第70話 国境を超えた冒険者
冒険者ギルドの扉を開けた途端、聞き覚えのある豪快な笑い声が耳に飛び込んできた。
「だから言っただろ! あんなところで野営するくらいなら、もう少し先まで進んだ方がよかったんだって!」
「それは結果論ですよ。あの時点では馬も疲れていましたし、無理に進めば翌日の行程に響いたでしょう」
「分かってるって! 別にお前の判断が悪かったとは言ってねえよ!」
私は思わず足を止め、声のする方へ顔を向けた。
受付から少し離れた酒場の一角に、見慣れた赤毛の女性が座っていた。椅子の背には旅用の外套が掛けられ、その傍らには長槍が立て掛けられている。向かい側に座る男性も見覚えのある顔で、二人とも長旅を終えたばかりなのか、革鎧や荷物にはまだ街道の埃が残っていた。
「フリーダ! クルシュ!」
私が声を上げると、赤毛の女性が勢いよく振り返った。
「おっ、リカじゃねえか!」
フリーダは嬉しそうに笑い、椅子から立ち上がった。隣にいたクルシュも私たちに気づき、いつもの穏やかな笑みを浮かべる。
「お久しぶりです、リカさん。タクマさんも、お元気そうですね」
「二人とも! いつ帰ってきたの?」
「ついさっきだよ。依頼の報告を済ませて、ようやく一息ついたところだ」
「随分長いこと見なかったから、どうしてるのかと思ってたよ」
私がそう言うと、フリーダは肩をすくめた。
「西の方まで商隊の護衛に行ってたんだ。行きだけでも結構な日数がかかったし、向こうでも少し足止めされちまってな。おかげで予定より帰りが遅くなった」
「私たちが出発した頃は、まだ普段とそれほど変わらない街道だったのですが、途中から軍用物資を運ぶ荷車が目立つようになりましてね。西方の街は、どこも少し落ち着かない様子でした」
「やっぱり、そうなんだ……」
先日、ノヴァグラードの大通りで見た荷車の列を思い出した。あの時は大公国軍の物資が西へ運ばれていくところだったけれど、フリーダたちはその先の街道を実際に通ってきたらしい。
「そういや、リカも最近は治療院に入り浸ってたんだろ?」
「うん。マルタさんに色々教わってたの。でも、これからは週に二回だけ通うことにしたんだ」
「へえ、そりゃいいじゃねえか。また一緒に飲めるな!」
「フリーダ、リカさんは飲み会のために予定を変えたわけではありませんよ」
「分かってるって!」
相変わらずのやり取りに、私は思わず笑ってしまった。
フリーダとクルシュは、私がノヴァグラードで冒険者として暮らし始めてから、ずっと親しくしている仲間だ。二人ともB級冒険者で、フリーダは長槍を使う前衛、クルシュは植物を操る魔法を得意としている。性格はずいぶん違うけれど、冒険者としての腕は確かで、長く組んでいるだけあって互いの考えもよく理解している。
最近は治療院へ通い詰めていたせいで、ギルドの仲間たちと顔を合わせる機会が減っていた。久しぶりに二人の顔を見ると、それだけで何だか嬉しくなってしまう。
「ところで、フリーダ。そっちの二人は?」
タクマがそう尋ねたところで、私はふと違和感を覚えた。
「あれ? タクマ、フリーダとそんな喋り方だったっけ?」
「ん? ああ、そういえばリカには話してなかったな」
タクマが答えるより先に、フリーダが笑いながら口を開いた。
「ああ、あたしが言ったんだよ。こいつ、B級に上がってからもずっと他人行儀だったからな。もう同じB級なんだし、遠慮すんなって」
「そうだったんだ」
「最初はなかなか慣れなかったけどな。何度も言われてるうちに、こっちの方が自然になったんだよ」
タクマが苦笑する。
そういえば、私が治療院に通い詰めている間も、タクマは一人でギルドへ顔を出すことがあった。フリーダたちが西方へ出発する前にも、何度か顔を合わせていたのだろう。
考えてみれば、タクマはこの街へ来たばかりの頃とは明らかに変わっていた。以前は初めて見るものや聞くものに戸惑うことも多かったけれど、今では冒険者としての判断も早くなり、依頼の相談や仲間とのやり取りでも落ち着いて自分の意見を伝えている。ギルドでの立ち振る舞いにも余裕が生まれ、フリーダのような経験豊富な冒険者を相手にしても、必要以上に遠慮することがなくなった。
