009 安眠薬とは
一日一緒に過ごした日から、レオ様の飲み物はブラックコーヒーから私の特製のハーブティーに変更してもらった。
元々私がいい匂いだと言っていた彼には、すぐに受け入れてもらえた。
「これで一緒の匂いだね」なんてからかわれた時には、少し怒ってしまったけれど。
どうもレオ様は私をからかうことがお好きらしい。
私がムッとすると、どこまでも嬉しそうに微笑むのがちょっとね。
だけど不思議とそんな彼を嫌いになれない自分もいるのが、また不思議だ。
ルドガーしか男性なんて知らなかったけれど、まったく別の生き物のようにさえ思える。
ルドガーとは婚約していたけれど、あんな風に二人で楽し気な会話ってしたことなかったのよね。
もっと業務的と言うか、まぁ、家族枠だったから、それが普通なのだろう。
「そういえば、賠償金ってどうなったのかしら。うちにお金が届いたとか言う話は聞いてないわよね」
すっかり馴染んできた王宮の自室のテーブルでレオ様の診察内容を書きながら、ふとそんなことを考えてペンが止まる。
実家にはあれからまったくと言っていいほど連絡をしていなかったけれど、入ってきたら手紙くらいは届くわよね。
ああでも、父のことだから私に報告するのとか忘れていそう。
同じ王宮で働いているというのに、考えたら今日まで一度もすれ違ったこともないくらいだし。
お互い仕事人間なのもいいけれど、ちょっと考えものよね。
「あああ、今はそんなことよりも、これからどうするか考えないと」
私は片手で顎を押さえて肘をテーブルに付けながら、ペンを持った反対の手はその場でトントンと紙を叩く。
嗜好品を変え、最近は午後に一緒にお散歩の時間などを取り入れたものの、レオ様の不眠は一向に良くなる気配を見せなかった。
ただ悪化はしていない。
方針としては間違ってはいないのだろうけれど、投薬を変えたわけではないから劇的な変化はないというのが現状だ。
隣で寝ているとよく分かるが、レオ様が一番よく眠れたのは私が来たあの日。
一緒にソファーで寝入ってしまった時だけ。
あれ以来、たぶんよく眠れても三時間くらいだろう。
一生懸命レオ様にも努力してもらっているのに、何の効果もないなんて。
ちょっとだけ凹むわ。
「やっぱり薬の変更が必要かなぁ」
強力な安眠薬は数多くある。
だけどそのどれにも副作用があるのだ。
眠れるのはいいが、日中ボーっとしてしまったり、一度寝てしまうと時間通りに起きられなかったり。
やる気がなくなるものもあるし、依存性が強い物も多い。
一旦それらを取り入れるのはたやすいが、私はあくまで薬師であり医師ではない。
もし重大な副作用が出た時にどうするか。
本当だったら、私が医師とセットで動ければよいのだけど。
この国の人たちは医師を信用していないし、その数も極端にいない。
国民感情が医師というものをもう受け付けないのだ。
その気持ちは当事者であるから分からなくはないけれど。
全部の医師がそうではないことも知っている身としては……難しいなぁ。
「はぁ」
どれだけ考えを巡らせても、出て来るのはため息ばかり。
考えたら、ずっと隣の様子が気になって、私も熟睡出来たことがないのよね。
いつも同じくらいの時間に寝て、同じくらいの時間に起き出すレオ様と一緒の生活をしていたら、私まで体を壊してしまいそう。
このままじゃダメよね。
どうにかしないと。
中庭の奥にお父様が栽培している薬草たちがあるというから、明日はそれを確認しに行こう。
でもそれでもダメだったら、本当にどうしようか。
まとまらない考えを巡らせるうちに、だんだんと瞼が重くなっていく。
それに逆らうことも出来ずに私は、テーブルに突っ伏すような形でうとうとと眠りについてしまった。
そしてどれくらい眠ってしまっていたのだろうか。
隣から何かが倒れるような大きな音で、目が覚める。
「な、なに?」
あまりに大きな音で、私は飛び起きるように立ち上がった。
時間はいつもレオ様が起きる時間くらいだろうか。
辺りを見渡しても、この部屋に変わった様子はない。
そうなると、音の原因は隣だ。
「レオ様?」
私は恐る恐る続き間の扉に近づき、声をかけた。
向こう側からは何の返答もない。
むしろ物音すら聞こえてこないのが、逆に怖くなってくる。
「レオ様?」
どうしたんだろう。
寝ぼけてベッドから落ちてしまったとか?
でもここに来てから数日隣で過ごしてきたけれど、寝相が悪そうには思えなかったし、今日みたいな大きな物音が鳴ったことはなかった。
しかも私の呼びかけにも答えてはくれない。
だとしたら、さっきのあの音はなんだったのか。
私が寝ぼけていたとは思えないし、確かに音は聞いた。
もしかして急病にでもなって、中で倒れてしまっていたら……。
扉の前で何度かうろうろと行き来したものの、不安の拭えない私はこちら側の鍵をそっと開けた。
すると前にレオ様が宣言していた通り、向こう側の鍵はかかっていなかった。
真っ暗なレオ様の部屋。
私は自室から燭台を持ちだすと、ゆっくりその中に入っていく。
ベッドの位置はちょうど私の部屋の反対側の壁に沿って置かれていた。
その上でレオ様は眉間にシワを寄せ、苦悶のような表情で目を瞑っている。
片手は拳で頭上に突き上げるような形で、もう片方は胸を押さえている。
きちんと息はしているし、ただ眠っているだけみたい。
もしかしたらこの頭上に上げた手が、ベッドの縁を強く殴ってしまった音かもしれない。
だけどこれほどまでに苦しげな表情のレオ様を放っておくことなど出来ずに、私は燭台をテーブルに置くと彼をゆすり起こした。
「レオ様、レオ様。ルクレツィアです。大丈夫ですか?」
薄っすらと目を開けたレオ様は、私を見るなり今にも泣き出しそうな顔で腰に抱きついてきた。




