27.我慢できません
「これはこれは、ルーシス様にミラご令嬢。この度はご婚約おめでとうございます」
政治の世界とは一線を引いているはずの神殿にすら、正式な婚約の発表が耳に入っているようだ。
「あぁ。さすが、早いな」
「世間には多少疎くとも、ヴァロアナ家のことは別でございますから。ミラ様も、その後お変わりありませんかな?」
「ありがとうございます。大丈夫ですわ」
「それで、今回はどうなさいましたか?」
「安心しろ。石には用はない」
「そうですか……」
あからさまにホッとしているのが分かる。
大神官からすれば、あの話は無かったことにしなければならない超極秘事項だ。迎えられるやいなや、1番奥にある人目のつかない部屋に通された。万が一を想定しているのがよく分かる。
「彼女が正式にヴァロアナ家の婚約者として公の場に出た。それだけ言えば分かるだろう?」
大神官はすぐに察しがついたのか、気の毒そうにミラを見つめ頷く。
「やはりですか……本来なら神力か実家の力がなければ心許ないお立場でしょう。ですが、そのどちらも……すぐに身の安全を願うご祈祷と御守りを手配しましょう」
「頼む。ところで、既に誰かが呪術を使っている可能性もあるのだが、その場合はどういった方法があるだろうか」
「…………ふむ。それは厄介ですね。本来であれば、こちらで毎日祈祷を行い、ご加護を受けるのが最善でしょうが……」
大神官の返事に、ルーシス様は眉をひそめる。
「ヴァロアナ家の婚約者を神殿に匿うなど、世間に弱さを見せつけるようなものだろう。何のために莫大な寄付金を納めていると思っているんだ?」
「あぁ、いえ。そういうわけでは……負担を減らすには聖水を飲むのも1つの手ですな。根本的には実際に使われている呪物を破壊……もしくは当事者に辞めさせることが有効な手立てかと」
「呪式を使っていない場合はどうする?」
ルーシス様の言葉に、大神官は一瞬考え込む。
「それは……ないかと。呪式なしに呪術などありえません。あるとすれば、信仰心のない罪を犯した者への罰としか」
「そうか。当然、ヴァロアナ家は信仰に厚い。そのような心配は不要だな?」
「もちろんでございます」
「なら、安心だ。では帰ろうか」
「え?」
ルーシス様が腰に手を回し、エスコートするように出口へと足を向ける。
「はい? えっ、あっ、お送りいたしましょう」
来て間もないというのに、急に帰るという言葉に、大神官ですら一瞬理解が出来ないでいたが、心なしか機嫌が良さそうに見える。
「ミラ様、身の安全は私どもが心身込めてご祈祷いたします故、どうぞご安心ください」
「えぇ……」
帰り際、わざわざ門まで見送る大神官の身体中には、最初に出会った時に視た無数のアレらが影のように絡んでいた。
どうしてかしら。信仰心で言うなら最もこの国で権威ある大神官様が……
「ミラ?」
馬車に乗る前に、もう一度大神官の近くに寄る。
「ミラ様? どうなされましたか?」
関わらない。お父様、約束を破ってごめんなさい。
ソレらに耳を傾けると、それは悲痛な嘆きと恨みの声そのものだった。
『ど……うが、おだずげ……を』
『ぐる、じい……ぐるじい……』
『慈悲を……我らにも……ご慈悲をぉぉ…』
っ!?
「??????」
目の前にいる彼は本当にこの国が誇る大神官なのかしら。前は、彼に救いを求めているソレが勝手にくっついているのかと思ったけれど……違いますわ。彼らは……神殿に門前払いされた人々だったんですわ。
言葉と共に、生前の恨みつらみ、胸が張り裂けそうな悲しみが勝手に流れてくる。
「あな……あなたは……」
「??」
「ウナ〜〜ッ!!」
「えっ!? ブランク!!??」
屋敷にいるはずのブランクが馬車から飛び出して来た。
「なっ!? なんだこのケモノはっ!! あっちへ行かんか!!」
急に頭に飛びつかれた大神官は引き離そうと大慌てだ。
「…………」
「ミラ、こちらへ」
ルーシス様が肩をそっと触り、ようやく自我が戻ってきたようにハッとする。
「大丈夫?」
「……はい」
「そうか……ブランクッ」
ルーシス様の強めの呼びかけに、ブランクはすぐに主人の肩へと飛び移る。
「ナオゥッ」
「いい子だ」
「ぐっ……ハァっ……一体、何が……」
驚きによろける大神官を慌てて支えるように他の神官が手をかそうとするが、大神官はその手を振り払う。
「今更遅いじゃろうがっ!! あっ、いや、あまりの驚きに年甲斐もなく熱くなってしまいましたな。それで、そのケッ……猫は?」
「我が家の大事な飼い猫だ。まだ子猫ゆえ、しつけの途中でな」
「その大きな身体で子猫っ!? いや……ははっ。ヴァロアナ家の飼い猫ともなれば頼もしいですな」
「主人として謝ろう。すまない」
「えっ!? あぁ、いえ。いいのですよ」
人の行き交う門前で、ヴァロアナ家次期公爵が大神官に謝罪をする。あのヴァロアナ家が頭を下げるなど、神殿の権威は爆上がりも同然だ。
「それにしてもおかしいな」
「はい?」
「この猫は少し癖がまだ抜けきれてなくてな。どうも肉の匂いに目がない。ここまで興奮するなんて、まるで大神官様からたまらなくいい匂いがした勢いだ」
「なんですとっ!? まさか……ご冗談をっ。それでは、私はこれで失礼いたしますのでっ」
大神官は顔を真っ赤にすると、周りの目を気にしてか、慌てて神殿の中に帰っていった。




