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脱走王女は自由でありたい  作者: 真部 朝樹
異世界人の修行編

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第35話 届かない一撃


 木剣が的を打つ音が、朝の森に響いていた。


 タクマは木人の正面に立ち、軽く息を整えてから剣を構えた。右足を踏み出すと同時に身体強化魔法を発動させ、一気に距離を詰める。剣先が木人の肩を捉え、乾いた音が鳴った。


 そこから身体を流さず、すぐに一歩下がる。


 数日前なら、踏み込みの勢いを止められずに前のめりになっていたところだ。今では斬撃の後に姿勢を整える余裕があり、次の動作へ移るまでの時間も短くなっている。


「うん。今のはよかったね」


 私が声をかけると、タクマは振り返って笑った。


「だろ? ちょっと分かってきた気がする」


「最初の頃とは全然違うよ。魔法を使うタイミングも安定してきたし」


「まだ時々、変なところに力が入るけどな」


 そう言いながら、タクマは自分の右足を見下ろした。


 身体強化魔法を覚えてから、彼は毎日のように同じ動作を繰り返している。踏み込みの瞬間だけ魔法を使い、必要な距離を進んだところで解除する。言葉にすれば簡単だけれど、実際には魔法の発動と身体の動きを正確に合わせなければならない。


 タクマの場合、魔力の出力が低いこともあって、一度の発動で得られる効果はそれほど大きくない。それでも、使う時間を短くすれば消耗を抑えられるし、同じ魔力量でも必要な瞬間に集中させれば、動きに明確な違いが生まれる。


 何より、彼は失敗した理由を考えるのが上手かった。


 踏み込みが深すぎれば足の置き方を変え、剣を振るタイミングが遅れれば魔法の発動を少し早める。何度も同じ失敗を繰り返しているように見えて、実際には毎回、何かを確かめている。


