第29話 森の新築工事
最初に聞こえてきたのは、鳥の鳴き声だった。
普段なら、朝の森はもう少し穏やかだ。枝から枝へ飛び移る小鳥たちが気ままにさえずり、時折、遠くで名前も知らない鳥が鳴く。そんな音を聞きながら目を覚ますのは、この家に暮らすようになってからの、私のお気に入りの時間でもあった。
けれど、今朝はどうも様子がおかしい。
窓の外から聞こえてくるのは、さえずりというより悲鳴に近かった。何羽もの鳥が一斉に鳴き立て、羽ばたきの音まで混じっている。何かに驚いて逃げ回っているような、ひどく落ち着かない騒ぎ方だ。
寝ぼけた頭で、何かしら、と考えた直後だった。
森の奥から、めきめきと木が裂けるような音が響いた。続いて、何か巨大なものが枝を押しのけながら倒れていく音。そして最後には、腹の底まで響くような轟音がした。
窓ガラスがかすかに震え、棚に置いていた小物が小さく音を立てる。
「……なによ、もう」
私は枕に顔を埋めた。
魔物でも現れたのだろうか。そうだとしたら面倒だけれど、この辺りには強力な魔物など滅多に現れない。そもそも、私の家の周囲には認識を阻害する術式を張ってある。普通の魔物なら、わざわざ近づいてくることもないはずだった。
隣で寝ていたタクマが身じろぎする。
「……リカ?」
「ん……」
「今の音、何?」
「知らない……」
答えたところで、また鳥たちが騒ぎ始めた。
そして、しばらくして再び聞こえる、木の倒れる音。
今度はさすがに、私も目を開けた。
「……うるさい」
「だよなあ」
タクマは苦笑しながら身体を起こした。窓の方を見て、それから私に視線を戻す。
「ちょっと見に行こうか」
「……そうね」
せっかくの朝なのに。
私は大きくため息をついて、ベッドから抜け出した。
着替えを済ませ、二人で家の外へ出る。森には朝の涼しい空気が漂っていたけれど、鳥たちは相変わらず騒がしかった。しかも、よく耳を澄ませてみると、何か硬いものを打ちつけるような音まで聞こえてくる。
魔物の気配はない。
人の気配なら、一つある。
それも、妙に覚えのある魔力だった。
「……まさか」
「どうした?」
「いえ。ちょっと、嫌な予感がするだけ」
私は音のする方へ歩き始めた。
家から少し離れた木立を抜けると、突然、視界が開けた。
昨日までそこにあったはずの木が、何本もなくなっている。代わりに地面には切り倒された丸太が並び、枝を落とされた木々が積み重ねられていた。切り株の断面は新しく、辺りには木の香りが濃く漂っている。
そして、その真ん中に、一人の老人が立っていた。
手には大きな斧。
旅装の上着を脱ぎ、袖をまくった姿で、倒したばかりらしい木の枝を器用に払っている。
私は思わず立ち止まった。
「……ボーマン?」
老人はこちらに気づくと、斧を下ろし、いつもの穏やかな笑顔を浮かべた。
「おはようございます、殿下。よい朝ですな!」
あまりにも爽やかな挨拶だった。
私はしばらく返事ができなかった。
「……何してんの?」
「ご覧のとおりでございます」
「だから、何をしてるのよ」
「住まいを建てようかと」
「……は?」
ボーマンは、何でもないことのように周囲を見回した。
「この辺りは日当たりもよく、地面もしっかりしております。殿下のお住まいからも適度に離れておりますし、なかなかよい場所が見つかりました」
「いや、そうじゃなくて!」
思わず声が大きくなる。
「何で朝っぱらから木を倒してるのよ!」
「家を建てるためでございますな」
「それは聞いたわよ!」
隣でタクマが笑いをこらえている。
私はそちらを睨んだ。
「タクマ、笑ってないで何か言って!」
「いや……ボーマンさん、相変わらず元気だなって」
「感心するところ、そこ!?」