周囲の接し方も、確かに変わっている。かつては私と一緒にいる新人冒険者として見られることが多かったタクマが、今では一人前のB級冒険者として認められ、対等な仲間として扱われているのだ。
もちろん、私にとっては昔から頼りになる人だったけれど、こうして他の人からも実力を認められている姿を見ると、やっぱり嬉しい。恋人として、少し鼻が高いくらいだった。
「なるほどね。でも、クルシュはずっと敬語なのにね」
私がそう言うと、フリーダは当然だと言わんばかりに頷いた。
「クルシュはいいんだよ。あいつはこうじゃないと調子狂うんだよ」
「私の話し方は、別に等級とは関係ありませんからね」
クルシュは穏やかに微笑みながら答えた。
「ほらな? こいつがいきなり馴れ馴れしく喋り始めたら、あたしだってびっくりするぜ」
「そこまで驚かれると、少々複雑ですが」
「ははっ! 褒めてんだよ!」
「そういうことにしておきましょう」
相変わらず息の合った二人のやり取りに、私はまた笑ってしまった。フリーダに対しても丁寧な言葉遣いを崩さないクルシュだけれど、彼女を呼ぶ時だけは敬称を付けない。それは長く一緒にいる二人にとって当たり前のことで、恋人同士ならではの親しさが、そんな小さなところにも表れているように思えた。
「で、そっちの二人なんだけどな」
フリーダがようやく本題に戻り、向かい側に座る若い男女へ目を向けた。
「帰り道で知り合った冒険者でさ。せっかくだから紹介しとこうと思ってな」
改めて見ると、二人ともまだ十代と思われる若い冒険者だった。
女の子の方は茶色い髪を後ろで束ね、軽い革鎧の上から旅用の外套を羽織っている。腰には短剣を差し、椅子の脇には小ぶりな弓が立て掛けられていた。大きな瞳が印象的で、こちらへ向けられた視線には好奇心が浮かんでいる。
男の子の方は彼女より少し背が高く、短く整えた濃い茶色の髪をしていた。片手剣と小盾を装備しており、座っている間も周囲の様子を気にしているところを見ると、慎重な性格なのかもしれない。
「ミレイユです! 十八歳で、D級冒険者をやってます!」
女の子が勢いよく立ち上がり、元気に頭を下げた。
「ユリウスです。十九歳で、同じくD級です。よろしくお願いします」
続いて男の子も立ち上がり、丁寧に挨拶をする。
「私はリカ。よろしくね」
「タクマだ。二人とも、よろしく」
挨拶を交わすと、フリーダが空いている椅子を引き寄せた。
「まあ座れよ。せっかくだし、こいつらの話も聞いてやってくれ」
私とタクマは顔を見合わせ、それぞれ椅子に腰を下ろした。
◇
「それで、二人はマリアベルから来たの?」
私が尋ねると、ミレイユは大きく頷いた。
「はい! 西の国境に近い街で冒険者をしてたんですけど、最近ちょっと物騒になってきちゃって」
「物騒?」
「兵士が増えたんですよ。街の門にも、広場にも。今まではそんなに見かけなかったのに、急に巡回するようになって」
ユリウスが言葉を引き継いだ。
「王国が二つに割れたでしょう。それから、領主様の兵士が街に集まるようになったんです。最初は警備を強化するだけだと思ってたんですけど、最近は冒険者にも声が掛かるようになって……」
「軍の仕事に協力してほしいってこと?」
「そうです。今のところ、正式に徴兵された人がいるわけじゃないんですけど、冒険者の中には領主の館へ呼ばれた人もいました」
ユリウスは少し言いにくそうに続けた。
「報酬のいい仕事を紹介するって話だったらしいんです。でも、断ったらどうなるのか分からないって、みんな噂してました」
「そんなの、普通の依頼と違うじゃない!」
ミレイユが不満そうに声を上げた。
「私たちは冒険者なんですよ? 危ない仕事をするのは別に構わないけど、どんな仕事を受けるかは自分で決めたいじゃないですか!」
その言葉に、私は思わず頷いた。
