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脱走王女は自由でありたい  作者: 真部 朝樹
聖女と英雄編

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第68話 久しぶりの大暴れ


 目を覚ました時、最初に感じたのは、いつもより少し重たい身体と、隣から聞こえてくる穏やかな寝息だった。


 薄いカーテンの向こうから朝日が差し込み、寝室を柔らかく照らしている。窓の外では小鳥が鳴き、森の家にはいつもと変わらない静かな朝が訪れていた。私はしばらく目を閉じたまま、隣にいるタクマの温もりを感じていた。


 昨夜は、久しぶりに二人でゆっくり過ごした。


 最近は私が治療所での勉強に夢中になり、タクマも依頼や鍛錬で忙しくしていた。夜になればお互い疲れていることも多く、以前のように甘える時間は少し減っていたと思う。特にここ数日は、マリアベルから届いた知らせのことが頭から離れず、タクマと二人きりでいても、どこか上の空になってしまうことがあった。


 だからだろうか。昨夜は何となく、いつもよりタクマのそばにいたくなった。


 夕食を終えてからも離れがたくて、寝室へ入ってからはなおさらだった。タクマも私の気持ちを察してくれたのか、いつもよりずっと甘やかしてくれた。おかげで、久しぶりに恋人同士の時間を存分に楽しむことができた。


 ……少しばかり、楽しみすぎた気もするけれど。


 私は隣で眠るタクマの顔を見つめ、小さく笑った。


 こうしていると、昨日まであれほど悩んでいたことが、少し遠く感じられる。もちろん、マリアベルのことを忘れたわけではない。父や兄様たちのことを考えれば、今でも胸の奥が重たくなる。それでも、今はこの人と一緒にいることが、ただ嬉しかった。


 もう少しだけ、このままでいようかな。


 そう思ってタクマの肩に頬を寄せかけた時、ふと窓の外の明るさが気になった。


 いつもなら、もう少し薄暗い時間に起きているはずだ。けれど、カーテンの隙間から差し込む日差しは随分と強く、鳥たちの鳴き声も朝早くのものとは少し違っている。


 私はゆっくり身体を起こし、寝室に置いてある時計を確認した。


「…………えっ?」


 思わず二度見した。


 予定していた起床時間を、とっくに過ぎている。


「タクマ! 起きて! もうこんな時間!」


「……ん? どうした、リカ……」


「寝坊! 寝坊してる!」


 私が肩を揺すると、タクマは眠そうに目を開け、時計を見た。


「……うわ、まずい!」


 途端に飛び起きた彼を見て、私は思わず笑ってしまった。


「ふふ。どうしよう。……もう依頼行かなくて良いんだけど」


「バカなこと言ってないで急いで支度して!」


「えー。昨日はあんなに優しかったのに」


「昨日の話を今するな!」


 タクマは顔を赤くしながら、慌てて寝台を降りた。


 私はその背中を眺め、もう一度笑った。昨日まであんなに色々なことを考えていたのに、今朝は寝坊しただけでこんなに騒がしい。それが何だか、とても楽しかった。


 もっとも、笑っている場合ではないことも分かっている。昨日ギルドで受けた依頼は、今日中に討伐を終えて報告する予定なのだ。出発が遅れれば、それだけ帰りも遅くなってしまう。


 私は名残惜しさを振り払い、寝台から降りた。


◇


 慌ただしく身支度を整え、朝食を済ませると、私たちは装備を確認して家を出た。


 タクマは剣の状態を確かめ、予備の道具や水筒を荷物へ収めている。私は魔法を使うための準備を済ませ、必要な薬や応急処置の道具を確認した。最近は治療所での勉強が進んだこともあり、持ち歩く薬や衛生用品の種類が少し増えている。