ボーマンは私たちのやり取りを眺めながら、満足そうに頷いた。
「お二人とも、お変わりないようで何よりです」
……この人、本当に何なのかしら。
私は額を押さえた。
◇
ひとまず事情を聞くことにした。
ボーマンは約束どおり王宮へ戻り、父上への報告と退職の手続きを済ませてきたらしい。
父上は私が元気に暮らしていることを喜び、タクマについても随分と興味を示したそうだ。もっとも、タクマが異世界から来たという話は、約束どおり伏せてくれている。
「陛下からは、殿下によろしくお伝えするようにと」
「……父上は元気だった?」
「ええ。相変わらず、お忙しくしておいでです。殿下が健やかにお過ごしと知り、たいそう安心されておりました」
「そう……」
胸の奥が少しだけ温かくなる。
七年も顔を合わせていない父親のことを、私は時折思い出す。もちろん、会いたくないわけではない。ただ、会いに行けば、そのまま何事もなく帰してもらえるのかという不安が、どうしても先に立ってしまうのだ。
父上が私の居場所を知りながら、無理に連れ戻そうとしなかったことは、ボーマンから聞いている。
だからこそ、以前より少しだけ素直に、父上のことを考えられるようになっていた。
「ところで、ボーマン」
「はい」
「退職したのは分かったわ。タクマの修行を見てくれるのも、もちろん覚えてる」
「ええ。そのために戻ってまいりました」
「だったら、どうして家を建ててるの?」
ボーマンは不思議そうに首を傾げた。
「毎日街から通うのも、少々手間でございますからな」
「……それだけ?」
「それに、せっかく宮廷を離れたのです。以前から、一度は自分の手で住まいを建ててみたいと思っておりまして」
私は目を瞬かせた。
「……そんな趣味があったの?」
「趣味というほどではございません。ただ、若い頃は野営地の設営や砦の補修などにも携わりましたので、多少は心得がございます」
そういえば、この人は元近衛兵団団長だった。
今では穏やかな老人にしか見えないけれど、昔は戦場で兵を率いていた人だ。野営地を整えたり、簡単な施設を作ったりすることもあったのだろう。
だからといって、退職早々に森で家を建て始めるとは思わなかったけれど。
「土地の使用については、街の担当者に話を通してございます。伐採の許可もいただいておりますので、ご心配には及びません」
「……そこはちゃんとしてるのね」
「当然でございます」
「だったら、近所に住んでる私にも一言くらい相談してほしかったわ」
「それは失礼いたしました」
ボーマンは素直に頭を下げた。
ただ、その顔には悪びれた様子がほとんどない。
……絶対、分かっててやってるわね。
私はそう確信した。
その時だった。
「……あれ?」
タクマが、地面に並べられた丸太を見ながら声を上げた。
「ボーマンさん、この木って、今朝切ったんですか?」
「ええ。まだ数本ですが、なかなかよい材が取れました」
「じゃあ、まだ乾燥してないですよね?」
「乾燥、でございますか?」
ボーマンの手が止まった。
タクマは丸太の切り口を覗き込み、少し考えるような顔をした。
「こういう丸太を使って家を建てるなら、乾燥させないとまずいんじゃないかなって。木って乾くと縮むし、反ったり割れたりもしますから」
「ふむ……」
「ログハウスだと、特に壁の高さが変わったりするんですよ。窓とか扉のところも、ちゃんと考えておかないと」
私はタクマを見た。
……何だか、急に詳しい。
ボーマンも同じことを思ったらしい。
「ほう。タクマ殿は、建築にもお詳しいのですな」
「いや、詳しいってほどじゃないですけど。前の世界では住宅関係の仕事をしてたので、そういう話は結構聞いてたんですよ」
「なるほど。住宅を扱うお仕事でしたか」