冒険者という仕事は、決して安全なものではない。魔獣と戦えば怪我をすることもあるし、時には命を落とすことだってある。それでも多くの人が冒険者を選ぶのは、報酬だけでなく、自分の意思で仕事を選べるからでもある。
もちろん、ギルドにも規則はあるし、等級によって受けられる依頼には制限がある。でも、依頼を受けるかどうかを最後に決めるのは、自分自身だ。少なくとも、誰かの命令で戦場へ送り出されることを前提にした仕事ではない。
「それで、二人は国を出ることにしたのか」
タクマの問いに、ユリウスが頷く。
「はい。まだ戦争が始まったわけじゃないですけど、もし本当に始まったら、簡単には街を出られなくなるかもしれませんから」
「俺たちの知り合いにも、軍の仕事を受けるつもりの人はいました。でも、俺たちはそういうのが嫌だったんです」
「ユリウスなんて、最初はもう少し様子を見ようって言ってたんですよ!」
「お前だって、荷物をまとめるのに三日もかかっただろ」
「それは必要なものが多かったからでしょ!」
「弓の替え弦を探してる途中で、菓子屋に寄る必要があったのか?」
「最後に食べておきたかったの!」
ユリウスが呆れた顔をすると、ミレイユは悪びれる様子もなく胸を張った。
私は思わず吹き出してしまった。
「二人は、ずいぶん仲がいいんだね」
「幼馴染なんです!」
ミレイユが即座に答える。
「小さい頃からずっと一緒で、冒険者になったのも同じ時期なんですよ」
「まあ、こいつが一人で冒険者になるって言い出したら、何をやらかすか分からなかったので」
「ちょっと! 私がユリウスを誘ったみたいに言わないでよ!」
「実際そうだっただろ」
「最初に剣を買ったのはユリウスじゃない!」
また二人の言い合いが始まった。
その様子を眺めながら、私は何となくタクマの方へ目を向けた。彼も面白そうに二人を見ていて、私の視線に気づくと小さく笑った。
まだ若い二人だけれど、一緒に冒険者として活動してきた時間は短くないのだろう。互いの性格をよく理解しているからこそ、こんなふうに遠慮なく言い合えるのだと思う。
「で、そんな二人とどこで知り合ったんだ?」
タクマがフリーダへ尋ねた。
「国境を越えて少し行ったところだな。あたしたちが商隊の護衛を終えて戻る途中で、道端で地図を広げてたんだよ」
「道端で?」
「ああ。何だか困ってるみたいだったから声を掛けたら、ノヴァグラードへ行きたいって言うじゃねえか」
「初めて国を出たので、道がよく分からなかったんです」
ユリウスが少し恥ずかしそうに答える。
「街道を進めば着くとは聞いていたんですけど、途中で道が分かれていて……」
「だから、あたしはこっちだって言ったのに!」
「お前が指した方は、森の中へ入る道だっただろ」
「近道かもしれなかったじゃない!」
「近道かどうか分からないから困ってたんだろうが」
ミレイユが口を尖らせると、フリーダは豪快に笑った。
「まあ、そんな感じだったんでな。どうせ同じ方向へ帰るんだし、一緒に来ればいいって誘ったんだよ」
「私からも、ノヴァグラードのギルドについて説明しました。冒険者の受け入れには慣れていますし、仕事も豊富ですからね」
クルシュは穏やかな口調で続けた。
「ただ、国が変われば周辺の魔獣や地形も変わります。最初から無理な依頼を受けないよう、気をつけていただきたいですね」
「はい! 気をつけます!」
ミレイユが元気よく返事をすると、ユリウスも隣で頷いた。
私は二人の話を聞きながら、少しだけ昔のことを思い出していた。
八年前、私もマリアベルを出た。
あの時は誰かに道を教えてもらう余裕なんてなかったし、見つからないように国境を越えることだけで頭がいっぱいだった。もちろん、二人と私では事情が違う。それでも、自分の意思で生きる場所を選びたいという気持ちは、何となく分かるような気がした。
◇
「ところで、リカさんって、冒険者になってどれくらいなんですか?」
しばらく話していると、ミレイユが興味深そうに尋ねてきた。
「私? もう八年くらいになるかな」
「八年!? じゃあ、私たちよりずっと先輩ですね!」
「まあ、そうなるね」
