49 夏目部長のテンション
こういうわけで祐介は、由依が犯人に襲われている肝心の時に、姿を現さなかったのである。
帰りのホームルームは終わった。八重、百合菜、由依の三人は、静々と廊下を歩き、文芸部のミーティングが行われる会議室へと向かっていた。八重が文芸部のミーティングに向かうのは当然として、他の二人が付いてきているのはどういうわけだろうか。
それはこういうわけである。ホームルームが終了した直後のことであった。八重が文芸部のミーティングに向かおうとすると、百合菜が背後から近づいてきた。
「ねえ、八重ちゃん、私もミーティングを見学していいですか?」
と百合菜は言ってきたのである。
「えっ?」
「私、真剣に文芸部への入部を考えていて、それでさっきも授業中に詩を書いてたんです」
なにもこんな物騒な時にミーティングなんか見学しなくても、と八重は心の底で思ったが、かといってこの場で解散するのも危ない気がする。また、百合菜が次に放った言葉は説得力があった。
「それに部活に入っていた方が、先輩たちの話も聞けて、兄の死の真相を突き止めるのにちょうど良いと思ったんです」
なるほど、と八重は頷いた。
ちなみに由依が付いてきているのは、例のボディーガードというやつである。
「二人がそっち行くんなら、私も同行させてもらうよ」
と由依は言った。よく考えてみると、今となっては由依も事件の関係者の一人だった。それどころか彼女は、誰よりも犯人に命を狙われやすい存在でもあったのだ。なにしろ、顔を見られたかもしれないという不安感を犯人に抱かせたはずだから。
結局、三人一緒に行動するのが一番安全なのだろう。
三人が図書室のある二号館の階段を上っていると、階段の踊り場に夏目部長が立っていた。何度見ても変わらないその姿。髪を頭の後ろで綺麗に束ねた、黒縁眼鏡の才女なのである。
「部長……」
「ああ、和泉さん。良いところに来ました。ちょっとこっちへ来て……」
夏目先輩は険しい表情で、八重を階段の踊り場の端に呼んだ。
「どうしたんですか?」
「実は、不審者が出たんです」
「えっ」
八重はすぐに刃物を持ったあの黒い人影のことだと思った。由依を襲った賊だ。しかし何故、そのことを夏目部長が知っているのだろう、そこが少し引っかかった。
「あの、どうして……」
「和泉さん。どうか落ち着いて聞いてください。今から経緯を話します。あれは忘れもしない、今日のお昼休みのことでした。私は、ベルが鳴り止むと、お弁当箱に片手に校舎を出ました。一号館前の歩道にベンチがいくつも並んでいるでしょう。ブラウンのペンキが塗られたあの二人掛けのベンチです。私は春の陽射しの中でたった一人、そのベンチに座って、サンドイッチを美味しく頂いていたのです。そうしたら、なんということでしょう。突然、不審な男が私に声をかけてきたんです。甘い言葉でした。……おやっ、それは君が手作りしたサンドイッチなのかい? ふふふ。美味しそうだね……。それは、人をたぶらかす甘い響きの声でした。しかし、彼が学校の関係者ではないことはその様子からすぐに分かりました」
「あの、お昼のことですか?」
すると、体育の授業での騒動が起こった時刻よりも以前のことだ。
「ええ。お昼休みのことです。それから、不審な男は教室の場所を知りたがっていました。しかし、私が身の危険を感じ、堅く口を閉ざしていると、ついに我慢ならなくなったのか、和泉さん、あなたの名前を口に出したんです」
「私の名前、ですか……?」
間違いない、あの黒い人影だ、あいつが私の居場所を探し求めているんだ、そして私の命を狙っているんだ、と八重は背筋に冷たいものが走り抜けるのを感じた。
「ええ。不審者の目的は他ならぬあなたでした。上手い具合にそこに校長先生が通りかかったので、私は校長先生に助けを求めました。校長先生は、不審者を尋問し、校長室に連れて行きました。それから、その不審者がどうなったのか私は知りません。しかし、和泉さん、気をつけた方がいいですよ。今、この虚構に満ちた学び舎の中を、一頭の血に飢えた狼が彷徨い歩いているのです。その獰猛な瞳に映っているのは、一頭のか弱い羊ですわ。分かりますか。それはあなたなのですよ。和泉八重っ!」
夏目部長の透き通るような声は、いまや興奮の熱を帯びて、階段中に響きすぎるほどに響いていた。




