第10話 二万の軍勢が跪いた日――新たなるノクス王。
二万人が。
一斉に俺の前へ跪いた。
「…………え?」
俺自身が一番驚いていた。
地平線まで埋め尽くしていたヴァルガス帝国軍。
剣を構えていた兵士も。
弓兵も。
魔術師も。
騎兵も。
全員が地面に膝をついている。
「何……これ」
『第三王権――王威』
【発動中】
【敵対者の戦意を抑制します】
【効果は対象との能力差・精神力・敵意によって変動します】
「全員操ってるのか?」
『否定』
「じゃあ?」
【対象の意識・人格・意思決定能力は維持されています】
【王威は服従を強制する能力ではありません】
つまり。
意識はある。
それでも身体が俺の前で膝をついている。
「……怖すぎるだろ」
「素晴らしい」
リゼリアだけは嬉しそうだった。
「何が?」
「その御姿です」
彼女が周囲を見渡す。
「二万の敵兵を前に、剣すら抜かず跪かせる」
「俺、何もしてないんだけど」
「それこそが王でございます」
俺にはまだ理解できない。
だが――。
「ぐ……!」
声がした。
ゼノスだ。
「馬鹿な……!」
震えながら立ち上がろうとしている。
「なぜ……身体が……!」
どうやら王威に抵抗しているらしい。
「俺は……ヴァルガス帝国第二軍団長……!」
片膝を上げる。
「ノクスなどに……!」
立った。
「おお」
思わず感心した。
「なかなかやるな」
「貴様……!」
「いや、普通に褒めただけ」
「ふざけるな!」
ゼノスが剣を抜く。
「俺は帝国軍人だ!」
「分かったから」
「皇帝陛下以外に頭を下げることなど――」
「じゃあ下げなくていいよ」
「……何?」
「立てば?」
ゼノスが固まる。
「王威、解除」
『王威を解除します』
ふっ。
空気が変わった。
同時に。
「うわっ!」
「な、何だったんだ!?」
「身体が動くぞ!」
二万人の兵士が自由を取り戻す。
次々と立ち上がる。
リゼリアが俺を見る。
「陛下」
「何?」
「なぜ解除されたのですか?」
「話ができないだろ」
「…………」
「全員跪かせたまま交渉する方がおかしくない?」
「三百年前であれば、それを交渉と呼んでおりました」
「絶対間違ってるからな」
俺は帝国軍へ向かって歩く。
「陛下!」
ヴァルドの声がする。
「危険です!」
「大丈夫」
「しかし!」
「リゼリア」
「はい」
「俺が攻撃されそうになったら止めて」
「相手を殺しても?」
「ダメ」
「……善処いたします」
「絶対ダメだから!」
帝国兵たちの間を歩く。
誰も攻撃してこない。
いや。
攻撃できないのかもしれない。
今の王威で完全に戦意を失っている。
俺はゼノスの前で止まった。
「もう一度聞く」
「…………」
「戦う?」
ゼノスが剣を握る。
でも。
その手は震えていた。
「俺たちは、お前たちを一人も殺してない」
「…………」
「先遣隊五千も全員生きてる」
帝国兵たちがざわつく。
「嘘だ!」
誰かが叫んだ。
「嘘じゃない」
ヴァルドを見る。
「捕虜を連れてきて」
「御意」
しばらくして。
数十人の帝国兵が連れてこられた。
「お、お前たち!」
「将軍!」
「生きていたのか!?」
捕虜たちが叫ぶ。
「全員生きています!」
「誰も殺されていません!」
「負傷者は治療まで受けました!」
帝国兵たちのざわめきが大きくなる。
ゼノスの表情が変わる。
「なぜだ……」
「何が?」
「なぜ殺さない」
「殺す必要がないから」
「戦争だぞ」
「俺は戦争したくない」
「甘い」
「そうかもな」
俺は認める。
「でも、勝っただろ?」
「…………」
ゼノスが黙った。
五千の先遣隊。
死者ゼロ。
そして今。
二万の本隊も戦意を失っている。
「お前たちはアルディアから撤退してくれ」
「できん」
「なんで?」
「皇帝陛下の命令だ」
「命令なら死んでも戦う?」
「帝国軍人なら当然だ」
「兵士全員がそう思ってる?」
「何?」
俺は周囲を見る。
二万人。
若い兵士もいる。
年配の兵士もいる。
怖がっている者。
震えている者。
「全員、死にたい?」
誰も答えない。
「家族いる人?」
ざわっ。
何人もの表情が変わった。
「帰りたい人もいるだろ?」
「黙れ!」
ゼノスが叫ぶ。
「兵を惑わせるな!」
「惑わせてない」
「なら何をしている!」
「選ばせてる」
俺は答えた。
「戦うか、帰るか」
「軍隊にそんな選択はない!」
「俺の国ではある」
「…………」
ゼノスが俺を睨む。
「お前は……王として甘すぎる」
「そうかもしれない」
でも。
「俺は昨日まで普通の人間だったからな」
「……?」
「王の考え方なんて知らない」
だから。
俺は俺のやり方でやる。
「俺は自分の民を守る」
十二人から始まった国。
今は十七人。
たったそれだけ。
「でも、そのために関係ない奴を何万人も殺す王にはなりたくない」
静かだった。
二万人が俺の言葉を聞いている。
「撤退してくれ」
俺はゼノスを見る。
「今日のことは皇帝に全部報告すればいい」
「…………」
「ノクス王国は帝国と戦争する意思はない」
