第40話 休日の代償
冒険者ギルドの酒場は、夕食時を迎えていつも以上に賑わっていた。
依頼を終えた冒険者たちが思い思いに席を囲み、今日の成果を語り合っている。あちこちで杯が触れ合う音が響き、料理を運ぶ店員たちが忙しそうにテーブルの間を行き来していた。焼いた肉の香ばしい匂いと、香草を使った煮込み料理の匂いが混ざり合い、朝から街を歩き回っていた私のお腹を容赦なく刺激する。
今日は久しぶりの休日だった。
もっとも、休みなのは主にタクマの修行の方で、私は普段から比較的自由に過ごしている。それでも、朝から二人で街へ出かけ、懐かしい人たちに会い、新しい剣を選ぶという一日は、私にとっても十分に特別なものだった。
そして、その締めくくりがこれから始まる。
「おーい! リカ、タクマ! こっちだ!」
聞き慣れた声に顔を向けると、酒場の奥でフリーダが大きく手を振っていた。向かいにはクルシュが座っていて、私たちに気づくと穏やかに微笑んだ。
二人の前にはすでに杯が置かれている。クルシュのものはほとんど減っていないけれど、フリーダの杯は半分ほど空になっていた。
「お待たせ!」
「おう! 遅かったじゃねえか!」
「まだ約束の時間前だよ?」
「細けえことは気にすんな!」
「フリーダさんが勝手に飲み始めただけですよ」
クルシュが苦笑しながら補足した。
「二人が来るまで待ちましょうって言ったんですけど、我慢できなかったみたいで」
「ちゃんと待ってただろ。ここで」
「お酒の方は待ってくれなかったようですけどね」
「うるせえなあ。せっかくの酒がまずくなるだろ」
そんなやり取りを聞きながら、私は笑って椅子に腰を下ろした。タクマも隣へ座り、背負っていた新しい剣を外して、邪魔にならないよう壁際へ立てかける。
すると、さっそくフリーダが目を輝かせた。
「おっ、それが今日買った剣か?」
「はい。バルグリムさんの店で買ってきました」
「へえ! ちょっと見せてみろよ」
タクマが鞘に収めたまま剣を差し出すと、フリーダはそれを受け取り、重さを確かめるように軽く持ち上げた。
「……ほう。なかなかいいじゃねえか」
「ミスリルを使った合金らしいです。魔法を通すことも考えて選びました」
「なるほどな。そりゃ奮発しただろ」
フリーダがにやりと笑う。
タクマは少し困ったような顔になった。
「……正直、値段を聞いた時は驚きました」
「ははっ! だろうな!」
「でも、リカが買ってくれて……」
「ほう?」
フリーダの視線が私へ向いた。
「お前、ずいぶん気前がいいじゃねえか」
「だって、タクマが使う剣だよ? ちゃんとしたものを選びたいじゃない」
「へえへえ。ごちそうさま」
「……何でそうなるの?」
「いやあ、愛されてるなあと思ってよ」
タクマが照れくさそうに笑ったので、私まで少し恥ずかしくなった。
けれど、別におかしなことを言ったつもりはない。武器は冒険者にとって命を預ける道具だし、ましてタクマはこれから魔法と剣術を組み合わせようとしている。必要な性能を備えた剣を選ぶのは当然だと思う。
……まあ、彼に喜んでほしかったという気持ちも、もちろんあるけれど。
「それにね! タクマ、今日ハーケンと手合わせしたんだよ!」
私は話したくて仕方がなかったことを思い出し、身を乗り出した。
「おっ、そうなのか?」
「はい。久しぶりに相手をしてもらいました」
「で、どうだった?」
「最後は負けましたけど……」
タクマが答えると、フリーダは大きく頷いた。
「そりゃそうだろ。あのおっさん、伊達に長年剣を教えてねえからな」
「でもね!」
私は我慢できずに割って入った。
「最後はハーケンもかなり本気だったんだから! しかも、剣の腕だけならもうB級冒険者にも負けないって言ってくれたんだよ!」
「……マジかよ」
フリーダの表情が変わった。
クルシュも驚いたようにタクマを見る。
「それはすごいですね。以前、一緒に灰狼の討伐へ行った時も上達していると思いましたけど、さらに腕を上げたんですね」
「ありがとうございます。でも、まだまだですよ。ボーマンさんには毎日できないことばかり教わってますし、今日も最後はハーケンさんにきっちり一本取られましたから」
「そりゃ、相手が悪いってもんだ」
フリーダは笑いながら剣を返した。
「だが、ハーケンがそこまで言うなら本物だろうな。あいつ、弟子の評価に関しちゃ結構厳しいからよ」