 その様子を見ていたボーマンが、満足そうに頷いた。


「よろしい。では、そろそろ次の段階へ進みましょうか」


「次の段階、ですか?」


「ええ。木人を相手にした稽古は、ひとまず十分でしょう」


 ボーマンは壁際へ歩いていき、木剣を一本手に取った。


 それを見たタクマの表情が、少しだけ引き締まる。


「……ボーマンさんが相手ですか?」


「左様でございます。そろそろ、動く相手に剣を振っていただこうかと」


 タクマは一度、自分の木剣を握り直した。


 緊張しているのは分かる。それでも、嫌そうな顔はしていなかった。むしろ、ようやく試せる機会が来たとでもいうように、どこか楽しそうだった。


 私は椅子に座り直し、二人が向かい合うのを眺めた。


 ボーマンは、王宮の近衛騎士たちを長く指導してきた人だ。剣を握ったばかりのタクマが、簡単に一撃を当てられる相手ではない。


 ただ、少し気になることもあった。


 タクマは以前、元の世界で剣道という武術を長く続けていたと話してくれたことがある。学生時代には全国大会でも優勝したそうで、その時は随分と驚いたものだった。


 もっとも、私は剣道の試合を見たことがない。


 竹で作った剣を使い、防具を身につけて競う武術だという説明は聞いたけれど、それが実際の剣術とどれほど似ているのかまでは分からなかった。


 タクマ自身も、この世界へ来てからは慣れない武器や魔獣との戦闘に苦労していたし、私もいつの間にか、彼を剣術の初心者として見るようになっていた。


「では、始めましょう」


 ボーマンが木剣を構える。


「私に一撃を当てることができれば、それでよろしい。私は基本的に攻撃いたしませんので、遠慮なくお越しください」


「……分かりました」


 タクマは頷き、剣を構えた。


 最初の一撃は、速かった。


 身体強化魔法を使った踏み込みから、ボーマンの肩を狙って剣を振る。しかし、ボーマンは木剣を軽く添えるだけで、その攻撃を受け流してしまった。


 タクマはすぐに距離を取る。


「……やっぱり、簡単にはいかないか」


「ええ。ですが、悪い踏み込みではございませんでしたよ」


 ボーマンは穏やかに答えた。


「もう一度、どうぞ」


 タクマは構え直した。


 けれど、二度目はすぐに打ち込まなかった。


 剣先をわずかに動かしながら、ボーマンとの距離を測っている。右足を半歩進め、相手が反応しないと見ると、今度は剣先の位置を変えた。


 ボーマンも、それに合わせて構えを調整する。


 二人の間には、木剣一本分ほどの距離があった。


 タクマはそこからさらに踏み込もうとしたが、途中で動きを止めた。ボーマンの剣先がわずかに下がったのを見て、逆に距離を取り直す。


 私は少し不思議に思った。


 さっきまでのタクマなら、隙があると判断したところで身体強化魔法を使っていただろう。けれど、今はそうしない。


 ボーマンも同じことを感じたらしい。


 ほんの少しだけ、目を細めた。


「……どうなさいましたかな?」


「いえ。ちょっと、距離を確かめたくて」


「ほう」


 ボーマンはそれ以上何も言わなかった。


 タクマは再び前へ出る。


 今度は踏み込みの途中で剣を振ろうとしたが、ボーマンがわずかに身体を動かした瞬間、攻撃を中断した。


 そして、もう一度。


 タクマが剣先を上げる。


 ボーマンの木剣が、それに応じて動く。


 その瞬間、タクマは別の角度から打ち込んだ。


 しかし、ボーマンは難なく受け流した。


「……くそっ」


 タクマは小さく呟き、距離を取る。


 私は今の攻防を思い返した。


 タクマは、ただ速く動こうとしていたわけではない。


 剣先を動かし、間合いを調整し、相手の反応を確かめていた。打ち込む前に、ボーマンがどう動くのかを見ようとしていたのだ。


 しかも、その動きには妙な落ち着きがあった。


 魔獣を相手にした時のタクマは、いつも必死だった。攻撃を避け、隙を探し、何とか剣を届かせようとしていた。


 けれど、今は違う。


 目の前にいるのは、自分と同じように剣を構えた人間だ。


 その相手と向かい合うタクマの姿には、これまで見たことのない自然さがあった。


     ◇


「タクマ殿。一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」


 何度目かの攻防を終えたところで、ボーマンが声をかけた。


