12 赤い廊下のふたり
午後の授業も相変わらず、平凡で退屈に過ぎていった。
実を言うと八重は、先生の話をあまり真剣に聞いていなかった。その小さな頭の中では、百合菜が口にした「学園の七不思議」という言葉がいつまでも渦巻いていたのだった。
(一体、どんな七不思議なんだろう……)
そうして妄想と現実の間を彷徨っているうちに、八重はいつの間にか、帰りのホームルームを受けていたのだった。
それが終わると自由時間だった。八重は文芸部の部室に訪れることもできたのだが、ただなんとなく乗り気になれなかったので、廊下と図書室を行ったり来たりしていた。
それはやはり、頭の中に「学園の七不思議」という言葉があって、他のことは考えられなかったからだった。
八重は図書室の本棚に並ぶ、古めかしい背表紙を眺めているうちに「紫雲学園史」というタイトルの本を見つけて、思わず手に取った。
見ればその本は、紫色のカバーが装丁されていたが、本の角は擦れて白くなっていた。
(もしかしたら……)
八重が、それを背の低い文庫本用の本棚の上に乗せて目次を開くと、そこに「学園の七不思議」の文字はなかった。
(そんなこと、書いてるわけないか……)
八重は、自分がよく分かっている当たり前のことを他人にしつこく念を押されたような、なんともすっきりしない、いかにも馬鹿を見たような気持ちになった。
八重はこの日、図書室で本を一冊も借りなかった。この時、八重が求めていたのはどんな文豪の文学でも、どんな画家の画集でもない。目の前にぶら下がっていながらまだ何の姿も見せずにいる、得体の知れない紫雲学園の七不思議の謎の方なのだった。
八重は六時頃になって、図書室を半ば追い出されるようにして、流浪の民のように電灯の消えた薄暗い廊下を歩いていた。
窓から見えるのは、山並みに太陽が沈もうという夕暮れ時の赤い空だった。
八重は、電灯の消えて赤っぽくなった廊下を歩きながら、自分の足音がコツリコツリと響いて聞こえてくるのをただ聞き入っていた。
その時、不意にもう一つ、変わった足音が加わった。それは、八重の進む方向のずっと先から聞こえてきた。
(誰だろう……)
八重がはっとして、その音のする方を見つめると、暗い廊下の突き当たり、渡り廊下に通じようというところに転校生の百合菜の姿があった。
百合菜は、静かに佇んでいた。少しうつむいていた。八重は、百合菜に近づくと、
「夕紀さん」
と声をかけた。
百合菜は、足音に気づかなかったらしく、はっとしたように、八重の顔を見た。その見開かれた眼差しの中にある黒い瞳が綺麗だった。
「和泉さん」
「どうしたの、こんなところで……」
「いえ、少し迷っていたんです……」
「そうなんだ。寮に行くの?」
ところが百合菜は答えなかった。まるで何か考えているように、静かにうつむいた。そして顔を上げると、窓の外にひろがる赤い空を眺めた。
「綺麗ですね……」
「そうだね」
八重はそう答えながら、百合菜の様子がおかしいことに気付いていた。
「空の色は正直ですから……」
「うん」
「和泉さん……」
「ん?」
八重はその声につられて、百合菜の顔を見つめた。反対に百合菜は八重の顔をじっと見つめていた。その美しい顔が赤い光に包まれ、深い印影を作り出して、さらに美しくなっていた。しかし、それはどこか悲しげだった。
「この学園のことが好きですか」
「好きでも、嫌いでもないかな……」
「そう」
百合菜は、愛想笑いとも苦笑いともつかない、ひどく曖昧な微笑みを、にやりと浮かべた。そして、その微笑みをゆっくりと消してゆく。そして、どこか冷たげな完全な無表情に戻すと、こんなことを言った。
「この学園には、恐ろしい秘密が隠されています……」
八重は驚いて、百合菜の顔を見つめた。
「恐ろしい秘密って?」
「今は何も言えません。でも、いつか、あなたにも喋ることになるかも。それに……」
百合菜はそこで言葉を切ると、
「近く、この学園で何かが起こるかもしれません。私が転校してきたせいで……」
と言った。
百合菜は、すぐに喋りすぎたと思ったのか、少し気まずそうに視線を床に彷徨わせてから、再び八重の方を向いた。
「それじゃ、また明日……。今、話したことは誰にも喋らないでくださいね」
百合菜は曖昧な笑みでそう言うと、八重に背を向けて、赤い廊下を一人で歩いて行った。そしてたちまち、暗い影の中に消えてしまった……。