「ええ。実際に建てる職人じゃなかったんですけどね」
タクマは少し照れくさそうに笑った。
私は、彼が以前の世界で住宅を扱う仕事をしていたことは知っている。けれど、こうして仕事の知識を披露するところを見るのは初めてだった。
この世界へ来てからのタクマは、剣も魔法も、まだまだ学ぶことが多い。冒険者としての経験は着実に積んでいるけれど、私やハーケンに教わる場面が多いのも事実だった。
だから、こうして誰かに専門的な知識を教えている姿を見ると、少し不思議な感じがする。
しかも、相手はあのボーマンなのだ。
「しかし、困りましたな」
ボーマンは丸太を見下ろした。
「乾燥させるとなると、しばらく建築はお預けでしょうか」
「普通ならそうですね。乾燥済みの木材を買ってくる手もありますけど……」
そこでタクマが、こちらを見た。
何となく嫌な予感がした。
「……リカ」
「何?」
「魔法で木を乾燥させられない?」
「……え?」
「いや、ほら。水分だけ抜くような魔法ってないのかなって」
私は丸太を見た。
それから、タクマを見た。
「……できるけど」
「できるんだ!」
「できるけど、何?」
「じゃあ、それでいけるんじゃない?」
確かに、水分を操作する魔法はある。木材の内部に含まれる水分を取り除くことも、理屈の上では難しくない。
「……まあ、できなくはないわね」
「本当ですか、殿下」
ボーマンまで嬉しそうな顔をしている。
「ええ。木の中にある水分を外へ出せばいいんでしょ? それくらいなら簡単よ」
私は近くにあった丸太へ手を向けた。水分を操作する魔法なら、わざわざ術式を準備する必要もない。内部に含まれている水をまとめて引き出してしまえば、あっという間に終わるはずだった。
「あっ、リカ! ちょっと待って!」
「……何よ」
「一気に乾燥させちゃ駄目だって!」
タクマが慌てて私の手を止めた。
「何で? 水を抜けばいいんでしょ?」
「いや、木って乾燥すると縮むんだよ。しかも、外側と内側で乾き方が違うと、割れたり反ったりするんだ。だから、なるべく均一に、少しずつ乾燥させないと」
「……面倒くさいわね」
「家を建てるんだから、そこはちゃんとしないと」
タクマは真面目な顔で答えた。
私は丸太を見下ろす。魔法で水分を取り除くこと自体は簡単だけれど、どのように取り除くかまでは考えていなかった。確かに、タクマの言うとおり、木を傷めてしまっては意味がない。
「……分かったわよ。ゆっくり、均一に抜けばいいのね?」
「そうそう。あと、あんまり乾かしすぎないように」
「……まだあるの?」
「乾かしすぎても、後で湿気を吸って膨らんだりするからさ。できれば、使う環境に合った状態にしておきたいんだよ」
「……タクマ」
「ん?」
「あなた、朝から注文が多すぎない?」
「いや、だって、せっかく建てるなら長持ちさせたいだろ?」
悪びれもせずにそう言われると、反論しづらい。しかも、説明を聞けば聞くほど、言っていることはもっともなのだ。
私は小さくため息をついて、丸太へ手を伸ばした。
「はいはい。じゃあ、ちゃんと見ててよね」
「もちろん」
……どうして私が、タクマの指示で木材を乾燥させることになっているのかしら。
◇
結局、私は木材を乾燥させることになった。
切り倒された丸太の一本に手を当て、内部の水分を探る。生木だけあって、まだかなりの水分を含んでいるけれど、魔法で操作すること自体は難しくない。
「じゃあ、始めるわよ」
「うん。できるだけ全体を均一にお願い」
「分かってるってば」
私は木の内部に意識を広げ、含まれる水分を少しずつ移動させた。表面だけを乾かさないように気をつけながら、内部の状態を確かめていく。
やがて、丸太の表面に細かな水滴が浮かび上がり、それが集まって地面へ落ち始めた。
