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脱走王女は自由でありたい  作者: 真部 朝樹
脱走王女は恋をする編

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第14話 小さな炎


 シエラと久しぶりに一緒に仕事をした日から、十日ほどが過ぎた。


 その間、私たちはフリーダとクルシュを交えた四人で、何度か依頼をこなしていた。森での薬草採取や魔獣素材の回収、街道沿いに現れた魔獣の討伐、近隣の村から頼まれた害獣駆除など、仕事の内容は様々だったけれど、どれも大きな問題なく終えることができた。


 もっとも、私たち三人にとっては、それほど難しい依頼ではない。私とフリーダ、クルシュはいずれも冒険者として十分な経験を積んでいるし、魔獣との戦いにも慣れている。特に私の場合、魔法で片づけようと思えば、大抵の相手はそう時間をかけずに倒せてしまう。


 ただ、最近は少しだけ仕事の進め方を変えるようになった。


 タクマがいるからだ。


 もちろん、危険な相手に無理をさせるつもりはない。彼はまだ冒険者としての経験が浅いし、こちらの世界で使われる剣にも慣れている途中だった。けれど、いつまでも私たちがすべてを片づけてしまっては、彼が経験を積む機会もなくなってしまう。


 そこで、比較的安全な依頼では、タクマにも少しずつ仕事を任せるようにしていた。


 荷物の管理は、すでに彼の得意分野になっている。出発前には依頼の内容を確認し、必要な道具や食料を揃える。森へ入るなら予備の縄や布を用意し、採取した素材が傷まないように袋を分ける。帰り道では荷物の重さを調整し、誰かが疲れていれば休憩を提案する。


 最初は私が色々と教えていたのに、最近では逆に、タクマから準備について確認されることが増えていた。


「リカ、今日は素材を持ち帰るんだよね。大きさはどのくらい?」


「えっと……これくらいかな」


「じゃあ、袋を一つ増やしておこうか。あと、血がつくなら布も必要だな」


 そんなやり取りが、すっかり当たり前になっている。


 フリーダなどは、最初こそ「ポーターなんて荷物を持てりゃ十分だろ」と笑っていたけれど、今ではタクマの準備を随分と頼りにしていた。


「おいタクマ、予備の縄あるか?」


「ありますよ。何に使います?」


「ちょっとあの枝を引っ張りたいんだ」


「それなら細い方で十分ですね。はい、どうぞ」


「おう、助かる!」


 クルシュも、タクマの仕事ぶりを評価している。特に採取した素材の仕分けが丁寧なところは、彼のお気に入りらしかった。


「タクマさんが一緒だと、帰ってからの確認が楽ですね」


「そうですか?」


「ええ。種類ごとに分けてありますし、採取した場所も覚えていてくれるので」


「いやあ、仕事の癖みたいなものですよ」


 タクマはそう言って笑っていたけれど、私には少し誇らしかった。


 彼は確実に、この世界で自分の居場所を作り始めている。


 そして、剣の訓練も続けていた。ハーケンのところへ通う回数は以前と変わらないけれど、最近は木剣を使った打ち合いにも少しずつ慣れてきたらしい。フリーダが時々相手をしてくれることもあり、本人も楽しそうだった。


 ただし、まだ魔獣との戦いでは後方にいることが多い。あのゴブリンとの戦いで見せた動きは確かに見事だったけれど、それだけで前衛を任せられるほど、冒険者の仕事は簡単ではない。


 タクマ自身も、そのことはよく理解していた。だからこそ、私は安心して彼の成長を見守ることができていた。


     *


 その日、私たちは街の北側にある森で、魔獣素材の回収依頼を受けていた。


 相手は小型の魔獣で、群れを作ることもあるけれど、フリーダたちにとってはそれほど危険な相手ではない。午前中のうちに必要な数を倒し、素材の回収も終えて、私たちは街へ戻るところだった。


 ところが、帰り道の途中で倒木が道を塞いでいた。


「おいおい、行きにはなかったぞ」


 フリーダが呆れたように言った。


 確かに、朝ここを通ったときには何もなかったはずだ。風で倒れたのか、それとも根元が傷んでいたのか。いずれにしても、かなり太い木が道を横切っている。


「どうする? 回り道するか?」


「少し待ってください」


 クルシュが倒木へ近づき、杖を軽く掲げた。すると地面から何本もの蔓が伸び、倒木へ絡みつく。蔓はゆっくりと太くなりながら木を持ち上げ、そのまま道の脇へ引き寄せていった。