「等級は何級なんですか?」
「A級だよ」
私が答えると、ミレイユは目を丸くした。
「えっ!? A級!?」
その声が思った以上に大きかったらしく、近くの席にいた冒険者が何事かとこちらを振り返った。
「そ、そんなに驚かなくても……」
「だって、A級ですよ!? 私、実際に会ったの初めてです!」
「リカは見た目よりずっと強いからな」
フリーダが面白そうに笑う。
「見た目よりって何よ!」
「褒めてるんだって。なあ、クルシュ?」
「ええ。リカさんの魔法の腕前は、私も何度も驚かされています」
クルシュが真面目な顔で頷くものだから、私は少し照れくさくなってしまった。
「じゃあ、タクマさんもA級なんですか?」
「いや、俺はB級だよ」
「B級でもすごいですよ!」
ミレイユは目を輝かせ、私たちを交互に見つめた。
「いいなあ。私たちも、いつかそこまで上がれるかな」
「焦らず経験を積めばいいと思うよ。私だって最初からA級だったわけじゃないし」
「そうそう。等級を上げることばっかり考えてると、足元をすくわれるぞ」
フリーダがそう言うと、ユリウスが真剣な顔で頷いた。
「はい。俺たちも、まずはこの街でちゃんと仕事ができるようになりたいです」
「その意気だ。分からないことがあったら、遠慮なく聞きな」
そんなやり取りをしていると、ミレイユがふと首を傾げた。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「リカさんって、どこかで見たことがあるような……」
私は一瞬、言葉に詰まった。
「え?」
「うーん……何だろう。顔がすごく見覚えあるんですよね」
ミレイユは私の顔をじっと見つめている。
その視線に、私は背筋が少しだけ冷たくなるのを感じた。
まさか。
いや、そんなはずはない。私は八年前に王宮を出ているし、今は髪の色だって変えている。そもそも、この子はまだ十八歳だ。私が王宮にいた頃は、十歳くらいだったはずだ。
でも、王女だった頃の肖像画や式典の記念画を見たことがある可能性はある。
「ほら、ユリウス。何だっけ。昔、家に飾ってあった……」
「おい、初対面の人をそんなにじろじろ見るなよ」
「いや、でも、絶対どこかで……」
私はできるだけ自然な笑顔を作った。
「気のせいじゃないかなー?」
自分でも少し間の抜けた声になったと思う。
隣でフリーダが飲み物を口に運びかけ、そのまま不自然な姿勢で固まった。クルシュは何も言わずに咳払いをし、静かにカップを置いている。
……二人とも、反応しないで!
「そうですかねえ……」
ミレイユはまだ納得していない様子だった。
その時、タクマが何でもないことのように口を開いた。
「そういえば、二人はもう宿を決めたのか?」
「あ、いえ。まだです」
ユリウスが答えると、タクマは頷いた。
「だったら、先に宿を探した方がいいな。最近は商隊も増えてるし、夕方になると空き部屋が少なくなるかもしれない」
「そうなんですか?」
「ああ。それに、初めての街なら、日が暮れる前に周りを見ておいた方がいいだろ」
「確かにそうですね。ありがとうございます」
ユリウスが礼を言い、ミレイユもようやく私から視線を外した。
私は心の中で大きく息を吐いた。
ありがとう、タクマ。
彼は私の方を見なかったけれど、口元に浮かんだ小さな笑みを見る限り、事情は全部分かっているらしい。
……あとで何か言われそうな気がする。
◇
その後、話題は自然とマリアベルの情勢へ移っていった。
「それにしても、向こうじゃ軍の仕事を受ける冒険者も増えてるのか?」
フリーダが尋ねると、ユリウスは頷いた。
「はい。俺たちの知り合いにも、軍の仕事なら普段の倍は稼げるって喜んでる人がいました」
「倍か。そりゃ魅力的だな」
「フリーダさんもそう思うんですか?」
ミレイユが少し驚いたように尋ねる。
「そりゃあな。冒険者なんて危険な仕事をして金を稼ぐ商売だ。報酬がよけりゃ、興味を持つ奴がいるのは当然だろ」
「でも、戦争になったら帰ってこられるか分からないじゃないですか」
「だからこそ、何をする仕事なのかが大事なんだよ」