「そうなんですか?」
「おう。アタシも昔、散々しごかれたもんだ」
私は思わず目を丸くした。
「えっ、フリーダもハーケンに教わってたの?」
「そりゃな。槍と剣じゃ違うところもあるけど、足の運びや間合いの取り方なんかは共通してるだろ? 冒険者になりたての頃は、あのおっさんによく怒鳴られたぜ」
「……何となく想像できるね」
「何だよ、その顔は!」
フリーダが笑いながら私の額を小突く。
クルシュも微笑んでいた。
「でも、タクマさんがそこまで上達したなら、次に一緒に依頼を受けるのが楽しみですね」
「はい。俺も、また皆さんと一緒に仕事ができたら嬉しいです」
「おう! その時は頼りにしてるぜ!」
フリーダは満足そうに頷くと、勢いよく杯を掲げた。
「よし! タクマの成長祝いだ! 乾杯しようぜ!」
「さっきからもう飲んでるじゃないですか」
「細けえこと言うなって!」
クルシュの呆れた声を聞きながら、私たちは笑って杯を合わせた。
冷えた酒が喉を通り、心地よい苦みが口の中に広がる。
久しぶりに仲間たちと飲む一杯は、やっぱり格別だった。
◇
料理が運ばれてくる頃には、テーブルの上もずいぶん賑やかになっていた。
香ばしく焼き上げた肉の盛り合わせに、野菜と豆を煮込んだ料理。薄く切ったパンには香草入りのバターが添えられ、中央には大きなチーズの皿も置かれている。フリーダは真っ先に肉へ手を伸ばし、クルシュから野菜も食べるよう注意されていた。
「ちゃんと食ってるだろ」
「お肉ばかりじゃないですか」
「野菜はあとで食うんだよ」
「さっきもそう言ってましたよね」
私は思わず笑ってしまった。
「クルシュって、フリーダのお母さんみたいだね」
「おい!」
「そうですか? 私はもう少し言うことを聞いてもらえると思っていたんですけど」
「クルシュまで乗るな!」
フリーダが不満そうに言うと、クルシュは何事もなかったように自分の皿へ野菜を取り分けた。
その自然なやり取りがおかしくて、私はまた笑ってしまう。
こうして四人でゆっくり飲むのは久しぶりだったけれど、話題が途切れることはなかった。最近受けた依頼の話や、ギルドで起きたちょっとした騒動。フリーダが勢いよく話を盛り、クルシュが横から訂正するたび、タクマも楽しそうに笑っていた。
やがて、話題は私たちの暮らしへ移っていった。
「そういや、お前ら、今も森の家で一緒に暮らしてるんだろ?」
「うん。もちろん!」
「修行も毎日か?」
「タクマはね。私は自分の魔法の研究をしたり、家のことをしたりしてるよ」
「へえ。じゃあ、タクマが修行してる間は暇なんじゃねえか?」
「そんなことないよ! 私だっていろいろ忙しいんだから!」
「例えば?」
「えっと……魔法の研究とか、家の掃除とか、お料理とか……」
「……それ、さっきも言ってなかったか?」
「言ってない!」
「言ってましたよ」
クルシュが穏やかに指摘する。
「もう! 二人とも!」
私が頬を膨らませると、フリーダは楽しそうに笑った。
「まあ、いいじゃねえか。好きな男と一緒に暮らして、のんびりできる時間があるんだろ? 羨ましい話だぜ」
「のんびりばっかりじゃないよ? タクマ、最近すごく頑張ってるから、帰ってくると疲れてることも多いし。そういう時は私がちゃんとご飯を作ってあげたりするんだよ」
「ほうほう」
「でもね、タクマも優しいんだよ。私が疲れてる時は、代わりにいろいろやってくれるし」
話しているうちに、何だか嬉しくなってきた。
タクマと暮らし始めたばかりの頃は、私が何でも教えてあげるつもりだった。けれど、今では料理も掃除も、彼が進んで手伝ってくれる。こちらの生活にもすっかり慣れ、私が何も言わなくても必要なことを考えて動いてくれるようになった。
それは、とてもありがたいことだった。
そして、何より。
「それに最近、身体つきもすごく変わってきてね!」
「……リカ」
隣から、タクマの少し困ったような声が聞こえた。
けれど、私は構わず続けた。
「肩とか腕とか、前よりずっとしっかりしてるの! 今朝も見てたんだけど、本当にすごくいい感じで!」
「……今朝?」
フリーダがにやりと笑った。
……あ。
しまった。
「おいおい、朝から何やってたんだ?」
「ち、違うよ! ただ見てただけ!」
「何を?」
「タクマの身体!」
「……リカ!」