 重い木が地面を擦る音が響き、やがて道が開ける。


「これで通れますね」


「おお、便利だな!」


 フリーダが笑った。


 私は風魔法で道に散らばった枝葉を吹き飛ばし、足元を歩きやすく整えた。タクマはその様子をじっと見ていたけれど、やがて感心したように息を吐いた。


「……やっぱり、魔法って便利だよなあ」


「そう? まあ、慣れれば便利だけどね」


「いや、今のなんか、普通だったら何人かで縄をかけて引っ張るか、道具を持ってこないと無理だろ? それが、あっという間だもんな」


 タクマは道の脇へ移された倒木を眺め、少しだけ苦笑した。


「俺も四元素の適性があるって言われたのに、結局何もできないからさ。ちょっと悔しいよ」


 私は少し驚いた。


 タクマはこれまで、自分にできないことを必要以上に気にする様子を見せなかった。魔法の適性を調べたときも、出力が極端に低いと分かって残念そうにはしていたけれど、それで落ち込むことはなかった。


「タクマでも、悔しいって思うんだ?」


「そりゃ思うよ。できないものは仕方ないけど、せっかく使える可能性があるなら、試してみたいじゃないか」


「なるほど」


「まあ、リカみたいな魔法を使えるとは思ってないけどさ。せめて火をつけたり、水を出したりできたら便利だろ?」


 その言葉を聞いて、私は少し考えた。


 確かに、タクマの魔核は出力が低い。けれど、魔法がまったく使えないと決まったわけではなかった。以前、彼の適性を調べたときには、魔核が四元素すべてに反応していることを確認している。問題は、そこから魔法を発動するための出力があまりにも小さいことだった。


 ただ、あのときは術式を刻んでいない。初歩的な魔法なら、もしかすると使えるかもしれない。


「ねえ、タクマ」


「ん?」


「明日は依頼じゃなくて、魔法の練習をしてみない?」


 タクマが目を丸くした。


「いいの?」


「もちろん。私、一応これでも魔法は得意なんだから」


「一応っていうか、リカは相当すごいんだろ?」


「まあね!」


 私は少し胸を張った。


 すると、横で聞いていたフリーダが笑い出した。


「相当どころじゃねえよ。リカに魔法を教えてもらえるなんて、贅沢な話だぞ!」


「そうなんですか?」


「そうなんです」


 クルシュまで真面目な顔でうなずいた。


 タクマは少し考えてから、私を見た。


「じゃあ、よろしくお願いします。先生」


「もう、先生はやめてよ!」


 私がそう言うと、三人が笑った。


     *


 翌日、私たちは家の近くにある、木々の少ない開けた場所へ来ていた。


 周囲には人家もなく、多少魔法を使っても迷惑をかける心配はない。普段、私が魔法の練習をするときにも利用している場所だった。


 タクマはショートソードを腰に差し、少し緊張した様子で立っている。


「そんなに構えなくても大丈夫だよ」


「いや、初めてだからさ。何をするのか分からなくて」


「最初は簡単な魔法だけ。危ないことはしないから安心して」


 私は笑いながら、地面に魔法陣を描く準備を始めた。


「さて、まずは魔法の基本から説明するね!」


「お願いします」


「魔法を使うには、基本的に魔核へ術式を刻む必要があるの。魔核というのは、生き物の体内に存在する魔力の中心のようなもので、心臓や胃みたいな臓器とは違って、実際に目で見ることはできないんだけど……」


「リカ」


「ん?」


「それ、最初の研修で聞いたよ」


「……そうだったっけ?」


「うん。適性を調べてもらったときに」


 私は少し考えた。確かに、そんな話をしたような気がする。


「でも、あのときは簡単にしか説明してないでしょ? 魔核にはそれぞれ生まれつきの性質があって、どの元素に適性があるかとか、どのくらい魔力を扱えるかとか、そういうのが決まってるんだけど……」


「それも聞いた」


「……そう?」


「うん。なんなら、出力は生まれつき決まってて、基本的には変わらないって話も聞いたよ」


 私は思わず口を閉じた。


 タクマは少し笑った。


「いや、説明してくれるのはありがたいんだけどさ。結構覚えてるから、続きからで大丈夫だよ」


「……そっか」


 せっかく魔法の話をできると思ったのに、少し残念だった。すると、そんな私の顔を見て、タクマが苦笑する。


「いや、そんなに残念そうな顔しなくても」


「してないもん」


「してるよ」


「してない!」


 私は咳払いをして、気を取り直した。


「じゃあ、今日は術式の転写から始めるね!」


「はい、先生」


「もう、先生って呼ばないでってば!」


 私は笑いながら、地面へ魔法陣を描き始めた。


 魔法陣には、魔法を発動するための術式が組み込まれている。適切な手順を踏めば、その内容を魔核へ転写することができるので、初歩的な魔法を覚えるときにはよく使われていた。


