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脱走王女は自由でありたい  作者: 真部 朝樹
脱走王女は恋をする編

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第20話 迷宮の異変


目が覚めたとき、私は少しだけ不思議な気分だった。


窓の外はまだ薄暗く、森の木々の間から差し込む朝の光も弱い。いつもならもう少し布団の中にいたいと思う時間なのに、今日は目が覚めた途端、自然と体を起こしていた。眠気がないわけではないけれど、それ以上に、早く今日を始めたいという気持ちの方が強かった。


理由は分かっている。


昨日、私はタクマと恋人になった。


改めて頭の中でそう言ってみると、何だか頬が緩んでしまう。今までだって一緒に暮らしていたし、手をつないだことも、キスをしたこともある。それなのに、恋人という名前がついただけで、いつもの朝が少し違って見えるのだから不思議なものだ。


隣の部屋から物音が聞こえた。どうやらタクマも起きているらしい。今日は二人とも出発が早いから、寝坊しないように気をつけようと昨夜話していたのだった。


私は身支度を整えてから台所へ向かった。


「おはよう、タクマ!」


「おはよう、リカ。……何か、すごく元気だな」


「そう?」


「うん。朝から随分機嫌がいい」


タクマは朝食の準備をしながら、少し不思議そうに笑った。私はその隣に立って食器を並べ、温めていたスープの鍋を覗き込む。いつもと同じ台所で、いつもと同じように二人で朝食を準備しているだけなのに、今日は何をしていても楽しかった。


「……昨日のこと、もう忘れたの?」


「いや、忘れてないけど」


「じゃあ、分かるでしょ!」


自分でも少し理不尽なことを言っている気がしたけれど、今日は気にならなかった。タクマは苦笑しながら焼いたパンを皿に載せ、私の方へ差し出してくれる。


「分かった、分かった。俺も嬉しいよ」


「……うん」


そう言われると、今度は少し恥ずかしくなる。私は誤魔化すようにスープを器へ注ぎ、先に食卓へ運ぶことにした。


朝食を取りながら、二人で今日の予定を確認した。私は北東の迷宮で行われる大規模な魔獣討伐作戦へ参加し、タクマは商隊の護衛補助として交易町へ向かう。どちらも数日間の仕事になる予定で、帰ってくる日も正確には決まっていない。


「護衛隊の人たちとは、もう顔合わせしたんだよね?」


「うん。昨日、責任者の人と話してきた。俺の仕事は荷物の管理と見張りが中心で、戦闘になったら基本的には後ろに下がるように言われてる」


「そっか。それなら安心かな」


「リカの方は? 軍も参加するんだろ?」


「うん。かなり大きな作戦になるみたい。迷宮の周辺には軍が陣地を作って、私たち冒険者が中の魔獣を減らすんだって」


「……大変そうだな」


タクマは少し心配そうな顔をした。


「リカも無理するなよ。強いのは知ってるけど、今回は規模が大きいんだろ?」


私は少し驚いた。いつも心配するのは私の方だったから、こうして彼に気遣われるのは何だか新鮮だった。


「うん。ちゃんと気をつける」


「約束な」


「約束!」


私は笑って答えた。


お互いの仕事について、それ以上細かな口出しはしなかった。心配がないわけではないけれど、タクマが自分で選んだ仕事なのだから、私も彼を信じたい。それに、私だって冒険者だ。危険な仕事へ向かうことを理解してもらえるのは、嬉しかった。


食事を終えた後は、最後の荷物確認を済ませた。タクマは短い文字で書いた持ち物の一覧を見ながら、一つずつ荷物を確かめている。私はその様子を横目に見ながら、自分の装備を整えた。


彼の準備は、もう十分だろう。


そう思っても、つい何か言いたくなってしまうのだから、私も困ったものだ。


*


街へ出ると、朝のノヴァグラードはすでに賑わい始めていた。


市場へ荷物を運ぶ商人や、仕事へ向かう職人たちが行き交い、通りの向こうからは馬車の車輪が石畳を転がる音が聞こえてくる。いつもと変わらない街の風景だったけれど、今日はその中をタクマと並んで歩いているだけで、少し楽しかった。