タクマが顔を覆った。
フリーダは腹を抱えて笑い出した。
「はははっ! お前、隠す気ねえだろ!」
「だ、だって本当のことだもん!」
「そういう問題じゃねえって!」
クルシュまで肩を震わせている。
私は恥ずかしくなって、杯を持ち上げた。
「もう! この話は終わり!」
「おう、そうだな。じゃあ次は、クルシュの話でもするか!」
「……私ですか?」
クルシュが顔を上げた。
フリーダはにやりと笑う。
「お前、普段は涼しい顔してるけど、結構意地悪なところあるよな」
「そうですか?」
「そうだよ! この前だって……」
「フリーダさん」
クルシュが静かに微笑んだ。
「その話をするなら、私もいろいろお話しすることがありますよ?」
「…………」
フリーダが黙った。
私は思わず身を乗り出した。
「えっ!? なになに!? 何の話!?」
「いや、何でもねえ!」
「えー! 気になる!」
「気にすんな!」
クルシュは涼しい顔でお茶を飲んでいる。
……なるほど。
フリーダも、クルシュには敵わない時があるらしい。
◇
しばらくして、酒場の入口から聞き慣れた声がした。
「お待たせー!」
振り返ると、エリナがこちらへ歩いてくるところだった。
受付の仕事を終えたらしく、いつもの制服ではなく、少しくだけた服装に着替えている。彼女は私たちを見つけると笑顔になり、空いていた椅子へ腰を下ろした。
「やっと終わった! まだ飲んでる?」
「おう! 待ってたぜ!」
「フリーダは待たずに飲んでたけどね」
「リカ、お前まで言うなよ!」
エリナは笑いながら店員を呼び、酒を注文した。
「それで? 何の話してたの?」
「恋人同士の秘密!」
私が答えると、タクマがむせた。
「リカ!?」
「何よ、それ。面白そうじゃない」
エリナが目を輝かせる。
「ちょっと聞かせてよ」
「いや、聞かなくていいから!」
タクマの抗議を無視して、フリーダがさっきまでの話を面白おかしく説明し始めた。
もちろん、私がタクマの身体を眺めていた話も含まれている。
「ちょっと! そこは言わなくていいでしょ!」
「自分で言ったんだろ!」
「そうだけど!」
エリナは笑いながら私を見た。
「リカって、ほんと分かりやすいわねえ」
「そんなことないもん!」
「あるわよ。タクマの話になると、すぐ顔が変わるんだから」
「……そうかな?」
「そうよ」
私は少し考えた。
……まあ、否定はできないかもしれない。
タクマのことを話していると、自然と楽しくなってしまうのだから。
そんなやり取りをしているうちに、タクマがふとエリナへ尋ねた。
「そういえば、エリナって彼氏いないの?」
その瞬間、フリーダの杯が止まった。
クルシュがそっと視線を逸らし、私は思わずタクマの顔を見た。本人は純粋に疑問を口にしただけらしく、周囲の変化にまったく気づいていない。
……あ。
踏んだ。
今、確実に何かを踏んだ。
「……タクマ」
「ん?」
「それ、聞いちゃ駄目なやつ」
「えっ!?」
エリナは笑顔のまま、ゆっくりとタクマへ顔を向けた。
「……タクマ」
「は、はい」
「ちょっと聞いてくれる?」
その声は妙に穏やかだった。
タクマの背筋が伸びる。フリーダは肩を震わせているし、クルシュは何も言わず、静かに杯を置いた。
……ああ。
これは長くなるやつだ。
◇
「まずね」
エリナは杯をテーブルへ置き、指を一本立てた。
「ギルドの受付職員は、冒険者と恋愛関係になることを禁止されてるの」
「……え?」
タクマが驚いたように目を丸くした。
「そうなの?」
「そう。かなり厳しい規則よ。もちろん、恋愛そのものが禁止されてるわけじゃないわ。相手が冒険者じゃなければ問題ないし、冒険者と付き合いたいなら、受付の仕事を続けられなくなることも覚悟しなきゃいけないってこと」
私は小さく頷いた。
この話は以前から知っている。
ギルドの受付職員は冒険者と接する機会が多い。依頼の紹介から報酬の支払い、時には冒険者同士の揉め事の仲裁まで、その仕事は幅広い。だからこそ、特定の冒険者と個人的に親しくなりすぎることには、いろいろな問題があるのだ。
ただ、その理由は単なる職場の風紀の問題ではない。
「冒険者ってね、普通に死ぬのよ」
エリナは、あっさりと言った。
けれど、その言葉には妙な重みがあった。
「昨日まで元気に話してた人が、今日になって帰ってこないことなんて珍しくないの。依頼の内容によっては、遺体すら見つからないこともある」