「術式っていうのは、魔法を発動するための手順みたいなものなの。魔核へ刻んでおけば、あとはそこへ魔力を流すことで魔法が使えるようになるんだけど、術式の構造によって発動する現象が変わって……」


「なるほど。そこは初めて聞いた」


「でしょ!」


 私は思わず嬉しくなった。


「例えば、同じ火魔法でも、炎を生み出す術式と、炎を飛ばす術式では構造が違うの。さらに、炎の形を変えたり、一定の場所へ留めたりする場合には、術式の制御部分を調整する必要があって……」


「うんうん」


「それに、魔法陣の中には術式を一時的に保存するものもあるし、複数の術式を組み合わせて一つの魔法を作ることもできるのよ。もちろん、複雑な術式ほど魔核への負担も大きくなるから、誰でも使えるわけじゃないんだけど……」


「リカ」


「何?」


「それ、今日全部覚える必要ある?」


「……ない」


「だよね」


 タクマは笑った。


 私は少し頬を膨らませた。


 でも、せっかく興味を持ってくれたのだから、色々と教えたくなるのは仕方ないと思う。魔法というのは、知れば知るほど面白いものなのだから。


 私は気を取り直し、魔法陣の最後の線を引いた。


「よし、できた!」


 地面には、四つの小さな魔法陣が並んでいる。火、水、風、土。それぞれの元素に対応した、ごく初歩的な術式だった。


「まずはこれをタクマの魔核に刻むね」


「分かった。俺は何をすればいい?」


「魔法陣の中央に立って、力を抜いてて。私が術式を転写するから」


 タクマは言われたとおりに魔法陣の中央へ立った。


 私は彼の魔核へ意識を向け、魔法陣に魔力を流した。地面に描かれた線が淡く光り始め、魔法陣に組み込まれた術式が起動する。その流れを慎重に導きながら、タクマの魔核へ術式を転写していった。


 タクマの魔核は、やはり少し変わっている。


 四元素すべてに反応するという珍しい性質を持ちながら、魔力の出力が極端に低い。普通なら、これだけの適性があれば、もっと強い魔法を使えてもおかしくないはずだった。


 けれど、術式の転写そのものは問題なく進んでいる。むしろ、思っていたよりも滑らかだった。


「……あれ?」


 私は思わず小さく声を漏らした。


「どうした?」


「ううん、何でもない」


 改めてタクマの魔核へ意識を向ける。


 以前、適性を調べたときには、もう少し魔力の流れが鈍かったような気がする。あのときは、魔核へ魔力を通そうとしても、何かに遮られるような感覚があった。ところが、今はそれが少しだけ弱くなっているように感じられた。


 ……気のせいかな。


 魔核の出力は、生まれつき決まっている。それが変化するなんて、聞いたことがない。


 そもそも、前回は適性を調べただけで、今回は術式の転写をしている。条件が違うのだから、感覚に多少の差があっても不思議ではなかった。


 私はそれ以上気にせず、転写を続けた。


 やがて四つの魔法陣の光が消え、術式の転写が完了した。


「はい、終わり!」


「もう?」


「うん。初歩的な術式だからね」


 タクマは自分の手を見つめた。


「何か変わった感じはしないけど……」


「魔核に刻んだだけだから、そんなものだよ。じゃあ、早速使ってみようか」


 私は少し離れた場所へ移動し、タクマに向き直った。


     *


 最初に試すのは、火魔法だった。


「さっき刻んだ術式を思い浮かべて、そこへ魔力を流す感じ。難しく考えなくていいよ」


「魔力を流す……」


「うん。最初は感覚が分かりにくいかもしれないけど、慣れれば自然にできるようになるから」


 タクマは真剣な顔で右手を前へ出した。しばらく何も起こらなかったけれど、彼は眉を寄せ、何かを探るように目を閉じる。


「……こうかな」


 次の瞬間、指先に小さな光が生まれた。それは一瞬だけ揺らぎ、やがて小さな炎になった。


「……出た」


「出たね!」


 私は思わず笑顔になった。


 炎は蝋燭の火より少し大きい程度で、風が吹けば消えてしまいそうな頼りないものだった。けれど、間違いなくタクマ自身が生み出した魔法だった。


「……これだけ?」


 タクマが私を見た。


「これだけ」


「……そっか」


 彼は少し残念そうに炎を眺めた。


「ごめんね。やっぱり、出力が足りないみたい」


「いや、でも……」


 タクマはもう一度、自分の指先を見た。


「すごいな、これ」


「え?」


「だって、何もないところから火が出てるんだよ? 俺、今までこんなことできなかったんだから。これだけでも十分すごいよ」


 彼は子供のように目を輝かせていた。


 その言葉を聞いて、私は少し嬉しくなった。私にとっては、初歩的すぎて普段ほとんど意識することもない魔法だ。けれど、タクマにとっては、初めて自分の力で起こした不思議な現象なのだろう。


