第10話 好意の可能性
家に帰り着いた頃には、すっかり日が暮れていた。
ギルドで討伐の報告を済ませ、持ち帰った素材を引き渡したあと、私たちはフリーダたちと別れた。今回の報酬は四人で分配することになったけれど、討伐数が増えたこともあって、一人当たりの取り分は悪くなかった。特にタクマは、初めてのポーター仕事でまとまったお金を受け取れたことが嬉しかったらしく、帰り道でも何度か報酬の入った袋を確かめていた。
家に戻ってからは、簡単な夕食を作った。今日は二人とも疲れていたので、野菜と肉を煮込んだスープにパンを添えるだけにしたけれど、タクマは美味しそうに食べてくれた。食事のあとは彼が食器を洗い、私は使った道具の手入れをする。いつの間にか、こうした家事の分担も自然に決まるようになっていた。
少し前まで、この家で暮らしていたのは私一人だった。
食事も掃除も洗濯も、自分の都合で済ませればよかったし、誰かに予定を合わせる必要もなかった。それが今では、料理をするときには二人分の材料を用意するし、買い物へ行けばタクマの好みも考える。彼の方も、私が頼まなくても薪の残りを確認したり、洗濯物を取り込んだりしてくれるようになった。
他人と暮らすことは、もっと面倒なものだと思っていた。
実際、生活の習慣が違えば多少の不便はある。けれど、タクマはそうした違いを見つけるたびに、どちらかが我慢するのではなく、二人にとって都合のいい方法を考えようとする。私も、それを窮屈だとは感じなかった。
むしろ、一人では気づかなかったことを教えてもらえるのが、少し楽しかった。
「いやあ、今日は勉強になったな」
食器を片づけ終えたタクマが、満足そうに椅子へ腰を下ろした。
「フリーダさんもクルシュさんも、すごかったよ。リカが強いのは知ってたけど、あの二人もあんなに動けるんだな」
「二人ともB級冒険者だからね。経験も豊富だし、すごく頼りになるよ」
「特にフリーダさん。あの狼が俺の方へ来たとき、あっという間に間へ入ってくれただろ。あれ、本当に助かった」
「……うん」
私は向かいの椅子に座りながら、小さくうなずいた。
タクマは今日の出来事を楽しそうに振り返っていた。グレイウルフが思っていたより大きかったことや、クルシュの魔法が私のものとは違って見えたこと、素材を回収するときにもっと工夫できそうなことなど、次々に話してくれる。
初めて魔獣の討伐に同行したのだから、怖い思いもしたはずだ。それでも、彼の口から出てくるのは新しく知ったことや、次に活かせそうなことばかりだった。
私は相槌を打ちながら聞いていたけれど、どうしても気になることがあった。
今日、エリナに言われたことだ。
結果的に依頼は無事に終わった。タクマも怪我をしていないし、フリーダたちのおかげで予定していた討伐数も達成できた。
けれど、それは私の判断が正しかったからではない。
もしエリナが気を回してくれなかったら、私は十分な護衛も用意せず、タクマを魔獣のいる森へ連れていくところだった。
きちんと話しておかなければならないと思った。
「……ねえ、タクマ」
「ん?」
「今日のことなんだけど、私、ちゃんと謝らないといけないことがあるの」
タクマは少し驚いたように顔を上げた。
「謝る? 何かあったっけ?」
「昨日、あなたをポーターとして誘ったでしょ。あれ、実は私、必要なことをちゃんと考えてなかったの」
「……必要なこと?」
「うん。魔獣を倒すのは私がやるから、タクマには安全な場所で待っていてもらえばいいと思ってた。でも、よく考えたら、魔獣のいる森に絶対安全な場所なんてないんだよね」
私は昨日の自分の発言を思い出した。
普段なら、依頼の内容や危険度、必要な人数を確認してから行動する。特に誰かと組むときには、それぞれの実力や役割を考えなければならない。自分一人で仕事をするのとは、求められる判断が違うからだ。
そんな基本的なことを、私はすっかり忘れていた。
