第81話 迫る群れ
翌朝、ノヴァグラードの東門は、普段とはまるで違う光景になっていた。
いつもなら街へ入る商隊と、依頼に出かける冒険者が行き交う時間だ。ところが今日は、街道の先から荷馬車が次々と到着し、門の前には入城を待つ人々の列ができている。荷台には衣類や寝具、食器などが積み上げられ、その隙間に子供を座らせている家族もいた。牛や山羊を連れてきた農民たちもいて、衛兵は人と家畜の流れを整理するだけでも忙しそうだった。
「昨日より増えてるね」
馬上からその様子を眺めていると、隣にいたタクマが頷いた。
「東側だけじゃないみたいだな。北の集落からも避難が始まってるって聞いたし、今日中にもっと増えると思う」
「受け入れは大丈夫なのかな」
「そこは行政が手配してくれてる。ただ、予定より人数が増えれば、寝る場所も食料も足りなくなるかもしれない」
私たちは馬を降り、門の脇で避難者の誘導をしていた衛兵に声をかけた。昨日の協議にも参加していた衛兵隊の担当者で、私たちの顔を見ると、忙しそうにしながらも状況を説明してくれた。
避難者の登録は簡略化され、家族単位で人数と出身集落を確認した後、あらかじめ用意された収容先へ案内しているという。商人組合が提供した倉庫や宿泊施設の空き部屋に加え、行政が管理する建物も順次開放されていた。
「今のところ大きな混乱はありません。ただ、荷馬車が足りませんね。歩けない老人や病人を優先していますが、遠方の集落では迎えを待っている住民がまだ大勢います」
「昨日の集落の人たちは?」
「全員、無事に収容されていますよ。今朝も何人かが家畜の世話をする場所について相談に来ていました」
その報告に、私は少し安心した。
昨日、あの集落を離れるとき、住民たちは何度も家や畑を振り返っていた。自分たちが長年暮らしてきた場所を置いていくのだから、簡単に気持ちを切り替えられるはずもない。それでも、少なくとも今は安全な場所にいる。
門の近くで休んでいた老人が、私たちに気づいて声をかけてきた。昨日の集落で会った人だった。
「おお、あんたたちか。昨日は世話になったな」
「おはよう。体の具合はどう?」
「悪くないよ。寝床も用意してもらえたし、飯も食わせてもらった。ただな……」
老人はそこで言葉を切り、東の街道へ目を向けた。
「畑が気になって仕方ない。もう少しで収穫だったんだがな。いつになったら帰れるんだろうな」
私はすぐには答えられなかった。魔獣を討伐すれば帰れると言えたら、どれほどよかっただろう。けれど、今は周辺の森にどれほどの魔獣がいるのかさえ分からず、避難がいつまで続くのか見通しも立っていない。軽々しく約束することだけはできなかった。
「……まだ、はっきりしたことは言えない。でも、戻れるように頑張るから」
「そうか。まあ、命があっただけでもありがたい話だ。あんたらも無茶するんじゃないぞ」
老人はそう言って笑った。その笑顔を見て、私は昨日の判断が間違っていなかったと思えた。家も畑も大切だけれど、そこに暮らす人たちがいなくなってしまえば、取り戻すことさえできないのだから。
私たちは老人に別れを告げると、再び馬に乗って東街道へ向かった。
◇
街から少し離れた場所では、衛兵と冒険者たちが防衛拠点の整備を進めていた。
街道の両側には木柵が並べられ、その後ろに土嚢や資材が積まれている。ここは街そのものを守る最終防衛線ではなく、避難する住民や荷馬車を一時的に保護するための拠点だった。魔獣が接近した場合は迎撃するが、守りきれないと判断すれば撤収することになっている。
「リカさん、こちらをお願いできますか」
衛兵の一人に案内され、私は街道脇の木柵を確認した。地面に打ち込まれた杭を横木でつないだ簡素な構造で、狼型の魔獣ならともかく、大型の猪型に突進されれば簡単に壊されてしまいそうだった。
「根元を土で固めて、外側に低い土塁を作ればいいかな」
「はい。ただ、荷馬車が通る場所は残していただきたいんです。こちらから撤収するときにも使いますので」
「分かった。どのくらいの幅が必要?」
衛兵が説明する間、タクマは街道の幅と荷馬車の大きさを確認していた。
「荷馬車が一台通れるだけじゃ足りないですね。途中で車輪が壊れたり、馬が暴れたりしたら、そこで全部止まってしまいます」
「確かにそうですね」
