第44話 届いた一撃
タクマの修行が始まって、五日目の朝を迎えた。
いつものように二人で朝食を取っていると、向かいに座ったタクマが、パンを片手に昨日の訓練を振り返り始めた。ここ数日、食卓での話題はすっかり剣術一色になっている。最初のうちは私も色々と助言していたけれど、最近では聞き役に回ることの方が多かった。
「昨日は、結構いいところまでいったと思うんだけどなぁ」
「ふふっ。それ、毎日言ってない?」
「……言ってるかも」
タクマは苦笑しながら、パンを口に運んだ。
「でも、最初の頃とは違うんだよ。ボーマンさんの剣が、少しずつ見えるようになってきたっていうか。もちろん全部じゃないけど、攻撃される前に何となく分かる時があるんだ」
「それは大きな進歩だと思うよ。最初は受けるだけでも大変だったものね」
「うん。ただ、そこからが難しくてさ」
タクマは空いた手を動かし、剣を受ける仕草をしてみせた。
「こうやって相手の剣を防ぐだろ? それで反撃しようとすると、もうボーマンさんは次の動きに入ってるんだ。こっちが攻撃を始める前に、全部読まれてるみたいでさ」
私はその動きを眺めながら、これまでの訓練を思い返した。
確かに、タクマの防御は随分と上達している。ボーマンの攻撃をすべて防げるわけではないけれど、剣を受け流したり、間合いを外したりする動きは、初日とは比べものにならないほど自然になっていた。
それでも、反撃しようとした途端に崩されてしまう。
ボーマンは、タクマが攻撃に移る瞬間を見逃さないのだ。
「……ねえ、タクマ」
「ん?」
「攻撃する時に、毎回身体強化の出力を上げてない?」
タクマは少し考えた。
「……ああ、上げてるな。踏み込む瞬間とか、剣を振る時とか」
「風魔法も?」
「うん。加速したい時は使ってる」
「それ、ボーマンに気づかれてるんじゃないかな」
タクマが首を傾げた。
「魔法を使ってるのが分かるってこと?」
「そう。魔法を使う時って、魔核から流れる魔力の量が変わるでしょ? 普通の人なら気づかない程度の変化でも、ボーマンなら感じ取れると思うの」
魔法は、ただ術式を発動させれば終わりというものではない。身体強化のように効果を維持し続ける術式もあれば、風魔法のように一瞬だけ出力を高めて使う術式もある。そして、魔力の流れを細かく制御できる魔導士ほど、発動の強さやタイミングを自由に変えられる。
もちろん、他人の魔力の動きを正確に読み取るのは簡単ではない。けれど、ボーマンほど魔法に精通した人なら、相手の動きと魔力の変化を合わせて判断することくらいできるだろう。
「だから、攻撃する直前に魔力が大きく動くと、何か仕掛けてくるって分かっちゃうのかもしれない」
「……なるほど」
タクマは腕を組んだ。
「じゃあ、魔法を使わない方がいいのかな?」
「ううん。それだと、せっかく覚えた魔法が使えなくなっちゃうでしょ?」
「確かに」
「例えば、身体強化を小さく使い続けておいて、必要な時だけ少し出力を足すとか。そうすれば、変化が小さくなるんじゃないかな」
タクマはしばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げた。
「……試してみるよ」
「うん。でも、魔力の制御ばっかり気にして、剣がおろそかにならないようにね」
「分かってるって」
そう答えたタクマの顔を見て、私は少し笑ってしまった。
たぶん、分かっていない。
何か新しいことを教えると、タクマはそれをすぐに試そうとする。そういう素直なところは彼の長所だけれど、一つのことに集中すると、他のことが頭から抜けてしまう場合もあるのだ。
……まあ、そこはボーマンが何とかしてくれるでしょう。
朝食を終えたタクマは、今日も訓練用の模擬剣を持って出かけていった。
私は玄関先でその背中を見送り、家の中へ戻る。
今日は家で魔法の研究を進めるつもりだった。昨日ギルドへ出かけたおかげで気分転換もできたし、読みかけの魔法書もある。タクマの修行を見学するのも楽しいけれど、私には私のやりたいことがあるのだ。
……それにしても、今日こそ一撃入れられるのかな。
そんなことを考えながら、私は机に魔法書を広げた。
*
昼過ぎになって、私はボーマンのログハウスへ向かった。
森の小道を歩いていくと、やがて剣を打ち合わせる乾いた音が聞こえてくる。ログハウスの前にある開けた場所では、タクマとボーマンが向かい合っていた。
二人が使っているのは、刃のない金属製の模擬剣だ。魔法を通すことができる特別なもので、タクマは両手で扱う長い剣を、ボーマンは片手用の短い剣を使っている。