「今日、エリナに怒られちゃった。私が戦っている間に別の魔獣が出てきたら、誰がタクマを守るのって」
「……なるほど」
「フリーダとクルシュが来てくれたのも、エリナが手配してくれたからなの。私、二人が来ることも知らなかったんだよ」
タクマはしばらく考えるように黙っていた。
それから、ゆっくりとうなずいた。
「……確かに、今日のことを考えると、そのとおりだな」
「うん」
「でも、それは俺も分かってなかったよ。リカが一緒なら大丈夫だって、勝手に思ってた」
「タクマはまだ新人なんだから、仕方ないよ。そういう危険を考えるのは、経験のある私の役目だったのに」
「まあ、そうかもしれないけどさ」
タクマは少し困ったように笑った。
「俺も、もう少し自分で考えないと駄目だな。今日みたいに、誰かに守ってもらう前提で動いてたら、いつか迷惑をかけるかもしれないし」
「……迷惑だなんて思ってないよ」
「分かってる。でも、そういう話じゃないんだ」
彼の声は穏やかだったけれど、いつもより少し真剣だった。
私はその言葉を聞いて、改めて今日の戦闘を思い出した。
グレイウルフがタクマへ向かったとき、フリーダは迷わず間へ入ってくれた。もし彼女がいなかったら、私が魔法で対処する必要があっただろう。間に合った可能性は高いと思う。けれど、絶対に間に合ったとまでは言い切れない。
そして、もし間に合わなかったら。
そこまで考えたところで、私は無意識に両手を握りしめていた。
「……本当に、ごめんね」
私はもう一度頭を下げた。
タクマは少し驚いた顔をしたあと、穏やかに笑った。
「うん。分かった。謝ってくれてありがとう」
「……うん」
「でも、こうして無事に帰ってこられたんだし、次から気をつければいいだろ? 俺も気をつけるよ」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
けれど、まだ話は終わっていなかった。
私がどうしてそんな判断をしてしまったのか。それについても、ちゃんと考えておきたい。
何より、タクマ自身に関係することなのだから、黙っているのは違う気がした。
「……それでね」
「うん?」
「私、どうしてこんなことになったのか、ちょっと考えてみたんだ」
「……ああ」
タクマは何気なくうなずいた。
私は少し言葉を探した。
どう説明すればいいのだろう。自分でもまだ、はっきりと答えが出ているわけではない。けれど、だからこそ今の段階で分かっていることを、できるだけ正確に伝えておきたいと思った。
「……たぶん、あなたのことが気になってたからだと思う」
「……ん?」
「正確に言うと、私はあなたに好意を持っている可能性があるの」
タクマの動きが止まった。
さっきまで普通に話していたのに、突然何かを飲み込んだような顔になる。
「…………はい?」
「だから、好意。恋愛感情と言ってもいいかもしれないけど、そこはまだ判断が難しいところなんだよね」
「ちょ、ちょっと待って」
「何?」
「いや、その……今、結構すごいこと言わなかった?」
「……そうかな?」
「そうかなって……」
タクマは額に手を当てた。
私は首を傾げた。
もちろん、こういう話が少し気恥ずかしいものだということくらいは分かっている。けれど、自分の気持ちが判断に影響している可能性があるなら、それは相手にも伝えておいた方がいいと思う。
特に、今回のように安全に関わることならなおさらだ。
「……あのね、タクマ。ちゃんと説明させて」
「……うん。聞くよ」
私は一度深呼吸をした。
「まず、あなたは私にとって、すごく珍しい存在なんだよね」
「……珍しい?」
「うん。だって、別の世界から来た人なんだよ? 私が知らない国の話とか、魔法がない世界の暮らしとか、聞いたこともない道具や建物の話とか。あなたと話してると、知らないことが次から次へと出てくるの」
私は少し身を乗り出した。