やがて、道が二つに分かれる場所へ着いた。


タクマの商隊は西側の広場に集合することになっている。一方、私たち冒険者は東門近くに集まり、軍の輸送馬車で迷宮へ向かう予定だ。ここから先は別々の道になる。


「じゃあ、ここで別々だな」


タクマが言った。


「うん」


私は彼の顔を見上げた。


数日間会えなくなる。そう思うと少し寂しいけれど、以前のように不安ばかり感じることはなかった。タクマはもう、自分で仕事を選び、準備を整えてここまで来ている。私が心配しすぎる必要はないのだろう。


「気をつけてね、タクマ」


「リカもな」


「帰ったら、一緒にご飯食べようね」


「うん。約束しただろ」


タクマは笑った。


私はその笑顔を見て、少しだけ背伸びをした。


唇が触れる。


ほんの一瞬のキスだったけれど、離れた途端、周囲に人がいることを思い出してしまった。慌てて周りを見回すと、通りを行き交う人々はそれぞれの用事に忙しく、幸いこちらを気にしている様子はない。


「……あ」


思わず声が漏れた。


タクマも少し照れたように笑っている。


「……行ってくるよ」


「うん。行ってらっしゃい」


「リカも、頑張って」


「もちろん!」


私たちは手を振って別れた。


タクマは西の広場へ、私は東門へ向かう。途中で一度だけ振り返ると、彼もこちらを見ていた。私は大きく手を振り、タクマも笑って振り返してくれる。


それだけで、また嬉しくなってしまった。


*


東門の近くには、すでに何台もの輸送馬車が並んでいた。


冒険者たちは部隊ごとに集まり、軍の兵士から行き先や乗車する馬車を指示されている。私は指定された馬車を探し、そこにフリーダたちの姿を見つけた。


「おはよう!」


「おう、リカ。……何だ、お前」


フリーダが私の顔を見て、妙な表情をした。


「なに?」


「いや、朝から随分ご機嫌じゃねえか」


「そう?」


「そうだよ。何かいいことでもあったのか?」


私は思わず笑ってしまった。


「……まあ、ちょっとね」


その返事を聞いたフリーダが、ますます怪しむような顔をする。


馬車にはクルシュとシエラも乗っていた。クルシュは穏やかに挨拶してくれたけれど、シエラは私の顔を見て、小さく首を傾げている。


「リカ、嬉しそう」


「えへへ。分かる?」


「うん。すごく」


シエラが微笑んだ。


私は荷物を置き、三人の向かい側に腰を下ろした。


馬車が動き出すと、車輪が石畳を転がる振動が座席へ伝わってきた。やがて街を抜け、周囲の景色が畑や草原へ変わっていく。軍の輸送馬車だけあって乗り心地はあまりよくないけれど、今日はそれすら気にならなかった。


