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脱走王女は自由でありたい  作者: 真部 朝樹
【第3章】異世界人の修行

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第37話 変わり始めたもの


翌朝、いつもの訓練場に到着すると、ボーマンは既に準備を整えて私たちを待っていた。


昨日から使い始めた両手用の木剣が訓練場の端に置かれており、それを見つけたタクマは少し嬉しそうに近づいていく。どうやら、久しぶりに自分の慣れ親しんだ剣術を生かせるようになったことが、よほど楽しかったらしい。


「おはようございます、ボーマンさん。今日もよろしくお願いします」


「おはようございます、タクマ殿。昨日の疲れは残っておられませんかな?」


「腕はちょっと重いですけど、大丈夫です。昨日よりはうまく動けると思います」


タクマはそう言いながら木剣を手に取ろうとしたが、ボーマンは穏やかに片手を上げて制した。


「その前に、少々確認しておきたいことがございます」


「確認、ですか?」


「ええ。昨日の身体強化についてでございます」


ボーマンは私の方へ向き直り、いつもの丁寧な口調で続けた。


「殿下。昨日も少しお尋ねいたしましたが、タクマ殿の魔力について、改めて確認していただけませんでしょうか」


「魔力? 昨日の話?」


「はい。私の思い過ごしであればよろしいのですが、どうにも気になることがございまして」


ボーマンは昨日の訓練を振り返りながら、タクマが身体強化を使った回数と、その後の動きについて説明した。


確かに昨日のタクマは、これまでより長い時間、身体強化を使い続けていた。ただし、それは魔力の使い方が上達した結果だと考えていたし、私自身も特に不思議には思っていなかった。


「うーん……でも、昨日は必要なところだけ強化するようにしたから、消耗が減ったんじゃないかな?」


「無論、その可能性は十分にございます。ただ、最後の立ち合いでも、タクマ殿の動きにはあまり衰えが見られませんでした。魔力の扱いが上達しただけで、あれほど変わるものなのかと」


「なるほどね……」


私は少し考え込んだ。


魔力の制御が上達すれば、同じ魔法を使う際の無駄が減る。それ自体は珍しいことではないし、訓練を積んだ魔法使いなら誰でも経験することだ。


ただ、ボーマンがわざわざ確認を求めてくるということは、単なる訓練の成果として片づけるには気になる部分があったのだろう。


「分かった。じゃあ、今日は先に魔法の確認をしてみようか」


「えっ、剣の訓練は?」


「その後でやればいいでしょ。タクマの魔法がどう変わったのか、私もちょっと興味があるし」


「……なんか、実験台になった気分なんだけど」


「今さらじゃない?」


そう返すと、タクマは苦笑しながら木剣を元の場所へ戻した。


◇


まずは、タクマが覚えている術式を確認することにした。


魔法は、生物が持つ魔核に刻まれた術式を通じて発動する。魔核は肉体のどこかに存在する臓器ではなく、生命に備わった概念的な器官のようなもので、その出力によって扱える魔法の規模が大きく左右される。


同じ術式を使っても、魔核の出力が小さければ大きな効果は得られないし、逆に出力が高ければ、それだけ強力な魔法を扱える可能性がある。ただし、実際の魔法の威力は術式の構造や魔力の制御にも左右されるため、単純に出力が高ければよいというものでもない。