 いつもなら出発前にもう少し余裕があるのだけれど、今日はそうもいかない。


「リカ、忘れ物はないか?」


「大丈夫! たぶん!」


「……たぶん?」


「必要なものは全部持ったと思う!」


「思う、じゃ困るんだけどな……」


 タクマは呆れながらも、私の荷物を一緒に確認してくれた。こういうところは相変わらず面倒見がいい。もっとも、昨夜のことを考えると、寝坊の責任はお互い様だと思うのだけれど。


 そんなことを言ったら、また怒られそうなので黙っておいた。


 森を抜けて街道へ出ると、朝の空気はすでに暖かくなり始めていた。木々の間から差し込む日差しが道を照らし、遠くでは鳥の群れが空を横切っている。街へ向かう荷車とすれ違いながら、私たちは目的の森林地帯へ向かった。


 今日は久しぶりに、二人だけで冒険に出かける。


 そう思うと、自然に足取りが軽くなった。


「ねえ、タクマ。今日は新しい爆裂魔法を試してみてもいい?」


「……もうその話か」


「だって、昨日からずっと考えてたんだもん」


「安全が確認できてからな。周囲に人がいないことと、俺が巻き込まれないこと。そこは絶対だぞ」


「分かってるって!」


「……昨日も同じこと言ってたぞ」


「信用ないなぁ」


 私が頬を膨らませると、タクマは笑った。


「信用はしてるよ。ただ、リカは魔法の話になると、ちょっと夢中になりすぎるからな」


「……それは否定できないかも」


 私は素直に認めた。


 実際、新しい術式を考えている時は、つい周りが見えなくなることがある。魔法を構築する時には複数の術式を同時に扱うことも多く、思いついた方法を試してみたくなると、他のことが気にならなくなってしまうのだ。もちろん、実戦ではそんなことをしないように気をつけているけれど、タクマが心配する気持ちも分からなくはなかった。


 今回の依頼は、街から少し離れた森に現れたアーマーボアの討伐だった。


 アーマーボアは大型の猪に似た魔獣で、背中や肩を岩のように硬い外皮が覆っている。突進力が強く、普通の武器では急所を狙わなければ倒しにくい。しかも群れで行動することがあるため、複数を相手にする場合は注意が必要だった。


 依頼書によれば、確認されているのは成獣三頭。最近になって森の外縁部まで姿を現すようになり、街道を通る商人たちが警戒しているらしい。


 私たちは街道から外れ、周辺の地形を確認しながら慎重に森の奥へ進んでいった。


◇


 森へ入ってしばらくすると、タクマが足を止めた。


「……リカ、ちょっと待って」


「ん?」


 彼は道の脇へしゃがみ込み、地面を調べ始めた。


 私も隣へ近づくと、湿った土の上に大きな足跡が残っているのが見えた。形からして、アーマーボアのものだろう。地面にはいくつもの蹄の跡が重なっていて、かなり大きな個体が通ったことが分かる。


「結構新しいな。こっちへ進んでるみたいだ」


 タクマは足跡の向きを確かめ、周囲の木々にも目を向けた。


 少し離れた場所では、幹の低い位置に樹皮が剥がれた跡がある。アーマーボアが身体を擦りつけたのかもしれない。


「……タクマ、こういうのも分かるようになったんだね」


「まあ、前よりはな。ボーマンさんにも、周りをよく見ろって散々言われたし」


 タクマは少し苦笑した。


 ボーマンとの修行が始まった頃は、剣の振り方や足運びだけでも精一杯だったはずだ。けれど、今の彼は戦う前から周囲の状況を確かめ、どう動けば有利になるかを考えている。剣を振るう技術だけではなく、戦場で生き残るための判断力も身につけてきたのだろう。