しばらくは作戦の話をしていたけれど、フリーダはどうしても私の様子が気になるらしい。


「で、結局何があったんだよ」


「……何が?」


「とぼけんな。さっきからニヤニヤしてるだろ」


「そんなに?」


「そんなにだ」


クルシュまで小さく笑った。


「確かに、今日はいつも以上に楽しそうですね」


私は少し迷った。


別に隠すようなことではない。むしろ、今なら堂々と言っていいはずだ。


「……実はね」


三人が私を見る。


「昨日、タクマと正式に付き合うことになったの」


一瞬、馬車の中が静かになった。


フリーダが首を傾げる。


「……は?」


「だから、恋人になったの!」


「いや、それは聞こえた」


彼女は眉をひそめた。


「……お前ら、まだ付き合ってなかったのか?」


「えっ?」


今度は私が驚く番だった。


クルシュも困ったように笑っている。


「私も、もうそういう関係なのだと思っていました」


「……そうだったんだ」


シエラまで不思議そうな顔をしていた。


「ちょ、ちょっと待って! みんな、私たちが付き合ってると思ってたの!?」


「そりゃ思うだろ!」


フリーダが声を上げた。


「一緒に暮らして、毎日飯食って、出かけるときは大抵一緒で、お前なんかタクマの話ばっかりしてるじゃねえか!」


「そ、それは……!」


「しかも最近なんか、二人でいると妙に甘ったるい空気出してただろ。あれで付き合ってないって、どういうことだよ!」


私は言い返そうとして、言葉に詰まった。


確かに、そう言われると否定しづらい。私たちにとっては少しずつ距離を縮めてきたつもりだったけれど、周囲から見れば、とっくに恋人同士に見えていたのかもしれない。


クルシュが優しく笑った。


「でも、改めておめでとうございます。よかったですね、リカ」


「うん。ありがとう」


「おめでとう」


シエラも微笑んだ。


「タクマなら、リカを大切にしてくれると思う」


「……うん」


私は少し照れながらうなずいた。


フリーダもようやく笑顔になった。


「まあ、よかったじゃねえか。あいつ、いい奴だしな」


「でしょ?」


「そこで得意げになるなよ」


私は笑った。


嬉しくなって、つい昨夜のことまで話してしまった。


夕食の後、思い切って付き合っていることにしてもいいかと尋ねたこと。タクマが少し考えてから、私でいいならと答えてくれたこと。そして、彼が一人でも家へ戻れるように転移魔法陣の設定を変えたこと。


もちろん、家の場所や魔法陣の詳しい仕組みまでは話さなかったけれど、三人は興味深そうに聞いてくれた。


「……で、今朝は?」


フリーダが尋ねた。


「今朝?」


「別れるとき、何かしたのか?」


「……えっと」


私は少し迷った。


「……キスした」


フリーダがにやりと笑う。


「ほう」


「それで、帰ったら一緒にご飯食べようって約束したの」


「……ほう」


彼女の笑みが、何だか妙なものに変わった。


そして、突然真剣な顔になる。


「……まずいな」


「え?」


「タクマが死ぬぞ」


「何で!?」


私は思わず立ち上がりかけ、馬車の揺れで座席へ戻された。


フリーダは腕を組み、重々しくうなずいている。


「考えてもみろ。正式に恋人になった翌朝、別々の危険な仕事へ出発。しかも出発前にキスまでして、帰ったら一緒に飯を食おうって約束したんだろ?」


「……うん」


「そういう幸せな約束をして出かけた奴に限って、帰ってこなくなるって話があるんだよ」


「そ、そんな話、聞いたことないよ!?」


「冒険者の間じゃ昔から言うだろ。『この仕事が終わったら結婚する』なんて言い出した奴は危ないって!」


私は硬直した。


確かに、そんな話を聞いたことがある。危険な仕事へ向かう前に、将来の幸せについて語り始めた人間は、なぜか帰ってこない。


もちろん、ただの迷信だ。そんなことは分かっているけれど、今朝の私たちは、あまりにも幸せそうに別れてしまった気がする。


「…………しまった!」


私は両手で顔を覆った。


フリーダが腹を抱えて笑い始める。


「はははっ! お前、本気にするなよ!」


「だ、だって!」


「フリーダ、縁起でもないことを言わないでください」


クルシュが呆れたように言った。


シエラも小さくため息をつく。


「……リカを怖がらせないの」


「悪い悪い。冗談だって」


フリーダは笑いながら手を振った。


「タクマはちゃんとした護衛隊についてるんだろ? だったら大丈夫だよ」


「……もう!」


私は頬を膨らませた。


まったく、せっかく幸せな気分だったのに。


けれど、三人が笑っているのを見ているうちに、私もつられて笑ってしまった。


タクマは大丈夫。彼は無理をしないと約束してくれたし、経験豊富な冒険者たちも一緒なのだ。


私は彼を信じている。


それで十分なはずだった。


*


迷宮の手前に設営された野営地へ到着したのは、昼を少し過ぎた頃だった。


馬車を降りた私は、思わず周囲を見回した。


想像していた以上の規模だ。


広い平地には何十張もの天幕が並び、軍の兵士たちが忙しく動き回っている。補給用の馬車が次々と到着し、食料や水、矢束などが所定の場所へ運ばれていた。少し離れた場所には負傷者を収容するための治療所も設けられていて、回復魔法を使える者たちが準備を進めている。