タクマの表情が少し変わった。
私も黙って耳を傾ける。
「もし、その人が自分の恋人だったらどうなると思う?」
「……つらい、だろうね」
「そう。つらいの。でもね、それだけじゃ済まないのよ」
エリナは小さく息を吐いた。
「私たちは、帰ってこない冒険者の情報を確認する側なの。依頼の期限が過ぎれば状況を調べるし、場合によっては死亡の報告を受けることもある。そういう仕事をしてるのに、自分の恋人の名前が報告書に載ってたら……」
そこで、エリナは言葉を切った。
私は何も言えなかった。
冒険者として危険な依頼を受けることは、私にとって日常の一部だ。魔獣と戦うことも、危険な場所へ踏み込むことも、自分の意思で選んだ仕事なのだから、ある程度は覚悟している。
けれど、ギルドの職員はその危険を別の形で受け止めている。
彼女たちは剣を握らないし、魔獣と直接戦うわけでもない。それでも、依頼に出た冒険者が帰ってくるかどうかを待ち、時には帰らなかった人の記録を整理しなければならない。
危険な仕事をしている本人とは違い、ただ待つことしかできない時間もあるのだろう。
もし、その相手が自分の恋人だったら。
私は思わず、隣のタクマを見た。
彼が危険な依頼へ出ている間、私はどんな気持ちで待つのだろう。実際には私も冒険者だから、一緒に行くという選択肢はある。けれど、いつでもそうできるとは限らない。
その時、ただ無事を祈ることしかできなかったら。
……きっと、ものすごく怖い。
「それにね、恋人が冒険者だと、仕事にも影響が出るのよ」
エリナは指をもう一本立てた。
「危険な依頼を紹介したくなくなるでしょ? 逆に、恋人の前で格好をつけたくて、無理な依頼を受ける冒険者だっているかもしれない」
「……なるほど」
「特別扱いを疑われたら、他の冒険者との間で揉め事になるし。もし恋人が死んじゃったら、受付の仕事を続けられなくなる人だっていると思う」
エリナは少しだけ困ったように笑った。
「だから、禁止されてるの。別に冒険者が嫌いなわけじゃないのよ。むしろ、毎日顔を合わせてるからこそ、みんなには無事に帰ってきてほしいと思ってる」
その言葉を聞きながら、私は胸の奥が少し温かくなるのを感じていた。
エリナはいつも明るい。
受付で私たちを迎える時も、冗談を言う時も、仕事の話をする時も、彼女は笑顔を絶やさない。けれど、その笑顔の裏では、きっといろいろなものを見てきたのだろう。
帰ってこなかった冒険者。
仲間を失って泣く人。
無事に戻ってきたことを喜び合う人たち。
そうした出来事の一つ一つに、受付職員として向き合ってきたはずだ。
「……ごめん」
タクマが静かに言った。
「そんな事情があるなんて知らなかった。軽く聞いちゃって悪かったよ」
エリナは少し驚いたように目を丸くした。
それから、ふっと笑った。
「いいのよ。知らなきゃ分からないもの。それに、こういう話をする機会って意外とないからね」
「……そっか」
タクマが少し安心したように笑った。
すると、エリナは杯を持ち上げ、にやりと笑った。
「……まあ、彼氏がいない理由は、それだけじゃないんだけどね」
「……え?」
タクマが顔を上げた。
フリーダが吹き出した。
「ははっ! 出たぞ!」
「……まだあるの?」
私が尋ねると、エリナは大きく頷いた。
「あるわよ! むしろ、こっちの方が深刻かもしれないわ!」
◇
「毎日あれだけ冒険者を見てるとね、男を見る目が嫌でも肥えちゃうのよ!」
エリナは力強く言い切った。
タクマが首を傾げる。
「……そういうもの?」
「そういうものなの!」
エリナは身を乗り出した。
「最初はね、格好いい冒険者に憧れたことだってあったのよ。強くて、頼りがいがあって、危険な依頼から仲間を守って帰ってくる。そういう人って、やっぱり素敵じゃない?」
「うん。分かる気がする」
「でもね!」
エリナは指を立てた。
「仕事をしてると、そういう人の裏側まで見えちゃうのよ!」
「……裏側?」
「そう!」
彼女は勢いよく頷いた。
「腕は立つのに、報酬を全部お酒と賭け事に使っちゃう人! 仲間の前では偉そうなのに、受付では文句ばっかり言う人! 女の子には優しいくせに、格下の冒険者には横柄な人!」
フリーダが腹を抱えて笑い出した。
「はははっ! いるいる! そういう奴!」