「おお……すごいな」
タクマが感心した声を上げる。
「木の中から水が出てきてる。こんなの、向こうじゃ絶対にできないぞ」
「ふふん。もっと褒めてもいいのよ?」
「うん、すごいすごい。あ、でも、もう少しゆっくりでいいと思う」
「……褒めるのか注文するのか、どっちかにしてくれない?」
タクマは笑いながら、丸太の様子を確認している。
「じゃあ、そろそろ一回止めてみて」
「もういいの?」
「ちょっと確認したい」
私は魔法を止め、丸太から手を離した。
タクマは切り口や表面を眺め、指で軽く叩いてみる。何度か場所を変えて音を確かめると、満足そうに頷いた。
「うん、こんなところかな」
「……それで分かるの?」
「いや、正確な水分量までは分からないけど、さっきより音が軽くなってるし、見た感じも悪くない。あとは実際に使いながら様子を見るしかないかな」
「ふうん……」
私は改めて丸太を見た。
さっきまでただの木の塊にしか見えなかったものを、タクマはまるで別のものを見るように確かめている。魔法で内部の水分を感じ取れる私よりも、木材の扱いについてはずっと詳しいらしい。
「なるほど。確かに、先ほどとは随分違いますな」
ボーマンも近づいてきて、木の表面に手を当てた。
「タクマ殿。これなら建築に使えそうでしょうか」
「たぶん大丈夫だと思います。ただ、乾燥した後でも木は動くので、組み方には気をつけた方がいいですね」
「承知いたしました」
ボーマンは丁寧に頷いた。
それから、当然のように次の丸太へ視線を移す。
「では、殿下。こちらもお願いできますかな」
「……全部?」
「はい」
私は積み重なった丸太を見た。結構な数があるし、まだ立っている木まである。これを全部、タクマの細かな注文に付き合いながら乾燥させるのだろうか。
「……ねえ、ボーマン」
「何でしょう」
「これ、何本くらい使うつもりなの?」
「そうですな。小さな住まいですから、それほど多くは必要ないかと」
……その答え、絶対に信用しない。
「リカ、次の木はもう少しゆっくり水分を抜いてみようか」
「……はいはい!」
私は少し強めに返事をして、次の丸太に手を伸ばした。
それからしばらく、森の中では木材から水が流れ落ちる音が続いた。鳥たちがようやく静かになった頃には、私はすっかり目が覚めていた。
◇
「ボーマンさん、基礎はどうする予定だったんですか?」
木材の乾燥が一段落すると、タクマは今度は地面を見始めた。
「基礎、でございますか」
「はい。家を直接地面に置くわけじゃないですよね?」
「もちろんです。石を据え、床を地面から離すつもりでした」
「なるほど。それなら、まず地面を整えた方がいいですね。あと、水が溜まらないようにしておかないと」
タクマは辺りを歩き回り、地面の傾斜を確かめている。時折しゃがみ込んでは土を触り、少し離れた場所から全体を眺める。
……何だか、本当に仕事をしているみたい。
「この辺り、少し低いですよね。雨が降ったら水が集まりそうだな……」
「ふむ。確かに」
「こっちに排水できるようにしておいた方がいいと思います」
「なるほど。では、こちら側を少し掘り下げましょうか」
「そうですね。あと、建物を置くところは平らにして……」
タクマが地面に枝で線を引き始めた。
ボーマンはその隣にしゃがみ込み、真剣な顔で説明を聞いている。
私は少し離れたところで、二人の様子を眺めていた。いつの間にか、すっかり意気投合している。
「リカ!」
タクマがこちらを振り返った。
「……何?」
「ここ、魔法で掘れる?」
「……掘れるけど」
「じゃあ、この線の内側を少し掘ってほしいんだ。あと、こっちは水が流れるように溝を作りたい」
私は地面に描かれた線を見下ろした。