タクマの場合、四元素すべてに適性があるという珍しい特徴を持っていたものの、魔核の出力そのものは極端に小さかった。


だからこそ、私はこれまで初級魔法を中心に教えてきたし、身体強化についても無理のない範囲で使わせるようにしていた。


「じゃあ、まずは簡単な火魔法からやってみようか。いつもの小さな火でいいよ」


「分かった」


タクマは右手を前へ出し、魔法を発動させた。


指先の少し先に、小さな炎が灯る。


以前なら、これだけでも魔力の流れが不安定になることがあったけれど、今は落ち着いている。炎の大きさもほとんど変わらず、タクマ自身も特に苦労している様子はなかった。


「うん、安定してるね。じゃあ、少しずつ大きくしてみて」


「どのくらい?」


「無理のないところまで。出力を上げるのがきつくなったら、そこで止めて」


タクマが頷くと、炎が少しずつ大きくなっていった。


最初は指先ほどだった炎が、やがて手のひらほどの大きさになる。魔力の流れにも大きな乱れはなく、以前より随分と扱いが上手になっていることが分かった。


私はその様子を見ながら、魔力の流れを慎重に確かめていた。


術式そのものに変化はない。魔力の流れ方も自然で、無理に出力を引き上げているような様子は見られなかった。


「……もう少し大きくできる?」


「え? まだ?」


「うん。きつくなければ、もう少しだけ」


タクマは少し首を傾げながらも、言われたとおりに出力を高めた。


炎がさらに大きくなる。


その瞬間、私は思わず目を細めた。


「……あれ?」


「どうした?」


「ううん。ちょっと、そのまま維持してみて」


タクマは炎を保ったまま、こちらを見た。


以前の彼なら、この大きさの炎を維持するだけでも相当な負担がかかっていたはずだ。少なくとも、初めて魔法を教えた頃には、これほどの出力を安定して保つことなどできなかった。


けれど、今のタクマには余裕がある。


「……タクマ、苦しくない?」


「いや、別に。ちょっと魔力使ってるなって感じはするけど」


「そう……」


私はしばらく炎を観察してから、タクマに魔法を止めるよう伝えた。


「どうだった?」


「うん。前より楽になってる気はする」


「そうだよね……」


私は腕を組み、少し考え込んだ。


確かに、魔力の扱いが上達したことで、無駄な消耗が減った可能性はある。以前は術式へ魔力を流すだけでも不安定だったのだから、その部分が改善されれば、同じ出力でも負担は小さくなるだろう。


ただ、それだけで説明できるのだろうか。


「殿下。何か気になることがございましたか?」


ボーマンが静かに尋ねてきた。


「うん。ちょっとね。タクマ、もう一つ試してみてもいい?」


「いいけど、今度は何?」


「前に教えた水魔法。あれを使ってみて」


◇


訓練場の端に置かれた水桶を使い、今度は水魔法の確認を始めた。


タクマが覚えているのは、水を生み出す簡単な術式だ。生活魔法としても広く使われているもので、魔法の練習にはちょうどいい。


私は空になった桶を指し示し、以前と同じように水を出してみるよう伝えた。


「最初は少しずつでいいからね」


「了解」


タクマが魔法を発動させると、手のひらの先から細い水の流れが生まれ、桶の中へ落ち始めた。


最初は以前と大差のない量だったけれど、私が少しずつ出力を上げるよう指示すると、水の勢いも次第に強くなっていった。


「……まだいける?」


「うん。大丈夫」


「じゃあ、もう少し」


タクマがさらに出力を高めると、水の流れが太くなった。


桶の底を打つ水音が大きくなり、あっという間に水位が上がっていく。


「……ちょっと待って」


「えっ?」


「一回止めて」


タクマが魔法を止めると、水の流れが途切れた。


私は桶の中を覗き込み、それからタクマの顔を見た。


「……今の、結構きつかった?」


「いや、そこまででもないけど。なんか変だった?」


「うん。ちょっとね」


私は以前、タクマに水魔法を教えたときのことを思い出していた。


あの頃の彼は、魔力の流れを安定させることにも苦労していたし、出せる水の量にも明確な限界があった。何度か繰り返してみても、一定以上の出力を引き出すことはできなかったのだ。