「じゃあ、次は水ね!」


「おう!」


 続いて、水魔法を試した。


 タクマが集中すると、指先に小さな水滴が生まれた。水滴は少しずつ大きくなり、やがて手のひらへ落ちる。


「……これ、飲めるの?」


「飲めるよ。ちゃんとした水だから」


「へえ……」


 次は風魔法。彼が手をかざすと、足元の草がわずかに揺れた。最後に土魔法を試してみると、地面の小石がほんの少しだけ浮き上がった。


「……おお」


 タクマは嬉しそうだった。


 私は四つの魔法を確認し、ひとまず安心した。出力は極端に低いけれど、術式は正常に発動している。つまり、タクマは魔法を使えないわけではないのだ。


 ただ、今のところは実用性がほとんどない。火をつける程度なら便利かもしれないけれど、水は一口にも満たないし、風はそよ風にもならない。土魔法に至っては、小石を動かすのが精一杯だった。


「どう?」


 タクマが尋ねた。


「うん。魔法はちゃんと使えてるよ」


「でも、弱い?」


「すごく弱い」


「はははっ、やっぱりか」


 タクマは笑った。


「でも、練習すれば扱いは上手くなると思う。出力そのものは難しいけど、魔力の無駄を減らすことはできるから」


「なるほど。じゃあ、練習する価値はあるな」


「うん!」


 私はうなずいた。


 彼が落ち込んでいないことに、少し安心した。


     *


 しばらく練習を続けたあと、私たちは木陰で休憩することにした。


 タクマは水を飲みながら、先ほどの魔法について色々と質問してきた。


「魔法って、基本的には手から出すものなの?」


「そんなことないよ。手を使うと意識を向けやすいだけで、別にどこからでも使えるの」


「じゃあ、足元から火を出したりもできる?」


「できるよ。術式や魔力の制御次第だけどね」


「へえ……」


 タクマは少し考え込んだ。


「何か考えてるの?」


「いや、魔法って剣と組み合わせたりできるのかなって」


「剣と?」


「うん。例えば、剣に火をつけたり、風を纏わせたり」


 私は少し驚いた。


「できるよ」


「本当?」


「うん。私の故郷のマリアベルでは、軍隊にそういう戦い方をする兵士がいるの」


 タクマは興味深そうに身を乗り出した。


「魔法剣士みたいな?」


「そうね。呼び方は少し違うけど、そんな感じかな」


 マリアベル王国の軍隊には、魔法と剣術を組み合わせて戦う兵士がいる。全員がそういう戦い方をするわけではないけれど、特に近衛や精鋭部隊には、魔法を補助的に使いながら剣を振るう者が少なくなかった。


 剣に魔力を通して切れ味を高めたり、炎や風を纏わせたり、相手の足元へ魔法を放って体勢を崩したりする。魔法だけで戦う者とも、剣だけで戦う者とも違う、独特の戦い方だった。


「ただし、簡単じゃないよ。剣を振りながら魔法を使うには、両方を同時に扱わなきゃいけないから。魔法の制御に気を取られると剣がおろそかになるし、剣に集中しすぎると魔法が不安定になるの」


「なるほど……」


「だから、ちゃんとした訓練が必要なの。魔法が得意なだけでも駄目だし、剣が上手いだけでも難しいんだよ」


 タクマは真剣に聞いていた。


 私は少し笑った。


「でも、タクマは剣が得意でしょ? もしかしたら、そういう戦い方もできるかもしれないね」


「そっか……」


 タクマは考え込んだ。


 それから、ふと顔を上げた。


「じゃあ、ちょっと試してみてもいい?」


「え?」


「いや、今の話を聞いて、少し思いついたことがあって」


 彼は立ち上がり、腰のショートソードを抜いた。


「何するの?」


「まあ、見てて」


 タクマは剣を構え、ゆっくりと目を閉じた。何をしようとしているのか、すぐには分からなかったけれど、次の瞬間、ショートソードの刃に小さな炎が灯った。


「……え?」


 私は思わず声を漏らした。


 炎は刃の表面を薄く覆うように広がり、ゆらゆらと揺れている。それ自体は決して強い魔法ではなく、先ほど指先に灯した炎と大して変わらないほど弱い。


 けれど、問題はそこではなかった。


 タクマは魔力を剣の表面に沿わせ、しかも、その状態を維持していたのだ。


「タクマ?」


「ん?」


「それ、どうやってるの?」


「え? 普通に、剣の表面に火をつける感じで……」


「普通は、そんな簡単にできないんだけど」


「そうなの?」


「そうなの!」


 私は思わず立ち上がった。


 魔法を武器へ纏わせるには、魔力を一定の範囲に保ちながら、武器の動きに合わせて制御する必要がある。単に火を出すだけなら、初歩的な術式でも可能だ。けれど、炎を剣の表面に留め、形を維持し続けるとなると、話はまったく違ってくる。