私が近づいた時、タクマはちょうど攻撃を仕掛けようとしていた。
剣を構え、身体強化の魔力を小さく維持しながら、一歩踏み込む。
その動きは、昨日までより慎重だった。
けれど、ボーマンはあっさりと剣を受け流した。
「……っ!」
タクマが慌てて体勢を立て直そうとする。しかし、その時にはもうボーマンの剣が彼の肩へ向かっていた。
寸前で剣が止まる。
「そこまでですな」
「……参りました」
タクマは大きく息を吐いた。
ボーマンは模擬剣を下ろし、穏やかに微笑んだ。
「タクマ殿。今度は魔法に気を取られすぎておられますな」
「……やっぱり分かりますか」
「ええ。魔力の変化を抑えようとなさっているのでしょう。ですが、そのために剣の動きが遅れてしまっております」
タクマは苦笑した。
「リカに言われたんです。攻撃する時の魔力の変化を、ボーマンさんに読まれてるんじゃないかって」
「ほほほ。なるほど、殿下らしいご指摘ですな」
ボーマンが私に気づき、軽く頭を下げた。
「おや、殿下。お越しでしたか」
「うん。ちょうど今来たところ。どう、タクマは?」
「実に熱心でございます。ただ、少々考えすぎておられるようですな」
「……やっぱり」
私は思わず笑ってしまった。
タクマが不満そうな顔をする。
「二人とも、何でそんなに納得してるんだよ」
「だって、タクマってそういうところあるもの」
「……否定できないな」
ボーマンは楽しそうに笑いながら、模擬剣を構え直した。
「では、少しお見せしましょう」
そう言って、ボーマンはゆっくりと剣を振った。
最初は普通の素振りに見えた。けれど、途中から身体強化の魔力が流れ始め、剣の速度がわずかに変化する。さらに一歩踏み込むと同時に、風魔法が小さく働いた。
それでも、動きに不自然なところはない。
魔法を発動するために立ち止まることも、剣を振る動作が途切れることもなかった。
「剣を振ることと、魔法を使うことを、別々に考えてはなりませぬ」
ボーマンは剣を下ろした。
「魔法は、剣術を助けるためのものでございます。剣を振るために身体を動かす。その動きの中で、必要な分だけ魔法を使う。そう考えていただければよろしい」
「……なるほど」
タクマは真剣な顔で頷いた。
「つまり、魔法を使おうとするんじゃなくて、剣を振る動きの中に魔法を組み込むってことですね」
「そのとおりでございます」
ボーマンは満足そうに頷いたが、そこで少し考えるような表情になった。
「そういえば、タクマ殿。以前、故郷でも剣を学ばれていたと伺いましたな」
「はい。剣道っていう武道をやってました」
「ケンドウ……。確か、剣を用いて技を競う武術でございましたな」
「そうです。ただ、こっちの剣術とは結構違いますけどね」
タクマは少し照れくさそうに笑った。
「俺がやってた剣道は、防具をつけて竹で作った剣を使うんです。決められた場所を打って一本を取る競技なんですけど、実際に剣で戦うのとは全然違うところも多くて」
「ほう。それは興味深い」
ボーマンは目を細めた。
「では、その武術では、何を重んじるのでございますか?」
「うーん……。間合いとか、足運びとか、相手の動きを読むこととか。あと、攻撃する時に迷わないことですかね」
タクマは少し考えてから続けた。
「相手が動こうとする瞬間を狙ったり、逆にこっちから仕掛けて相手を動かしたりもします。もちろん、俺もそこまで上手かったわけじゃないですけど」
ボーマンは静かに頷いた。
「なるほど。であれば、これまで学ばれてきたことが、決して無駄になったわけではございませんな」
「……え?」
「剣の形が違えば、扱い方も変わりましょう。しかし、間合いを測り、相手の動きを読み、好機を逃さず踏み込む。そのような技術は、どのような武術にも通じるものがございます」
タクマは少し驚いたようにボーマンを見つめた。
「……そうなんですかね」
「ええ。むしろ、タクマ殿には既に身についているものがある。それを忘れて、新しい技術だけを追い求める必要はございませんぞ」
私はその言葉を聞きながら、少し考えた。
タクマはこの世界へ来てから、随分と多くのことを学んできた。
ハーケンから剣術の基礎を教わり、冒険者として実戦も経験した。そして今は、ボーマンから魔法を組み合わせた戦い方を学んでいる。
けれど、タクマが剣を握ったのは、この世界へ来てからが初めてではない。
彼には、故郷で積み重ねてきた経験がある。
それは、今までの訓練でも、知らず知らずのうちに彼を支えていたのかもしれない。
「……そうか」
タクマは小さく呟いた。