「はい?」


「あなたは、相手が動くのを待っておられますな?」


 タクマは少し驚いたようだった。


「……分かります?」


「ええ。ご自身から打ち込む機会を探しているというより、私が動こうとするところを狙っているように見受けられます」


「ああ……そうですね。癖みたいなものです」


「癖、でございますか」


 ボーマンは興味深そうに繰り返した。


 タクマは木剣を下ろし、少し考えてから答えた。


「昔やってた剣道で、そういう練習をずっとしてたんです。相手が打とうとした瞬間を狙うっていうか……出ばなを打つ、って言うんですけど」


「でばな?」


「相手が動き始めたところですね。打とうと思って身体が動いた瞬間って、こっちからも攻撃しやすいんです」


 ボーマンはゆっくりと頷いた。


「なるほど。攻撃の起こりを捉えるわけですな」


「そうです。それです」


 タクマは少し嬉しそうに答えた。


「剣道だと、相手の手元とか足とか、いろいろ見ながらやるんです。もちろん、俺も全部分かるわけじゃないですけど」


「それは、どの程度お続けになったのでございますかな?」


「小さい頃から、ずっとですね。学生の間はほとんど毎日やってました」


 私はその会話を聞きながら、少し驚いていた。


 剣道の経験があることは知っていた。


 全国大会で優勝したことも聞いていた。


 けれど、実際に何を身につけてきたのかについては、あまり詳しく聞いたことがなかった。


 タクマは、剣を振る練習だけをしていたわけではないのだ。


 相手と向かい合い、動きを読み、打ち込む機会を探す。


 そうしたことを、長い年月をかけて繰り返してきた。


 ボーマンは、少し考え込むようにタクマを見つめた。


「……では、もう一度お願いできますかな。今度は、私も少々動かせていただきます」


「はい」


 二人は再び構えた。


 今度のボーマンは、先ほどよりも積極的に間合いを変え始めた。


 右へ一歩。


 剣先をわずかに上げる。


 さらに半歩、距離を詰める。


 タクマはそれに合わせて足を運びながら、慎重に相手の動きを見ていた。


 そして、ボーマンが踏み込もうとした瞬間だった。


 タクマが動いた。


 相手の攻撃が始まる、そのわずかな隙間へ割り込むように、木剣を振り出したのだ。


 私は思わず身を乗り出した。


 今のタイミングなら、届くかもしれない。


 けれど。


 ボーマンは身体を半歩引き、タクマの木剣を受け流した。


 剣先は、わずかに届かなかった。


「……っ!」


 タクマは悔しそうに息を吐いた。


 ボーマンは、すぐには次の攻防へ移らなかった。


 代わりに、タクマをじっと見つめている。


「……今のは、見事な判断でございました」


「でも、当たりませんでした」


「ええ。届きませんでしたな」


 ボーマンは頷いた。


「ですが、打ち込む機会そのものは、確かに捉えておられました」


 タクマは少し困ったように笑った。


「……そうなんですよね」


「何か、思うところがおありですかな?」


 タクマは自分の木剣を見下ろした。


「見えてるんです」


「何がでございますかな?」


「ボーマンさんが動こうとするところです。あ、今なら打てるって思う瞬間があるんですけど……」


 そこで、タクマは言葉を切った。


「そこから、剣が届かないんです」


 私は、その言葉に少し驚いた。


 タクマは続ける。


「昔だったら、もう少し早く動けた気がするんです。でも、今は剣の重さも違うし、足の運び方も違う。身体強化魔法を使えば速くなるんですけど、今度は自分が思ってた動きとずれるんですよ」


 そう言って、タクマは苦笑した。


「頭の中では、もう打ってるつもりなんですけどね」


 ボーマンはしばらく黙っていた。


 それから、ゆっくりと頷いた。


「……なるほど。ようやく分かってまいりました」


「え?」


「私は、あなたに剣の駆け引きを教えねばならぬと考えておりました。しかし、どうやら少々、見立てが違っていたようでございます」


 タクマは不思議そうな顔をした。


 ボーマンは木剣を軽く持ち上げる。


「相手の動きを読み、打ち込むべき機会を捉える。その感覚は、すでにかなりの水準で身についておられるのでしょう。少なくとも、剣を握り始めたばかりの方の動きではございません」


