003 久しぶりの我が家
数年来帰宅したことなどなかった実家に戻っては来たものの、なんだか居心地悪く落ち着かない。
ここはルドガーの侯爵家より殺風景で使用人も極端に少ないせいか、生活感がまったくないのだ。
うちは母が幼い頃にあの病で亡くなり、父は王宮の薬師として働いている。
私の上に姉が二人いるものの、一人は他国の王宮で働き、もう一人も街で薬師をしていた。
この屋敷に生活感がないのは、みんな仕事のし過ぎで誰も帰宅しないからだろう。
まぁ、その最たる人間が私だったのだけれど。
いきなり予告なしに帰宅した私に、使用人たちは大慌てだった。
執事長は急ぎ王宮に遣いを出してくれた。
急なことなのに、父はすぐ帰宅してくれるらしい。
私だけのせいではないとはいえ、ちょっと申し訳ないわよね。
みんな大混乱だもの。
父が王宮から帰宅するまで自室に通されたけれど、やっぱり落ち着かない。
六歳の頃のまま止まった部屋は、手入れこそされているものの、子どもが好きだったものしかないから。
「私、ぬいぐるみなんて持っていたのね」
ほぼ薄いピンクとレースで統一された部屋。
ベッドの上にはいくつもの動物のぬいぐるみが並ぶ。
ここを出てからは、薬師としてきちんと振舞わなければ、一人前にならなければ。
そんな思いから、ぬいぐるみとかそういうものは全く自分の部屋にも置くことはなかった。
女の子らしい生活も格好も、すべて私が拒否したんだっけ。
婚約破棄されたのには、少しは私のせいもあるわよね。
彼のために一生懸命尽くしてはきたけれど、フィオナのように美しくもなければ、可愛げもない。
いくら薬師として完璧にこなそうと心がけてはいても、婚約者としては頑張ってこなかったから。
でも一人で薬を調合するだけじゃなくて、庭で薬草を育てたり、前侯爵が亡くなるまで付き添いまでしていたんだから、無理な話よね。
あーあ。今さら問題点を探したって、どうしようもないのに。
後悔……しているのかな。
らしくもないな、私。
「考えても仕方のないことはやめよう」
むしろこれからどうするかが問題よね。
まさかこの歳になって、実家で何もせずに引きこもるわけにもいかないし。
だいたいココ、落ち着かないのよね。
ある程度のお金はルドガーからもらえるけれど、それだけでは一生は食べていけるはずもない。
今や婚約者もいないわけだし、仕事探さないと。
でも外で働いたこともないから、ちゃんと出来るかしら。
「ルクレツィア!」
父が息を切らしながら、ノックもなく部屋に飛び込んでくる。
こんなに慌てた父を見るのは初めてかもしれない。
私と同じ薄い水色と黄緑の間のような髪色に、ブルーの瞳。
顔も良く似ているけれど、眉間や目じりにシワが目立つ。
お父様って、そんな歳だっけ。
もっとずっと若いと思っていた。
昔は大きく感じた父も、今はあまり私と変わらない気がする。
私が大きくなったのか、父が小さくなってしまったのか。
なんとも言えない変な感じだ。
「お久しぶりです、お父様」
「婚約破棄されたと聞いて、飛んで帰ってきたのだが」
「ええ。これです」
私は父に誓約書を手渡す。
しかし父はそれを受け取るよりも先に、私の頬に触れた。
急いで帰ってきたせいか、父の手はひんやりと冷たい。
「怪我をしているじゃないか、ルクレツィア」
「ああ、忘れていました」
「もしや、あの男に殴られたのか?」
「いえ。ルドガーではありません」
「どちらにしろあの家で怪我をさせられたのだ。今すぐ抗議しないと」
いつも冷静な父が慌てている姿は、ほんの少しホッとさせてくれた。
こんな人だったかな。でも、そうかもしれない。
昔私が転んで怪我した時も、姉たちは大丈夫だと言っているのに、父だけ慌てていたっけ。
挙句包帯でぐるぐる巻きにされて、姉たちが爆笑していた覚えがある。
いつだって父は、こんな風に過保護だったわね。
もう私も大人だっていうのに。
父にはまだ、あの頃のような小さい子どもにでも見えているのかしら。
「いや、それよりもまず手当だな。包帯と薬と……」
「大丈夫ですよ。別に切れてもいないですし」
「何も大丈夫ではないだろう。可愛い顔に跡が残ったら大変だ。ああ、可哀そうに」
「それならばあとで自分で治療しますから、まずはその誓約書を確認して下さい」
父は何度も私の怪我を気にしながらも、促されるままに誓約書の確認を始める。
「今更なぜ婚約破棄など……。あれは侯爵家から、どうしてもと懇願されて渋々引き受けたというのに」
「彼は真実の愛を見つけたようですよ」
私の言葉に父はこちらを見た。
フィオナを見たあの時の私と同じように、ただポカンと口を開けている。
「真実……?」
「ええ」
「若いから仕方ないのか……」
「そうですねぇ。なんせ、お相手は妊娠しているそうですし」
「……彼は馬鹿なのか?」
あまりにストレートな父の物言いに、ついに私は盛大に噴き出す。
「お父様、いくらなんでもそれは」
「ああ、いやすまん。つい」
「あはははははは」
彼もある意味被害者なのかもしれないから、あんまり笑っては失礼よね。
「だが真実がどうだとしても、到底許されることではない」
怒る父を見て、ほんの少し胸のつかえがとれた気がする。
経緯が経緯だし、破棄されたことに文句を言われることはないとは分かっていたけれど。
でもやっぱり自分のために怒ってくれたことが、嬉しい。
「経緯は分かったが、これからどうするつもりだ?」
「そうですね。まずは仕事を探さないと……。出来れば住み込みの方がいいのですが」
「しばらくはここでゆっくりすればいいではないか。今までずっと侯爵家で働いてきたわけだし」
「でも……なんだかじっとしているのは落ち着かなくて。お父様だって、そうでしょう?」
ここが嫌いなわけではないけれど、やっぱり何か違う。
ずっといなかったせいもあるけれど、この歳になって今さら実家に戻って生活するのは違和感でしかないから。
「そうかもしれないが……。そうだな。それならば一つ頼まれてくれないか、ルクレツィア。今王宮は人手不足でな。わたしも歳も取って、休みをとりたくとも、それも難しい状況なんだ」
「そんなに忙しいのですか?」
「元より成り手が少ないのもあるが、担当しているお方の具合が悪く休めないのだよ」
王宮勤めで、高貴な方たちを相手にしていれば、どうしても優先されるべきは相手側。
しかも人手不足では、交代もままならない。
確かに歳を取った父では、大変よね。
でも王宮かぁ。
出来れば、そんな堅苦しいところは行きたくはない。
いや、無職だから選ぶ立場になんてないのだけれど、いきなりハードル高すぎじゃない?
片田舎で、のんびり薬師しているぐらいで十分なんだけど。
「ですが、私ではさすがに力不足かと」
「そんなことはない。まずは一人だけ受け持ってくれないか? 気難しい方でもないし、特段気を遣わなくともよい」
「ですが……」
「年老いた父を助けると思って、頼む、ルクレツィア」
懇願する父に、私はそれ以上断る言葉は見つからなかった。
たった一人。
一人だけならばなんとかなるだろう。
この決断を、あとで少し後悔することになる。