「俺、こっちの剣術を覚えなきゃって思って、剣道のことをあんまり考えてなかったかもしれません」
「ほほほ。それも無理からぬことでございましょう。ですが、これまで身につけたものを捨てる必要はございません。新しく学んだ技術と、上手く組み合わせればよいのです」
タクマはしばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げた。
「……ありがとうございます。ちょっと、考えてみます」
ボーマンは満足そうに頷いた。
「では、もう一度お願いいたします」
「はい!」
タクマは剣を構え直した。
その後も、二人は何度も剣を交えた。
タクマは魔力の変化を抑えようとしすぎて動きが鈍くなったり、逆に剣へ集中しすぎて魔法を使うタイミングを逃したりしていた。けれど、繰り返すうちに、少しずつ動きが自然になっていく。
時折、以前とは違う踏み込み方を試しているようにも見えた。ボーマンの剣を受けた後、無理に押し返すのではなく、足の位置を変えて間合いを取り直す。相手の動きに合わせて、剣を構える位置も細かく変えていた。
もちろん、それだけでボーマンに一撃を入れられるわけではない。
少し動きが良くなった程度では、簡単に届かせてくれるはずがなかった。
結局、その日もタクマの剣がボーマンに届くことはなかった。
それでも、訓練を終えたボーマンは満足そうだった。
「……なるほど。少しずつ、形になってきましたな」
タクマは汗を拭いながら、苦笑する。
「でも、まだ全然届かないですね」
「ほほほ。そう簡単に届いていただいては、私の立場がございませんからな」
「……それもそうですね」
タクマが笑った。
私はその様子を見ながら、少し安心していた。
少なくとも、今日のタクマは、ただ悔しがっているだけではない。自分が何をできるようになり、何がまだできないのかを、少しずつ理解し始めているようだった。
*
六日目の朝。
タクマはいつもより少し早く家を出た。
私は午前中、昨日の続きの魔法書を読んでいたけれど、昼前になると何となく落ち着かなくなり、ボーマンのログハウスへ向かうことにした。
昨日の訓練では、タクマの動きが少し変わっていた。
魔法を使うことに意識を向けすぎず、剣術の動きの中で自然に使おうとしていたのだ。それに、ボーマンと剣道について話してからは、足運びや間合いの取り方にも変化が見られた。
もちろん、まだ上手くいかない場面も多かったけれど、あの様子なら今日はもう少し良くなっているかもしれない。
そんな期待を抱きながら修行場へ到着すると、私は少し驚いた。
タクマが、ほとんど攻撃していなかったのだ。
ボーマンが剣を振る。
タクマはそれを受け流し、間合いを取る。
再びボーマンが踏み込むと、今度は身体をひねって攻撃をかわし、無理に反撃せずに構え直した。
何度か攻防を繰り返しても、タクマはほとんど自分から攻撃しようとしない。
最初は、疲れているのかと思った。
けれど、そうではないらしい。
タクマの表情は真剣で、むしろ昨日までより落ち着いている。ボーマンの動きをよく見て、無理に剣を振らず、必要な時だけ身体強化と風魔法を使っていた。
しばらくして休憩になったところで、私は声を掛けた。
「……今日は、随分と慎重なんだね」
タクマは水を飲みながら、苦笑した。
「うん。ちょっと考え方を変えてみたんだ」
「考え方?」
「今までは、とにかく一撃入れようとしてたんだよ。でも、そうすると逆に隙ができるんじゃないかって思ってさ」
私は少し考えた。
確かに、これまでのタクマは、ボーマンの剣を防ぐとすぐに反撃しようとしていた。少しでも攻撃できそうな隙があれば、そこへ飛び込もうとする。
けれど、ボーマンはそんな動きを見逃さない。
「……それで、攻撃しないの?」
「いや、攻撃はするよ。でも、無理に一撃を入れようとするのはやめたんだ」
タクマは模擬剣を見つめながら続けた。
「ボーマンさんって、わざと隙を見せることがあるだろ? こっちがそこを狙うと、もう次の攻撃が来るんだ。だから、隙が見えたからってすぐ飛び込むんじゃなくて、本当に攻撃できる時まで待ってみようと思って」
「……なるほど」
私は感心した。
それは、ボーマンが最初の日に教えていたことだった。
相手の動きを読むだけでなく、自分の望む方向へ誘導する。攻撃の機会を与えることで、相手に特定の動きを選ばせる。
タクマは、ようやくその意味を実感し始めたのかもしれない。
「剣道でも、似たようなことをやってたんだよ」
タクマが付け加えた。