 普通なら、専用の術式を使うか、相応の訓練が必要になる。それをタクマは、先ほど覚えたばかりの火魔法でやっていた。


「ちょっと、そのまま動かしてみて」


「分かった」


 タクマは剣をゆっくりと動かした。炎は消えず、構え直したあとも刃に沿って揺らめいている。


「すごい……」


 私は思わず呟いた。


 タクマは少し首を傾げた。


「そんなに難しいことなの?」


「難しいよ! 少なくとも、初めて魔法を使った人が簡単にできるようなことじゃない!」


「へえ……」


 タクマは少し嬉しそうに笑った。


「じゃあ、こんな感じかな」


 彼は一歩踏み込み、剣を振り下ろした。


 その動きは、これまで何度も見てきた剣の訓練と同じだった。けれど、今日は剣の軌道に沿って小さな炎が弧を描き、振り下ろしたあとも消えずに刃の表面へ留まっている。


 私は思わず息を呑んだ。


 魔力の出力は相変わらず低い。炎の熱量も大したことはなく、実際の戦闘で役に立つほどの威力はないだろう。それでも、剣を振るう動きに合わせて魔法を維持するというのは、かなり高度な制御だった。


「タクマ、どうしてそんなことができるの?」


 私は思わず尋ねた。


「どうしてって言われても……」


 タクマは少し困った顔をした。


「俺の故郷には、魔法が出てくる物語が結構あってさ」


「物語?」


「うん。ゲームとか漫画とか……ああ、こっちにはないか。まあ、絵や文章で物語を楽しむ娯楽が色々あるんだよ」


「へえ! それで?」


「そういう物語だと、剣に炎を纏わせて戦う人が結構いるんだ。だから、何となくイメージしやすかったんだよね」


「イメージ?」


「うん。剣の表面に火がまとわりついて、振っても消えない。そういう場面を何度も見たことがあるから」


 私は少し考えた。


 魔法を使うとき、術式の構造を理解することは大切だ。けれど、実際に魔法を発動する際には、どのような現象を起こしたいのか、明確に思い描くことも重要になる。


 タクマは、私たちの世界には存在しない娯楽を通じて、様々な魔法の姿を知っているらしい。それなら、初めて魔法を使ったにもかかわらず、炎を剣に纏わせるという発想が自然に出てきたことにも納得できる。


 しかも彼には、長く続けてきた剣術の経験がある。剣先がどこにあり、刃がどのように動くのか、意識しなくても感覚として捉えられるのだろう。その動きと魔法のイメージが、上手く結びついているのかもしれない。