「できれば待避できる場所を作っておきたいです。あと、門の手前で馬車が詰まらないように、誘導する人も必要になると思います」
衛兵は頷き、近くにいた部下を呼んで配置を相談し始めた。
私はその間に、魔法で土を動かしていく。地面の表層を持ち上げ、木柵の根元を包み込むように固める。さらに外側へ低い土塁を伸ばし、魔獣が勢いよく突っ込んできても、そのまま柵へ衝撃が伝わらないように形を整えた。
高く頑丈な壁を作るだけなら、もっと簡単だったかもしれない。けれど、それでは荷馬車の通行を妨げてしまうし、衛兵たちが撤収するときにも邪魔になる。今回は守ることと逃げることの両方を考えなければならなかった。
「こんな感じでどう?」
衛兵たちは完成した土塁を確認し、何度か実際に通路を歩いてから頷いた。
「十分です。これなら大型の魔獣が来ても、多少は勢いを削げるでしょう」
「絶対に止められるわけじゃないから、無理はしないでね」
「承知しています。ここは最後まで守る場所ではありませんから」
その返事に、私は安心した。
少し離れた場所では、若い冒険者たちが土嚢を運んでいた。見覚えのある顔も何人かいて、普段はギルドで採集依頼を受けている新人たちだった。彼らは武器を手に森へ入るのではなく、資材の運搬や水の配布、伝令の補助などを任されている。戦える冒険者が不足しているとはいえ、経験の浅い彼らまで危険な前線へ送り込めば、かえって被害が増えるだけだ。
「こういう仕事も冒険者の役目なんだな」
タクマが土嚢を運ぶ新人たちを見ながら言った。
「そうだね。魔獣を倒すだけが仕事じゃないし」
「俺も最初の頃だったら、あっちに回されてたかもしれないな」
「多分ね。でも、タクマなら荷馬車の誘導とか任されてそう」
「剣を持たせてもらえないのか?」
「だって、そっちのほうが得意そうだもん」
「否定できないのが悔しいな」
タクマは苦笑した。実際、彼が異世界へ来る前にしていた仕事の経験は、こういう場面で随分役立っている。魔法や剣術とは違うけれど、人の話を聞き、問題を整理して、無理のない方法を考えるのも立派な能力だと思う。
私たちはその後も拠点の補強を手伝い、昼過ぎになってからノヴァグラードへ戻った。
◇
冒険者ギルドに戻ると、受付の周辺はいつも以上に騒がしかった。
依頼を受ける冒険者の姿は少なく、代わりに衛兵や伝令が頻繁に出入りしている。エリナは受付台に広げた報告書を整理していたが、私たちに気づくと顔を上げた。
「あっ、リカ! タクマも、お疲れさま!」
「ただいま。東側の拠点、補強してきたよ」
「ありがとう! ちょうど北からも報告が来たところなんだ。二人とも、ギルド長のところに行ってくれる?」
「何かあったの?」
「ガルドさんたちが戻ってきたんだけど、ちょっと気になる話があるみたい」
私たちは顔を見合わせ、奥の会議室へ向かった。
扉を開けると、バルザックとガルドが地図を挟んで話していた。ガルドの鎧には新しい傷が増え、大剣にも魔獣の血が付着している。本人はいつも通りの豪快な表情だったが、さすがに疲労は隠しきれていなかった。
「おう、二人とも戻ったか」
「ガルドさん、また随分戦ってきたみたいですね」
タクマがそう言うと、ガルドは肩をすくめた。
「まあな。北の集落から住民を逃がす途中で、魔獣の群れに出くわした。放っておくわけにもいかねえから、少しばかり片付けてきたところだ」
「少しばかり、ですか?」
「三十体くらいだったか。昨日ほどじゃねえよ」
昨日は五十体以上を討伐したと聞いている。三十体でも十分すぎるほどの数なのに、それを大したことでもなさそうに話すのだから、この人の感覚は少しおかしい。
もっとも、今回の報告で重要なのは討伐数ではなかった。
「妙だったのは、連中の動きだ」
ガルドは地図の北側を指さした。
「狼型の群れを片付けていたら、森の奥から猪型まで出てきやがった。普通ならこっちに突っ込んでくるか、狼どもと争い始めるところだ。ところが、俺たちには目もくれずに横を通り過ぎていった」
「襲ってこなかったの?」
「ああ。もちろん、こっちから近づけば牙を剥くがな。わざわざ戦おうとはしなかった。それに、狼型も猪型も同じ方向へ向かってやがった」
私はバルザックを見た。ギルド長は腕を組んだまま、険しい表情で地図を眺めている。
「昨日の報告と同じだ。群集相への移行が進んでいると考えたほうがいいだろう」
