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004 聞いていた話とイロイロ違う

 数日後、父に連れられて王宮で薬師として正式雇用登録をした私は、一つの部屋に通された。


 先ほどまで付き添ってくれていた父は、私を案内するとあとは大丈夫だからと置いてきぼりに。


 しかし誰かの私室らしいこの豪華な部屋で待っていろと言われても、落ち着かない。


 そう、自室以上に落ち着かない。


「んー」


 キチンとどこまでも整理された部屋。

 しかも王宮だというのに、無駄な装飾品などが一つもない。


 きっと持ち主がそういうものを嫌う性格なのだろう。


 だけどこんなに広い王宮での部屋を持っている人間なんて、考えたくはないけれど、考えてしまう。


「もしかして私……お父様にいいように騙された、みたいな?」


 やっぱり逃げよう。

 そうよ、今から田舎に行こう。

 人間平凡が一番だし、のんびりコツコツという方が性にあっているもの。


 なんだかとってもいい予感もしないし、逃げるに限るわね。

 お父様には悪いけれど、もう少し一人で頑張ってもらいましょう。


 そう思ってソファーから立ち上がると、タイミングよく扉が開く。


 入って来たのは、歳が私よりやや少し上くらいだろうか。

 ブルーグレーの髪に、藍色の瞳。

 背は私の頭一つ半くらい高く、やや線は細い。


 私は幾度か国の式典で、遠目でこの方を見たことがある。


「王太子殿下にご挨拶申し上げます」


 いきなりのことでやや声が上ずりながらも、私は深々と頭を下げた。


 礼儀作法なんて、基本的なことしか出来ないというのに。


 誰だっけ? かしこまらなくてもいいとか、そこまで気を遣わなくても大丈夫だとか言っていた人は。


 全然ダメじゃない。

 むしろ一番気を遣わなきゃダメじゃない。


 この国の唯一の王太子殿下なのよ? 次期国王様なのよ?


 全然聞いていた話と違い過ぎるでしょう。


「ああ、会いたかったよ、ルクレツィア」


 彼はなぜかその手を大きく広げたまま嬉しそうに近づいてくる。


 どう対応していいのか分からない私が頭を上げてその場で固まっていると、そのまま抱きしめられる。

 ふわりと彼から漂うホワイトムスクの香りが、鼻孔をくすぐった。


 えっと、これはいわゆるハグというものなのかしら。


 いや、そもそも王族の方というのはこんなにもフレンドリーなものなの?

 それともこの方だけ?


 もしかしたらハグが、この国のスタンダードな挨拶の仕方とか?

 聞いたことも見たコトもないけど。

 でもきっとそうなのよね……。じゃなければ、これは一体どういう状況なの?


 まったく意味の分からぬまま抱きしめられた私は、さらに意味が分からずに考えがまとまらない。


 抱き返せばいいのか、どうすればいいのか。

 まるで棒人間にでもなったかのような私を、王太子殿下はそのままソファーへと座らせた。


 もちろん彼自身も、なぜか私の隣にぴったりとくっついて座っている。


 本当に、本当にこれはどういう状況なの?

 私、もうどうすればいいの……。

 誰か、誰かぁぁぁぁぁぁぁ。

 

「あの、殿下……少しその……距離が近すぎる気が……」

「そうかい? そんなことより、ぼくはレオナルド。君にはレオと呼んで欲しい」


 キラキラ輝くその瞳と満面の笑みがどこまでも眩しい。


 真夏の太陽かと思えるくらいに眩しくて、私は思わず右手でをおでこに当てて視界を確保する。


 さすが王子様というべきなのかしら。

 しかも笑顔のまま押しが強いし。

 断りたいのに、断れる雰囲気ではないという感じだ。


「レオ……様」

「うんうん。ルクレツィア、君はいい匂いがするね」


 そう言いながらにこやかに彼は私の右手を掴むと、自分の顔の前に持って行った。


 鏡などで見なくとも、今自分がどんな顔をしているかはっきりと分かる。


 きっと真っ赤になっているに違いない。

 

「ああ、ごめんごめん。あまりに薬草のいい匂いがして、ついね。レディーにいきなりすべきことじゃないって分かっていたけど、嬉しくて」

「い、いえ。大丈夫デス」

「子爵から君はとても優秀な薬師だと聞いていてね。ずっとずっと待っていたんだ」


 ずっと待っていたか。

 それほどまでに切実ってことよね。


 ちょっと押しが強くてビックリしてしまったけれど、それくらい切実なのね。


「優秀かどうかは分かりませんが、お力添え出来るように頑張らせていただきます」


 逃げたかったけれど、逃げられなかったから仕方がない。

 そう腹をくくって、私は彼の顔を見上げた。


 父から聞いていた話では、彼の悩みは強度の不眠。


 確かにレオ様の目の下には大きな隈がくっきりと浮かび上がっている


 それにこれだけ近づくと、確かに顔色も悪いのがはっきり見えるわね。


 ああ、もしかしたら診察のために近づいてきてくれたのかしら。


 王宮での診察はこんな感じとか?


 分からないけれど、あとで父に聞けばいいか。

 診察に協力してくれているのならば、申し訳ないことだし。


 むしろちょっとでも勘違いしてしまって恥ずかしいわ。


「お手に触れてもよろしいでしょうか?」

「ああ。もちろんさ」


 両手を何の疑いもなく差し出してくれる。


 私は左手だけ取ると、脈を診る。

 少し早い。

 緊張と言うより、やっぱり過労かな。


「いつ頃から眠れなくなったのですか?」

「父が今怪我で動けなくてね。父の代わりにすべての仕事がぼくのところに集中するようになってしまったんだ。仕事自体をこなすのは問題ないのだけれど、そのうち中々眠れなくなってしまってね」


 仕事を溜め込みすぎなのか、集中しすぎなのか。

 見た感じでは、おそらく外で体を動かしてもいないみたい。


 それに線も細めだし、血色もよくない。

 これではきちんと食事がとれているかも微妙ね。


 だけど体力もあまりなさそうだし、寝不足でいきなり外は危険か。


「時間にすると、毎日どれくらい眠れていますか?」

「どうだろうか。子爵に薬を用意してもらったけれど、小刻みに何度も何度も起きてしまうんだ」


「それはお辛いでしょう」

「ああ。それに何度も夢を見てね」


 私が手を離すと、彼はソファーに深く腰掛けて目をつぶる。


「どんな夢をご覧になられるのですか?」

「そうだなぁ。とっても怖い夢さ。恐ろしいモノからずっと逃げているんだけれど、そのせいで大切なものを失ってしまって目が覚めるんだ」


 追いかけられる夢。

 確か仕事や何か、現実でストレスが溜まっていると見る夢だっけ。


 やっぱり相当疲労が溜まっているわね。


 それに父の薬でも効果がなかったとなると、普通に薬を煎じても効果はなさそう。


「だけどなんだか君の隣は落ち着く……本当にいい匂いだ……。悪い……少しだけそのままで……」

「レオ様?」


 レオ様の言葉の意味を確認しようと、私は彼を見る。


 すると力が抜けた彼の顔が、ポスっと私の肩に乗った。


 疲れ切った顔。

 小さな寝息。


 何とも言えない気分だったけれど、不思議と嫌な気はしなかった。

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