フリーダは飲み物を一口飲み、少し真面目な表情になった。
「荷車を守るのと、敵の兵士と戦うのじゃ、同じ軍の仕事でも全然違う。どこまでやるのか、何日拘束されるのか、危なくなった時にどうするのか。その辺をちゃんと確認しないで飛びつくのは馬鹿だな」
「それに、依頼の条件が曖昧な場合は注意が必要です」
クルシュが言葉を添える。
「普通の護衛依頼なら、守る対象や移動する経路、契約期間などがある程度決まっています。しかし、軍に協力するとなれば、現地で別の仕事を求められる可能性も考えなければなりません」
「そうなんですか……」
「もちろん、すべての軍務依頼が危険だというわけではありませんよ。ただ、報酬が高い理由は考えた方がいいでしょうね」
ユリウスは真剣な顔で頷いていた。
私は二人の話を聞きながら、冒険者という仕事について改めて考えていた。
魔獣討伐だって命懸けの仕事だ。危険な魔獣ほど報酬が高くなることも珍しくないし、誰もが安全な依頼ばかりを選べるわけではない。それでも、依頼の内容を確かめ、自分たちにできるかどうかを判断する余地はある。
けれど、戦争となれば話は違ってくるのかもしれない。
相手は魔獣ではなく、人間だ。こちらが戦いたくないと思っても、相手がそう考えてくれるとは限らない。依頼を受けた時には安全な後方の仕事だったとしても、情勢が変われば危険な場所になる可能性だってある。
「俺も、金がいいからってだけで決めるのは怖いと思うな」
タクマがそう言うと、フリーダは頷いた。
「だろ? まあ、あたしらも危ない依頼を受けることはあるけどな。少なくとも、自分たちで納得して受けたいもんだ」
「俺たちも、そう思ったんです」
ユリウスが静かに答えた。
「別に、危険な仕事が嫌で国を出たわけじゃありません。ただ、誰かに命令されて戦うことになるのは……」
「嫌だったんです!」
ミレイユが彼の言葉を引き継いだ。
「せっかく冒険者になったんだから、行きたい場所に行って、自分たちで仕事を選びたいじゃないですか!」
私はその言葉に、思わず笑みを浮かべた。
「うん。私もそう思うよ」
ミレイユは嬉しそうに笑った。
彼女たちが国を出た理由と、私が八年前に王宮を飛び出した理由は同じではない。けれど、自分の人生を誰かに決められたくないという気持ちは、きっとよく似ている。
そう考えると、初めて会ったばかりの二人が少し身近に感じられた。
◇
しばらくして、私たちは全員で受付へ向かった。
ミレイユとユリウスは、ノヴァグラードのギルドで活動するための手続きを済ませる必要があるらしい。マリアベルで発行された冒険者証は持っているけれど、活動拠点を移す場合には、登録情報の確認が必要になるそうだ。
「あら、リカにタクマ。それにフリーダとクルシュも!」
受付にいたエリナが、私たちの姿を見て笑顔を浮かべた。
「久しぶりね、二人とも。西の方へ行ってたんでしょう?」
「ああ。ようやく帰ってきたところだ」
「お疲れさま。……それで、そちらの二人は?」
フリーダが事情を説明すると、エリナは慣れた様子で書類を取り出した。
「なるほど。マリアベルからの移籍ね。最近、同じような手続きが少し増えてるのよ」
「やっぱりそうなの?」
私が尋ねると、エリナは頷いた。
「ええ。まだ大勢ってほどじゃないけどね。向こうの情勢が落ち着かないから、しばらく別の国で活動したいって人もいるみたい」
ミレイユとユリウスは冒険者証を差し出し、エリナの質問に答えていった。活動していた街や等級、これまでに受けた依頼の種類などを確認され、必要な書類に名前を書き込んでいく。
「二人ともD級ね。等級はそのまま引き継げるけど、最初は街の周辺で受けられる依頼から始めた方がいいわよ」
「どうしてですか?」
ミレイユが尋ねる。
「マリアベルとノヴァグラードでは、出てくる魔獣も地形も違うでしょう? 向こうで慣れている相手でも、こっちでは勝手が違うことがあるからね」
「確かに、森の様子もずいぶん違いました」
ユリウスが頷いた。