 私は何となく嬉しくなった。


「じゃあ、私も調べてみるね」


 私は探知魔法を使い、周辺にいる魔獣の反応を探った。


 魔力の流れを広げ、森の中にある生命の反応を拾っていく。小動物らしい弱い反応がいくつか見つかった後、少し離れた場所に大きな反応が集まっていることに気づいた。


「……いた。あっちに四頭いるみたい」


「四頭?」


「うん。大きいのが三頭と、少し小さいのが一頭。たぶん若い個体かな」


 タクマは少し考え込んだ。


「依頼書には三頭って書いてあったよな」


「うん。確認された後で増えたのかもしれないね」


「……そうか。じゃあ、まとめて相手にするのは避けたいな」


 彼は周囲を見回し、少し先にある岩場へ目を向けた。


「この先、木が少なくなってる場所があるだろ。あそこまで誘導できれば、リカも魔法を使いやすいんじゃないか?」


「……うん。確かに」


「俺が先に出て注意を引く。リカは後ろから援護してくれ。できれば群れを分けたい」


 私はタクマの顔を見つめた。


 以前なら、こういう場面では私が先に戦い方を考え、タクマに指示を出すことが多かった。もちろん、今でも私の方が使える魔法の種類は多いし、単純な攻撃力でも負けるつもりはない。


 けれど、今のタクマは自分で状況を判断し、具体的な戦術を提案している。しかも、私の魔法をどう活かすかまで考えてくれているのだ。


「……タクマ、すっかり頼もしくなったね」


「そりゃ、一年も鍛えられればな」


「ふふ。じゃあ、今日は任せちゃおうかな」


「ああ。派手にやるのは、その後にしてくれ」


 私は笑いながら頷いた。


 こうして二人で戦い方を相談するのも、何だか久しぶりだった。


◇


 私たちは魔獣のいる場所へ慎重に近づいた。


 木々の向こうには、予想どおりアーマーボアの群れがいた。


 成獣はどれも大きく、肩のあたりまで硬そうな外皮に覆われている。鼻先で地面を掘り返しながら餌を探しているらしく、時折、低い唸り声を上げていた。背中の装甲は灰色がかった褐色で、周囲の岩や土とよく似た色をしている。


 少し離れたところには、ひと回り小さな個体もいた。こちらは成獣ほど装甲が発達していないようで、身体の一部にはまだ柔らかそうな毛が残っている。


 私は木の陰から群れの様子を確かめ、タクマに小さく頷いた。


「……準備できたよ」


「分かった。じゃあ、行ってくる」


「気をつけてね」


「ああ」


 タクマは剣を抜き、木々の間から姿を現した。


 アーマーボアたちはすぐに彼の存在に気づき、頭を上げた。最初に動いたのは、群れの中でも特に大きな一頭だった。低く唸りながら地面を蹴り、タクマへ向かって突進する。


 その巨体が迫ってきても、タクマは慌てなかった。


 真正面から受け止めるのではなく、直前まで動きを見極めてから横へ跳ぶ。アーマーボアは勢いを止められず、背後の木へ肩をぶつけた。


 鈍い音が森に響き、木の幹が大きく揺れる。


 タクマはすぐに反転し、魔獣の側面へ回り込んだ。硬い外皮に覆われた背中を避け、前脚の付け根へ剣を振るう。


 刃が肉を裂き、アーマーボアが苦しそうな声を上げた。


 けれど、相手は大型の魔獣だ。その程度では倒れず、傷ついた脚を引きずりながら再び向き直ろうとする。


 そこへ、別の一頭が突進してきた。


「タクマ、右!」


「分かってる!」


 タクマは無理に追撃せず、すぐに距離を取った。


 私はその退路を確保するため、魔法で地面から低い土壁を立ち上げる。二頭目のアーマーボアは突然現れた障害物を避けきれず、進路を変えて岩場の方へ走っていった。


 タクマはその動きを見逃さなかった。


 木々の間を抜けながら魔獣を誘導し、狭い場所へ追い込んでいく。大きな身体では急に向きを変えられないことを利用し、何度も進路を限定していた。


 以前のタクマなら、ここまで落ち着いて動くことは難しかったと思う。


 剣の腕が上がったことも大きいけれど、それ以上に、相手の動きを見てから判断する余裕ができている。無理に攻撃を重ねず、必要な時には迷わず退く。そうした一つ一つの判断が、戦いを安定させていた。