「いるでしょ!? もうね、何人見てきたか分からないわよ!」
エリナは杯を持ち上げ、一口飲んだ。
「しかも、失敗した時の言い訳まで全部聞くのよ! 依頼の期限を守れなかった理由とか、仲間と喧嘩した理由とか、報酬が少ないって文句とか!」
「……大変だね」
タクマがしみじみと言った。
「大変なのよ!」
エリナは大きく頷いた。
「だから、顔がいいとか、強いとか、それだけじゃ駄目なの。ちゃんと仕事をして、約束を守って、仲間を大切にできる人じゃないと」
クルシュが穏やかに微笑んだ。
「確かに、受付のお仕事をしていると、その人の本質が見えてしまうんでしょうね」
「そうなの! もうちょっと夢を見させてほしいわ!」
フリーダが笑いながら杯を掲げた。
「そりゃ男を見る目も厳しくなるわな!」
「厳しくもなるわよ!」
私は思わず笑ってしまった。
エリナがここまで熱弁するところは、あまり見たことがない。
普段は明るくて、誰にでも気さくに接する彼女だけれど、仕事では相当いろいろな苦労をしているのだろう。
「じゃあ、エリナの理想の人ってどんな人?」
私が尋ねると、彼女は少し考えた。
「そうねえ……」
エリナは杯を指先で回しながら、ゆっくりと言葉を選んだ。
「ちゃんと働いて、嘘をつかなくて、人の話を聞いてくれて、危ないことをする時はちゃんと相談してくれる人、かな」
「……それ、普通じゃない?」
私が言うと、エリナは真顔になった。
「リカ」
「ん?」
「普通ってね、意外と貴重なのよ」
「…………」
私は思わず黙った。
何だろう。
今の言葉には、妙な説得力があった。
フリーダがにやりと笑う。
「何だよ。それじゃタクマみたいな奴がいいんじゃねえか?」
「……え?」
タクマが顔を上げた。
エリナは彼を見て、少し考えるような仕草をした。
「そうね。タクマみたいな人なら、ちょっと考えちゃうかも」
「……えっ!?」
私は思わずタクマの腕にしがみついた。
「駄目!」
エリナが吹き出した。
「冗談よ、冗談!」
「タクマは駄目だからね!」
「分かってるわよ! そんなに警戒しなくても取らないって!」
フリーダが大笑いしている。
「はははっ! リカ、顔が本気だぞ!」
「だって!」
私はタクマの腕をぎゅっと抱きしめた。
タクマは困ったように笑っている。
「リカ、大丈夫だって」
「……本当?」
「本当」
「……じゃあ、いい」
私は少しだけ腕の力を緩めた。
すると、エリナが楽しそうに笑った。
「ほんと、リカって分かりやすいわねえ」
「もう! みんなして!」
私は杯を持ち上げた。
……何だか、少し恥ずかしい。
でも、まあ。
タクマが私の恋人なのは、本当のことなのだから。
◇
その後も、話題は尽きなかった。
エリナが最近のギルドで起きた出来事を話し、フリーダがそれに突っ込み、クルシュが時折補足する。タクマもすっかり打ち解けて、普段よりよく笑っていた。
そんな中、エリナがふと思い出したように言った。
「そういえば、タクマ。ミーナのこと覚えてる?」
「ミーナ?」
タクマが少し考えた。
「ああ。前に一緒に荷物運びの依頼をやった子だよね」
「そうそう。あの子、最近ちょっと大変なのよ」
「……何かあったの?」
私が尋ねると、エリナは苦笑した。
「本人は悪くないんだけどね。最近、妙なあだ名がついちゃって」
「どんな?」
「……パーティクラッシャー」
「…………」
私は思わず目を瞬かせた。
「……何それ?」
「そのままの意味よ」
エリナは肩をすくめた。
「ミーナって、誰とでもすぐ仲良くなるでしょ? それ自体はいいことなんだけど、時々それが原因で揉め事になっちゃうのよ」
「……例えば?」
「一緒に依頼へ行った男の子が、ミーナに好意を持っちゃったり。恋人のいる男の子と仲良く話して、相手の女の子が怒っちゃったり」
タクマが眉をひそめた。
「……それ、ミーナが悪いわけじゃないよね?」
「そうなのよ。だから余計に困るの」
エリナはため息をついた。
「本人は普通に接してるだけなんだけど、周りが勝手に勘違いしちゃうのよね」
フリーダがにやりと笑った。
「……そういや、リカも昔、ミーナに嫉妬してたよな?」
「…………」
私は固まった。
タクマが笑った。
「ああ、懐かしいな」
「……タクマ?」
「最初の頃だろ? リカが急に、俺をグランボア討伐に連れていくって言い出した時」