冒険者たちも、部隊ごとに集まっていた。


普段はそれぞれ別の依頼を受けている高ランク冒険者が、これほど一度に集まることは珍しい。顔見知り同士で挨拶を交わす者もいれば、初めて組む仲間と装備や戦い方を確認している者もいる。


「……本当に大掛かりだね」


私が呟くと、クルシュがうなずいた。


「これだけの人数を動かすとなると、準備だけでも相当大変だったでしょうね」


「軍まで出てくるってのは、やっぱりただ事じゃねえな」


フリーダも周囲を見回していた。


そのとき、背後から大きな声がした。


「おう、リカ!」


振り返ると、大柄な男がこちらへ歩いてきていた。


年齢は四十歳前後だろうか。短く刈り込んだ髪に、日に焼けた顔。頑丈そうな鎧を身につけ、背中には私の身長ほどもありそうな大剣を背負っている。


その姿を見た瞬間、私は笑顔になった。


「ガルド!」


「久しぶりだな。元気にしてたか?」


「うん! ガルドも元気そうだね」


「まあな。相変わらず、魔獣相手に剣を振り回してるよ」


ガルドは豪快に笑った。


彼はノヴァグラードを拠点とするA級冒険者で、私よりもずっと長くこの仕事を続けている。普段は遠方の依頼へ出ていることが多いから、街で顔を合わせる機会はそれほど多くない。


けれど、以前に何度か一緒に仕事をしたことがあり、その実力はよく知っていた。


大剣を使った豪快な戦い方が目立つけれど、実際には周囲の状況をよく見ていて、仲間を危険にさらさないように立ち回ることができる。長年の経験に裏打ちされた判断力は、私も見習いたいと思っているところだった。


「今回も参加するんだね」


「おう。ギルド長に呼び戻されてな。ちょうど近くで仕事してたから、顔を出したってわけだ」


「そっか。心強いね」


「そりゃこっちの台詞だ。お前が来るなら、少しは楽ができそうだ」


「それ、私の台詞なんだけど」


私たちは顔を見合わせて笑った。


ガルドはフリーダたちにも挨拶し、シエラの顔を見ると軽くうなずいた。


「お前も来てたか。斥候は任せたぞ」


「うん。よろしく」


シエラが答える。


その後、私たちはガルドに案内され、作戦本部となっている大きな天幕へ向かった。


*


作戦本部では、軍の指揮官とバルザックが最終的な打ち合わせを行っていた。


机の上には迷宮内部の地図が広げられ、複数の区域が色分けされている。今回の作戦では、冒険者をいくつかの隊に分け、迷宮の浅い区域から順に魔獣を減らしていくことになっていた。


軍は迷宮の外に防衛線を設け、万が一魔獣が外へ出てきた場合に備える。また、負傷者の搬送や補給も担当するため、冒険者たちは迷宮内部での戦闘に集中できる。


私たちが配属されたのは、中央方面を担当する主力部隊だった。


隊の指揮を執るのはガルド。私とフリーダ、クルシュ、シエラのほかにも、数人の高ランク冒険者が加わることになっている。


「今回の仕事は、魔獣を何匹倒したか競うもんじゃねえ」


出発前、ガルドは全員を集めて言った。


「敵の数が分からねえ以上、無理に進めば囲まれる。退路の確保を最優先にして、危険だと思ったらすぐに引く。勝手な判断で突っ込む奴がいたら、俺が引きずってでも連れ戻すからな」


