22 弁天堂のトランペット
ふたりはあの弁天堂のような、五角形の建物に向かって歩き出した。桟橋のような歩道は湖の上を渡るような塩梅で、湖岸に沿ってまだまだ先まで続いている。見れば青い湖面に、弁天堂のほの白い逆さまの姿が映っていた。それは間近に見ても夢幻のように思える不思議なお堂で、右手の湖の上にせり出し、左手の陸地からは赤い橋がかかっている。そんな弁天堂はちょっと北山の金閣寺のような印象を二人に与えた。
「綺麗ですね」
と百合菜は、さもエキゾチックな建物が好きだと言わんばかりに目を輝かせている。
「そうだね。でも、なんでこんな建物がここにあるんだろう……」
「この弁天堂は、この学園が出来る前からいわれがあって建っていたものなんですよ」
と百合菜は何故か、八重よりもこの地域の歴史を熟していた。
「そうなの?」
「ええ、この学園が出来た時に、歴史的なものだから、この弁天堂は残しておこうということになったらしいんです」
「それじゃ、ずいぶん古いものなの?」
すると、百合菜は首を傾げた。
「ええ、江戸時代のものらしいです。なんでも、このあたりには昔、円西寺というお寺があったのですけど、元々、小さなお寺だった上に、明治の廃仏棄釈の時期に世間の風当たりも強くて、山中の神社一つ残して、跡形もなく片付けられてしまったらしいです。ですけど、地域の人の信仰が篤く、弁天堂だけは今でもこうして残されて、補強を施しながら、現在に至るわけなんです」
百合菜が少し興奮した調子でそんなことを早口で語ったものだから、この子、歴女なのかな、と八重は疑った。
「へ、へえ、そうなんだ……」
「中に入ってみませんか」
と百合菜は興奮した様子を変えずに、八重の方を見つめた。
「中に入れるの?」
「だって、ほら、観音開きの扉がああして開いているじゃないですか……」
と百合菜は言いながら、弁天堂に向かって歩き出した。
二人が赤い橋を渡り、五角形の弁天堂の観音開きの扉の中へ入ると、案外ちゃんとしたお堂らしく正面には小さな弁財天の木像が祀られていて、金色の荘厳が西日に照らし出されて、ほのかに光が浮かび上がって美しかった。
「へえ……」
八重はちょっと感心して声を上げた。
「実は、この弁天堂にも七不思議があるんです。それもまた変てこな七不思議なのですが……」
「どんなもの?」
「この弁天堂から、たまにトランペットの音色が聞こえてくるのだそうです。それも夜にです」
「お坊さんが、トランペットを吹いているんじゃない?」
「それは、違います。まず、この弁天堂を管理しているのは、お寺ではなく、紫雲学園です。だから、お坊さんはいません」
「じゃあ、警備員のおじさんが、夜中に鍵を開けて、中に入って、トランペットを吹いているんじゃない?」
「面白い推理です」
百合菜はそう簡潔な感想を述べると、弁財天の木像を見つめた。
「弁財天は、音楽の天女なんです。彼女が持っている楽器は琵琶なんです。だから、誰かが弁財天とジャムセッションをしようと思って、トランペットを持ち込んだのだとも考えられます」
ジャムセッションとはなんだろう、と八重は首を傾げた。
「ジャムセッション?」
「ああ、プレイヤーが集まって、事前の準備や取り決めなしに即興的に演奏をすることです」
どうも夕紀さんはひどく天然なところがあるらしい、と八重は思った。
「そんなことを考えた人がいたとして、それは構わないけど、この弁天堂も日が暮れれば施錠されるんでしょ?」
「ええ、おそらく……」
「なら、どうやって中に入ったのかな……」
すると百合菜はふっと笑った。
「ミステリーを解く最大の鍵は、どうやってやったか、じゃありません。何故やったか、です」
……そう語る百合菜の瞳は澄んでいて知的だった。