「……うん」
私は少しだけ頬を赤くした。
あの時のことは、今でもよく覚えている。
タクマがミーナと仲良く話しているのを見て、何だか落ち着かなくなってしまったのだ。別に、二人が何か特別な関係だったわけではない。
ただ、タクマが私以外の女の子と楽しそうにしているのが、少しだけ嫌だった。
……いや。
少しだけ、ではなかったかもしれない。
「……あの時は、ごめんね」
私が小さく言うと、タクマは笑って首を振った。
「もう謝ってもらっただろ」
「……そうだけど」
「それに、俺は嬉しかったよ」
「……え?」
私は顔を上げた。
タクマは少し照れくさそうに笑った。
「リカが俺のこと、そんなに気にしてくれてたんだなって分かったからさ」
「…………」
私は言葉を失った。
そんなふうに思ってくれていたなんて、知らなかった。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「……タクマ」
「ん?」
「……大好き」
「……うん。ありがとう」
フリーダがテーブルを叩いた。
「おいおい! また始まったぞ!」
「いいじゃん!」
「誰も惚気ろなんて言ってねえよ!」
エリナも笑っている。
「リカって、恋人になる前からタクマを独り占めしたかったのね」
「ち、違っ……」
私は言いかけて、口を閉じた。
……違わない。
「……違わないけど!」
全員が笑い出した。
私は恥ずかしくなって、杯を一気に空けた。
……もう。
今日はみんな、私のことをからかいすぎだ。
◇
それから、どれくらい時間が経ったのだろう。
気がつけば、テーブルの上には空になった杯がいくつも並んでいた。
フリーダは相変わらず元気で、クルシュは少しだけ頬を赤くしている。エリナもすっかり上機嫌で、普段よりよく笑っていた。
そして私は。
「……だからね!」
杯を持ち上げながら、力説していた。
「タクマって、本当にすごいんだよ!」
「おう! さっき聞いた!」
フリーダが笑う。
「まだ聞いてないことがあるの!」
「まだあるのかよ!」
「あるよ!」
私は大きく頷いた。
「タクマはね、私が疲れて帰ってきた時も、ちゃんと気づいてくれるんだよ! それで、無理しなくていいって言ってくれるの!」
「へえへえ」
「それに、お料理も上手になったし!」
「はいはい」
「あとね、寝る時も……」
「リカ!」
タクマが慌てて口を挟んだ。
「その話はやめよう!」
「えー?」
「えー、じゃない!」
フリーダが大笑いしている。
「はははっ! いいぞリカ! もっと言え!」
「フリーダさん、煽らないでください」
クルシュが苦笑する。
エリナも肩を震わせていた。
「リカ、今日はずいぶんご機嫌ねえ」
「だって楽しいんだもん!」
私は笑った。
久しぶりにみんなで飲んで、たくさん話して、たくさん笑って。
こんな時間が、私は大好きだ。
そして、隣にはタクマがいる。
それが、何より嬉しかった。
「……私ね」
ふと、言葉が口をついて出た。
「タクマと出会えて、本当によかった」
テーブルの上が、少しだけ静かになった。
私は杯を見つめながら、ゆっくりと続けた。
「最初はね、困ってる人を助けただけだったんだよ。森で倒れてたから、放っておけなくて」
あの日のことを思い出す。
見知らぬ服を着て、見知らぬ言葉を話す青年。
魔法も知らず、この世界のことを何も分からないまま、突然森へ現れた人。
最初は、しばらく面倒を見てあげればいいと思っていた。
この世界に慣れて、冒険者としてやっていけるようになれば、それで十分だと。
けれど、いつの間にか。
彼がいることが、当たり前になっていた。
「……一緒に暮らして、いろんなことを話して、いつの間にかね」
私は隣のタクマを見上げた。
「……家に帰るのが、前よりずっと楽しみになったの」
タクマは少し驚いたような顔をした。
それから、優しく笑った。
「……俺もだよ」
「……本当?」
「ああ。俺も、リカと出会えてよかった」
私は胸がいっぱいになった。
この人と出会わなかったら、私は今も一人で暮らしていたのだろう。
それはそれで、自由で気楽な生活だったと思う。
けれど、今の私は知っている。
誰かと一緒に暮らすことが、こんなにも楽しいのだと。
自分の意思で選んだ場所に、自分の意思で選んだ人と帰る。
それが、こんなにも幸せなことなのだと。