「なるほど……つまり、タクマは魔法の形を想像するのが得意なんだね」


「そうなのかな?」


「うん。少なくとも、今の魔法は普通の初心者には難しいと思う」


 私は少し笑った。


「ただ、出力は相変わらず低いから、戦闘ではあまり役に立たないと思うけど」


「まあ、そこは仕方ないな」


 タクマはあっさり納得した。


 そして、剣の炎を消しながら言った。


「でも、火って不思議だよな」


「何が?」


「いや、魔法で火を出せるってことは、燃えるものがなくても火が出るってことだろ?」


「そうだね。火魔法は、魔力を使って炎や熱を生み出しているから」


「じゃあ、その炎を維持している間も魔力を使い続けるの?」


「もちろん。魔力で作った炎だもの。術式によって多少違うけれど、基本的にはそうだよ」


 タクマは少し考え込んだ。


「それって、ちょっともったいなくない?」


「……え?」


 私は思わず聞き返した。


「もったいない?」


「うん。だって、普通の火なら、一度薪に火がつけば、あとは勝手に燃え続けるだろ?」


「それはそうだけど……」


「だったら、魔法でも同じようなことができないのかなって」


 私は首を傾げた。


「薪に火をつける魔法なら、普通にあるよ?」


「いや、そうじゃなくてさ。火を出すための魔力と、燃えるものが持ってるエネルギーを組み合わせられないかなって」


「……エネルギー?」


 聞き慣れない言葉だった。


 タクマは少し考えてから、説明を始めた。


「ええと、俺の故郷では、火が燃える仕組みについて、ある程度分かってるんだよ」


「燃焼の仕組み?」


「そう。燃えるものがあって、空気があって、そこに熱が加わると火がつく。これはこっちでも同じだろ?」


「もちろん。空気がなければ火が消えることくらい、誰でも知ってるよ」


「だよね。で、俺の故郷では、その空気の中にある酸素っていうものが、燃焼に必要だって分かってるんだ」


「酸素……?」


「空気の成分の一つだよ。目には見えないけど、燃えるときには重要な役割をしてる」


 私は興味を持った。


「つまり、空気そのものが燃えているわけじゃないの?」


「うん。燃える物質が酸素と反応して、熱や光を出すんだ。まあ、俺も専門家じゃないから、詳しいことまでは分からないけど」


「反応……」


 私は思わず呟いた。


 この世界でも、薪や炭が燃えることは当然知られている。鍛冶屋では炭を使って炉の温度を上げるし、家庭では薪を燃やして料理をする。燃焼という現象そのものは、決して珍しいものではない。


 けれど、タクマの説明は、私が知っているものとは少し違っていた。


 空気の中にはいくつかの成分があり、そのうちの一つが燃焼に関係している。そして、燃える物質がその成分と反応することで、熱や光が発生するという。


 私は頭の中で、普段使っている火魔法の術式を思い浮かべた。


「……なるほど」


「ん?」


「つまり、燃料そのものが持っている性質を利用すれば、魔力で熱を作り続ける必要がなくなるかもしれないってこと?」


「そうそう! 俺が言いたかったのは、それなんだよ」


 タクマは嬉しそうにうなずいた。


「例えば、薪を燃やすときに、魔法で火をつけるだけじゃなくて、燃え方を上手く調整できたらどうかなって」


 私は少し考えた。


 火魔法には、炎を生み出すものもあれば、すでに存在する火を操るものもある。けれど、その多くは炎そのものを対象としていて、燃焼という現象を細かく制御することまでは考えていなかった。


 もちろん、燃料を使う魔法が存在しないわけではない。鍛冶場や工房では、魔法で炉の火を強めたり、温度を安定させたりすることもある。


 ただ、そうした魔法は、基本的に炎へ魔力を加えることで効果を発揮している。


 もし、炎そのものではなく、燃焼の条件を調整することができれば。


「……ちょっと待って」


 私は思わず立ち上がった。


「タクマ、今の話、もう少し詳しく聞かせて」


「え? いや、俺もそんなに詳しくないけど……」


「いいから!」


 私は彼の前にしゃがみ込み、地面へ簡単な図を描き始めた。


「つまり、燃料と酸素が反応することで熱が出るのよね? だったら、魔法で炎を強くするんじゃなくて、燃料へ届く空気の量を調整した方が効率がいい可能性があるってこと?」


「まあ、そういうことかな」


「でも、空気を増やすだけなら風魔法でもできるわよね。実際、鍛冶屋の炉でも風を送って火を強くするし……」


「うん。俺の故郷でも、空気を送って燃えやすくする方法はあるよ」


「じゃあ、問題は空気の量じゃなくて、必要な成分をどれだけ効率よく使えるか……?」


 私は考え込んだ。


 タクマは少し困った顔をしていたけれど、私の質問に一つずつ答えてくれた。


 彼自身、専門家ではないらしい。酸素の割合や化学反応の細かな仕組みについては、学校で習った程度の知識しかないという。


 けれど、私にとっては十分だった。


 燃焼という現象について、私たちはすでに多くのことを知っている。火が燃える条件も、空気を送れば火が強くなることも、燃料によって燃え方が違うことも、経験的には理解されていた。