「そうでしょう? 特に、ノヴァグラードの周辺には広い森があるから、道を外れると迷いやすい場所もあるの。最初のうちは、地元の冒険者と一緒に行動するのもいいと思うわ」
「分かりました!」
ミレイユが元気よく返事をする。
私はその様子を見ながら、タクマが冒険者になったばかりの頃を思い出していた。
あの時のタクマは、この世界のことをほとんど知らなかった。魔獣の種類も、森の歩き方も、冒険者ギルドの仕組みも、何もかもが初めてだった。それでも、少しずつ経験を積み、今では私と一緒に依頼を受ける頼もしい相棒になっている。
「俺も最初は、何が危険なのかすら分からなかったからな」
タクマがそう言うと、私は笑った。
「ふふっ。あの頃は私が全部教えてあげてたもんね」
「ああ。随分世話になったよ」
「今は?」
「今も世話になってるな。特に魔法のことは、まだまだ教わることばかりだ」
「でしょ?」
私が得意げに胸を張ると、タクマは笑いながら続けた。
「その代わり、最近は俺がリカの魔法の威力を心配することが増えたけどな」
「ちょっと!」
思わず抗議すると、フリーダが興味深そうに身を乗り出した。
「何だ? また何かやらかしたのか?」
「やらかしてない!」
「その反応は絶対何かあっただろ!」
フリーダが楽しそうに笑い、クルシュも苦笑している。
嫌な予感がした私は、慌てて話題を戻すことにした。
「そ、それより、二人の手続きはもう終わりそう?」
◇
移籍の手続きを終える頃には、窓から差し込む日差しが少し傾き始めていた。
ミレイユとユリウスは冒険者証を受け取り、ようやく安心したような表情を浮かべている。国境を越えてからずっと落ち着かなかったのかもしれない。新しい街で仕事を探せるようになったことが、二人にとって大きな意味を持っているのだろう。
「これで、明日から依頼を受けられるんですね!」
ミレイユが嬉しそうに言うと、エリナは頷いた。
「ええ。ただし、最初は無理をしないこと。分からないことがあったら、遠慮なく受付で聞いてちょうだい」
「はい! ありがとうございます!」
ユリウスも丁寧に頭を下げた。
「フリーダさん、クルシュさんも、本当にありがとうございました。二人がいなかったら、まだ道に迷ってたかもしれません」
「大げさだな。まあ、困ったことがあったらまた声を掛けな」
「私たちも、できる範囲でお手伝いしますよ」
クルシュが穏やかに微笑む。
「私たちにも聞いてくれていいからね」
私がそう言うと、ミレイユはぱっと顔を明るくした。
「本当ですか!? ありがとうございます、リカさん!」
「もちろん。私もこの街には長く住んでるし、タクマも詳しいから」
「そうだな。まずは宿を決めて、それから街を見て回るといいよ」
タクマの言葉に、ユリウスが頷いた。
「そうします。ミレイユ、行くぞ」
「ちょっと待ってよ! まだリカさんたちと話したいのに!」
「また会えるだろ。今日は宿を探さないと」
「分かってるってば!」
二人はまた言い合いながら、ギルドの出口へ向かっていった。
その後ろ姿を見送りながら、私は小さく笑った。
「元気な二人だったね」
「ああ。あれなら、こっちでも何とかやっていけるだろう」
フリーダがそう言うと、クルシュも頷いた。
「ただ、まだ経験は浅いようですからね。しばらくは気に掛けてあげた方がいいかもしれません」
「そうだね」
私はもう一度、二人が出ていった扉へ目を向けた。
マリアベルから来た冒険者。
その言葉だけなら、特別珍しいものではない。冒険者は国境を越えて仕事をすることもあるし、新しい土地へ活動拠点を移す人だっている。
けれど、今回の二人は少し事情が違った。
故郷で戦争が起きるかもしれない。そうなれば、これまでのように自由に仕事を選べなくなるかもしれない。そんな不安を抱えて、住み慣れた街を離れてきたのだ。
今はまだ、同じように国境を越えてくる冒険者は少ないらしい。それでも、マリアベルの混乱が長引けば、彼らのような人々はこれからも増えていくのかもしれない。
「さて、あいつらも無事に登録できたことだし……」
