33 川の見える民宿と電話
挿絵は、成宮りん様が描いてくださいました。
羽黒祐介は、喫茶マトリョーシカを出た後、長月駅前広場から古びた商店街をまっすぐ突き進んだ。
それはショッピングモールへと通じる細く賑やかな商店街ではなく、長月駅前からまっすぐ北に伸びた広い道路の商店街であった。はじめ、両側には二、三の飲食店や洋品店があったが、その先には、何を売っているのか分からなければ、どうやって生計を立てているのかも分からない古びた商店がまばらに並んでいる。どの商店も締め切られたガラス戸の中は薄暗くて人気がなかった。
その道路を延々と突き進むと、橋があって、下に清らかな川が流れている。この道は、紫雲学園行きのバスの通り道だった。そして、橋を越えた左手には、祐介が泊まることになっている民宿があった。
二階建ての建物の外見は汚らしかった。白かったはずの壁はもはや灰色がかっている。川沿いであるから、風で転落しそうに思える。
それでも、玄関の引き戸を開けて、中に入ると、薄暗い室内に艶のあるフローリングが敷かれていて、ランプ型の灯りに赤く照らされている。壁にかかった古時計がカチッカチッという音を立てている。木造りの階段が螺旋状に二階へと通じているのには、趣きが感じられた。
「おかえりなさい……」
と、声が聞こえた。見ると、民宿の店主が奥の長椅子に腰掛けて、文庫本を読んでいた。
「駅前に行ってきたんですけど、すごく賑やかですね……」
「そうでしょう。この付近の人は、わざわざ電車や車でこの高月に遊びに来るんですよ。もともと温泉場としてそれなりに賑わっていたのですが、ここ十年ほどで、紫雲学園が出来たり、例のショッピングモールが出来たりと、大きく様変わりしているんです……」
「良いことばかりですね」
「そうとも限りませんけどね。新しいお店は繁盛しているようですけどね。潰れてゆく店は後を絶たないし……」
と、店主はそれ以上のことは話題が暗くなると思ったのか、曖昧な笑顔で誤魔化した。
祐介は挨拶をして、階段を登った。二階の一番手前の引き戸を開けた。そこは真ん中に机が置かれた八畳間だった。一人でいるには広すぎる気もしたが仕方ない。祐介は、助手の英治に留守番を頼んで、たった一人でこの長月にやってきたのだ。
祐介はどっかと畳に座り込んだ。
祐介は、すでにチェックインを済ませていて、荷物は部屋の中に置かれていた。
(それにしても、不思議だ……)
祐介は、喫茶マトリョーシカで従兄妹の八重に出会ったことを不思議と思った。そして、その前夜に八重の顔が脳裏をよぎったことも実に不思議と思った。八重とは、どこかで霊的な何かがつながっているのかもしれない、と祐介は探偵らしからぬことを思った。
(しかし、どうやって、調査をしてゆくか……)
祐介が百合菜に語った通り、紫雲学園は陸の孤島だった。部外者が立ち入ることはできないし、もし仮にそれができても関係者の口は堅いだろう。調査が難航することは目に見えていた。
しかし、事件が起こったと思われるのは五年前のことである。
(卒業生か……)
祐介は、そう思いながら、窓の外を眺めた。歪んだ石垣のようなものが見える。その下を緑色の川が流れていた。水が濁っているのではなく、苔の色だと思った。
祐介は考える。当時、学園に通っていた卒業生とコンタクトを取ることができれば、部外者の祐介でも調査は可能だろう。紫雲学園に立ち入って、聞き込みをする必要がないからだ。
さまざまな案が頭に浮かぶが、なかなか、まとまらない。その時、携帯電話が鳴った。そっと拾い上げる。
「もしもし」
『俺だ』
「根来さんですか……」
電話の声の主は、群馬県警の根来拾三であった。泣く子も黙る鬼警部で、いつもほとんど自己流な捜査を貫き、第一線で暴れまわっているというなかなか愉快な男である。
『ああ、俺だ。久しぶりだなぁ。元気にしてるか? 俺はものすごく元気だ』
「僕も元気ですよ」
祐介は、思わず微笑んでしまった。
『そうか。そりゃ良かった。まあ、聞けよ。今度、俺さぁ、東京に行こうと思うんだ。ちょうど捜査も片付いたからよ。お前と一緒に一杯やろうと思ってな……どこか良い店知ってるか……?』
「そうですね。根来さんが行くような大衆酒場はよく知りません。僕が行くのは、わりとバーとかお洒落なところなんで……」
『なんか、俺のイメージ、決めつけてないか……?』
そんなことを言われても、世の中、イメージが全てじゃないか。
「そんなことより……、今、群馬県にいます……」
『えっ、そうなのか。なんだ。それを早く言えよ。群馬県のどこにいるんだ?』
「長月というところです……」
『長月か……。良いところにいるな。どうした? 事件でもあったのか……』
「それはまだ分かりません。でも、根来さん、その時にはいつも通り情報の横流し、よろしくお願いします……」
『……人聞きの悪い言い方するなよ……』
と言いつつ、根来は何か思い当たったらしく、ちょっと黙った。しばらくして、
『羽黒……その代わり……』
「はい?」
『お前の奢りな……?』
「………」
……二人は確信犯である。