それから、タクマを見る。
「……タクマ」
「ん?」
「私、何屋さんだと思われてるの?」
「え?」
「朝から木を乾燥させて、今度は穴掘り?」
タクマは少し考えた。
「……すごく頼りになる魔法使い?」
「そういうことじゃない!」
思わず声を上げると、タクマが笑った。
ボーマンも口元を緩めている。
「殿下。もちろん、無理にとは申しませんが」
「ボーマンは黙ってて!」
「これは失礼」
……もう。
どうしてこうなるのかしら。
私は、静かな森でタクマと暮らしていたはずなのに。二週間ぶりにボーマンが戻ってきたと思ったら、朝から木を倒し、今度は私に土を掘らせようとしている。
しかも、タクマまで妙に楽しそうだ。
「……分かったわよ」
私は諦めて地面に手を向けた。
「でも、ちゃんと深さと範囲を決めてよね。適当に掘ってから直してって言われるの、嫌だから」
「分かった。じゃあ、まずここから……」
タクマが指示した範囲の土を、私は魔法で持ち上げた。地面が音もなく沈み、土が塊となって宙に浮かぶ。それを邪魔にならない場所へ運び、地面を整える。
タクマが目を丸くした。
「……本当に一瞬だな」
「だから、できるって言ったでしょ」
「いや、分かってたけど……。元の世界だったら、重機が必要な作業だぞ」
「じゅうき?」
「ああ、えっと……大きな機械。土を掘ったり運んだりするやつ」
「……私、それと同じ扱いなの?」
「いや、そういう意味じゃなくて!」
タクマが慌てて弁解する。
私はじっと彼を見た。
「……ふうん」
「リカ?」
「後で覚えてなさいよ」
「えっ、何で!?」
ボーマンが、とうとう声を出して笑った。
……この人がこんなに楽しそうなの、久しぶりに見た気がする。
そう思うと、少しだけ怒る気が失せてしまった。
◇
そこから先は、妙に作業が早かった。
私が魔法で地面を整え、ボーマンが石を運び、タクマが位置や高さを確認する。必要な石材はボーマンが用意していたものに加え、周囲から使えそうなものを集めた。大きな石を動かすのも、私にとってはそれほど難しいことではない。
ただし、ここで一つ問題があった。
タクマは、細かい。
それは今に始まったことではない。普段から何かを始める前にはきちんと確認するし、分からないことがあれば納得するまで調べようとする。そういう性格なのはよく知っている。
けれど、住宅の話になると、その細かさに一段と磨きがかかるらしい。
「リカ、ここ、少し高さが違う」
「……どれくらい?」
「ほんの少しだけど、できれば揃えたい」
「それくらい、後からどうにでもなるんじゃない?」
「いや、最初に揃えておいた方がいいんだよ。上に建物が乗るんだから」
「……分かったわよ」
私は言われたとおりに石の位置を調整した。
「あ、もうちょっと右」
「……これくらい?」
「いや、少し戻して」
「……タクマ」
「ん?」
「私、魔法で石を動かしてるのよ?」
「うん」
「そんなに細かく動かしたいなら、自分で持って動かしてみる?」
タクマは石を見た。
大人が数人がかりでも、簡単には動かせそうにない大きさだった。
「……リカ、いつもありがとう」
「よろしい」
ボーマンが、隣で楽しそうに笑っていた。
「タクマ殿は、なかなか慎重でいらっしゃる」
「いや、実際に家を建てるのは初めてなんですけどね。だから余計に、基本はちゃんとした方がいいかなって」
「よい心掛けですな」
「ただ、細かいところは職人さんに聞いた方がいいと思います。俺、営業でしたから」
「営業……でございますか?」
「ああ、家を建てたい人に説明したり、相談に乗ったりする仕事です」
「なるほど。人の望む住まいを考えるお仕事でしたか」
「まあ、そんな感じです」