「でも、まだ群れが一つになってるわけじゃないんだよね?」
「ああ。少なくとも北では、いくつかの群れが別々に動いている。ただし、互いに争わず、同じ方向へ移動しているのは確かだ」
ガルドが大きく息を吐いた。
「俺たちが倒した数より、通り過ぎていった連中のほうが多かったかもしれねえ。あれを全部相手にしてたら、住民を逃がすどころじゃなかったな」
ガルドほどの冒険者でも、すべての魔獣を倒すことはできない。強い魔獣が一体いるだけなら、私たちが向かって討伐すれば済む。けれど、数十体の群れがあちこちに現れ、そのすべてが移動しているとなれば、話はまったく違ってくる。
「北の住民は?」
私が尋ねると、ガルドは頷いた。
「無事だ。最後の荷馬車が通るまで見届けてきた。あとは街まで護衛がついてる」
「よかった……」
「だが、まだ北の奥には避難が終わってねえ集落がある。明日も忙しくなりそうだぜ」
その言葉に、バルザックは小さく頷いた。
「無理はするなよ、ガルド。お前まで倒れたら、こちらの防衛戦力が大きく落ちる」
「分かってるさ。俺だって、こんなところでくたばるつもりはねえよ」
豪快に笑うガルドを見ながら、私は少しだけ胸が重くなるのを感じた。これほど頼もしい人がいても、状況は少しずつ悪くなっている。
◇
夕方になる頃、南方面へ向かっていたフリーダたちも帰還した。
フリーダ、クルシュ、シエラの三人は揃って無事だったものの、森の奥まで調査してきたらしく、服や装備には泥や枝葉が付いていた。
「ったく、今日は本当に疲れたぜ」
会議室へ入るなり、フリーダが椅子に腰を下ろした。
「お疲れさま。そっちはどうだった?」
「魔獣だらけだよ。しかも、妙な動きをしてる連中が多くてさ」
フリーダがそう言うと、シエラが地図の前へ進み出た。
「南の森。ここで群れを見た」
彼女が指さしたのは、街道から少し離れた森林地帯だった。
「狼型が二十ほど。少し離れて猪型もいた。どちらも同じ方向へ進んでた」
「争ってなかったの?」
「うん。互いに近づいても無視してた」
シエラはさらに別の地点を指さした。
「こっちにも群れがいた。赤い目の個体が多かった」
クルシュがその説明を引き継いだ。
「私たちが確認した範囲でも、以前より赤い瞳の個体が増えているように思います。それに、群れの動きが妙に揃っているんです。何かに追われているようにも見えましたが、後方に別の魔獣がいるわけではありませんでした」
「途中で何体か倒したんだけどな」
フリーダが腕を組んだ。
「すぐ後ろから別の群れが出てきやがってさ。あれ以上やり合ってたら、こっちが囲まれかねなかった」
「それで撤収したの?」
「そう。クルシュに蔦で足止めしてもらって、シエラが見つけた道から抜けてきた。追いかけてくるかと思ったんだけど、連中はそのまま別の方向へ行っちまった」
私は思わず眉をひそめた。普通の魔獣なら、人間を見つければ襲ってくることが多い。もちろん種類や状況によって違いはあるけれど、これほど多くの魔獣が獲物を無視して移動するのは、明らかに異常だった。
「北でも似た報告があった」
バルザックが言うと、フリーダは顔をしかめた。
「マジかよ。じゃあ、南だけじゃないんだな」
「東でも赤い瞳の個体が確認されている。もはや局所的な異変とは考えにくい」
会議室に、しばらく沈黙が落ちた。
シエラは地図を見つめたまま、短く付け加えた。
「群れが増えてる。昨日より、ずっと」
その言葉には、余計な説明がなかった。けれど、実際に森を歩き、魔獣の動きを見てきた彼女がそう言うのだから、軽く受け流すことはできなかった。
◇
バルザックはエリナを呼び、今日届いた報告書をすべて会議室へ運ばせた。
机の上には大きな地図が広げられ、北、東、南の各方面から届いた目撃情報が次々と書き込まれていく。報告地点を示す印だけでも相当な数になり、街の周辺が魔獣の目撃情報で埋まり始めていた。
「すごい数……」
私が思わず呟くと、エリナが頷いた。
「これでも、場所がはっきりしてる報告だけなんだよ。森の奥で見たとか、街道から離れた場所だったとか、正確な位置が分からないものは別にしてあるの」
「そんなにあるの?」
「うん。昨日からずっと増えてる」
エリナは疲れた様子で笑ったが、その手は止まらなかった。