彼は一人ずつ顔を見回した。


「全員で帰ってくる。それが今回の仕事だ」


誰も異論を唱えなかった。


私も、その言葉にうなずいた。


強い魔獣を倒すだけなら、私一人でもできることは多い。けれど、今回のように複数の部隊が行動する作戦では、自分だけが強くても意味がない。


仲間を守り、全員が無事に帰る。


そのために、自分の力をどう使うか。


それが、今回の私の役割だった。


*


迷宮の入口は、岩山の斜面にぽっかりと開いた大きな洞窟だった。


中へ入ると、外の暖かな空気が一変する。ひんやりとした湿気が肌にまとわりつき、奥からは土と石、それに魔獣特有の獣臭さが漂ってきた。


壁には淡く光る鉱石が点在していて、完全な暗闇ではない。けれど、通路の先は見通しが悪く、曲がり角の向こうに何がいるのかは分からなかった。


シエラが先頭近くを歩き、周囲の様子を確認している。


「……足跡が多い」


彼女が立ち止まった。


地面には、大小さまざまな足跡が残されていた。四本足の獣型魔獣のものもあれば、爪の長い二足歩行の魔獣らしい跡もある。


「この辺りに、こんなに集まるものなの?」


私が尋ねると、シエラは首を横に振った。


「普通は、もう少し奥にいる種類も混じってる」


ガルドが地面を見た。


「……こりゃ、確かにおかしいな」


私たちは警戒を強めながら進んだ。


そして、最初の広間へ出たところで、異常の意味を思い知らされることになった。


そこには、十数匹の魔獣が集まっていた。


岩のような外皮を持つ四足獣が数匹。その周囲には、長い爪を持つ小型の魔獣が群れている。さらに、天井近くの岩棚には、羽を持つ別種の魔獣まで張りついていた。


普通なら、これほど異なる種類の魔獣が同じ場所に集まることは少ない。まして、互いに争う様子もなく、一つの広間に留まっているのは不自然だった。


「……なるほどな」


ガルドが低く呟いた。


「報告以上に面倒そうだ」


魔獣たちが、こちらに気づいた。


低い唸り声が広間に響き、四足獣が一斉に身構える。


「来るぞ!」


ガルドの声と同時に、戦闘が始まった。


最初に飛び出してきたのは、岩の外皮を持つ大型の四足獣だった。


ガルドは大剣を構え、真正面から迎え撃つ。魔獣が突進すると、彼は一歩踏み込み、剣の腹を使ってその頭を横へ逸らした。


鈍い衝撃音が響く。


魔獣の巨体が通路の壁へぶつかり、石片が飛び散った。


「フリーダ!」


「おう!」


フリーダが横から踏み込み、槍を突き出す。狙ったのは、岩の外皮に覆われていない脚の付け根だった。鋭い穂先が深く突き刺さり、魔獣が苦痛の声を上げる。


その隙に、私は魔法を発動した。


足元の地面が盛り上がり、魔獣の後脚を絡め取るように固定する。動きを封じられた魔獣へ、ガルドが大剣を振り下ろした。


一撃で首元の外皮が砕け、巨体が崩れ落ちる。


「次!」


ガルドの声が響いた。


今度は小型の魔獣が数匹、左右から回り込んでくる。私は風の魔法で鋭い刃を作り、先頭の魔獣の脚を切り裂いた。倒れ込んだ個体が後続の進路を塞ぎ、その間にクルシュが魔法を発動する。


地面の隙間から蔓が伸び、魔獣たちの足へ絡みついた。


「今です!」


「任せて!」


私は魔力を集中させた。


狭い通路で大きな炎を放てば、味方まで巻き込んでしまう。そこで、拘束された魔獣の周囲だけに小さな炎を発生させ、急所へ集中させた。


炎が一瞬だけ強く輝き、魔獣たちが倒れる。


その直後、頭上から羽音が響いた。


「リカ、上!」


シエラの声。


見上げると、天井の岩棚から翼を持つ魔獣が飛び降りてくるところだった。私は咄嗟に手を上げ、空気の流れを変えて魔獣の飛行方向を横へ逸らした。


体勢を崩したところへ、シエラの矢が突き刺さる。


魔獣は地面へ落ち、動かなくなった。


「ありがとう、シエラ!」


「うん。まだいるよ」


彼女はすでに次の矢をつがえていた。


私は広間を見回した。


敵の数は多い。けれど、こちらの連携は崩れていなかった。


ガルドが大型の魔獣を押さえ、フリーダがその隙を突く。クルシュは敵の動きを妨げ、シエラは死角から近づく個体を知らせてくれる。私はその間を埋めるように、魔法を使った。