タクマは照れくさそうに頭を掻いた。
私は二人を見ながら、何だか不思議な気持ちになっていた。
この世界へ来てからのタクマは、いつも何かを学んでいる。文字を覚え、魔法を覚え、剣を習い、冒険者として少しずつ経験を積んでいる。私が知っていることを教える場面も多かった。
けれど、今のタクマは違う。
自分が元いた世界で学んだことを、自分の言葉で説明している。しかも、その話を聞いているのは、あのボーマンだ。
私が幼い頃から、何を聞いても答えてくれた人。知らないことなどないのではないかと、本気で思っていた人。
そのボーマンが、タクマの話に耳を傾け、時折感心したように頷いている。
……何だか、ちょっと嬉しい。
タクマがこの世界へ来る前に過ごした時間は、決して無駄になっていない。剣や魔法が使えなくても、彼には彼の知識がある。そして、それを必要としてくれる人もいる。
私は、そんな当たり前のことを、今さらながら実感していた。
「リカ、ちょっといい?」
「……何?」
「この石、もう少し右に動かせる?」
「……はいはい」
もっとも、その感動も、何度も作業を頼まれると、少しずつ薄れていくのだけれど。
◇
昼前には、家の土台が形になり始めていた。
ボーマンは本当に器用だった。丸太の表面を整え、接合する部分を加工し、必要な場所に切り込みを入れていく。作業は驚くほど正確で、無駄がない。
タクマが説明した内容も、すぐに理解しているらしい。
「こちらの丸太は、こう組み合わせればよろしいでしょうか」
「そうですね。あ、でも、そのままだと横にずれるかもしれないから、もう少し噛み合わせを深くした方がいいかも」
「ふむ。では、このように」
ボーマンが手を動かす。
タクマが確認する。
「……あ、それです!」
「なるほど。確かに、こちらの方が安定いたしますな」
私は呆れながら、その様子を眺めていた。
元近衛兵団団長と、異世界から来た元住宅営業マン。その二人が、森の中で丸太を組み合わせている。
しかも、なかなか楽しそうだ。
……何なの、この光景。
昼食の準備をしようと声をかけたところで、タクマが何かを思い出したように顔を上げた。
「あ、そうだ。リカ」
「今度は何?」
「木材をくっつける魔法って、ある?」
「……あるけど」
「あるんだ……」
タクマは少し考え込んだ。
「いや、でも、何でも魔法でくっつけちゃうと、後で直す時に困るかな」
「そうね。強く固定しすぎると、分解するのが面倒になるわ」
「じゃあ、基本はちゃんと組んで、必要なところだけ補強する方がいいか」
「それならできるわよ」
私が答えると、ボーマンが頷いた。
「では、その方針で進めましょう」
……方針。
いつの間にか、三人で建築計画を立てている。しかも、私も普通に参加してしまっている。
今さら気づいても、もう遅かった。
◇
昼食を済ませると、作業はさらに進んだ。
ボーマンが加工した丸太を、私が魔法で持ち上げる。タクマが位置を確認し、ボーマンが組み合わせる。最初は慎重だった作業も、何度か繰り返すうちに、すっかり息が合うようになっていた。
「リカ、もう少し下!」
「これくらい?」
「そうそう。ボーマンさん、どうですか?」
「ええ。ぴったりでございます」
丸太が重なり、壁が少しずつ高くなっていく。
木材は私が乾燥させてあるので、加工もしやすいらしい。必要に応じて形を整え、組み合わせる部分を補強する。
タクマは途中で何度も、扉や窓の位置を確認していた。
「ここ、後で扉を付けるんですよね?」
「ええ」
「じゃあ、この上は少し余裕を見ておいた方がいいですね。木が落ち着くまでに動くかもしれないし」
「なるほど。では、そのように」
ボーマンは素直に頷く。