ところが、今のタクマはその限界を明らかに超えている。


もちろん、当時は魔力の制御が未熟だった。だから、単純に以前と比較するだけでは、魔核の出力そのものが変わったとは言い切れない。


それでも、気になることがあった。


今のタクマは、魔力の流れを整えるために無理をしていない。術式への供給も安定しており、魔力が余計なところへ漏れている様子もなかった。


それなのに、以前よりも大きな出力を引き出している。


「……タクマ、もう一回やってみて」


「いいけど、今度はどのくらい?」


「さっきと同じくらい。ただし、無理に出力を上げようとしなくていいから」


タクマは頷き、再び水魔法を発動させた。


水の流れは先ほどとほとんど変わらない勢いで桶へ注がれ、魔力の流れも安定している。私はその状態をしばらく観察してから、ようやく魔法を止めるよう伝えた。


「……なるほどね」


「リカ?」


タクマが不思議そうにこちらを見ている。


私は腕を組んだまま、少し考え込んだ。


同じ術式を使い、同じように出力を高めても、以前の限界を超えることができている。それも、無理に魔力を引き出している様子はない。


魔力の制御が上達しただけなら、同じ魔法をより少ない負担で使えるようになることはある。けれど、今のタクマは、それまで引き出せなかったはずの出力を、ごく自然に扱っているのだ。


「……ボーマン」


「はい、殿下」


「昨日の違和感、たぶん正しかったと思う」


ボーマンは静かに頷いた。


「と申しますと?」


「タクマの魔核、出力そのものが上がってる」


その言葉に、タクマが目を丸くした。


「……え?」


◇


「えっと、それって……いいことなんじゃないの?」


私の説明を聞いたタクマは、しばらく考え込んだ後、そんなことを言った。


「普通なら、そうなんだけど……」


「なんか歯切れ悪いな」


「だって、普通じゃないんだもん」


私は少し困ったように笑いながら、改めて説明を始めた。


魔核の出力は、生まれ持った資質によって大きく左右される。もちろん、成長とともに多少の変化が見られることはあるし、訓練によって魔力の制御が上達すれば、以前より強力な魔法を使えるようになることもある。


けれど、魔核そのものの出力が、短期間で明確に増大するという話は聞いたことがなかった。


「魔法学院でも、魔核の出力については色々勉強したけどね。基本的には、生まれ持った出力をどう生かすかって話になるんだよ」


「じゃあ、俺の場合は?」


「少なくとも、以前より出力が上がってるのは確かだと思う。火魔法も水魔法も、前はあそこまで出せなかったし、今の魔力の流れを見ても、無理をしてる感じがしないから」


タクマは自分の手を見つめた。


「……へえ。なんか、すごいな」


「いや、もうちょっと驚いてもいいと思うんだけど」


「だって、強くなれるってことだろ?」


「まあ、そうなんだけど……」


私は思わず苦笑してしまった。


タクマにとっては、魔核の出力が上がることそのものより、それによって何ができるようになるかの方が重要なのだろう。


確かに、これまで彼は魔力の出力不足に悩まされてきた。四元素すべてに適性があるにもかかわらず、使える魔法は限られていたし、身体強化についても、長時間使い続けることは難しかった。


それが改善されるのなら、喜びたくなる気持ちは分かる。


「殿下。原因について、何かお心当たりはございますか?」


ボーマンの問いかけに、私は少し考え込んだ。


「うーん……正直、分からない。でも、一つだけ思いつくことはあるかな」


「と申しますと?」


「タクマが、この世界の人間じゃないってこと」


タクマが顔を上げた。


「俺が異世界から来たこと?」


「うん。タクマのいた日本には、魔法がなかったんでしょ?」


「少なくとも、俺が知ってる限りではね」


「だったら、こっちの世界に来たばかりの頃は、魔核が周囲の魔力環境に馴染んでなかった可能性もあると思うんだ」


私は自分の考えを整理しながら、ゆっくりと言葉を続けた。


魔核は生物に備わった概念的な器官であり、その働きについては、まだ分かっていないことも多い。特に、魔法が存在しない世界から来た人間の魔核がどうなるのかなど、少なくとも私は研究例を知らなかった。