「相手が動くのを待つだけじゃなくて、こっちから仕掛けて相手を動かすんだ。相手が攻撃しようとした瞬間とか、構えが崩れた瞬間とか、そういうところを狙う」
「……へえ」
「でも、今まではボーマンさんに一撃入れることばっかり考えてて、そういうのを忘れてたんだと思う」
タクマは少し照れくさそうに笑った。
「昨日、ボーマンさんに言われて思い出したんだ。剣道でも、ただ速く打てばいいってわけじゃなかったなって」
私は頷いた。
タクマは、元々剣を扱うことに慣れていた。
けれど、この世界へ来てからは、ハーケンの剣術を学び、実戦で使える技術を身につけることに集中していた。さらに魔法を覚え、ボーマンから魔法剣を教わるようになった。
新しいことを覚えるのに必死で、昔から持っていたものを十分に活かせていなかったのかもしれない。
「ほほほ。ようやく、剣を交えることそのものを楽しめるようになってきましたな」
ボーマンが穏やかに笑った。
タクマは首を振る。
「いや、まだ全然余裕ないですけどね」
「それで結構。余裕とは、最初からあるものではございませんからな」
ボーマンはそう言って、模擬剣を手に取った。
「では、午後も続けましょうか」
「はい!」
タクマは元気よく返事をした。
午後の訓練では、確かに変化が見られた。
タクマはボーマンの攻撃を受け流しながら、無理に反撃せず、間合いを維持することを意識していた。ボーマンが隙を見せても、すぐには飛び込まない。相手の動きをよく見て、攻撃するべきかどうかを判断している。
時折、タクマの足運びが、これまでとは少し違うものになる。
大きく踏み込むのではなく、小さな歩幅で間合いを調整し、相手の動きに合わせて前後へ動く。剣を構える位置も、以前より安定していた。
もちろん、それだけでボーマンに勝てるわけではない。
ボーマンはタクマが慎重になれば、その慎重さを利用して攻撃を仕掛けてくる。防御に意識が向きすぎれば、そこを狙って間合いを詰め、逃げ道を塞いでしまう。
けれど、タクマも以前のように簡単には崩れなくなっていた。
何度目かの攻防で、タクマはボーマンの剣を外側へ受け流した。
そのまま踏み込み、剣を横へ振る。
ボーマンはわずかに後退し、攻撃をかわした。
タクマの剣先が、あと少しのところを通り過ぎる。
「……惜しい!」
私は思わず声を上げた。
けれど、タクマは追撃しなかった。
無理に剣を振り直さず、すぐに構えを戻す。
ボーマンはその様子を見て、楽しそうに笑った。
「ほほほ。今のは、なかなか良い判断でございましたな」
「……ありがとうございます」
タクマは息を整えながら答えた。
その顔には悔しさもあったけれど、以前のような焦りは見られなかった。
結局、六日目も一撃は届かなかった。
それでも、私は確信していた。
タクマは、確実に強くなっている。
*
七日目の朝。
タクマは、いつもより静かだった。
別に元気がないわけではない。朝食も普段どおり食べているし、私が話しかければ笑って答える。ただ、時折考え込むような表情を見せるのだ。
「……何か考えてる?」
私が尋ねると、タクマは少し笑った。
「うん。昨日のことを、ちょっとね」
「昨日の?」
「あと少しだったんだよなぁ」
タクマはそう言って、手元のパンを見つめた。
「ボーマンさんの剣を受けることは、前よりできるようになった。魔法も、少しずつ自然に使えるようになってきたと思う。でも、最後の一撃がどうしても届かないんだ」
私は黙って聞いていた。
「何かが足りないんだと思う。でも、それが何なのか、まだよく分からなくてさ」
タクマは苦笑した。
私は少し考えたけれど、すぐには答えが浮かばなかった。
剣術に関しては、私よりタクマの方が詳しい部分もある。魔法なら助言できるけれど、剣の間合いや攻防の駆け引きとなると、簡単に答えを出せるものではない。
「……今日は私も見に行こうかな」
「え?」
「だって、もう七日目でしょ? そろそろ一撃入れてほしいもの」
タクマは少し驚いた顔をした後、笑った。
「……ありがとう」
「ふふっ。期待してるからね」
「それはプレッシャーだなぁ」
そう言いながらも、タクマは嬉しそうだった。
朝食を終え、私たちは一緒にボーマンのログハウスへ向かった。
修行場では、ボーマンが既に準備を整えていた。
「おはようございます、殿下。タクマ殿」
「おはよう、ボーマン」
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
「ほほほ。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ボーマンは穏やかに笑った。