私も、言われた場所に必要な加工を加えた。魔法を使えば、木材を切るのも、削るのも、それほど難しくない。もちろん、細かな仕上げはボーマンの方が上手だったけれど、大まかな加工なら私の方がずっと早い。
そうしているうちに、午後の日差しが少し傾き始めた頃には、家の外形がはっきりと分かるようになっていた。
小さなログハウスだった。
一人で暮らすには十分な広さがあり、寝室と居間、それに簡単な台所を設ける予定らしい。大きな家ではないけれど、森の中に建つ住まいとしては、なかなか悪くない。
……というか。
「……本当に建っちゃうのね」
私は思わず呟いた。
朝、目を覚ました時には、ここはただの森だった。それが今では、壁が立ち上がり、屋根を支える部分まで形になり始めている。
普通なら何日も、あるいはもっと長い時間がかかる作業だろう。
でも、木材の乾燥も、整地も、重量物の運搬も、加工の一部も、魔法で済ませてしまった。
……ちょっと、反則な気がする。
「リカ、屋根の方もお願いできる?」
「……はいはい」
私はもう、文句を言うのも面倒になっていた。
タクマとボーマンが組み上げた屋根の骨組みを、魔法で持ち上げる。位置を合わせ、ゆっくりと下ろす。
ボーマンが固定し、タクマが確認する。
「よし……これで大丈夫そうですね」
「ええ。見事なものですな」
ボーマンは満足そうに頷いた。
私は二人を見た。
「……ねえ」
「何でしょう、殿下」
「あなたたち、何か忘れてない?」
二人が顔を見合わせる。
「……何か、ですか?」
「そうよ」
私は腕を組んだ。
「ボーマン。あなた、何しに来たんだっけ?」
「タクマ殿のご指導でございます」
「……そうよね?」
「ええ」
「じゃあ、何で一日中、家を建ててるのよ!」
ボーマンは少し考えた。
そして、穏やかに微笑んだ。
「ですが、殿下。今日のことも、決して無駄ではございませんよ」
「……どういうこと?」
「タクマ殿について、いろいろと知ることができました」
私は首を傾げた。
ボーマンは、隣に立つタクマへ視線を向ける。
「ご自身の知識を、相手に分かるように伝えることができる。知らないことについては、無理に知ったふりをなさらない。そして、よりよい方法があると分かれば、素直に取り入れられる」
タクマは少し照れくさそうにしている。
「いや、そんな大したことじゃ……」
「いいえ。大切なことでございます」
ボーマンの声は穏やかだったけれど、そこには確かな重みがあった。
「剣を学ぶ者にとっても、魔法を学ぶ者にとっても、自分の知らぬことを認めるのは大切なことです。知識があっても、それに固執してしまえば、かえって判断を誤ることがございますからな」
私は、少しだけ感心した。
確かに、今日のタクマはそうだった。
知っていることは説明する。でも、分からないことは分からないと言う。ボーマンの意見も聞きながら、一緒に考えていた。
それは、冒険者としても大切なことなのかもしれない。
「それに」
ボーマンが続ける。
「私も、タクマ殿から多くを学ばせていただきました。ありがたいことです」
タクマが目を丸くする。
「いや、こちらこそ……。ボーマンさん、すごく器用で驚きました」
「ははは。年の功というものでございますな」
二人は顔を見合わせて笑った。
私は、その様子を見ながら小さく息をついた。
……まあ、いいか。
ボーマンが戻ってきて、タクマがこんなに楽しそうにしている。それだけでも、悪い一日ではなかった。
私自身も、何だかんだ言いながら、結構楽しんでしまったし。
◇
夕方になる頃には、ログハウスはほとんど完成していた。
屋根には雨を防ぐための処理を施し、窓と扉も取り付けた。細かな内装や家具はまだ残っているものの、少なくとも雨風をしのいで眠るには十分な状態になっている。
