5.愛しい猫
「お父様、おはようございます」
あの騒動のあと、思いのほかゆっくりと眠れた。
ルーシス様からした良い香りのおかげかしら。あんなにも慌ただしい夜だったというのに、気づいたらすぐに眠りについていましたわ。
朝、侍女の方が声をかけてくれなければあやうく寝過ごすてしまうところだった。
いつもは日の出とともに自然と起き上がれるが、屋敷が真っ暗になっていることもあってか、カーテンを開けるまで朝だと分からなかった。
朝食時に無事再開出来たお父様の顔色は明らかに悪くなっていた。
……きっと、昨日の公爵様への挨拶の後悔と、一晩中私のことが気がかりで眠れなかったのが手に取るように分かりますわ。
子どもの頃は、夜1人になるたびに泣いていた私のところに、真っ先に駆けつけてくれたのはお父様でしたもの。
「あぁ、おはよう。ミラ……昨夜は……大丈夫だったか?」
「…………はい」
すみません、お父様。公爵邸で走り回り、レディとしてあるまじき散々なことを話しただけでなく、私のせいで数名の騎士様の首が危険になりましたわ。
なんて、言えるはずがない。
それに……ルーシス様とのことは……絶対に言えません。
「公爵様がおいでなさいました」
「「っ!!??」」
使用人たちの言葉に、つかの間の再開に緊張が走る。椅子の数からして、もしかしてと予想はしていたが、公爵様交えての朝食となる。
「おっ、おはようございます。先日はご挨拶もろくに出来ず大変申し訳……」
「何を言いますか。こちらの方が恩人にわざわざご足労頂いた身。まずはその父君にお礼と挨拶を十分に出来なかった非礼をおわびさせて下さい」
「ひっ、そんな、公爵様。滅相もございません」
「ハハハ。それで? よく眠れましたかな?」
明らかにこちらを見ている。昨日のルーシス様の言葉を信じるなら、公爵様は私を試そうとしていますのね。おそらく、この場で。
友好的に見えてその眼が少しも笑っていない。
「……はい。良くして頂きありがとうございます」
「ふむ、親子そろって慎ましいのだな」
静かに食事が運ばれる。昨夜は夜食を用意されたが、一口サイズに飾られた料理は、あまりにもおしゃれで、一瞬で食べて終えてしまった。
お腹は空いているが、マナーなどろくに身につけていない。公爵様の前で食べられるだろうか。だからといって、何も口にしないわけにもいかない。お父様の真似を見ながら、少しずつ口にしていく。
「…………」
「…………」
「……それで」
ひと息ついたタイミングで、公爵様が口を開く。
「あの日は実に不思議な体験をした。立場上、刺客に襲われることは少なくないが、お嬢さんが来てくれなければ、道が分からないまま我々は怪我した身体で衰弱するところだった」
「そうですか。恥ずかしながら、娘は1人で山によく山菜……散策するのが好きですので、偶然お見かけしたのでしょう。しかし、そのような話、公爵様からお手紙が届くまで知らず、とんだ失礼をしまして」
「何をおっしゃる。命の恩人を探すのに時間がかかり、きちんとしたお礼をするのに手間取ってしまった。あの馬車を見れば……民でもヴァロアナ家だと分かる者も多い。通常ならこれ見よがしに見返りを求める者も多いというのに」
「いやはや、なにぶんまだ世間知らずな娘でして」
「どうやらそのようで」
公爵様がまたあの眼をこちらに向ける。
「社交界にもまだ顔を出されていないどころか、他の貴族との交流もほとんどないとか」
「はっ、はい」
「……外に出るのが嫌いというわけではなさそうだが、この屋敷の彫刻は気に入っていただけたかな?」
お父様の言い訳には無理があった。
公爵様の馬車が渓谷の深いところまで迷っており、あのヒョウの案内なしでは発見することは出来なかった。本当は山菜採りだが、どちらにしてもたまたま見かけたらというには無理がある。
「はい。繊細なデザインで、あまりの美しさに見惚れてしまいましたわ」
これは本当のことですわ。思わず足を止めて見入ってしまいましたもの。
「……そうでしょう。我が屋敷自慢のオブジェで、この世に2つとないもの。気に入って頂けて良かった。あぁ、ところで、ヒョウには特別な仕掛けがあったのきはお気づきに?」
「そうなんですの? 是非教えて頂きたいですわ」
「…………」
これで、大丈夫ですわね?
ルーシス様のアドバイス通り、色には触れず、失礼のないようにやり過ごす。
「……いや、お嬢さんには興味がないことだろう。それより、助けていただいたお礼をお渡しする準備を」
公爵様の指示に、いくつもの袋を持った騎士達が次々に並ぶ。
「これは?」
「心ばかりのお礼の品です。持ちきれない分は馬車に積ませるので、どうぞ受けとってくだされ」
「これは……こんなには」
「あなたの娘さんが助けたのはヴァロアナ家現当主。その功績がこの量では多すぎると?」
一瞬、公爵様の笑みが崩れる。
「いえっ、まさか!! ではありがたく……」
公爵様の機嫌を損ねないよう、荷物を持って出て行く様子をただ黙って見るしかない。
「あぁそうだ」
「はい?」
「先日、ヴァロアナ家が長く可愛がる猫に子どもが産まれたところで……良ければ1匹お譲りしましょう。おい」
その言葉に侍女がカゴに眠る子猫を連れてくる。
「っ!!!! 可愛い……ですわ」
思わず本音が出る。生まれてこの方、野生の動物しか見たことがない。ふわふわの毛に身を丸くして、少しあくびをしながら兄弟猫に寄り添い眠る姿に、心を奪われる。
お父様に飼って良いか、視線を向ける。
「光栄でございます」
先ほど公爵様の機嫌を損ねかけたお父様は、これ以上好意を無下になど出来ないと、娘へ一度首を縦にふり、静かに承知したとサインを送る。
「っ!!」
自分たちの食べ物にすら困る日々、ペットを飼うなど想像も出来なかった。
「えっ、選んでも宜しいのですか?」
「あぁ、いえ。そう言ってやりたいが……母猫から乳離れ出来ているのが色の薄い猫だけでな」
「そうですのっ!! では、この白い子猫が……」
そっと抱きあげ、胸に抱きしめる。ゴロゴロと喉を鳴らし、まだ眠る子猫にキスをする。
「ミラ……」
「お父様、名前は……」
興奮した気持ちで、お父様にもう一度視線を向けると、真っ青な顔でこちらを見ている。その隣では、公爵様が満足したようにこちらを見ていた。
「やはり、視えるのだな」




