92 食堂で見たもの
紫雲学園は、祐介と根来の授業を終えて、昼休みを迎えた。火曜日の昼休みである。今日も、生徒たちは食堂の券売機の前に列をなしている。それは由依が蟻の行列と呼んでいるように、何も考えていない、食欲だけで群れを成している、いかにも浅はかな人々に見えた。
そこには、八重、由依、百合菜の三人の姿もあった。八重は、由依が味噌ラーメンを購入するのを見てから、カレーライスの券を購入した。百合菜は、親子丼を選んだようだった。
八重は自分自身、食欲の虜でありながら、こういう列を成してまでグルメにありつこうとするような人びとをわずかに軽蔑していた。もっと他に夢中になることがあるだろう、とか、どうしてこんなに動物的で、野暮ったく、みっともない姿なのだろうと思った。食に対して剥き出しとなった欲望への嫌悪かもしれない。しかし、その感情も、自分に対してや、由依、百合菜といった友達に対しては、ほとんどないのも同然だった。八重は、とにかく、カレーライスが食べたくて注文したのである。
三人がテーブルに陣取って、食事を始めようという時になってようやく、根来と祐介が食堂に入ってきた。二人は、券売機の前の列を眺めて、ため息をついた。
「これに並ばなきゃならんのか……」
「そうですね。昼食を食べるためには、この列に並ばないといけないようですね。でも、空腹よりはマシですよ」
「そうかもしれないが……。そういや、あの三人、毒見しないでも良いかな」
「きっと、もう食べ始めていますよ」
と二人は、あれこれ言いながらも、長蛇の列に並ぶことにした。
根来は、そこで前後に生徒がいながらも事件の話をしだした。もちろん、小声ではあったが。
「BTについてだが、もしかしたら、淀川多恵のことかもしれない」
「どうして、ですか?」
「淀川多恵のペンネームは、薔薇辻多恵だったらしい。頭文字のアルファベットを取れば、BTだ」
「ということは、あの脅迫状は、淀川多恵を殺した、という意味だったのですね」
「そうかもしれないな……。しかし、俺にはよく分からないんだが、どうして、犯人はあんな脅迫状を、和泉八重さんの部屋のドアの下の隙間に入れたのだろう……?」
根来は、祐介に遠慮して、和泉八重を「さん」付けして呼んでいる。
「そうですね。本当に学園の七不思議について知られたくない犯人ならば、そもそも「学園の七不思議をもう調べるな」なんて、明らさまな脅迫状は送らないでしょうし……」
「ということは、七不思議はダミーかな」
「そうかもしれません。七不思議に何かあるように見せかけておいて、実は何もない、とか……」
「うん。十分にあり得ることだ。それに、女子寮に浸入したところから、犯人は女子だったんじゃないかという気もするし……」
「ええ。しかし、見つからなければ、男子も浸入できたはずです。あっ、まもなく順番がきますよ?」
二人は、券売機を前にした。根来が財布から千円札を取り出す。
「俺は、チャーシューメンの大盛りとカツ丼で良い……」
「なるほど。困りましたね。何を食べようか……」
祐介は、券売機を前にして、すっかり困ってしまった。
*
「ねえ。あの二人、何か食べるのかな……」
由依は、味噌ラーメンの麺をすすっていたが、箸を置いて、にやにやしながら、祐介と根来がカウンターの前に立っている姿を指差した。
「えっ?」
八重と百合菜は、はじめ何のことを言っているのか分からず、由依が指差していた方を眺めた。生徒の群がる食堂に視線を彷徨わせていると、百合菜はすぐに二人を見つけたらしく、
「あ、あのお二人ですね。出された料理は、ラーメンと丼と、それに定食のようですね。でも、不思議ですね。二人で三人前も食べるのでしょうか……」
と上品に笑った。
「ねえ、誰のこと、言ってるの?」
八重はまだ分からず、不満げに尋ねた。
「ほらっ、カウンターだよ?」
「あっ……」
しかし八重は、カウンターの祐介と根来のふたりの姿を発見するのよりも先に、食堂の隅にある、人目をはばかったような丸い小さなテーブル席に、柏崎先輩と宮沢史奈がふたりだけで座っているところを見つけた。ふたりはとても親しげに喋っている。身を乗り出して、小声で話しているようである。それは一見するとカップルのようだった。いや、まさしくカップルと言って良い姿だった。その途端、八重は棍棒で頭を強打されたような気がした。つまり、あまりの精神的ショックのために、頭に痛みが走ったように感じられた。八重は、スプーンをカレーライスの皿に落とした。皿の耳障りな音が鳴った。
(そんな……)
八重は思わず、そのふたりの姿をじっと見つめてしまった。信じたくない気持ちがあって、ひどい胸苦しさと不快な感覚に吐きそうになりながらも、そのふたりから目を離すことができなかった。手足が強張るのを感じた。耐えがたい感覚だった。まったく心がふたりの姿に奪われてしまったようだった。
「どうしたの、八重……」
由依は、八重の異様な表情に驚いて、しきりに振り返り、八重の視線の先を探した。そして、隅のテーブル席の二人を見つけたらしく、
「ああ……」
とため息を漏らした。しかし。由依は、ぐいっと胸を頼もしげに……シャツ越しにも形が目立つほどに……張り出させた上、由依特有の、あのずる賢い、それでいて、頼もしげな微笑みをにやりと浮かべると、
「まあ、男子は山ほどいるからさ。でも、八重。あれだけじゃ、まだ分からないよ? ただの友達かもしれないよ? 諦めるのはまだ早いよ……!」
と言った。