 ただ、その仕組みを細かく分けて考えるという発想が、私にはなかった。


「……面白い」


 私は思わず呟いた。


「リカ?」


「ちょっと実験してみよう!」


「え?」


 私は立ち上がり、近くに落ちていた小さな木片を拾った。


「同じ木片を使って、普通の火魔法と、燃焼を補助する魔法を比べてみるの」


「そんなことできるの?」


「もちろん! ただし、ちゃんと条件を揃えないと比較にならないから、まずは木片の大きさを揃えて……」


 私は風魔法で落ち葉を払い、土魔法で平らな場所を作った。そこへ同じくらいの大きさの木片を二つ並べ、周囲に燃え移らないよう、簡単な防火用の魔法陣を描く。


 タクマはその様子を見ながら、少し呆れたように笑った。


「リカ、こういうの本当に好きなんだな」


「好きだよ! 魔法の新しい使い方を考えるのって、すごく面白いんだから」


「いや、見てれば分かるよ」


 私は笑いながら、最初の木片へ火魔法を使った。


 小さな炎が生まれ、木片を包み込む。炎の大きさを一定に保ちながら、木片が燃える様子を観察した。


 続いて、もう一つの木片へ火をつける。


 今度は炎を維持するための魔力を最小限に抑え、周囲の空気の流れを調整してみた。


 最初は、ほとんど違いがなかった。


 けれど、空気の流れを少し変えると、炎の勢いがわずかに増した。


「……あれ?」


 私は首を傾げた。


 さらに魔力の流れを調整する。


 炎そのものを強くするのではなく、燃料が燃えやすい状態を作ることに意識を向けた。


 すると、木片の燃え方が変わった。


 炎の大きさはそれほど変わらないのに、木片の表面がより均一に燃えている。しかも、その状態を維持するために必要な魔力が、明らかに少なかった。


「……ちょっと待って」


 私は思わず呟いた。


「どうした?」


「もう一回、試してみる」


 私は新しい木片を用意し、同じ実験を繰り返した。


 今度は魔力の消費量を意識しながら、炎の大きさと燃焼の状態を比較する。


 結果は、先ほどと同じだった。


 従来の火魔法で炎を維持するよりも、燃焼を補助する方が、少ない魔力で同程度の熱を得られている。


 もちろん、燃料がなければ使えないし、炎を自由に飛ばしたり、空中へ留めたりすることも難しい。けれど、燃料が存在する場所であれば、従来の火魔法よりも効率よく熱を発生させられる可能性があった。


「……おかしい」


 私は思わず呟いた。


「失敗?」


 タクマが尋ねた。


「違う。成功してる」


「ならいいじゃないか」


「よくない!」


「なんで!?」


 私は思わず彼を振り返った。


「魔力の消費量が、全然違うの!」


「え?」


「同じくらいの熱を出してるのに、必要な魔力が少ないの! しかも、単に炎を弱くしたわけじゃなくて、燃焼そのものを効率よくしてる!」


 私は興奮していた。


 魔法の術式を改良するというのは、決して簡単なことではない。既存の術式を少し変えるだけでも、魔力の流れが不安定になったり、発動する現象が変わってしまったりすることがある。


 だからこそ、魔法学院では長い時間をかけて術式の研究が行われている。


 それなのに、今、私たちは新しい可能性を見つけてしまった。


 しかも、きっかけはタクマの何気ない疑問だった。


「……すごい」


 私は思わず笑ってしまった。


「タクマ、すごいよ!」


「いや、俺は普通のことを言っただけなんだけど……」


「その普通がすごいの!」


 私は彼の腕を掴んだ。


「魔法の研究って、どうしても術式や魔力の扱い方ばかり考えちゃうの。でも、タクマは違う。魔法じゃなくて、現象そのものから考えてるんだよ!」


「いや、まあ、そうなのかな……」


「そうなの!」


 私は嬉しくなって、さらに説明を続けた。


「例えば、今回の方法なら、鍛冶場の炉や工房の加熱作業にも応用できるかもしれない。もちろん、燃料の種類や空気の流れによって効率は変わるだろうし、実際に使うにはもっと詳しい検証が必要だけど……」


「うんうん」


「それに、燃焼を補助するだけなら、火魔法だけじゃなくて風魔法と組み合わせる方法も考えられるの。空気の流れを細かく制御できれば、燃料を無駄なく使えるかもしれないし、場合によっては……」


「リカ」


「何?」


「それ、どこまで続くの?」


「まだ序論よ!」


 タクマは声を出して笑った。


 私もつられて笑ってしまった。


 けれど、頭の中ではすでに、いくつもの術式が浮かび始めていた。


 これは、きっと面白い研究になる。


     *


 夕方になる頃には、タクマもさすがに疲れていた。


 魔法を使うこと自体が初めてなのだから、当然だろう。出力が低いとはいえ、慣れない魔力の操作を何度も繰り返していれば、集中力も使う。


 私たちは練習を切り上げ、家へ戻ることにした。


 タクマは腰を下ろし、ショートソードの刃を確認していた。炎を纏わせたことで何か変化がないか、気になったらしい。


「大丈夫そう?」


「うん。特に変わったところはないかな」


「よかった。あれくらいの火なら、剣が傷むこともないと思うけど」


「一応、確認しておきたくて」


 タクマはそう言って笑った。


 私は彼の隣に腰を下ろした。


 今日の練習は、思っていた以上に面白いものだった。


 タクマは魔法を使えた。出力は極端に低いけれど、術式は正常に発動している。さらに、剣に炎を纏わせるという、初心者には難しい魔法まで使ってみせた。


 そして、何より。


 彼の故郷には、私が知らない知識がある。


 魔法とは別の方法で、世界の仕組みを理解しようとする考え方がある。


 私はふと、術式を転写したときのことを思い出した。


 あのとき、タクマの魔核へ魔力を流す感覚が、以前より少しだけ滑らかになっていたような気がした。


 ……やっぱり、気のせいかな。


 魔核の出力が変わるなんて、普通はあり得ない。それに、今日の魔法も出力そのものは弱いままだった。何かが大きく変化しているなら、もっとはっきりした違いが現れているはずだ。