もし、タクマがこの世界に来た直後には、周囲の魔力環境に十分適応できていなかったのだとしたら。


そして、こちらで生活し、魔法を使い続けるうちに、少しずつその環境に馴染んできたのだとしたら。


魔核の出力が変化していることにも、何らかの説明がつくかもしれない。


「……つまり、今になって慣れてきたってこと?」


「そういう可能性もあるかなって。もちろん、証明できるわけじゃないし、そもそも魔核が環境に適応するなんて話、聞いたこともないんだけどね」


タクマはしばらく考え込んでから、妙に納得したように頷いた。


「なるほど。俺の体、まだこっちの世界に引っ越し中だったのか」


「……ふふっ。そういうことかもね」


「引っ越しって、結構時間かかるんだな」


「そりゃあ、世界そのものが違うんだからね」


そう返すと、タクマも笑った。


隣ではボーマンが静かに考え込んでいる。


「異なる世界から来た人間の魔核……確かに、前例のないことでございますな」


「うん。だから、今のところは仮説でしかないよ。ただ、タクマの魔核が変化していること自体は、ほぼ間違いないと思う」


「であれば、今後の訓練でも注意深く観察する必要がございましょう」


「そうだね。少なくとも、しばらくは無理に出力を上げない方がいいと思う」


タクマは少し残念そうな顔をした。


「えっ、せっかく強くなれそうなのに?」


「だからこそだよ。原因が分からないんだから、慎重にやらないと」


「……はい」


素直に頷くタクマを見て、私は少し安心した。


彼は自分のこととなると、時々妙に楽観的になる。危険な依頼に挑戦するときは慎重なくせに、こういう話になると、できることが増える方にばかり目が向いてしまうらしい。


もっとも、私だって興味がないわけではなかった。


むしろ、魔法について学んできた身としては、これほど興味深い現象もそうそうない。


魔核の出力が変化するというだけでも珍しいのに、それが異世界から来た人間に起きているのだ。原因を調べてみたいという気持ちは、正直なところ、かなり強かった。


私はしばらく考えた後、ふと思いついて顔を上げた。


「……うーん。ちょっと中級レベルの術式、試してみようか」


「……え?」


タクマが目を丸くした。


◇


「中級って……俺が?」


「うん。今のタクマなら、発動できるかもしれない」


「でも、前は魔力が足りないって言ってなかった?」


「だから、試してみたいんだよ。もちろん、いきなり使うわけじゃないけどね」


私はそう説明しながら、頭の中でいくつかの術式を思い浮かべた。


中級魔法といっても、その種類は様々だ。初級魔法より複雑な術式を必要とするものもあれば、比較的単純な構造でありながら、一定以上の魔核出力がなければ十分な効果を得られないものもある。


今回確かめたいのは、後者だった。


タクマの魔核がどの程度変化しているのかを調べるなら、これまで出力不足で使えなかった魔法を試すのが分かりやすい。


「まずは火魔法がいいかな。タクマも使い慣れてるし、術式の扱い方も分かってるでしょ?」


「まあ、火を出すくらいならね」


「じゃあ、ちょっと待ってて」


そう言いかけて、私は荷物の中を覗き込んだ。


普段使っている魔法書は何冊か持ってきているけれど、中級魔法の術式が載っているものは家に置いてきてしまっていた。昨日まで剣術の訓練が中心だったのだから、わざわざ持ってくる必要もなかったのだ。


