91 淀川多恵のペンネーム
このようにして、根来の授業は終わった。根来はすっかり満足して帰ろうとしたが、柔道場を出たところで、背後から石田宗次に声をかけられた。
「捜査は順調なのですか? 根来警部? 」
根来は振り返った。石田宗次が腕組みをして、体育館に通じる渡り廊下の屋根を支える柱に寄りかかっている。
「ここで、そんな呼び方をしてもらっちゃ困るな。他の生徒もいることだし……」
「分かりました。しかし、根来先生。あなたのことは有名ですよ。いえ、あくまでも文芸部員の間で、ですがね。さっき、廊下で夏目部長に会いました。詳しいことは部長から聞きましたが、頑張ってください……。根来先生。この学園のこと、よく調べると良いですよ。きっとこの学園には何かあるんだ」
根来はその言葉にぴくりと反応して、
「紫雲学園の秘密について、何か知っているのか?」
と尋ねる。
「紫雲学園の秘密? 俺はそんなもの知りません。でも、この学園のやつらは確かにちょっとおかしいんです。文芸部員もそうです。なにか隠していると言うのかな。事件の起こったミーティングでもそうでした。柏崎が発表した詩を読んで、夏目部長がたじろいでいたんです。俺には全然、意味が分からなかったけど。この学園の連中は、そんなやつらばかりです。だから、根来先生。この学園には何かあるって思っておくと、たぶん、良いと思います」
「思わせぶりな発言だな。紫雲学園には何かあるか。あの転校生も、みんな、そんなことを言っているが……。分かった。その詩は読んでみよう」
それから、根来は、この石田宗次という生徒の顔をまじまじと見つめた。
「おい。お前は、紫雲学園の七不思議について、何か知ってるか?」
「七不思議……? 俺が知っているのは、河童が出るとかいうやつぐらいですが。それ以外は知りません。それと、今回の事件に何か関係が……?」
「あまり知らないなら、良いんだ。お前は、紫雲学園には高校から入学したのか? 中等部からではなく……」
「そうです」
「じゃあ、知らないことも多いんだな。そうだ。これも聞いておこう。なあ、BTって何だと思う? アルファベットのBとTなんだが……」
「BTですか? さあ、分かりません。なんです、それ?」
石田宗次は、首を傾げる。
「分からないか。じゃあ「殺されたBT」という言葉には心当たりはないか?」
「殺された? もしかして、淀川多恵のことですか?」
「淀川多恵は確かに殺されたが、しかし、彼女はBTという文字と関係あるのか?」
すると、意外な反応が返ってきた。
「あるかもしれませんね。だって、彼女のペンネームは、薔薇辻多恵と言うんです。その頭文字は、B・Tです」
薔薇辻多恵ならタエ・バラツジだから、頭文字は、T・Bじゃないか? と根来は一瞬思ったが、そんなことはもはや考えていられなかった。
「淀川多恵のペンネームは薔薇辻多恵というのだな? ということは、頭文字はB・T。なるほど。これで、つじつまが合う!」
「でも、何のことです?」
「何のことだって良いんだよ。早く、着替えて、次の授業に行きなさい」
根来は、そう言うと、飛ぶようにその場を離れて行った。