「もし皇帝陛下が拒否したら?」
「その時は――」
少し考える。
「また止める」
「二万でも?」
「ああ」
「五万でも?」
「止める」
「十万なら?」
「同じだ」
ゼノスが笑った。
「狂っている」
「よく分からないけど、褒め言葉として受け取っとく」
「褒めていない」
「知ってる」
しばらく沈黙したあと。
ゼノスが剣を鞘へ戻した。
「……全軍」
帝国兵たちが彼を見る。
「撤退する」
ざわめき。
「将軍!」
「よろしいのですか!?」
「この状況で戦えると思うか?」
誰も答えない。
「我々の敗北だ」
ゼノスが俺を見る。
「だが覚えておけ、ノクス王」
「何?」
「帝国はこれで終わらない」
「…………」
「皇帝陛下は必ず動く」
「分かった」
「次は二万では済まんぞ」
「その時考える」
「本当に変な男だな」
「今日だけで二回目だよ、それ」
帝国軍が撤退を始める。
二万の兵士。
誰一人死ぬことなく。
西へ戻っていく。
『特殊任務達成』
【ヴァルガス帝国軍の侵攻を阻止しました】
【敵兵生存率:100%】
【古代竜イグニス生存】
【全追加条件達成】
「お……」
【評価:完全達成】
【特別報酬を付与します】
【王国経験値:10000】
【国庫:+5000】
【領土拡張権:+2】
【特殊施設:竜殿 解放】
【称号を獲得しました】
【称号――不殺の王】
「不殺の王……」
悪くない。
『王国レベルが上昇します』
【王国レベル:2→3】
【新機能が解放されました】
【外交】
【交易】
【住民募集】
【臣下契約】
「一気に増えたな」
そのとき。
「レオン」
上から声がした。
イグニスだ。
「約束を覚えているな?」
「ああ」
一時的な臣下。
隷属の首輪を外したら、自由にする。
「臣下契約を解除する」
『確認』
【古代竜イグニスとの臣下契約を解除しますか?】
「ああ」
『実行します』
イグニスを包んでいた黒い光が消える。
【臣下契約解除】
【イグニスはノクス王国を離脱しました】
「これで自由だ」
「…………」
イグニスが俺を見つめる。
「何?」
「本当に解除したのか」
「約束したから」
「我ほどの戦力を?」
「ああ」
「馬鹿なのか?」
「今日それ何回言われるんだよ」
イグニスが地上へ降りる。
巨大な顔が俺の目の前まで近づいた。
「貴様はアルクとは違う」
「そう?」
「あの男なら絶対に我を手放さない」
「じゃあ、やっぱり俺は別人だな」
「…………」
「これからどうする?」
「決めていない」
「そうか」
「だが」
イグニスの瞳が細くなる。
「一つだけ確認したい」
「何?」
「父の死だ」
「…………」
「三百年前、何があったのか」
俺も知りたい。
記憶の中。
銀竜グランは死んだ。
でも。
イグニスはアルクが殺したと言っている。
俺が見た記憶では違った。
「一緒に調べる?」
「何?」
「俺も自分が何者なのか知りたい」
イグニスが黙る。
「臣下じゃなくていい」
俺は手を差し出した。
「協力関係ならどう?」
「…………」
巨大な竜相手に握手は無理か。
そう思った瞬間。
イグニスの身体が光り始めた。
「え?」
巨大な身体が縮んでいく。
五十メートル。
十メートル。
二メートル。
そして。
光の中から一人の男が現れた。
赤黒い髪。
金色の瞳。
二十代半ばくらいに見える。
「人間になれるの!?」
「人化だ」
「先に言ってよ」
「聞かれなかった」
「それ便利だな……」
イグニスが俺の手を見る。
そして。
握った。
「臣下にはならん」
「分かってる」
「命令も聞かん」
「分かった」
「我は自由だ」
「ああ」
「だが――」
イグニスが笑った。
「貴様が何者なのか」
その手に力が入る。
「我も見届けてやる」
『特殊関係が成立しました』
【古代竜イグニス】
【関係:盟友】
「盟友……」
悪くない。
その瞬間。
遠くから馬の蹄の音が聞こえた。
「陛下!」
アルディア軍。
先頭にいるのはガレスだった。
「ノクス王!」
馬から飛び降りる。
「帝国軍が撤退したというのは本当か!?」
「うん」
「どうやって!?」
「ちょっと話した」
「…………」
ガレスが周囲を見る。
五十の黒騎士。
百の黒骸兵。
そして俺の隣にいるイグニス。
「……その男は?」
「さっきの竜」
「…………」
「古代竜イグニス」
「…………」
ガレスの顔が固まる。
「陛下」
「何?」
「アルディア国王がお待ちです」
そうだった。
元々の目的。
最初の外交。
「王都へお越しいただきたい」
「分かった」
「ただ……」
ガレスが言いにくそうにイグニスを見る。
「その御方も?」
「行く?」
イグニスに聞く。
「面白そうだから行く」
「だって」
ガレスの顔がさらに引きつった。
リゼリア。
イグニス。
そして俺。
こうして。
三百年前、大陸を恐怖に陥れた国の王は――。
かつてノクス王国を滅ぼした七王国の一つ。
アルディア王国の王都へ。
初めて足を踏み入れることになった。
そこで待っているものが――。
歓迎ではなく。
俺を暗殺するために用意された罠だとも知らずに。