時には地面を隆起させて敵の進路を塞ぎ、時には水を薄く広げて足場を滑りやすくする。魔獣が転倒すれば、そこへ風の刃を集中させる。


大きな魔法を使う必要はなかった。


必要な場所に、必要なだけの力を使えばいい。


やがて、最後の魔獣が倒れた。


広間に静けさが戻る。


「……ふう」


私は小さく息を吐いた。


ガルドが大剣を肩へ担ぎ直した。


「いい連携だったな」


「ガルドが前を押さえてくれたからね」


「お前の魔法も相変わらず便利だな。あれだけ細かく使い分けられる奴は、そうそういねえぞ」


「えへへ。ありがとう」


私は少し照れくさくなった。


フリーダが呆れたように笑う。


「お前らA級二人がいると、こっちの仕事が減るな」


「そんなことないよ。フリーダが脚を止めてくれなかったら、もっと時間がかかったと思う」


「……そういうことを普通に言うから、お前は困るんだよ」


「え?」


フリーダは笑いながら首を振った。


私は意味が分からず、クルシュを見た。彼女も微笑んでいるだけだった。


*


その後も、私たちは迷宮の奥へ進んだ。


魔獣の数は、予想以上に多かった。


通常なら数匹ずつしか現れない場所で十匹以上の群れに遭遇することもあれば、本来は別の区域に生息しているはずの魔獣が混じっていることもあった。


しかも、不思議なことに、魔獣たちは互いに争っている様子が少ない。普通なら縄張りを巡って衝突してもおかしくない種類が、同じ方向へ移動している。


「……変だね」


私は呟いた。


シエラが地面へしゃがみ込み、足跡を調べていた。


「これ、全部同じ方向から来てる」


「同じ方向?」


「うん。奥の通路から」


彼女が指した先には、さらに深い区域へ続く道があった。


ガルドが腕を組む。


「追い出されたっていうより、何かに引っ張られてるように見えるな」


私は目を閉じ、周囲の魔力へ意識を向けた。


迷宮の中には、もともと濃い魔力が漂っている。魔獣が多く生息するのも、その影響が大きいと考えられている。


けれど、今感じている魔力の流れは、いつもと少し違っていた。


奥から、一定の間隔で濃い魔力が流れ込んでくる。それは風のように絶えず吹いているのではなく、何かが脈打つたびに押し出されてくるような、不規則な流れだった。


「……何だろう、これ」


私は小さく呟いた。


「何か分かったのか?」


ガルドが尋ねる。


「奥の方から、魔力が流れてきてるの。それも、一定の間隔で」


「迷宮の魔力じゃねえのか?」


「ううん。普通の流れとは少し違う気がする。何か、生き物が魔力を動かしてるみたいな……」


私は言葉を探した。


魔力そのものは目に見えないけれど、長く魔法を使っていると、その濃淡や流れをある程度感じ取れるようになる。


今の感覚は、魔法を発動する直前に魔力が集まるときのものに少し似ていた。ただし、その規模があまりにも大きい。


「……なるほどな」


ガルドは暗い通路の奥を見つめた。


「何かがいるってことか」


「まだ分からない。でも、調べる必要はありそう」


「だな」


私たちはその場所を地図へ記録し、いったん別の通路へ向かった。


原因が分からない以上、無理に進むべきではない。ガルドの判断は正しかったと思う。


*


異変が起きたのは、それからしばらく経った頃だった。


私たちは予定された区域の討伐を終え、次の広間へ向かっていた。すると、後方から伝令役の冒険者が駆け込んできた。


「ガルドさん! 救援要請です!」


その声に、全員が足を止めた。


「どうした?」


「東側の通路で、別の隊が魔獣の大群に遭遇しました! 大型個体が複数いて、撤退路を塞がれているそうです!」


ガルドの表情が変わった。


「負傷者は?」


「数名出ています! まだ戦闘は続いていますが、このままだと……!」


「分かった。案内しろ!」


ガルドは即座に決断した。


「全員、救援に向かうぞ! ただし、勝手に突っ込むな。まずは退路を確保する!」


私たちは伝令の後を追って走り出した。


迷宮の通路を進むにつれ、遠くから戦闘音が聞こえてきた。金属がぶつかる音に混じって、魔獣の咆哮と誰かの叫び声が響いている。


曲がり角を抜けたところで、状況が見えた。


広い通路の奥に、十人ほどの冒険者が押し込まれていた。その前には大型の魔獣が二匹、さらに周囲には小型の魔獣が群れている。


冒険者たちは何とか防御を続けていたけれど、すでに数人が負傷していた。しかも、後方の通路には崩れた岩が積み重なり、逃げ道を塞いでいる。


「……まずいね」


私は周囲を見回した。


敵の数は多い。けれど、問題はそれだけではなかった。


通路が狭く、味方が密集している。ここで大きな魔法を使えば、魔獣だけでなく冒険者たちまで巻き込んでしまう。


さらに、天井には亀裂が走っていた。強い衝撃を与えれば、崩落する危険もある。


「ガルド、正面をお願い!」


「おう!」


「フリーダは右から! クルシュ、負傷者を下がらせて!」


「任せろ!」


「分かりました!」


「シエラ、奥の魔獣の数を確認して!」


「うん!」


私たちは一斉に動いた。


ガルドが大剣を構え、大型魔獣の正面へ飛び込む。魔獣が巨大な腕を振り下ろすと、彼は剣で受け流し、そのまま横へ踏み込んだ。


鈍い衝撃音とともに魔獣の体勢が崩れ、通路の中央にわずかな隙間が生まれる。


「今だ!」


私は魔法を発動した。


地面が隆起し、魔獣たちの間に石の壁がせり上がる。完全に通路を塞ぐのではなく、敵の進路を二つに分けるための壁だ。これなら、冒険者たちが一度に相手にしなければならない魔獣の数を減らせる。