 私はその姿を見ながら、思わず笑みを浮かべた。


 ……本当に、強くなったなぁ。


 やがてタクマは、最初に傷つけた一頭の側面へ再び回り込んだ。


 アーマーボアが頭を振り、鋭い牙を向ける。けれど、タクマは一歩だけ踏み込み、牙の軌道から身体を外すと、首の下へ剣を突き入れた。


 魔獣の巨体が大きく揺らぎ、地面へ崩れ落ちる。


 一頭目を仕留めた。


「……よし!」


 タクマはすぐに剣を引き抜き、残る魔獣たちへ視線を向けた。


 私は彼の動きに合わせ、岩場の手前へ魔法の障壁を作る。成獣二頭と若い個体は、タクマを追ううちに少しずつ木々の少ない場所へ移動していた。


 これなら、周囲への被害を抑えながら魔法を使える。


「タクマ! そろそろいいよ!」


「ああ! 頼んだ!」


 タクマは魔獣たちから距離を取り、私のいる方へ走ってきた。


 私は彼が十分に離れたことを確認し、魔法の術式を組み立て始めた。


◇


 爆裂魔法は、火と衝撃を組み合わせた攻撃魔法だ。


 単純に威力を高めるだけなら、それほど難しくない。私の魔核が持つ出力を考えれば、アーマーボア程度の魔獣を倒すことは十分可能だった。


 けれど、問題は周囲への影響だ。


 爆発は中心からあらゆる方向へ広がるため、威力を高めれば高めるほど、周囲の地形や植物にも被害が及んでしまう。魔獣だけを倒したい時でも、何も考えずに大きな魔法を使えば、近くの木々を倒したり、地面を大きく傷つけたりすることになる。


 そこで私は、以前から考えていた方法を試すことにした。


 爆発の力を全方向へ広げるのではなく、特定の方向へ集中させる。


 魔法の発動位置と衝撃の広がる方向を調整すれば、必要な場所にだけ大きな力を加えられるはずだった。さらに、爆発の外側に制御用の術式を重ねることで、余計な方向へ衝撃が逃げるのを抑えられるかもしれない。


 もちろん、理屈どおりにいくとは限らない。


 私は魔法の範囲を慎重に定め、周囲に人や別の魔獣がいないことをもう一度確認した。


 岩場には、成獣二頭と若い個体がいる。


 タクマはすでに十分な距離を取っていた。


「……よし。今なら、いけるかな」


 私は両手を前へ向け、術式を起動した。


 魔力が集まり、空気がわずかに震える。


 炎の術式に衝撃を生み出す構造を重ね、さらにその外側へ力の広がりを制御する術式を組み込む。普段より少し複雑な構成だけれど、魔法の流れは安定していた。


 これなら、うまくいきそうだ。


「リカ! 準備できたぞ!」


 タクマの声が聞こえた。


「うん! じゃあ、ちょっと離れてて!」


「……どのくらい?」


「できれば、もうちょっと!」


「おい、話が違うぞ!」


 タクマが慌てて後退する。


 私は思わず笑ってしまった。


 大丈夫。今度の魔法は、ちゃんと範囲を制御できるはずだ。


 ……たぶん。


「それじゃあ、いくよ!」


 私は術式を完成させ、魔力を解放した。


 次の瞬間、岩場に閃光が走った。


 耳をつんざくような轟音とともに、強烈な衝撃が魔獣たちを襲う。爆発の力は術式によって前方へ集中し、岩場の一角を一気に吹き飛ばした。


 地面が大きく揺れ、砂埃が舞い上がる。


 私はすぐに魔法を解除し、周囲の状態を確認した。


 木々に大きな被害はない。爆発の衝撃も、狙った範囲からほとんど外れていなかった。少なくとも、周囲へ無差別に力が広がることは防げたようだ。


 ……うん。成功かな?