けれど、模擬剣を手に取ると、その表情が少し変わった。
優しい老人の顔から、歴戦の剣士の顔へ。
私は何度も見てきた変化だけれど、やはり少し緊張してしまう。
「では、始めましょうか」
タクマが剣を構えた。
ボーマンも、片手用の模擬剣を静かに持ち上げる。
次の瞬間、二人が動いた。
タクマは、昨日までの訓練で覚えたことを、丁寧に実践していた。
身体強化を低出力で維持し、風魔法は必要な時だけ小さく使う。ボーマンの剣を受け流し、無理に反撃せず、間合いを取り直す。
動きは随分と良くなっていた。
最初の日には、ボーマンの攻撃をまともに受けることさえできなかったのに、今では何度も剣を交えることができる。
けれど、やはり一撃が届かない。
ボーマンはタクマの攻撃を受け流し、わずかに身体をずらしてかわす。タクマが踏み込もうとすれば、その前に間合いを変えてしまう。
私は二人の攻防を眺めながら、あることに気づいた。
タクマは、ボーマンの剣を防いでから反撃しようとしている。
もちろん、それ自体は間違いではない。
けれど、ボーマンは違う。
相手の剣を受け流す時点で、既に次の攻撃の準備ができているのだ。
剣を外側へ流す動きが、そのまま身体の向きを変える動作につながり、足の位置も次の踏み込みに備えている。防御と攻撃が、最初から一つの動きになっているように見えた。
タクマは、その間にわずかな遅れがある。
剣を受ける。
相手の動きを確認する。
そして、反撃する。
その一つひとつは上達しているけれど、まだ別々の動作としてつながっているのだ。
午前の訓練が終わり、休憩になったところで、私はタクマに声を掛けた。
「ねえ、タクマ。ちょっといい?」
「ん?」
「ボーマンの剣を受けた後、どうやって反撃するか考えてない?」
タクマは少し驚いた顔をした。
「……うん。そうだけど」
「ボーマンは、受ける時から次の攻撃を考えてると思うの」
私は先ほどの攻防を思い出しながら説明した。
「例えば、相手の剣を外側へ受け流す時に、もう次の踏み込みができるように身体を動かしてるの。だから、防御が終わった時には、すぐに攻撃できる状態になってるんじゃないかな」
タクマは黙って聞いていた。
「タクマは、剣を防いでから反撃しようとしてるでしょ? だから、ほんの少しだけ遅れちゃうのかもしれない」
「……なるほど」
タクマは模擬剣を見つめた。
「防御と攻撃を、別々に考えないってことか」
「うん。魔法と剣術を一緒に使うのと、少し似てるかもしれないね」
タクマはしばらく考え込んでいた。
やがて、小さく頷く。
「……そうか」
その表情が、少し変わった。
「ハーケンさんにも、似たようなことを言われた気がする」
「ハーケンに?」
「うん。剣を振ることだけが攻撃じゃないって。足の運び方とか、相手の剣の受け方とか、そういうのも全部つながってるんだって」
タクマはゆっくりと模擬剣を構えた。
「それに、剣道でも似たようなことをやってたんだよな」
「剣道でも?」
「うん。相手の攻撃を受けてから考えるんじゃなくて、受ける時にはもう次の動きを考えてるんだ。相手が打ってきたところをかわして打つとか、相手の剣を押さえて踏み込むとか」
タクマは少し笑った。
「こっちに来てから、剣道とは違う剣術を覚えるのに必死だったけど、考えてみれば似てるところも結構あるんだよな」
私は頷いた。
確かに、剣道とこの世界の剣術は違う。
剣の形も、戦い方も、想定している状況も違う。剣道で使っていた技を、そのまま実戦に持ち込めるわけではないだろう。
けれど、相手との間合いを測り、動きを読み、攻撃の機会を作るという考え方には、共通する部分がある。
そこへ、ハーケンから学んだ実戦的な剣術が加わった。
さらに、ボーマンから教わった魔法剣の技術がある。
それぞれ別々に身につけてきたものが、少しずつつながろうとしているのだ。
「……もう一度、お願いします」
タクマが顔を上げた。
ボーマンは静かに微笑む。
「もちろんでございます」
*
午後の訓練が始まった。
私は修行場の端に立ち、二人の動きを見守っていた。
タクマは、午前中よりも落ち着いていた。
剣を構え、身体強化の魔力を小さく維持する。呼吸を整え、ボーマンの動きをよく見ていた。
ボーマンが一歩踏み込む。
タクマは剣を受け流し、身体をわずかにひねって攻撃をかわした。
そのまま反撃するかと思ったけれど、タクマは動かなかった。
ボーマンも、無理には踏み込まない。
二人は一度間合いを取り直した。
再び、ボーマンが動く。