 私は、思わずタクマを見た。


 彼は照れくさそうに頭をかいた。


「……いや、でも、剣道とこっちの剣術は全然違いますよ」


「もちろんでございます。武器が違えば、間合いも変わります。相手が狙う場所も、攻撃の方法も異なるでしょう」


 ボーマンは穏やかに答えた。


「ですが、人と向かい合い、その動きを読むという点において、共通するものは少なくないはずです」


 そして、少しだけ笑った。


「私が一から教えるべきことばかりでは、なかったようですな」


 その言葉を聞いて、私は胸の奥が少し温かくなった。


 タクマは、これまで何も持っていなかったわけではない。


 私たちが知らなかっただけで、彼には彼の積み重ねてきたものがあったのだ。


     ◇


「では、少しやり方を変えてみましょう」


 ボーマンは木剣を構え直した。


「タクマ殿。今度は、ご自身が慣れ親しんだ動きを意識してみてください」


「……剣道の動きですか?」


「ええ。ただし、そのまま再現する必要はございません。今お使いの武器と身体に合うよう、調整していただければ結構です」


 タクマは少し考えた。


 そして、構えを変えた。


 大きな変化ではない。


 足の位置をわずかに直し、剣を身体の正面へ寄せる。先ほどまでよりも、構えが少し自然になったように見えた。


 私は、その違いに気づいて目を細めた。


 タクマの動きから、余計な力みが抜けている。


 ボーマンもそれを確かめるように頷いた。


「よろしい。では、どうぞ」


 タクマは、すぐには動かなかった。


 剣先を向けたまま、相手との距離を測っている。


 ボーマンが半歩前へ出る。


 タクマは動かない。


 さらに、ボーマンが剣先をわずかに動かした。


 その瞬間、タクマが踏み込んだ。


 身体強化魔法を使った一撃だった。


 けれど、ボーマンはすぐに反応し、木剣を受け流した。


「……惜しい」


 タクマが呟く。


「いえ。今のは、踏み込む前に少々力が入りましたな」


 ボーマンはタクマの右足を指した。


「魔法を使うために、身体を準備しておられるのでしょう。その動きが、攻撃の起こりとして見えてしまっております」


「……ああ、なるほど」


 タクマは自分の足を見下ろした。


「確かに、魔法を使おうとすると、ちょっと身構えちゃうんですよね」


「その癖を直す必要がございますな」


 タクマはしばらく考え込んだ。


 そして、ふと顔を上げた。


「……ボーマンさん。ちょっと、試してみてもいいですか?」


「もちろんでございます」


「今度は、魔法を使うことをあんまり意識しないでやってみます」


 私は、その言葉に興味を引かれた。


 タクマは再び構える。


 今度は、普通の足運びで間合いを詰めた。


 ボーマンもそれに応じて動く。


 そして、タクマが打ち込もうとした瞬間。


 身体強化魔法が発動した。


 しかし、タイミングが遅すぎた。


 剣を振り始めてから身体が加速したため、腕と足の動きが噛み合わず、姿勢が崩れてしまったのだ。


「……うわっ!」


 タクマは慌てて足を踏ん張った。


 ボーマンはすぐに木剣を下ろす。


「お怪我はございませんかな?」


「大丈夫です。……いや、難しいな、これ」


 タクマは苦笑した。


 私はその様子を見ながら、彼が何をしようとしているのか考えた。


 これまでは、身体強化魔法を使ってから踏み込んでいた。


 けれど、今は違う。


 普段の動きの途中に、魔法を組み込もうとしている。


 つまり、魔法に合わせて身体を動かすのではなく、自分の身体の動きに魔法を合わせようとしているのだ。


 それなら、長年身につけてきた剣道の感覚を、もっと活かせるのかもしれない。


「……タクマ」


「ん?」


「今の、考え方は悪くないと思うよ」


「本当?」


「うん。ただ、魔法を使うタイミングが遅すぎたね。剣を振り始めてからじゃなくて、踏み込みが始まる瞬間に合わせた方がいいかも」


 タクマは少し考えた。


「……なるほど。身体が動くのと同時くらいか」


「そうそう。でも、最初から速く動こうとしなくていいよ。まずは、いつもの踏み込みを崩さないことを意識してみて」


「分かった」


 タクマは頷いた。


 そして、もう一度挑戦する。