「……あ、そうだ。中級の魔法書、家に置いてきちゃった」


「じゃあ、今日は無理か?」


「うーん……取りに帰るのも面倒だなあ」


訓練場から家までは、それほど遠いわけではない。それでも、往復するとなればそれなりに時間がかかるし、せっかくここまで話が進んだところで中断するのも惜しかった。


私は少し考えてから、ふと思いついた。


「……まあ、いいか。魔法陣でやれば」


「魔法陣?」


「うん。術式を直接転写する方法があるんだよ。魔法書を使わなくても、魔法陣を描けば覚えさせることができるの」


タクマは少し驚いたように目を丸くした。


「そんな便利な方法があるなら、最初からそれで教えてくれればよかったのに」


「いや、あれ結構面倒なんだよ。魔法陣を描くのって、普通の魔法を使うのとは全然違うから」


魔法陣による術式転写は、魔法書を使った習得とは仕組みが異なる。


魔法書の場合、古代魔法文字を読み進めることで、そこに記された術式が魔核へ刻まれる。文字の意味を理解する必要はなく、正しく読み進めるだけで術式を習得できるという、考えてみれば不思議な方法だ。


一方、魔法陣による転写は、術式の構造を理解したうえで、それを魔法陣として再現しなければならない。魔力の流れや術式の接続を正確に組み立てる必要があり、少しでも構造を間違えれば正常に転写できない。


そのため、魔法陣を描ける魔法使いは決して多くない。一般的には上級以上の実力を持つ者でなければ扱えない技術であり、魔法陣による術式転写を行える者は、特に「導師」と呼ばれることもある。


私も魔法学院で習得した技術だけれど、卒業してからは使う機会がほとんどなかった。


「……学園以来だから、ちゃんと描けるかな」


「えっ、そんな久しぶりなの?」


「うん。魔法書があれば済むことだし、わざわざ魔法陣を描く必要もなかったからね」


私は訓練場の地面を見渡し、比較的平らな場所を選んだ。


魔法陣を描くためには、術式の構造を正確に再現する必要がある。今回は中級火魔法の転写だから、それほど複雑なものではないけれど、久しぶりなので少し慎重に進めた方がいいだろう。


私は地面にしゃがみ込み、指先に魔力を集めた。


頭の中で術式の構造を思い浮かべながら、地面へ魔力を流していく。淡い光の線が指先を追うように伸び、円形の輪郭を描いたところで、その内側へ古代魔法文字と術式を結ぶ線を加えていった。


魔法陣を描く作業は、単に図形を写すこととは違う。それぞれの線が魔力の流れを表し、文字や記号が術式の働きを定めているため、構造を理解していなければ正しく組み立てることはできない。


私は記憶をたどりながら、一つずつ線をつないでいった。


「えっと……ここが出力制御で、こっちが炎の形成……だったよね」


最後の線をつなぐと、魔法陣全体が一瞬だけ淡く光った。


「……あ、できた」


「……え?」


タクマが間の抜けた声を上げた。


「いや、今ので完成?」


「うん。ちゃんとできたみたい」


「さっき、久しぶりだから自信ないって言ってなかった?」


「言ったけど、やってみたら意外と覚えてたね」


そう答えると、タクマは何とも言えない表情で私を見つめた。


「……リカって、やっぱりすごいんだな」


「え? 何が?」


「いや、なんでもない」


首を傾げる私の横で、ボーマンが小さく笑っていた。


「さすがは殿下。魔法学院で修められた技術は、今も健在のようですな」


「そんな大したことじゃないよ。中級の術式だし、構造もそんなに複雑じゃないから」


「……左様でございますか」


ボーマンはそれ以上何も言わなかったけれど、なぜか少し楽しそうだった。


私は気を取り直し、タクマを魔法陣の中央へ呼んだ。


「じゃあ、そこに立って。これから術式を転写するから、魔力の流れに逆らわないようにしてね」


「分かった。何かすることある?」


「特にないよ。普通に立っててくれれば大丈夫」


タクマが魔法陣の中央へ立つと、私は外側から魔力を流し込んだ。


地面に描かれた線が淡く輝き、古代魔法文字が順番に光を帯びていく。魔法陣の内側を巡った魔力は、やがて中央に立つタクマへ向かって集まり、その体を包み込むように流れ始めた。