今度は剣を低く構え、タクマの足元を狙うように踏み込んだ。
タクマは後退しながら剣を下げ、攻撃を防ぐ。
そこからすぐに反撃しようとせず、相手の動きを見ている。
ボーマンは、その様子を楽しそうに眺めていた。
「……なるほど」
小さく呟く声が聞こえた。
タクマは答えず、剣を構え直す。
私は、その構えに少し違和感を覚えた。
昨日までとは、足の位置が違う。
剣を両手で構える姿勢そのものは変わらないけれど、重心が少し前に移っている。後ろ足で地面を押し、いつでも踏み込めるようにしているようだった。
それは、以前タクマが剣道について説明してくれた時に見せた構えに、少し似ていた。
もちろん、完全に同じではない。
この世界で使う剣は、彼が故郷で使っていた竹の剣とは重さも形も違う。ハーケンから教わった剣術では、身体を大きく使う攻撃や、相手の剣を受け流す動作も多い。
タクマは、その両方を組み合わせようとしているようだった。
ボーマンが一歩踏み込む。
タクマは剣を受け流し、間合いを取った。
今度は、タクマが動く。
剣を上段から振り下ろす。
ボーマンは片手の模擬剣で受け流そうとした。
その瞬間、タクマの動きが変わった。
剣を押し込まない。
ボーマンの剣に触れたところで、わずかに力を抜いたのだ。
それまで何度も繰り返してきた攻防では、タクマは受け流されまいとして、剣に力を込めていた。けれど、今回は違う。
ボーマンが剣を外側へ流そうとする動きに、あえて逆らわなかった。
そのため、二人の剣が触れたまま、わずかに軌道を変える。
ボーマンの剣が外側へ流れた。
同時に、タクマの身体が前へ出る。
その踏み込みは、今までとは少し違っていた。
後ろ足で地面を押し、身体を前へ送り出す。
剣道で培った足運びを土台にしながら、ハーケンから学んだ実戦的な体重移動で身体を支える。そして、踏み込みの最後に身体強化の出力を一瞬だけ高め、足元で風魔法を働かせた。
大きな加速ではない。
ほんの半歩。
けれど、その半歩が、これまで届かなかった距離を埋めた。
ボーマンはすぐに反応した。
身体をひねり、剣を引き戻そうとする。
けれど、タクマは最初から、その動きを待っていたようだった。
剣を振り抜かず、手首を返す。
ボーマンの身体が逃げる方向へ、剣先の軌道をわずかに変えた。
そして。
タクマの模擬剣が、ボーマンの肩へ触れた。
ほんの一瞬だった。
強く打ち込んだわけではない。剣先が、軽く肩に触れただけだ。
けれど、それは確かに届いていた。
ボーマンの剣が止まる。
タクマも、その場で動きを止めた。
私は思わず息を呑んだ。
……今の。
当たった?
ボーマンはゆっくりと模擬剣を下ろし、自分の肩へ目を向けた。
そして、穏やかに微笑んだ。
「……見事」
タクマは、まだ何も言わない。
ボーマンは、はっきりと告げた。
「確かに、一本でございますな。タクマ殿」
その言葉を聞いた瞬間、タクマの表情が変わった。
「……やった」
最初は、小さな声だった。
けれど、次の瞬間。
「やったぁぁぁっ!」
タクマが大きな声を上げた。
私は思わず駆け寄った。
「タクマ! やったじゃない!」
「うん! やっと……やっと届いた!」
タクマは嬉しそうに笑っていた。
その顔を見たら、私まで嬉しくなってしまった。
私は思わず彼に抱きついた。
「おめでとう!」
「ありがとう、リカ!」
タクマも私を抱き返してくれた。
ボーマンはそんな私たちを眺めながら、楽しそうに笑っている。
「ほほほ。いやはや、若いというのは素晴らしいものですな」
私は少し照れくさくなって、タクマから身体を離した。
けれど、タクマはまだ興奮が収まらないようだった。
「ボーマンさん! 今の、ちゃんと当たりましたよね!?」
「ええ。間違いなく届いておりましたぞ」
「……よかったぁ」
タクマは大きく息を吐いた。
ボーマンは、そんな彼を見ながら穏やかに頷いた。
「実に見事な一撃でございました。私が剣を受け流すことを見越し、その動きを利用なさった。しかも、ただ踏み込むだけでなく、私が身体をかわす方向まで考えておられた」
「……はい。今まで、ボーマンさんの剣を無理に押し返そうとしてたんです。でも、それだといつも次の攻撃を受けちゃうから」
タクマは少し照れくさそうに笑った。
「だから、今日は逆に、その動きに合わせてみようと思って」
「ほほほ。良い判断でございましたな」
ボーマンは満足そうだった。
「相手の力に逆らうばかりが剣術ではございません。相手が動こうとする方向を読み、その動きを利用する。それもまた、大切な技術でございます」
そして、ボーマンは少しだけ目を細めた。