バルザックは報告地点を確認しながら、群れの移動方向を地図に書き加えていく。北側では南東へ向かう群れがいくつか確認され、南側でも別の群れが移動していた。東側からは、西へ向かう魔獣の報告が届いている。
ただし、それぞれの報告が同じ時刻のものとは限らない。
「ちょっと待ってください」
地図を見ていたタクマが声を上げた。
「この二つの報告、時間が違いますよね?」
彼が指さしたのは、東側の森に付けられた二つの印だった。
「こっちは朝、こっちは昼過ぎの目撃です。同じ群れを別の場所で見ている可能性はありませんか?」
バルザックが報告書を確認する。
「確かに、その可能性はあるな」
「全部を別の群れとして数えると、実際より多く見積もってしまうかもしれません。逆に、移動方向を追える報告もあると思います」
「なるほど。エリナ、報告時刻も整理できるか?」
「もちろん! ちょっと待ってね」
エリナは報告書を時刻順に並べ直し、同じ地域で確認された群れを比較していく。
魔獣の種類、個体数、移動方向、目撃された時刻。それらを照らし合わせることで、いくつかの群れについては、おおよその移動経路を推定できるようになった。もちろん、正確な追跡ができるわけではない。森の中を移動する魔獣の速度は分からないし、途中で群れが分かれたり合流したりしている可能性もある。
それでも、地図に描かれた矢印には、無視できない傾向があった。
「……近づいてる?」
私は地図を覗き込んだ。
北側から南東へ向かう群れと、東側から西へ向かう群れ。その一部が、街の北東に広がる森林地帯へ集まっているように見えた。
「まだ断定はできん」
バルザックは慎重に答えた。
「だが、複数の群れが同じ地域へ移動しているのは確かだ。過去のスタンピードでも、似た現象が報告されている」
「群れが合流するってこと?」
「その可能性が高い。異常繁殖で増えた魔獣が、群集相へ移行し、さらに大きな群れを形成する。そうなれば、個別の討伐で数を減らすのはますます難しくなる」
ガルドが地図を見ながら唸った。
「百体、二百体と固まって動き始めたら、さすがに俺でも全部は相手にできねえな」
「だからこそ、避難を急がせる必要がある」
バルザックは顔を上げた。
「外側の拠点は、住民の通過が終わり次第、順次撤収させる。戦力を街の近くへ集めるぞ。斥候には監視を続けてもらうが、危険な距離まで近づく必要はない」
「軍への連絡はどうしますか?」
タクマが尋ねた。
「追加の報告を送る。近隣のギルドにもな。ただし、応援が間に合うとは考えんほうがいい」
その言葉に、誰も異議を唱えなかった。
大公国軍は西方の緊張に備えて戦力を集中させており、すぐにこちらへ兵を回せる状況ではない。近隣のギルドから応援が来るとしても、移動には数日かかる。今いる戦力で、できる限りの準備を進めるしかなかった。
バルザックは各班へ指示を出し、明日以降の配置を確認していく。フリーダたちは南側の監視を継続し、ガルドは北側の避難支援を担当する。私とタクマも東側の集落からの避難が終わるまで、引き続き護衛と防衛設備の補強にあたることになった。
会議が終わる頃には、窓の外が赤く染まり始めていた。
◇
ギルドを出た私たちは、もう一度東門へ向かった。
日が傾いた街道には、まだ何台かの荷馬車が並んでいた。朝に比べれば数は減っているものの、避難者の受け入れは続いている。衛兵たちは交代で警備につき、門の外側では冒険者が周囲を警戒していた。
「今日も結構進んだね」
私は街道沿いに積まれた土嚢や、新しく設置された柵を眺めながら言った。
「ああ。行政も衛兵隊も、できる限りのことをやってる。商人組合も荷馬車を出してくれてるしな」
「でも、まだ避難が終わってないところもあるんだよね」
「そうだな。明日はもう少し遠くまで迎えに行くことになるかもしれない」
タクマは街道の先へ目を向けた。そこには、夕日に照らされた森が広がっている。昨日までは、その向こうにある集落へ向かい、魔獣を討伐していた。けれど今は、森の中で何が起きているのかさえ、正確には分からない。
「……なんだか、変な感じ」
「何が?」
「今までは、魔獣が出たら私たちが倒しに行ってたでしょ。でも今回は、魔獣が来るのを待ってる」
「そうだな。向こうから来るなら、全部追いかけ回す必要はないけど……」
「数が多すぎるよね」
「ああ。それに、街まで来られたら困る」
私たちはしばらく黙って森を眺めていた。