「それに、あなたの世界って本当に不思議なんだよ。魔法がないのに、遠くの人と話せたり、空を飛ぶ乗り物があったり、たくさんの人が学校へ通えたりするんでしょ? そんな世界のこと、気にならない方がおかしいと思わない?」
「……まあ、確かに」
「だから、最初は単純な好奇心だったと思うんだ。あなたが何を知っていて、どんな暮らしをしてきて、何を当たり前だと思っているのか。そういうことを知るのが、すごく面白かった」
タクマは黙って聞いていた。
私は続けた。
「でもね、最近はそれだけじゃない気がしてるの」
「……どういうこと?」
「特別な話をしてなくても、楽しいんだよね」
私は少し考えながら言葉を選んだ。
「例えば、今日の夕食のこととか、明日の仕事のこととか。そういう普通の話をしてるだけでも、何だか楽しいの。それに、あなたと一緒にいると、変に気を遣わなくていいし、黙っていても気まずくならない」
それは、私にとって少し不思議な感覚だった。
私は一人で暮らすことが好きだった。誰かに予定を合わせる必要もなく、自分の好きなように時間を使えることが、何よりも気楽だった。
けれど、タクマが来てから、その気楽さが失われたとは思わなかった。
むしろ、誰かがいることを心地よいと感じている。
「……これって、案外珍しいことだと思うんだよね」
「……そうなのか?」
「少なくとも、私にとってはね」
私はうなずいた。
「それで、昨日のことなんだけど」
「昨日?」
「ギルドで、ミーナと話してたでしょ?」
「ああ。うん」
「二人とも楽しそうだったよね」
「まあ、同じ仕事してたし、色々話したからな」
「うん。それはいいことなんだよ。タクマがほかの冒険者と仲良くなるのは、私も嬉しいはずなの」
私はそこで少し言葉を切った。
「……でも、何だか面白くなかったんだよね」
「……え?」
「自分でも変だと思うんだけど、二人が楽しそうにしてるのを見たら、ちょっとだけ嫌な気持ちになったの」
タクマは目を瞬かせた。
私はその反応を気にせず続けた。
「でもね、今日フリーダがタクマを褒めてたときは、すごく嬉しかったの。だから、タクマが誰かと仲良くすること自体が嫌なわけじゃないと思うんだ」
「……なるほど」
「それで考えたんだけど、たぶん私は、あなたにとって特別な人でいたいんじゃないかな」
タクマが再び固まった。
私は少し首を傾げた。
「……どうしたの?」
「いや……うん。続けて」
何だか顔が赤いような気がする。
でも、今はちゃんと説明しなければならない。
「ただ、ここからが難しいところなんだよね」
「……まだあるの?」
「あるよ。むしろ、ここが一番大事なの」
私は真剣にうなずいた。
「人間って、そういう生き物だと思うんだ。誰かと一緒にいるのが楽しくて、相手のことをもっと知りたくなって、自分のことも知ってほしくなる。そういう気持ちを、恋だと思うことがあるでしょ?」
「……まあ、そうだな」
「でも、それが本当に恋なのか、それとも一時的な気持ちなのかって、すぐには分からないと思うの」
私はそこで少し視線を落とした。
昔のことを思い出したからだ。
冒険者になったばかりの頃、私は何もかもが新鮮だった。自由になれたことが嬉しくて、知らない世界を見せてくれる人のことを、必要以上に素敵だと思ってしまったことがある。
あの頃の私は、相手が親切にしてくれる理由なんて、深く考えもしなかった。
そして、あとになってから気づいたことが、いくつもあった。
「……私、昔それで失敗したことがあるの」
タクマは何も言わなかった。
私は少しだけ笑った。
「そのときは、本当に好きなんだと思ってた。でも、今になって考えると、知らない世界を見せてくれる人に憧れてただけだったのかもしれない。もちろん、それだけじゃなかったと思うけど……少なくとも、ちゃんと相手を見ていたかって言われると、自信がないんだよね」
「……そっか」