「それに、先ほどの踏み込み。あれは、これまでとは違いましたな」
タクマが頷いた。
「はい。剣道でやってた足運びを、少し意識してみました」
「なるほど。実に興味深い動きでございました」
ボーマンは感心したように頷いた。
「ですが、それだけではございませんな。剣を受け流された際の身体の使い方には、ハーケン殿から学ばれた技術が見られました。そして、最後の踏み込みには、私がお教えした魔法の制御が使われておりました」
タクマは少し驚いた顔をした。
「……分かるんですか?」
「ほほほ。これでも長年、剣を振ってまいりましたからな」
ボーマンは楽しそうに笑った。
「タクマ殿。今の一撃は、実に面白いものでございましたぞ」
「……面白い、ですか?」
「ええ。故郷で学ばれた武術、ハーケン殿から教わった剣術、そして魔法を組み合わせた戦い方。その三つが、見事に一つの動きとなっておりました」
私はその言葉を聞いて、胸が温かくなった。
タクマは、この世界へ来てから随分と多くのことを学んできた。
けれど、彼が積み重ねてきたものは、この世界で得たものだけではない。
故郷で過ごした時間も、剣道を学んだ経験も、決して失われたわけではなかった。
それらが、ハーケンから学んだ剣術と、ボーマンから教わった魔法剣の技術によって、新しい形になったのだ。
タクマは、ボーマンより速くなったわけではない。
剣術の腕で上回ったわけでもない。
けれど、これまでの経験を一つに結びつけ、ほんの一瞬だけ、自分に有利な状況を作り出した。
それが、今回の一撃につながったのだ。
「……でも、もう一回やったら絶対に防がれますよね?」
タクマが苦笑しながら尋ねる。
ボーマンは楽しそうに笑った。
「ほほほ。それはもちろんでございます」
「……ですよね」
「ですが、それでよいのです」
ボーマンは少し真面目な表情になった。
「剣を交える相手が変われば、同じ技が通じるとは限りませぬ。相手の動きも、考え方も、戦い方も違います。大切なのは、目の前の相手に合わせて考え、工夫し続けることでございます」
タクマは深く頷いた。
「……はい!」
ボーマンは満足そうに微笑んだ。
私は二人を眺めながら、何だか胸が温かくなるのを感じていた。
七日間。
タクマは毎日、何度も剣を交え、何度も負け続けた。
それでも諦めずに考え、工夫し、少しずつ前へ進んできた。
その努力が、ようやく形になったのだ。
*
訓練を終えた後、私たちはボーマンのログハウスでお茶をいただくことになった。
タクマは椅子に座ると、ようやく緊張が解けたのか、大きく息を吐いた。
「……疲れたぁ」
「ふふっ。今日は特に頑張ったもんね」
「うん。何か、急に身体が重くなった気がする」
ボーマンが楽しそうに笑う。
「ほほほ。緊張が解けたのでございましょう。今日はゆっくり休まれるとよろしい」
「……そうします」
タクマはお茶を一口飲み、ほっとしたように息を吐いた。
ボーマンはそんな彼を眺めながら、穏やかに口を開いた。
「タクマ殿。剣術の腕前だけで言えば、まだまだ学ぶべきことは多うございます。しかし、魔法を剣術に組み込むという点では、確かな一歩を踏み出されましたな」
「ありがとうございます」
タクマは少し照れくさそうに笑った。
「でも、ハーケンさんに教わったことも大きかったと思います。あの人に基礎を教えてもらってなかったら、たぶん今日の動きもできなかったです」
ボーマンは深く頷いた。
「ええ。ハーケン殿が築かれた基礎があってこその成果でございます。私が教えたのは、その先のほんの一部にすぎませぬ」
私は、その言葉を聞いて少し嬉しくなった。
ボーマンは王宮で長年剣術を教えてきた人だ。剣士としての腕前も、指導者としての経験も、ハーケンとは比べものにならない部分があるだろう。
けれど、ボーマンは決してハーケンの教えを軽んじない。
タクマがこれまで積み重ねてきたものを尊重し、その上に新しい技術を加えようとしてくれているのだ。
「……本当に、ありがとうございました」
タクマが改めて頭を下げた。
ボーマンは穏やかに微笑んだ。
「ほほほ。礼には及びませぬ。私も、久しぶりに楽しい時間を過ごさせていただきましたからな」
そう言ってから、ボーマンは少しだけ真面目な顔になった。
「ただし、タクマ殿」
「はい?」
「本日の一撃は、確かに見事でございました。しかし、それをもって修行が終わったわけではございませんぞ」
「……ですよね」
タクマは苦笑した。
「ほほほ。もちろん、明日からもお付き合いいたしますとも」
「えっ!?」