術式の転写そのものは、それほど時間のかかるものではない。魔法陣に組み込まれた構造が、対象者の魔核へ刻まれていくのを確認しながら、私は慎重に魔力を流し続けた。


やがて魔法陣の光が静かに収まり、転写が完了したことを知らせた。


「……うん。成功したよ」


「おお……なんか、すごかったな」


タクマは自分の体を見下ろしながら、少し驚いたように呟いた。


「魔法書で覚えたときとは、全然違う感じがした」


「そりゃそうだよ。魔法書は自分で術式を読み取るけど、魔法陣は外から直接転写するからね」


「なるほど……」


タクマは感心したように頷いていたが、やがて何かを思い出したように顔を上げた。


「で、これでもう中級魔法が使えるのか?」


「術式は覚えられたよ。でも、ちゃんと発動できるかどうかは別の話だからね」


「そっか。じゃあ、試してみてもいい?」


「駄目」


「即答!?」


「当たり前でしょ。今日は魔核の出力が変わってるって分かったばかりなんだから、いきなり中級魔法なんて使わせられないよ」


私は少し呆れながら、タクマの額を指で軽くつついた。


「明日、ちゃんと準備してから試そう。出力もできるだけ抑えて、少しずつ確認するから」


「……はい」


素直に頷いたタクマを見て、私は満足した。


中級火魔法は、初級の火魔法よりも大きな炎を生み出すことができる術式だ。魔核の出力が十分でなければ正常に発動しないけれど、逆に出力が高ければ、それだけ大きな炎を生み出すこともできる。


だからこそ、今のタクマがどの程度の出力を扱えるのか、慎重に確かめる必要があった。


「では、明日はその術式の確認から始めることにいたしましょう」


ボーマンがそう言うと、タクマは嬉しそうに頷いた。


「よろしくお願いします!」


その表情を見ていると、私まで少し楽しみになってくる。


もちろん、魔核の変化については慎重に調べる必要があるし、原因が分からない以上、無理をさせるつもりもない。


それでも、タクマが新しい魔法を使えるようになるかもしれないというのは、素直に嬉しいことだった。


◇


その日の帰り道、タクマはいつになく上機嫌だった。


「いやあ、まさか中級魔法を覚えられる日が来るとはなあ」


「まだ使えるって決まったわけじゃないからね?」


「分かってるよ。でも、前は絶対無理って感じだったじゃん」


「絶対とは言ってないけど、まあ、難しいとは思ってたね」


タクマは自分の手を見つめながら、少し嬉しそうに笑った。


「なんか、ちょっとずつだけど、できることが増えてる気がする」


「実際、増えてると思うよ。剣術もそうだし、魔法だって随分上達してるから」


「そう言ってもらえると嬉しいな」


そう答えるタクマの横顔を見ながら、私は今日の出来事を思い返していた。


魔核の出力が上がるというのは、魔法を学んできた私にとっても、簡単には信じられない現象だった。魔法学院では、魔核の出力は生まれ持った資質によって大きく決まると教わってきたし、実際に私が見てきた魔法使いたちも、その限界の中で技術を磨いていた。


だからこそ、タクマの変化は興味深い。


異世界から来たことが原因なのか、それとも別の何かが関係しているのか。今の私には、まだ答えを出すことができなかった。


ただ、少なくとも一つだけ確かなことがある。


タクマは、この世界に来たときと同じではなくなっている。


もちろん、それは魔核の出力だけの話ではない。剣術を学び、魔法を覚え、冒険者として様々な経験を積む中で、彼は少しずつこの世界に馴染んできた。


昨日、ボーマンが見つけてくれた剣道の技術も、今日確認した魔核の変化も、きっとその一部なのだろう。


「……ねえ、タクマ」


「ん?」


「明日、楽しみだね」


私がそう言うと、タクマは少し驚いたような顔をした後、嬉しそうに笑った。


「うん。俺も楽しみだ」


その笑顔を見て、私も自然と笑みがこぼれた。


明日、タクマがどんな魔法を見せてくれるのか。今の私には、まだ想像もつかなかった。


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