 やがて砂埃が晴れ、岩場の様子が見えてきた。


 アーマーボアたちは倒れていた。成獣二頭はすでに動かず、若い個体も爆発に巻き込まれている。探知魔法で確認すると、いずれも生命反応は失われていた。


 討伐は成功だ。


 私は満足して頷いた。


 ただし、一つだけ問題があった。


 魔獣たちがいた場所の地面が、大きく抉れていたのだ。


 岩場の一角はすっかり形を変え、まるで巨大な何かが地面を掘り返したようになっている。爆発の範囲は確かに制御できていたけれど、その分だけ衝撃が集中し、予想以上の威力になってしまったらしい。


「……リカ」


 背後から、低い声が聞こえた。


 振り返ると、タクマが何とも言えない顔で立っていた。


「な、何?」


「地形が変わらない程度って言ったよな?」


「……少しだけだよ?」


「少し?」


「……ちょっと?」


 タクマは大きく息を吐いた。


「……ギルドにはどう報告するんだ、これ」


「魔獣の討伐に成功しました!」


「そこじゃない!」


 私はとうとう我慢できなくなり、声を上げて笑ってしまった。


 久しぶりに思いきり魔法を使った。新しい術式も、ほとんど狙いどおりに動いた。しかも、タクマと一緒に戦えた。


 それが嬉しくて、楽しくて、胸の奥から笑いが込み上げてくる。


 タクマはしばらく呆れた顔をしていたけれど、やがて諦めたように笑った。


「……まあ、怪我がなくてよかったよ」


「ふふ。でしょ?」


「いや、そこは反省してほしいんだけどな」


「ちゃんと反省するよ! 次はもっと上手く制御できると思う!」


「……次もやるのか」


「もちろん!」


 タクマはもう一度ため息をついた。


 でも、その表情はどこか楽しそうだった。


◇


 戦闘が終わると、私たちは魔獣の状態を確認し、討伐証明となる魔石の回収を始めた。


 魔獣の心臓付近には、魔力を蓄えた魔石と呼ばれる結晶がある。魔石は魔道具の材料としても利用されるため、冒険者にとっては貴重な収入源の一つだ。また、魔獣の種類や大きさによって特徴が異なることから、討伐証明としてギルドへ提出することもできる。