ボーマンは完成した建物を眺め、満足そうに頷いた。
「いやはや。まさか一日でここまで進むとは思いませんでした」
「……私もよ」
私は心の底から答えた。
タクマはログハウスの周りを歩き、何かを確認している。
「雨が降った時の様子は、見ておいた方がいいですね。あと、しばらくは木の状態も確認した方がいいと思います」
「承知いたしました。タクマ殿には、随分とお世話になりましたな」
「いえいえ。俺も楽しかったです」
タクマは嬉しそうに笑った。
私はその顔を見て、少しだけ胸が温かくなる。
この世界に来てから、彼はきっと、慣れないことばかりだった。知らない言葉、知らない文化、知らない魔法。それでも、一生懸命に学び、少しずつ自分の居場所を作ってきた。
今日は、そんな彼が以前の世界で身につけたものを、誰かのために使うことができた。
それが、私には嬉しかった。
「……タクマ」
「ん?」
「今日は、随分楽しそうだったわね」
「うん。久しぶりに、前の仕事を思い出したよ」
「そう」
「でも、実際に家を建てる側になるとは思わなかったな」
タクマは笑った。
「しかも、魔法で一日で建っちゃうんだから。向こうの会社の人が見たら、腰抜かすと思う」
「ふふっ。そうかもね」
私もつられて笑った。
その時、ボーマンがこちらへ歩いてきた。
「さて、タクマ殿」
「はい」
「明日からは、いよいよ本格的に始めましょうか」
タクマの表情が引き締まる。
「……修行ですね!」
「ええ。まずは、現在の実力を拝見いたします。ハーケン殿から学ばれた剣術も、殿下から教わった魔法も、ひととおり確認させていただきましょう」
「はい! よろしくお願いします!」
タクマは勢いよく頭を下げた。
ボーマンは満足そうに頷く。
「よろしい。では、明日の朝から始めるといたしましょう」
私は、その言葉を聞いて、少しだけ昔を思い出した。
そういえば、私もボーマンから似たようなことを言われた覚えがある。
あれは、まだ王宮にいた頃だった。最初は簡単な訓練だと思っていたのに、気づけば朝から晩まで走らされ、剣を振らされ、魔法を使わされていた。
しかも、ボーマンは決して怒鳴ったりしない。
ただ穏やかに微笑みながら、次の課題を出してくるのだ。
……うん。
あれは、なかなか大変だった。
「……タクマ」
「ん?」
「……頑張ってね」
「うん! 楽しみだな!」
タクマは満面の笑みを浮かべた。
私は、それ以上何も言わなかった。
知らない方が幸せなこともある。
そう思ったからだ。
「ところで、殿下」
ボーマンが、ふと思い出したように声をかけてきた。
「……何?」
「明日の朝、少々お時間をいただけますかな」
「……何で?」
「家の裏手に、薪を置く小屋を作ろうかと思いまして」
私は無言でボーマンを見つめた。
「できれば、地面を少し整えていただけると助かるのですが」
「……ボーマン」
「はい」
「あなた、私を何だと思ってるの?」
ボーマンは、いつもの穏やかな笑顔を浮かべた。
「もちろん、マリアベル王国の第三王女殿下でございます」
「だったら!」
「ですが、殿下」
ボーマンは、少しだけ楽しそうに目を細めた。
「民の暮らしを支えるのも、王族の大切な務めでございますよ」
「……絶対、そういう意味じゃないでしょ!」
森の中に、私の声が響いた。
隣ではタクマが笑っている。ボーマンも、珍しく声を出して笑っていた。
……まったく。
どうやら、これからの生活は、今までより少し騒がしくなりそうだ。
それでも、夕暮れの森に建ったばかりの小さなログハウスを眺めながら、私は思った。
こういう騒がしさなら、案外悪くないのかもしれない。
もっとも、明日の朝からまた穴を掘らされるのだけは、絶対にお断りだけれど。