「……タクマ」
「ん?」
「……大好き」
「……うん。俺も」
私は嬉しくなって、彼の肩へ頭を預けた。
すると、フリーダが勢いよく杯を持ち上げた。
「よし! そこまで言うなら、乾杯し直そうぜ!」
「……何に?」
タクマが尋ねる。
「幸せな恋人たちに!」
フリーダは豪快に笑った。
クルシュも微笑みながら杯を持ち上げる。
「いいですね。乾杯しましょう」
「そうね!」
エリナも笑顔で続いた。
私は顔を上げ、杯を掲げた。
「かんぱーい!」
杯が触れ合い、明るい音が響いた。
そして、私はまた酒を飲んだ。
……今思えば。
この辺りで、やめておけばよかったのだ。
◇
夜も更け、酒場の客が少しずつ減り始めた頃。
ようやく、私たちは席を立つことになった。
「いやあ、楽しかったな!」
フリーダは上機嫌で笑っている。
クルシュが隣で小さくため息をついた。
「フリーダさん、少し飲みすぎですよ」
「大丈夫だって!」
「そう言って、さっきから同じ話を三回してますよ」
「……そうだったか?」
「はい」
エリナも笑っている。
「私も明日仕事だし、そろそろ帰らないとね」
「うん! 今日は楽しかった!」
私は大きく頷いた。
すると、タクマが隣から声をかけてきた。
「……リカ、大丈夫?」
「大丈夫だよー!」
「……本当に?」
「ほんとほんと!」
私は笑いながら、タクマの腕にしがみついた。
「タクマー」
「はいはい」
「大好きー」
「……うん。ありがとう」
「もっと言っていい?」
「……明日にしてくれ」
フリーダが腹を抱えて笑い出した。
「はははっ! おいタクマ! ちゃんと連れて帰れよ!」
「分かってますよ!」
「リカ、明日覚えてろよ!」
「覚えてるもーん!」
私は笑って手を振った。
……たぶん。
いや、きっと覚えている。
そう思っていた。
実際には、この辺りから記憶が少し曖昧なのだけれど。
私たちはみんなと別れ、転移魔法陣のある建物へ向かった。
夜の街は昼間より静かで、通りには時折、酔った冒険者たちの笑い声が響いている。石畳を歩く足音が妙に大きく聞こえ、私はタクマの腕にしがみつきながら、ゆっくりと歩いた。
「……タクマ」
「ん?」
「今日、楽しかったねえ……」
「……うん。楽しかったな」
「また、みんなで飲みたいね」
「……そうだな」
タクマは少し笑った。
「でも、しばらくはいいかな……」
「えー……」
私は不満そうに声を上げた。
けれど、タクマの肩へ頭を預けると、何だか急に眠くなってきた。
転移魔法陣のある建物へ着く頃には、二人ともすっかり疲れ切っていた。
タクマが慎重に魔法陣を起動する。
淡い光が広がり、私たちは森へ戻った。
そこから自宅までは、いつもの道を歩く。
普段なら何でもない距離なのに、今日は妙に長く感じられた。
「……リカ」
「んー?」
「……明日、起きられるかな」
「……大丈夫だよ」
「……本当?」
「……たぶん」
タクマは小さく笑った。
私も笑った。
そして、ようやく家へ着くと、二人で何とか着替えを済ませ、ベッドへ倒れ込んだ。
「……おやすみ、リカ」
「……おやすみ、タクマ」
私は彼の胸元へ顔を寄せた。
タクマの腕が、自然に私の背中へ回る。
温かくて、安心する。
私はそのまま目を閉じた。
……明日も、きっといい日になる。
そんなことを考えながら。
◇
……眩しい。
頭が痛い。
口の中が乾いている。
そして、何より。
……身体が動かない。
「…………」
私は布団の中で目を開けた。
窓から差し込む光が、妙に明るい。
鳥の声が聞こえる。
……おかしい。
いつもなら、もう少し薄暗い時間に起きているはずなのに。
「……タクマ」
私は隣へ声をかけた。
「……んー?」
返事があった。
けれど、タクマは布団に突っ伏したまま動かない。
「……朝だよ」
「……知ってる」
「……何時?」
「……知らない」
「…………」
「…………」
私たちは、しばらく黙っていた。
……頭が痛い。
ものすごく痛い。
まるで頭の中で、誰かが大きな鐘を鳴らしているみたいだ。
「……タクマ」
「……何?」
「……お水、飲みたい」
「……俺も」
けれど、二人とも動かない。
しばらくして、タクマがようやく身体を起こした。
「……いてて……」
彼は頭を押さえ、顔をしかめた。
「……何だこれ……」
「……二日酔いだよ」
「……分かってる……」