 今回のアーマーボアも、討伐証明には魔石を提出することになっていた。


 まずはタクマが剣で仕留めた一頭から回収する。


 心臓付近を慎重に切り開くと、硬い外皮とは違う、鈍い光沢を持った魔石が見つかった。大きさは私の握り拳より少し小さいくらいで、表面には独特の模様が浮かんでいる。


「……うん。きれいに取れたね」


「ああ。これなら問題なさそうだ」


 タクマは魔石を布で包み、荷物へ収めた。


 次に、私の爆裂魔法で倒した個体を調べることにした。


 けれど、こちらは少し様子が違っていた。


 爆発の衝撃を受けた魔獣の身体は大きく傷んでおり、硬いはずの外皮にも亀裂が入っている。肉や装甲を素材として回収するのは難しそうだった。


「……リカ」


「な、何?」


「これ、魔石は無事なのかな」


「……どうだろう?」


 私は少し不安になりながら、魔獣の心臓付近を調べた。


 すると、そこには確かに魔石があった。


 ただし、普段見るような一つの結晶ではなかった。


「……あれ?」


 私は思わず首をかしげた。


 魔石が、いくつかの破片に分かれていたのだ。


 最初は別の結晶が混じっているのかと思ったけれど、破片の表面にある模様や色合いを見れば、元は一つの魔石だったことが分かる。


「……割れてる?」


 タクマが覗き込んできた。


「うん。どうやら、爆発の衝撃で砕けちゃったみたい」


「……魔石って、砕けるものなのか?」


「……私も初めて見た」


 私は破片を一つずつ拾い集めた。


 幸い、細かな粉になってしまったわけではなく、比較的大きな破片が残っている。形を合わせてみると、元の魔石の輪郭が何となく分かった。


「……ほら。ちゃんと一つ分あるよ!」


「……いや、そういう問題なのか?」


「討伐証明にはなると思うけど……」


「……本当かなぁ」


 タクマは何とも言えない顔をしていた。


 残る二頭も調べてみると、やはり魔石が割れていた。しかも、こちらはさらに細かく砕けている。


 私はできるだけ破片を拾い集め、魔石ごとに分けて布で包んだ。


 結果として、回収できた魔石は全部で十五個になった。


 もちろん、元は四頭分だ。


 タクマが倒した一頭の魔石だけは無傷で、残りの三頭の魔石がそれぞれ複数の破片に分かれている。


 私は布の包みを見つめ、少し考えた。


「……まあ、ちゃんと四頭分あるし、大丈夫だよね?」


「……ギルドで説明するのはリカだからな」


「えっ、私?」


「そりゃ、魔法を使ったのはリカだろ」


「……そうだけど」


 タクマは笑いながら、比較的状態の良い素材を選んで回収した。


 私は魔石の破片を大切に包み直し、荷物へ収める。


 ……うん。きっと大丈夫。


 魔石が十五個になっただけで、討伐した数が増えたわけじゃないんだから。


◇


 帰り道、私は今日の戦闘を思い返していた。


 タクマは本当に強くなった。


 以前なら、アーマーボアのような大型魔獣を相手にする時は、私が魔法で動きを止めたり、直接倒したりすることが多かった。タクマも剣で戦ってはいたけれど、どうしても私の援護が中心になっていたと思う。


