……?」
「捕虜を殺さない?」
「嘘だ……」
ヴァルドが大剣を地面へ突き刺す。
ドンッ!
「我が王の命令である!」
沈黙。
そして。
カラン。
一人が剣を落とした。
カラン。
また一人。
次々と武器が地面へ落ちていく。
五千二百四十。
帝国軍先遣隊。
戦闘開始から――。
わずか十八分。
「……あり得ん」
バルガン将軍は馬から降りた。
自ら剣を地面へ置く。
「我々の……敗北だ」
◇ ◇ ◇
同時刻。
ノクス王城。
「…………」
俺は目の前の表示を見ていた。
【戦況報告】
【敵兵力:5,240】
【戦闘不能:1,086】
【投降:4,154】
【敵死亡:0】
【黒騎士団損耗:0】
【黒骸兵団損耗:0】
「……え?」
もう一度見る。
「ゼロ?」
「左様でございます」
リゼリアが答える。
「五千人相手に?」
「はい」
「十八分?」
「はい」
「……黒騎士団、強すぎない?」
「雑兵よりは多少」
「絶対その基準おかしいからな」
でも。
成功した。
俺が命じた通り。
一人も殺していない。
『追加目標の進行状況を更新』
【敵兵生存率:100%】
「よし……!」
思わず拳を握る。
だが。
喜んだのは数秒だけだった。
『警告』
地図が赤く染まる。
【ヴァルガス帝国軍本隊】
【兵力:19,870】
【先遣隊敗北を確認】
【進軍速度上昇】
「……やっぱり来るか」
先遣隊を倒せば、本隊が止まるかもしれない。
少し期待していた。
甘かったらしい。
「到着まで?」
【推定:約16時間】
俺は転移門を見る。
【建設進行率:36%】
【完成まで:約15時間】
「ギリギリだな」
転移門完成と帝国本隊到着。
ほぼ同時。
「陛下」
「ん?」
「帝国本隊ですが」
リゼリアの表情が少しだけ真剣になった。
「何かある?」
「先遣隊とは違います」
「どういう意味?」
「非常に大きな魔力反応が一つ」
地図が拡大される。
二万近い赤い光。
その中心。
ひときわ巨大な紫色の光があった。
【解析不能】
【危険度:測定中】
「これ何?」
「おそらく――」
リゼリアが答える。
「人間ではございません」
「…………」
また嫌な展開だ。
『解析完了』
表示が切り替わる。
【個体推定】
【種族:古代竜】
「竜……?」
【推定危険度:国家災害級】
「国家災害級?」
リゼリアが紫色の光を見つめる。
そして。
初めて――。
嬉しそうではなく、真剣な顔をした。
「陛下」
「何?」
「黒騎士団だけでは、少々厄介かもしれません」
背筋が冷たくなった。
あのリゼリアが。
初めて敵を見て――。
「厄介」と言った。