私は何とか身体を起こそうとした。
けれど、頭がずきりと痛み、思わず布団へ戻ってしまった。
「……無理」
「……俺も」
タクマはベッドの端へ座ったまま、しばらく動かなかった。
やがて、ふと思い出したように顔を上げた。
「……リカ」
「……なあに」
「……今日、修行の日だよな」
「…………」
私は黙った。
そうだった。
昨日は休みだった。
今日は、いつもどおり修行の日だ。
「……何時?」
私は恐る恐る尋ねた。
タクマが時計代わりの魔道具を見た。
「…………」
「……タクマ?」
「……寝坊した」
「…………」
私はゆっくりと布団を頭までかぶった。
「……リカは今、いません」
「……いや、いるだろ」
「いません……」
「……俺もいないことにしたい」
タクマが再び布団へ倒れ込んだ。
私たちは、しばらく現実から目を逸らした。
……ああ。
昨日の夜は、あんなに楽しかったのに。
どうして今、こんなに苦しいのだろう。
「……なあ、リカ」
「……なあに」
「……もう一日、休みにしない?」
「……賛成」
私は即答した。
「……ボーマンにお願いしよう」
「……うん」
それしかない。
今日はもう、何もできる気がしない。
◇
それからしばらくして。
私たちは何とか身支度を整え、ボーマンのログハウスへ向かった。
タクマは足取りが重く、時折頭を押さえている。私も同じような状態だったけれど、何とか彼の隣を歩いていた。
庭へ着くと、ボーマンがいつものように木剣の手入れをしていた。
「おや、おはようございます」
彼は私たちを見ると、穏やかに微笑んだ。
「ずいぶん遅いお帰りですな」
「……おはよう、ボーマン」
私は力なく挨拶した。
タクマも頭を下げる。
「……おはようございます」
ボーマンは私たちを見比べた。
「……ふむ」
そして、少しだけ目を細めた。
「お二人とも、ずいぶんお疲れのご様子ですね」
「……うん」
私は小さく頷いた。
「……ボーマン」
「はい、リカ殿」
「……お願いがあるんだけど」
「何でしょう?」
私はタクマを見た。
タクマも私を見る。
そして、二人で頷いた。
「……今日、もう一日だけお休みにできないかな?」
ボーマンは少し驚いたような顔をした。
「ほう。何かございましたか?」
タクマが申し訳なさそうに答えた。
「……すみません。昨日、久しぶりに仲間たちと飲みまして……」
「なるほど」
「……ちょっと、飲みすぎました」
ボーマンは静かに頷いた。
「それはいけませんな」
私は少しだけ希望を感じた。
もしかして、分かってくれる?
「……じゃあ」
「ですが、修行は予定どおり行います」
「えええええっ!?」
私たちの声が重なった。
ボーマンは、にっこりと微笑んだ。
「酒宴の最中に刺客に襲われる場合もありますぞ。頭が痛いからと拒否する訳にはいきますまい」
「…………」
私は絶句した。
タクマも言葉を失っている。
……この人。
この人、本当に容赦がない。
「……ボーマン」
「はい?」
「……鬼だよ」
「ほっほっほ。お褒めにあずかり光栄です」
ボーマンは楽しそうに笑った。
私は思わず頭を抱えた。
……ああ。
そうだった。
この人は、こういう人だった。
私がまだ幼かった頃から、ずっと。
厳しくて、優しくて、そして時々、とんでもなく意地悪なのだ。
「まあ、まずは水を飲んで、少し身体を休めなさい」
ボーマンは穏やかに続けた。
「体調を確認してから、無理のない範囲で始めましょう」
タクマが少し安心したように顔を上げた。
「……ありがとうございます」
「ええ。無理をして倒れてしまっては、修行になりませんからな」
ボーマンは頷いた。
そして、ふと思い出したように言った。
「ところで、タクマ殿」
「……はい?」
「新しい剣はいかがでしたかな?」
「あ、はい。とてもいい剣が買えました」
「それは何より」
ボーマンはにっこりと微笑んだ。
「では、午後からそちらも試してみましょう」
「…………」
タクマの顔が固まった。
「……午後から、ですか?」
「ええ。午前中に身体を整えておけば、午後には少し動けるようになるでしょう」
「…………」
私はタクマを見た。
タクマも私を見た。
二人の意見は、完全に一致していた。
……もう二度と、酒に飲まれたりしない。
少なくとも、修行の前日には。
私は心の底から、そう誓った。
……たぶん。