 けれど、今日は違った。


 彼は自分で状況を判断し、魔獣を誘導し、一頭を仕留めた。その上で、私が魔法を使いやすい場所まで残りの魔獣を追い込んでくれた。


 単に剣の腕が上がっただけではない。


 私たち二人で戦うために、何をすればいいのかを考えてくれていたのだ。


「……ねえ、タクマ」


「ん?」


「今日、すごく格好よかったよ」


 タクマは少し驚いたように私を見た。


「……そうか?」


「うん。前だったら、私が全部倒しちゃってたもん」


「……それは今でもできるだろ」


「ふふ。でも、今日は一緒に戦ったって感じがした」


 私は笑いながら続けた。


「タクマが魔獣を誘導してくれたから、私も安心して魔法を使えたし。何だか、すごく楽しかった」


 タクマは少し照れくさそうに笑った。


「……そう言ってもらえると嬉しいな」


「本当だよ。すっかり頼もしくなっちゃって」


「まあ、ボーマンさんにあれだけ鍛えられたからな。少しは成長してないと困るよ」


 私たちは顔を見合わせて笑った。


 その後、タクマはふと思い出したように尋ねた。


「……それで、少しはすっきりしたか?」


 私は一瞬だけ考えた。


 昨日まで、ずっと胸の奥に重たいものがあった。


 父のこと、兄様たちのこと、王国のこと。考えても答えが出ない問題ばかりで、何をしていても気持ちが晴れなかった。


 けれど、今は違う。


 もちろん、心配が消えたわけではない。それでも、今は今日の冒険が楽しかったという気持ちの方が大きかった。


「うん! すっごく!」


「そりゃよかった」


「……ありがとう、タクマ」


「どういたしまして」


 タクマはいつものように笑った。


 私はその顔を見て、もう一度嬉しくなった。


◇


 夕方、私たちはノヴァグラードの冒険者ギルドへ戻った。


 討伐証明を提出し、依頼の達成を報告する。エリナは無事に帰ってきた私たちを迎え、いつものように手続きを始めてくれた。


「お疲れさま! アーマーボア、ちゃんと討伐できたんだね」


「うん! ばっちり!」


「依頼書には三頭って書いてあったけど、追加で一頭いたんだよね?」


「そうそう。全部で四頭だったよ」


「分かった。じゃあ、討伐証明の魔石を見せてもらえる?」


「はーい!」


 私は荷物から布の包みを取り出し、受付台の上へ広げた。


 エリナは最初、いつもどおりの表情で魔石を確認しようとしていた。


 けれど、包みの中身を見た途端、その手が止まった。


「…………え?」


 受付台の上には、一つの大きな魔石と、いくつもの破片が並んでいた。


 エリナはしばらく黙ってそれを見つめ、それから私の顔を見た。


「……ねえ、リカ」


「ん?」


「討伐、四体って言ったよね?」


「うん!」


「……なんで魔石が十五個あるの?」


 私は待ってましたとばかりに、破片を指さした。


「よく見て、エリナ! 組み合わせるとちゃんと四体分!」


「……は?」


「ほら、これとこれが同じ魔石の破片でしょ? こっちの三つも元は一つだし、残りもちゃんと分けてあるから!」


 私は受付台の上で魔石の破片を並べ、元の形を再現してみせた。


 エリナは呆然とした顔で、それを見つめていた。


「……魔石が砕けるとか、聞いたことないんだけど」


「私も初めて見た!」


「何でそんなに嬉しそうなの!?」


 エリナの声が、ギルドの受付に響いた。


 周囲にいた冒険者たちが何事かとこちらを振り返る。


 私は少しだけ声を落とし、事情を説明した。


「えっとね、新しい爆裂魔法を試してみたんだよ。爆発の方向を制御する術式なんだけど、思ったより威力が集中しちゃって……」


「……それで?」


「魔獣はちゃんと倒せたんだけど、魔石も割れちゃったみたい」


 エリナはゆっくりとタクマへ視線を向けた。


「……タクマ?」


「……そのとおりだよ」


「……止めなかったの?」


「止めようとはしたんだけどな……」


 タクマは苦笑した。


 私は慌てて口を挟んだ。


「でも、周囲に被害は出してないよ! ちゃんと範囲を制御したし!」


「……本当に?」


「うん!」


 エリナはタクマを見た。


 タクマは少し考えてから答えた。


「……木は無事だったよ」


「……木は?」


「……地面が少し抉れたけど」


 エリナは額に手を当てた。


「……もう、何なのよ……」


 私は思わず笑ってしまった。


 エリナはしばらくため息をついていたけれど、やがて気を取り直し、魔石の破片を一つずつ確認し始めた。


「……まあ、魔力の反応は残ってるし、種類もアーマーボアのものみたいね。破片の形も合ってるし……」


「でしょ?」


「……ただ、これが正式な討伐証明として認められるかは、確認しないと分からないわよ」


「えっ、そうなの?」


「当たり前でしょ! 普通、魔石はこんなにバラバラになってないんだから!」


 エリナは呆れたように言いながら、破片を丁寧に包み直した。


「とりあえず、鑑定担当の人に確認してもらうわ。討伐したこと自体は間違いなさそうだし、依頼の達成については問題ないと思うけど……」


「よかった!」


「……ただし、魔石の買取価格は期待しないでね。こんな状態じゃ、まともな素材として使えるかどうかも分からないんだから」


「……あっ」


 私はそこで初めて、魔石が貴重な素材だったことを思い出した。


 魔道具の材料として使われる魔石は、大きさや品質によって値段が変わる。特に大きな魔石は、加工しやすいこともあって高く買い取ってもらえる場合がある。


 けれど、今回の魔石は見事に砕けている。


 ……もしかして、随分もったいないことをしたのでは?