「だから、今の気持ちをすぐに恋だと決めつけるのは違うと思うの。あなたは私にとって珍しい存在だし、一緒に暮らし始めてまだそれほど経っていない。今はただ、あなたと過ごす時間が新鮮なだけなのかもしれない」
私は顔を上げた。
「それなのに、勝手に恋だって思い込んで、また変な判断をするのは嫌なんだよね」
タクマはしばらく黙っていた。
私は少し不安になった。
……もしかして、説明しすぎただろうか。
でも、途中でやめるわけにもいかなかったし、何より、嘘は言っていない。
私は今、自分が何を感じているのか、ちゃんと知りたいと思っている。
それをタクマにも伝えたかった。
「……正直、そう言ってくれてすごく嬉しい」
タクマが、ぽつりと言った。
「……うん」
「俺、この世界に来てからリカにはずっと世話になってるだろ。家に置いてもらって、仕事も紹介してもらって、色々教えてもらってさ。それで、こんなに仲良くしてもらって、その……」
彼はそこで言葉を詰まらせた。
少し照れくさそうに視線を逸らし、頭をかく。
「……こんな可愛い子に、そんなこと言われたらさ。正直、舞い上がるよ。好きにならない方がおかしいだろ」
「…………え?」
今度は、私の方が言葉を失った。
顔が熱い。
たぶん、耳まで赤くなっている。
「かっ……可愛いって……」
「いや、そこ?」
「だ、だって……!」
私は両手で頬を押さえた。
おかしい。
私はさっきまで、自分の気持ちについて冷静に説明していたはずなのに。
タクマが少し笑った。
「……でもさ、リカの言うことも分かるんだ」
「……うん?」
「俺も今、助けてもらってる立場だから。感謝とか、安心感とか、そういうものと好きって気持ちを、ちゃんと区別できてるのか分からない」
私はゆっくりとうなずいた。
「……そうだよね」
「だから、もう少しお互いを知ってからでもいいんじゃないかな」
その言葉を聞いて、少し安心した。
タクマも、私と同じように考えてくれている。
それが、何だか嬉しかった。
「……うん。私も、そうしたい」
私は小さく笑った。
タクマも笑い返してくれた。
しばらくの間、二人とも何も言わなかった。
けれど、不思議と気まずくはなかった。
むしろ、さっきまでよりも少しだけ、距離が近くなったような気がした。
*
「……そういえばさ」
少しして、タクマが口を開いた。
「俺、結構細かいだろ。色々」
「……そうかな?」
「ほら、荷物の並べ方とか、作業の順番とか。無駄なことがあると気になるんだよ」
「ああ、そういうこと?」
私は思わず笑った。
「でも、私、タクマのそういうところ、すごく助かってるよ!」
「……それな」
「え?」
「前の彼女にも、付き合い始めの頃は同じこと言われたんだよ」
「…………」
私は思わず口を閉じた。
タクマは苦笑した。
「最終的には『いちいち細かすぎる』って振られたけど」
「……ええっ!?」
思わず声が出た。
タクマは肩をすくめる。
「まあ、俺にも悪いところがあったんだと思う。相手が別に困ってないことまで、あれこれ口を出してたのかもしれないし」
「……そうなの?」
「うん。自分では親切のつもりでも、相手からしたら余計なお世話ってこともあるだろ?」
私は少し考え込んだ。
確かに、そういうことはあるのかもしれない。
けれど、少なくとも今の私にとって、タクマの細かさはありがたいものだった。
家事の分担も、買い物の段取りも、今日の素材回収も、彼が色々と考えてくれるおかげでずいぶん楽になっている。
「……でも、私はタクマに色々教えてもらうの、好きだよ」
そう言うと、タクマは少し驚いた顔をした。
「……そういうの、今言われると結構効くな」
「え? 何が?」
「いや、何でもない」
タクマは笑いながら首を振った。
私は少し不思議に思ったけれど、それ以上は追及しなかった。
何だか、今日のタクマはいつもより照れくさそうにしている。
……私も、人のことは言えないけれど。