クルシュが蔓を伸ばし、負傷者たちを支えながら後方へ誘導する。フリーダは槍で小型魔獣を牽制し、近づいてくる個体を次々と押し返していた。


「リカ! 奥からまだ来る!」


シエラの声が響いた。


私は視線を向けた。


石壁の向こうから、新たな大型魔獣が姿を現していた。


全身を硬い外殻に覆われた、六本脚の魔獣だ。その体は通路の幅いっぱいに広がり、巨大な顎を開いて威嚇している。


「……あれは厄介だね」


私は小さく呟いた。


普通の魔法でも倒せるだろう。けれど、時間がかかれば、その間に他の魔獣が押し寄せてくる。


今必要なのは、短時間で確実に倒すこと。そして、周囲への被害を最小限に抑えることだった。


私は魔力を集中させた。


思い浮かべたのは、タクマが見せてくれた小さな炎だった。


彼は大きな魔法を使えない。けれど、だからこそ、少ない魔力を無駄なく使う方法を考えていた。


剣の先に小さな炎を灯し、必要な場所へだけ熱を集中させる。その発想が、私に新しい魔法の可能性を教えてくれた。


魔力を大量に放出するのではなく、狭い範囲へ圧縮する。


炎を広げるのではなく、一瞬だけ急激に膨張させる。


それが、最近私が作った爆発魔法だった。


私は魔獣の外殻を観察した。


硬い装甲に覆われているけれど、脚の付け根にはわずかな隙間がある。そこなら、外殻を直接破壊する必要はない。


「……そこだね」


私は手をかざした。


小さな光が、魔獣の脚の付け根に生まれる。


次の瞬間、鋭い破裂音が響いた。


魔獣の体が大きく揺れる。外殻の内側で発生した衝撃が、関節部分を一気に破壊したのだ。


六本脚のうち二本が折れ、巨体が地面へ崩れ落ちる。


「……何だ今の!?」


フリーダが叫んだ。


「最近作った魔法!」


「お前、また変なこと始めたのか!」


「タクマのおかげなんだよ!」


私は少し得意げに答えた。


けれど、まだ戦闘は終わっていない。


倒れた魔獣が再び起き上がろうとしている。私は風の魔法を発動し、外殻の隙間へ鋭い刃を送り込んだ。


魔獣は最後の咆哮を上げ、動かなくなった。


その間にガルドとフリーダが残りの魔獣を押し返し、クルシュが負傷者たちを安全な場所へ移動させていた。


やがて、通路に静けさが戻った。


私は大きく息を吐いた。


「……何とかなったね」


ガルドがこちらへ歩いてきた。


「お前、今の魔法は何だ?」


「新しく作った爆発魔法だよ」


「爆発?」


「うん。小さな範囲に魔力を集中させて、一瞬で衝撃を発生させるの。普通の火の魔法よりも、硬い相手には効果があると思って」


ガルドは倒れた魔獣を見た。


外殻そのものはほとんど壊れていないのに、関節部分だけが大きく損傷している。


「……なるほどな。力任せにぶっ壊すんじゃなくて、弱いところを狙ったわけか」


「そういうこと」


「相変わらず、とんでもねえこと考えるな」


ガルドは呆れたように笑った。


「だが、助かった。あれがなきゃ、もう少し手間取ってたな」


「ううん。みんなが敵を押さえてくれたから使えたんだよ」