タクマが驚いた顔をする。
私も思わず笑ってしまった。
「……ボーマン、少しは休ませてあげたら?」
「おや。私はまだまだ元気でございますが」
「ボーマンじゃなくて、タクマの方!」
ボーマンは楽しそうに笑った。
タクマも苦笑しながら頷く。
「……正直、明日はちょっと休みたいです」
「ほほほ。それがよろしいでしょう。身体を休めることも、修行のうちでございますからな」
結局、翌日は休養日にすることになった。
ボーマンはその後も、今日の一撃について色々と話してくれた。タクマも熱心に耳を傾け、時折質問をしている。
私はそんな二人を眺めながら、お茶を飲んでいた。
……本当に、剣の話が好きなのね。
けれど、今日は不思議と退屈しなかった。
タクマが嬉しそうにしているのを見るだけで、私まで楽しくなってしまうのだ。
*
夕方になり、私たちはボーマンのログハウスを後にした。
森の中には、柔らかな夕日が差し込んでいた。木々の間を抜ける風は心地よく、昼間の熱気が少しずつ和らいでいる。
タクマは、帰り道でも今日の一撃について話していた。
「いやぁ、あの時は本当に無我夢中だったなぁ」
「ふふっ。そうなの?」
「うん。ボーマンさんが剣を受け流してくるのは分かってたんだけど、その後どうなるかまでは、正直自信なかったんだ」
「でも、ちゃんと届いたじゃない」
「そうなんだよなぁ」
タクマは嬉しそうに笑った。
「何か、まだ信じられないよ」
「……本当に嬉しそうだね」
「そりゃあ嬉しいよ。七日もかかったんだから」
「ふふっ。頑張ったもんね」
私は笑いながら、タクマの顔を見上げた。
最初の日、彼はボーマンの剣をまともに受けることさえできなかった。
身体強化を使っても、風魔法で加速しても、ボーマンには簡単に対応されてしまう。何度挑んでも届かず、悔しそうに笑っていた。
それでも、タクマは諦めなかった。
教わったことを何度も試し、失敗するたびに考え直し、少しずつ自分のものにしていった。
そして今日、故郷で学んだ剣道と、この世界で身につけた剣術、そして魔法が、初めて一つになった。
私は、その瞬間を見届けることができたのだ。
「……ありがとう、リカ」
不意に、タクマが言った。
「え?」
「色々教えてくれたし、ずっと付き合ってくれただろ。リカがいなかったら、ここまでできなかったと思う」
私は少し驚いた。
確かに、魔法について助言したり、訓練を見学したりはしていた。けれど、実際に剣を振り、何度もボーマンに挑み続けたのはタクマ自身だ。
「……私は、ちょっと助言しただけだよ?」
「それでも助かったんだよ。自分じゃ気づけなかったこともあったし」
タクマは少し照れくさそうに笑った。
「だから、ありがとう」
私はその顔を見て、何だか嬉しくなった。
「……どういたしまして」
そう答えてから、私はタクマの手を取った。
タクマも自然に握り返してくれる。
私たちは並んで、夕暮れの森を歩いていった。
タクマは、また少し強くなった。
けれど、それ以上に嬉しいのは、彼がこの世界で自分の目標を見つけ、少しずつ前へ進んでいることだった。
最初に出会った頃のタクマは、右も左も分からない異世界で、私の助けを必要としていた。魔法も使えず、冒険者としての知識もなく、何をするにも戸惑っていた。
それが今では、自分の力で依頼をこなし、剣術を学び、魔法を使いこなし始めている。
もちろん、まだまだ未熟なところはある。
けれど、彼はもう、ただ私の後ろをついてくるだけの存在ではない。
自分の足で歩き、自分の剣で道を切り開こうとしている。
そして私は、その隣を歩いている。
これから先、どんなことが待っているのかは分からない。冒険者として危険な仕事を引き受けることもあるだろうし、思いがけない問題に巻き込まれることもあるかもしれない。
けれど、今の私たちなら、きっと一緒に乗り越えていける。
そう思えることが、何より嬉しかった。
「……リカ?」
タクマが、少し不思議そうに私を見た。
「どうした? 何か嬉しそうだけど」
「ふふっ。何でもない」
「……そう?」
「うん。ただ、今日はいい日だったなって思っただけ」
タクマは少し考えた後、笑った。
「……そうだな」
私も笑い返した。
夕日が、木々の間から差し込んでいる。
握った手の温もりを感じながら、私たちはゆっくりと家へ向かった。
今日という日は、きっと忘れないだろう。
タクマが初めて、ボーマンに一撃を入れた日。
そして、彼がこれまで積み重ねてきたものを、自分自身の力で一つに結びつけた日。
私は、その隣にいられたことを、心から嬉しく思っていた。