 今度は、魔法の発動が少し早すぎた。


 次は、踏み込みの速度は変わったものの、剣の振りが遅れた。


 その次は、剣を振るタイミングが合った代わりに、足が前へ出すぎてしまった。


 失敗が続く。


 それでも、タクマは諦めなかった。


 何度も構え直し、足の位置を確かめ、剣を振る。


 時にはボーマンに質問し、時には自分で動きを変えてみる。


 私は、その様子を見ているうちに、少し不思議な気持ちになっていた。


 タクマは、剣術そのものを一から覚えようとしているわけではない。


 むしろ、以前から知っている動きを、この世界の武器と魔法に合わせて作り直している。


 だからこそ、失敗しても考え方がぶれないのだろう。


 彼の中には、すでに基準となる動きがある。


 そこへ身体強化魔法という新しい要素を加え、少しずつ調整しているのだ。


 ボーマンも、そのことに気づいているようだった。


 最初の頃とは違い、細かな動きを一つずつ指示することは少なくなっていた。代わりに、タクマが何を試そうとしているのかを確かめ、その結果を見ながら助言している。


 教え方そのものが、少し変わってきている。


     ◇


 午後になっても、稽古は続いた。


 タクマは何度も挑戦し、そのたびに少しずつ動きを修正していった。


 身体強化魔法を使うタイミングも、朝に比べれば随分と安定している。


 もっとも、ボーマンに一撃を当てるのは簡単ではなかった。


 タクマが攻撃の起こりを捉えても、ボーマンはそれを読んでいる。踏み込みの速度が変わっても、すぐに間合いを調整し、剣を受け流してしまう。


 それでも、タクマの動きには確かな変化が生まれていた。


 最初は、身体強化魔法を使うことばかり意識していた。


 けれど、今は違う。


 相手の動きを見て、打ち込むべき瞬間を判断する。


 その判断に合わせて、身体強化魔法を使う。


 剣術と魔法が、少しずつ一つの動きになり始めていた。


 私は、思わず頬を緩めた。


 ……うん。いい感じ。


 もちろん、まだ完成にはほど遠い。


 けれど、タクマが何を目指しているのかは、私にも分かってきた。


 彼は、ただ速く動きたいわけではない。


 自分が打てると判断した瞬間に、確実に剣を届かせたいのだ。


 そのために、身体強化魔法を使おうとしている。


 そして、何度目かの攻防で。


 タクマの動きが、ほんの少し変わった。


 ボーマンが間合いを詰める。


 タクマはそれに合わせて、わずかに剣先を動かした。


 ボーマンの木剣が反応する。


 その瞬間、タクマは踏み込んだ。


 今度は、身体強化魔法を使うための余計な力みがなかった。


 普段の足運びから、自然に一歩が始まる。


 そして、その動きに魔法が重なった。


 踏み込みの速度が、一瞬だけ変わる。


 剣が走った。


 ボーマンはすぐに反応し、木剣を動かした。


 けれど、その対応がほんのわずかに遅れた。


 タクマの木剣の先端が、ボーマンの袖をかすめる。


「……あっ!」


 タクマが驚いたように声を上げた。


 ボーマンは自分の袖を見下ろし、それからゆっくりと笑った。


「……なるほど。これは、なかなか見事でございました」


「……当たった?」


「ええ。かすめただけではございますが、確かに届きましたな」


 タクマは、しばらく呆然としていた。


 そして、嬉しそうに笑った。


「……やった!」


 私は思わず拍手した。


「すごいじゃん、タクマ!」


「……ありがとう!」


 タクマは嬉しそうに笑ったけれど、すぐに少し困った顔になった。


「……でも、今のって、たまたまですよね?」


 ボーマンは頷いた。


「ええ。今のままでは、十度試して一度成功するかどうかでしょう」


「……ですよね」


 タクマは苦笑した。


 けれど、ボーマンは穏やかに続けた。


「ですが、その一度を、二度、三度と増やしていくのが修行でございます」


 タクマは顔を上げた。


「今の一撃は、偶然だけで生まれたものではございません。あなたが考え、何度も試し、失敗を重ねた結果でございます」


 ボーマンは、タクマの木剣へ視線を向けた。


「タクマ殿。あなたは、私のような剣士を目指す必要はございません」


「……え?」


 タクマは少し驚いたようだった。