フリーダが満足そうに椅子へ腰を下ろした。
「もう一杯いくか!」
「まだ飲むの!?」
「何言ってんだ。あたしたちは長旅から帰ってきたばっかりなんだぞ。これくらい飲まなきゃやってられねえって!」
「フリーダ、帰りの道中でも同じことを言っていましたよね」
「細かいこと気にすんなよ、クルシュ!」
呆れたように言いながらも、クルシュは席を立つ様子がない。どうやら彼も、もうしばらく付き合うつもりらしい。
タクマも苦笑しながら椅子に座り直した。
「まあ、久しぶりだしな。俺も一杯くらい付き合うよ」
「おっ、分かってるじゃねえか!」
「……一杯で済むかなあ」
私が呟くと、フリーダはにやりと笑った。
「何だ、リカ。明日は治療院か?」
「違うけど」
「じゃあ問題ねえな!」
「そういう問題じゃないでしょ!」
そう言いながらも、私も席を立つつもりはなかった。
フリーダとクルシュに会うのは久しぶりだし、聞きたい話もたくさんある。西方の街道がどうなっていたのか、向こうの商人たちは何を話していたのか。それに、私の方にも治療院での出来事や、タクマと一緒に受けた依頼の話がある。
結局、運ばれてきた新しい飲み物を前にして、私たちの話は尽きなかった。
「そういや、リカ。最近は冒険者の仕事もしてたんだろ?」
フリーダが尋ねる。
「うん。治療院に通ってない日は、タクマと一緒に依頼を受けてたよ」
「へえ。何を討伐してきたんだ?」
「この前はアーマーボアを四頭かな」
「四頭か。結構な数じゃねえか」
フリーダが感心したように頷いたところで、タクマが口を開いた。
「それがさ、フリーダ。討伐したのは四頭なんだけど、持って帰った魔石は十五個だったんだよ」
「……十五個?」
フリーダが不思議そうに首を傾げた。
「ああ。四頭分で十五個」
「どういうことだよ!?」
フリーダが大声を上げる。
「だから、ちょっと魔法の威力を調整し損ねただけだってば!」
「魔石が十五個になるほどか!?」
「わ、割れちゃったの!」
私がそう答えると、フリーダはとうとう腹を抱えて笑い出した。
「ははははっ! 何やってんだよ、お前! 魔獣を倒して魔石まで砕くなんて、聞いたことねえぞ!」
「私だって、好きで砕いたわけじゃないもん!」
「リカさんらしいと言えば、らしいですね」
クルシュまで苦笑しながらそんなことを言う。
「クルシュまで!」
「いえ、もちろん魔法の威力を制御することは重要ですが……それだけの威力を出せるというのも、リカさんらしいと思いまして」
「それ、褒めてる?」
「ええ。半分ほどは」
「半分!?」
私が抗議すると、タクマまで笑い出した。
まったく、久しぶりに会ったと思ったら、どうしてみんなして私をからかうのだろう。
でも、そんなやり取りが何だか嬉しかった。
フリーダとクルシュが帰ってきて、新しい冒険者たちとも知り合った。ノヴァグラードの街には、今日も色々な人が集まり、それぞれの仕事を探している。
マリアベルの情勢は、まだ落ち着く気配がない。西へ向かう荷車は増え続け、国境を越えてくる人々も少しずつ増えている。
それでも、この街にはまだいつもの賑わいがあった。
新しい土地で冒険者として生きようとするミレイユとユリウスも、きっと明日からは自分たちの仕事を探し始めるのだろう。知らない土地での暮らしには苦労もあるだろうけれど、二人なら互いに言い合いながら、何とか乗り越えていけるような気がする。
私も、八年前はそうだった。
王宮を飛び出した時、これから何が待っているのかなんて、何も分からなかった。それでも、自分で選んだ道を歩き続けたからこそ、今の生活がある。
私は隣に座るタクマを見上げた。
彼はフリーダたちと話しながら楽しそうに笑っている。私の視線に気づくと、いつものように小さく微笑み返してくれた。
うん。やっぱり、私は今の暮らしが好きだ。
「それで、リカ!」
フリーダがまだ笑いを残した顔で、こちらへ身を乗り出した。
「次は何個に砕くつもりなんだ?」
「もう砕かないってば!」
私の抗議に、またみんなの笑い声が重なった。