 私は小さく首を振り、その考えを追い払った。


「ねえ、リカ」


 タクマが声をかけてきた。


「ん?」


「今日はありがとう」


「どういたしまして」


「いやあ、楽しかったよ。魔法って、やっぱりすごいな」


 彼は少し照れくさそうに笑った。


「まだ全然弱いけどさ。できなかったことが一つできるようになっただけでも、嬉しいもんだな」


 私はその言葉を聞いて、少しだけ考えた。


 タクマは、自分にできないことを必要以上に嘆かない。もちろん、悔しいと思うことはある。今日だって、魔法を使えないことが少し悔しいと話していた。


 けれど、だからといって諦めるわけではない。


 できることを探して、試してみる。上手くいかなければ、別の方法を考える。そして、小さな成果でも素直に喜ぶ。


 私は、そんな彼の姿勢が好きだった。


「ねえ、タクマ」


「ん?」


「また練習しようね」


「もちろん。先生、よろしくお願いします」


「もう、先生って呼ばないでよ」


 私は笑った。


 タクマも笑った。


 私たちはしばらくその場で休んでから、家へ向かって歩き始めた。夕暮れの森には柔らかな風が吹き、木々の間から差し込む光が、足元に長い影を落としていた。


 今日、タクマが生み出した炎は、ほんの小さなものだった。


 魔獣を焼くことも、強い魔法を放つこともできない。今のところ、戦いの役に立つとは言い難い。


 けれど、彼はその小さな炎を、剣に纏わせることができた。


 私が教えたわけでもないのに、自分で考え、自分の技術と結びつけてしまった。


 そして、私自身も彼から新しいことを教えてもらった。


 燃焼という現象を、魔法とは違う角度から捉える考え方。


 燃料と空気の関係を理解し、その仕組みを利用するという発想。


 私がこれまで学んできた魔法理論と、タクマの故郷の知識。それらを組み合わせることで、思いがけない可能性が生まれた。


 私は魔法が好きだ。


 子供の頃から、術式を覚えるのも、新しい魔法を試すのも大好きだった。魔法学院にいた頃も、授業で習ったことを自分なりに考え直したり、既存の術式を少し変えてみたりするのが楽しかった。


 けれど、最近はそういう時間が少なくなっていた気がする。


 冒険者として仕事をこなし、依頼を終え、また次の依頼を受ける。魔法を使う機会はたくさんあったけれど、新しい魔法について誰かと話し合うことは、あまりなかった。


 だから、今日の時間はとても楽しかった。


 タクマは魔法のことをほとんど知らない。けれど、私が知らないことを知っている。そして、私が当たり前だと思っていたことに、何のためらいもなく疑問を投げかけてくる。


 その疑問が、時々、私の知らなかった答えへつながっていく。


 私は隣を歩くタクマを見た。


「……何?」


 視線に気づいた彼が、少し不思議そうに尋ねた。


「ううん。何でもない」


「そう?」


「うん」


 私は笑った。


 タクマと一緒にいると、知らないことが増えていく。


 それは、少し不思議で、とても楽しいことだった。


「……ねえ、タクマ」


「ん?」


「明日も、ちょっと実験してみない?」


 タクマは一瞬だけ足を止めた。


「……リカ」


「何?」


「まず、今日の実験結果を整理してからにしよう」


「ええー?」


「ええー、じゃないよ。何を試して、どうなったか、ちゃんと残しておかないと」


 私は少し考えた。


 確かに、それは正しい。


 同じ実験を繰り返すにしても、条件を記録しておかなければ比較ができない。今日の結果が偶然だった可能性もあるし、燃料の種類や魔力の使い方によって、結果が変わることも考えられる。


 そこまで考えて、私は思わず笑ってしまった。


「……分かった。じゃあ、帰ったら記録をまとめよう!」


「今から?」


「もちろん!」


「……やっぱりそうなるか」


 タクマは苦笑した。


 私はそんな彼の腕を軽く引き、家へ向かって歩き出した。


 今日もまた、新しいことを一つ知った。


 そして、明日はきっと、今日よりも面白いことがある。


 そんな予感を抱きながら、私は家路についた。


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