 私がそう考えていると、隣でタクマが小さく笑った。


「……まあ、次からは気をつけような」


「……うん」


 私は素直に頷いた。


 エリナはそんな私たちを見て、また一つため息をついた。


「……本当に、リカは魔法のことになると加減を知らないんだから」


「そんなことないよ!」


「魔石を十五個にしておいて、よく言うわね!」


 私は反論できなかった。


 タクマは隣で笑っている。


 まったく、二人ともひどいんだから。


 けれど、そんなやり取りをしているうちに、エリナの表情が少し和らいだ。


「……でも、今日は随分楽しそうだね、リカ」


「ふふ。久しぶりの冒険だったから!」


「そっか。じゃあ、昨日の元気がなかったのも、少しはよくなった?」


「……うん。ありがとう、エリナ」


 私が笑うと、エリナも嬉しそうに頷いた。


 魔石の確認には少し時間がかかることになったけれど、依頼の達成報告は受け付けてもらえた。私たちは必要な手続きを済ませ、ギルドを後にした。


◇


 森の家へ帰る頃には、空が夕焼けに染まり始めていた。


 夕食の準備をしながら、私は今日の魔法についてタクマに話し続けていた。


 爆発の方向を制御する術式は、まだ改良の余地がある。衝撃の広がり方をもう少し細かく調整できれば、周囲への影響を抑えながら威力を高めることもできるはずだ。今回は魔石まで砕いてしまったけれど、逆に考えれば、力を集中させる方法そのものは成功していたとも言える。


 問題は、必要以上に威力を高めてしまったことだ。


 次はもう少し魔力の出力を抑え、爆発の範囲と衝撃の強さを別々に調整できるようにしてみよう。そうすれば、魔獣を確実に倒しながら、素材を傷めずに済むかもしれない。


 私はそんなことを考えながら、鍋の中をかき混ぜていた。


「……つまり、次はもっと大きな爆発になるってことか?」


 食材を切っていたタクマが、呆れたように尋ねた。


「違うよ! もっと効率よく威力を集中させるってこと!」


「……結果的に威力は上がるんだろ?」


「……まあ、そうだけど」


「やっぱりな」


 私は笑いながら、鍋の火加減を調整した。


 今日の冒険は、本当に楽しかった。


 魔法を使うのが楽しかったし、タクマと一緒に戦うのも嬉しかった。帰り道には次の冒険の話をして、ギルドではエリナに呆れられて、今はこうして夕食を作りながら今日の出来事を話している。


 どれも特別なことではない。


 冒険者として暮らしていれば、当たり前にある一日のはずだった。


 けれど、最近の私は、その当たり前を少し忘れていたのかもしれない。


 誰かを助けるために魔法を学ぶことも大切だ。マルタの治療所で患者を診ることも、これから続けていきたいと思っている。人の身体について知れば知るほど、魔法だけでは解決できない問題があることも分かってきた。だからこそ、これからも勉強を続けたい。


 けれど、それだけが私の人生ではない。


 私は魔法が好きで、冒険が好きで、自由に生きたくて王宮を飛び出したのだ。


 その気持ちを、これからも大切にしていきたい。


「ねえ、タクマ」


「ん?」


「また一緒に依頼受けようね」


「ああ。もちろん」


「今度はもっとすごい魔法を考えておくから!」


「……それは別にいいんだけどな」


「えー、どうして?」


「森がなくなると困るから」


「なくならないよ!」


 私が抗議すると、タクマは声を上げて笑った。


 私もつられて笑ってしまう。


 父のことも、兄様たちのことも、忘れたわけではない。遠い祖国で何が起ころうとしているのか、今でも不安は残っている。明日になれば、また何か新しい知らせが届くかもしれない。


 それでも、私は今日、久しぶりに心から冒険を楽しんだ。魔法を使い、タクマと一緒に戦い、帰り道には次の冒険の話をした。ギルドでは少しばかり騒ぎになってしまったけれど、それも含めて、今日は楽しい一日だったと思う。


 私が望んでいた自由とは、きっとこういうものなのだと思う。


 誰かのために生きることも大切だけれど、自分が楽しいと思うことを素直に楽しめること。そして、そんな時間を分かち合える人が隣にいること。


 私はタクマの隣に立ち、今日の冒険を思い返しながら笑った。


 明日もきっと、楽しい一日になる。


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