私は答えた。


実際、そのとおりだった。


どれほど強い魔法でも、使うための時間や位置を確保できなければ意味がない。ガルドたちが前線を支えてくれたからこそ、私は落ち着いて魔法を使うことができた。


それに、今回の魔法はタクマの発想がなければ生まれなかったものだ。


私は少しだけ嬉しくなった。


彼はまだ、強い魔獣と正面から戦えるほどの実力はない。けれど、私に新しい魔法を教えてくれたのは、間違いなくタクマだった。


帰ったら、この話をしてあげよう。


きっと、驚くに違いない。


*


救援した冒険者たちを安全な場所へ送り届けた後、私たちは一度立ち止まって状況を確認した。


予定していた区域の討伐は、まだ完全には終わっていない。けれど、これ以上奥へ進むのは危険だと、ガルドは判断した。


「今日はここまでだな」


彼は地図を広げた。


「魔獣の数が報告より多すぎる。それに、奥から次々と出てきやがる。これじゃ、いくら倒してもきりがねえ」


「……うん」


私はうなずいた。


先ほどから、あの奇妙な魔力の流れが気になっていた。


迷宮の奥から、一定の間隔で濃い魔力が押し寄せてくる。しかも、奥へ進むほど、その流れは強くなっていた。


「ガルド」


「どうした?」


「やっぱり、奥に何かいると思う」


私は暗い通路の先を見つめた。


「魔力の流れが、さっきより強くなってる。それに、魔獣たちも同じ方向から来てるみたい」


シエラがうなずいた。


「足跡もそう。ほとんどが奥から出てきてる」


「……なるほどな」


ガルドは腕を組んだ。


「つまり、ここで魔獣を倒し続けても、奥から新しい奴らが出てくるってことか」


「たぶん」


「だったら、根本を何とかしねえと駄目だな」


彼はしばらく考えていた。


そのときだった。


迷宮の奥から、低い振動が伝わってきた。


地面が、わずかに揺れる。


私は思わず足元を見た。


「……今の、何?」


フリーダが尋ねた。


誰もすぐには答えなかった。


しばらくして、もう一度。


今度は、さっきよりもはっきりとした振動が伝わってきた。


まるで、迷宮そのものが脈打っているようだった。


シエラが耳を澄ませる。


「……まだ、何かいる」


その声は静かだったけれど、確信が込められていた。


ガルドは大剣を背負い直した。


「今日は戻るぞ。まずはギルド長と軍に報告だ」


誰も反対しなかった。


私も、最後にもう一度だけ通路の奥を見つめた。


そこに何がいるのか、まだ分からない。けれど、今日私たちが倒した魔獣の数など、この異変の一部にすぎないのだということだけは理解できた。


迷宮の奥から、再び魔力が流れ込んでくる。その流れに押されるように、遠くで魔獣の咆哮が響いた。


私たちはまだ、この迷宮で何が起きているのかを知らない。


ただ一つ、確かなことがあった。


この異変を終わらせるには、もっと奥へ進まなければならない。


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