「それにしても、タクマにも恋人がいたんだね」
「そりゃ、まあ。二十五年も生きてれば、そういうこともあるよ」
「……そっか」
私は少しだけ考えた。
タクマが誰かと付き合っていたことは、別に不思議な話ではない。
彼は優しいし、真面目だし、話していて楽しい。
それに、見た目だって悪くないと思う。
……うん。
別に、変な意味じゃなくて。
「……リカ?」
「な、何?」
「いや、何か考え込んでたから」
「何でもないよ!」
私は慌てて首を振った。
タクマは少し不思議そうな顔をしたけれど、何も言わなかった。
*
話が落ち着いた頃、タクマがふと真剣な表情になった。
「……それにしても、俺も少しは戦えるようにならないとな」
「……うん?」
「今日の狼、正直かなり怖かったよ。フリーダさんがいなかったら、どうなってたか分からないし」
私は彼の顔を見た。
さっきまでの照れくさそうな表情とは違い、今は真剣だった。
「俺、荷物運びはできても、ああいうとき本当に何もできないんだな」
「……そんなことないよ。今日はちゃんと指示を守ってくれたし、それも大事なことだよ」
「うん。それは分かってる。でも、いつまでも守ってもらうだけじゃ、駄目だと思うんだ」
タクマは少し考えてから続けた。
「少なくとも、自分の身くらいは守れるようになりたい。そうすれば、リカたちも安心して戦えるだろ?」
私はゆっくりとうなずいた。
タクマの言うことは、もっともだった。
今日のように護衛がいる場合でも、何が起こるか分からない。自分の身を守る手段が少しでもあれば、危険な状況を乗り切れる可能性は高くなる。
それに、彼がそう考えてくれたことが、私は嬉しかった。
「じゃあ、剣の練習、またやってみる?」
「うん。できれば、ちゃんと続けたい」
「分かった。明日、フリーダとクルシュにも相談してみようか。二人とも教えるの上手だし、きっと力になってくれると思うよ」
「……ありがとう」
タクマは笑った。
私はその笑顔を見ながら、少しだけ胸が温かくなるのを感じた。
彼は確実に、この世界で生きていこうとしている。
最初は何も分からず、私に頼るしかなかった彼が、今では自分の得意なことを見つけ、足りないものを補おうとしている。
その姿を、私はこれからも見ていたいと思った。
「……リカ」
「何?」
「さっきの話だけどさ」
タクマが少し照れくさそうに笑った。
「俺、これからもリカのこと、もっと知りたいと思ってるよ」
また顔が熱くなった。
さっきまで散々話したはずなのに、こうして改めて言われると、どうしていいか分からなくなる。
私は少しだけ視線を逸らした。
それから、ゆっくりと顔を上げる。
「……私も、タクマのこと、もっと知りたい」
そう答えると、タクマは嬉しそうに笑った。
私も、つられて笑ってしまった。
まだ、お互いに知らないことはたくさんある。
タクマの世界のことも、彼がこれまでどんな人生を送ってきたのかも、私はほとんど知らない。きっと、これから驚くような話を聞くこともあるだろうし、意見が合わないことだってあるかもしれない。
そして、私にもまだ話していないことがある。
いつかは、そうしたことも伝えなければならないのだろう。けれど、今すぐにすべてを打ち明けられるかと言われると、正直なところ、まだ自信はなかった。
それでも、今はこれでいいのだと思う。
何もかもを一度に知る必要はない。少しずつ話して、少しずつ理解して、その中で自分の気持ちがどう変わっていくのかを確かめればいい。
私はそう思いながら、目の前のタクマへ微笑みかけた。
明日もきっと、私たちは一緒に食事をして、仕事へ出かけて、帰ってきたら今日あったことを話すのだろう。
少し前まで当たり前だった一人の暮らしよりも、そんな毎日を楽しみにしている自分がいる。
その気持ちに、今はまだ名前をつけなくてもいい。
ただ、もう少しだけ、この人と一緒にいたい。
それだけは、間違いないと思った。