そのとき、街道の向こうから一頭の馬が駆けてきた。
乗っているのはギルドの斥候だった。馬はかなり走らされたらしく、荒い息を吐いている。斥候は東門の手前で速度を落とすと、衛兵に何かを告げ、そのまま私たちのほうへ向かってきた。
「リカさん! タクマさん!」
「どうしたの?」
「東の森で、大きな群れを確認しました!」
私は思わず姿勢を正した。
「どのくらい?」
「正確には数えられていません。ただ、少なくとも数百体はいると思います。複数の群れが合流して、同じ方向へ移動していました」
「数百体……?」
タクマが低く呟いた。
斥候は頷き、森の奥にある小高い丘を指さした。
「そこからなら、遠くに見えるかもしれません。まだ街へ向かっているとは断定できませんが、今まで見たことのない規模です」
私たちは顔を見合わせた。すぐにでもギルドへ報告すべき内容だったが、斥候はすでに別の伝令を向かわせているという。私たちは衛兵に行き先を伝え、貸与されていた馬に乗って丘へ向かった。
街道を進み、途中から森の外縁に沿った道へ入る。タクマも馬を問題なく操っていたが、足場の悪い場所では無理に速度を上げず、慎重に進んでいた。
やがて丘の麓へ到着すると、私たちは馬を降り、斥候の案内で斜面を登った。頂上付近には、すでに二人の冒険者が待機していた。
「あそこです」
斥候が指さした先を見て、私は息を呑んだ。
森の向こう、木々の途切れた広い草地に、黒い影がいくつも動いていた。
最初は、ただの魔獣の群れに見えた。けれど、目を凝らすうちに、その規模が普通ではないことに気づいた。狼型の魔獣が何十体も連なり、その後ろには猪型や、さらに大きな四足歩行の魔獣まで混じっている。草地の端から端まで、途切れることなく魔獣が移動していた。
「……嘘でしょ」
思わず声が漏れた。
百体や二百体では済まないかもしれない。草地を埋め尽くすほどではないものの、これまで私が一度に目にしたことのない数の魔獣が、同じ方向へ歩いている。
しかも、異なる種類の魔獣が互いに争う様子はなかった。狼型のすぐ隣を猪型が歩き、その後ろを別の魔獣が続いている。時折、体の大きな個体が小さな個体を押しのけることはあっても、そこで争いが始まることはない。
夕日が傾く中、何体かの魔獣が顔を上げた。遠くからでも、その瞳が赤く光っているのが分かった。
「リカ……」
隣に立つタクマの声は、いつもより低かった。
「これが、群集相なのか?」
「……多分ね」
私は答えながら、目の前の光景から視線を外せなかった。
これまでにも、強力な魔獣と戦ったことはある。巨大な魔獣や、手強い群れを相手にした経験もあった。けれど、今見ているものは、それらとは根本的に違っていた。
一体一体の強さではない。あれほどの数がまとまって移動し、その進路上にあるものを次々と襲うようになれば、どれほど強い冒険者がいても、すべてを止めることなどできないだろう。
「進行方向は?」
タクマが斥候に尋ねた。
「今のところ西寄りです。ただ、森の地形に沿って移動している可能性もあります。街へ向かっているかどうかは、まだ……」
「分かりました。無理に近づく必要はありません。ここから監視を続けてください」
タクマはそう言うと、私のほうを向いた。
「リカ、戻ろう。バルザックさんに直接報告したほうがいい」
「うん」
私は最後にもう一度、草地を移動する魔獣の群れを見た。
夕暮れの森を背景に、数百体もの魔獣が一つの流れを作っている。その動きは決して速くなかったが、止まる様子もなかった。
私たちが今日一日かけて整えた防衛拠点も、避難を進めている集落も、あの群れの進路次第では危険にさらされる。そして、あれが周辺にいる魔獣のすべてだという保証もない。
私たちは斥候たちに監視を任せ、丘を下りた。馬に乗って街へ引き返す間も、私は何度も背後の森を振り返りそうになった。けれど、今は目の前の道に集中しなければならない。バルザックに報告し、避難の状況を確認して、必要なら明日の予定も変えることになるだろう。
街の門が見えてきた頃には、空はすっかり夕暮れの色に染まっていた。
その向こうでは、まだ何も知らない避難者たちが、今夜の寝床を求めて門をくぐっている。私たちが守ろうとしている人々のすぐ外側で、これまでとは比較にならない規模の魔獣が動き始めていた。