 ボーマンは穏やかに微笑んだ。


「私には私の、殿下には殿下の戦い方がございます。そして、あなたにも、あなたに合った戦い方があるはずです」


 私は、少しだけ目を細めた。


 ボーマンは続ける。


「教わったことを身につけるのは大切でございます。しかし、それをどのように使うかまで、誰かと同じである必要はございません」


 タクマは、しばらく考え込んだ。


 そして、ゆっくりと頷いた。


「……はい!」


 その表情は、今日の朝よりも少しだけ明るく見えた。


 きっと、何かをつかみかけているのだろう。


 まだ、はっきりと形になったわけではない。


 けれど、タクマは自分の戦い方を見つけ始めている。


 私は、そんな彼の姿を見て、何だか嬉しくなった。


     ◇


 夕方。


 修行を終えたタクマは、いつも以上に疲れた様子だった。


 それでも、どこか楽しそうだった。


 木剣を片づけながら、今日の稽古を何度も思い返しているらしい。時々、自分の足元を見ながら小さく踏み込む動作をしている。


「……タクマ」


「ん?」


「もう今日は終わりだよ?」


「分かってるって。ちょっと確認してただけ」


「それ、昨日も言ってたよね」


 私が笑うと、タクマも少し照れくさそうに笑った。


 私はそんな彼を見ながら、今日の稽古を思い返していた。


 これまでは、ボーマンに教わったことをできるようになるための修行だった。


 けれど、今日は違った。


 タクマは、教わったことを組み合わせ、自分で考えた方法を試し始めたのだ。


 それは、きっと大きな変化だった。


 私は、彼が元の世界で住宅の営業をしていた頃の話を思い出した。


 相手が何を求めているのかを考え、話し方や提案を工夫する。


 もちろん、営業と剣術はまったく違う。


 けれど、相手の反応を見ながら自分のやり方を変えていくという考え方には、どこか共通するものがあるのかもしれない。


 タクマは、ただ強い人の真似をするだけではない。


 自分なりの強さを、見つけ始めている。


「……ねえ、タクマ」


「ん?」


「今日、すごくよかったよ」


 タクマは少し驚いたように私を見た。


「……そう?」


「うん。自分で考えて、試して、ちゃんと結果を出したでしょ?」


「……まあ、袖をかすめただけだけどな」


「それでもすごいよ。相手、ボーマンなんだから」


 タクマは少し笑った。


「……確かに」


 私は頷いた。


 ボーマンは、私が子供の頃からずっと尊敬している剣の師匠だ。


 そのボーマンに、たとえ稽古の中とはいえ、一撃を届かせた。


 それは、タクマにとって大きな自信になったはずだ。


 そして、もう一つ。


 今日のタクマは、以前よりも身体強化魔法を繰り返し使えていた。


 魔力の流れが滑らかになってきたのだろう。


 そう考えると、これからの成長がますます楽しみになった。


「……よし」


 私は小さく呟いた。


「今日は、ちょっといいもの作ろうかな」


「……え?」


 タクマがこちらを見る。


「夕飯。頑張ったご褒美」


「……マジで?」


「うん。何か食べたいものある?」


 タクマは少し考えた。


 そして、嬉しそうに笑った。


「……肉!」


「ふふ。分かりやすいね」


 私は笑いながら、タクマの手を取った。


 森の中には、夕暮れの光が差し込んでいる。


 今日も一日、よく頑張った。


 明日になれば、また同じような修行が始まるのだろう。


 何度も剣を振り、失敗して、少しずつできることを増やしていく。


 そんな日々が、これからも続いていく。


 けれど、今日のタクマは、昨日までとは少し違っていた。


 ただ教わるだけではなく、自分で考え、自分の力で答えを見つけようとしている。


 私は、そのことが何より嬉しかった。


 そして、そんな彼の成長を、これからも一番近くで見ていたいと思った。


 タクマは私の手を握り返し、少しだけ歩く速度を上げた。


「……リカ、今日の夕飯、楽しみにしてる」


「はいはい。期待してていいよ」


 私は笑いながら、彼と一緒に家へ向かった。


 森の向こうでは、夕日がゆっくりと沈み始めていた。


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