021 意味なく溢れる涙は
レオ様はあのあとすぐに何事もなかったかのように、私を部屋まで送り届けてくれた。
忙しいレオ様にそこまでしてもらったことすら嬉しかったはずなのに、引き留めてしまったのは私。
気づいたら部屋を出ようとするレオ様の服の裾を掴んでしまっていた。
するとレオ様は私を安心させるように微笑みながら、ミラに頼みお茶の用意を私の部屋にしてくれた。
そしていつものようにソファーで私の隣に座っている。
「嫌な思いをさせてしまってすまなかったね、ルクレツィア」
「嫌な思いだなんて」
「いや、実際そうだろう? ミランダ王女はいつでもあんな感じの人だからね。うちの側近も執務室でキレ散らかしていたよ」
レオ様の言葉に、私は彼の側近を思い出す。
確か歳はレオ様と同じくらいの方で、茶色い髪のひとだっけ。
いつも執務室で静かにされているし、とっても良識ある方だったと思ったのだけど。
その方がキレ散らかすってよほどよね。
きっと私みたいに嫌味でも言われたのかしら。
「まったくミランダ王女には困ったものだよ」
「ですが、婚約をなさるのではないですか?」
聞くべきことではないと思いながらも、私には止めることが出来なかった。
「あの国は優れた医療大国ですし、この国の民を思えば……。あの方の言う通りなのかもしれないですし」
「本当にそう思っているのかい?」
そう言いながらレオ様は私の顔をのぞき込む。
レオ様の瞳に私の心の中を見透かされているようで、そっと視線を外す。
「……分かりません。分からないんです。医師は必要だとは思います。レオ様の病のことだってそうです。医師がいればもっと良い治療方法があるのかもしれません。だけど……」
「正直ぼくも、あの国は信用ならないと思っているよ。この国に元いた医師たちが逃げ込んだというだけじゃなくてね」
「……そうなのですね」
「だが、父たちがどう判断するかはまだ分からないからね。何とも言えないというのが現状さ」
貴族が家のために結婚を優先するように、王族には国のためにそれを優先する義務がある。
本人たちが納得しなくとも、そんなことは些細なことなのだ。
だからこそ、こんなモヤモヤとした気持ちになってしまっている。
レオ様がお相手のことをすごく好きで婚約するというのならば、諦めもついたのに……。
「そんなことよりも、ずいぶん疲れた顔をしているけど大丈夫かい、ルクレツィア」
「え、ああ、大丈夫ですよ、レオ様」
疲れたのは疲れたけれど、なんとなくそうじゃないのだった。
「昨日はちゃんと眠れた?」
レオ様からの問いに、私はふと固まってしまう。
本来ならば、この質問は私がすべきことなのに。目の下にクマでも出来ていたかしら。
「私よりもレオ様は眠れましたか?」
「んー。どうだろうな。元々急に忙しかったから、時間的にはほとんど寝る時間がなかったというのが正直なところさ」
「それなら今日は……」
「君が疲れているんだったら一人でゆっくり寝かせてあげたいけれど」
「いえ、一緒に寝ます」
自分でもその言葉がするりと出て来たことに、驚いてしまった。
わ、私今何を口にしたの?
もちろん薬師として、よね?
確かに昨日はレオ様がいないことで、なんだか落ち着かなかった。
しかもその原因があの王女様だって知って、かなり気持ちが不安定になってはいたけれど。
でもそれでも……私、どうしちゃったんだろう。
ちゃんと仕事にだけ生きるつもりだったのに。
「そうか。ちょっと何時に戻れるか分からないから、先にぼくの部屋で横になっててくれるかな。ルクレツィアが部屋にいると思えば、どれだけ忙しくても戻って来る気になれるから」
一瞬、薬師としてちゃんとしなきゃと思ったのに、レオ様の言葉と笑顔を見てしまった瞬間、私の中から「やっぱり」と断る選択肢はなくなってしまった。
その後、一旦自分の部屋で用事などを済ませたあと、内鍵を外してレオ様の部屋へ。
いつもと何も変わらない部屋。
ただまだレオ様がいないというだけ。
なんだか落ち着かない私は部屋の中を少しウロウロとしたあと、結局ベッドに腰掛ける。
私の部屋のベッドよりも広いけれど、ここの方が落ち着くって変な感じね。
だけど王宮に来て以来、ほとんど一緒のベッドで寝ているからそんなものなのかな。
「あの王女様、フィオナ嬢に雰囲気が似ていたけれど同じ国の方なのかしら……」
あとで聞いた話では、あの男爵家は新興貴族だとのこと。
他国からの流入でこの国の貴族に成り上がったみたいだから、あり得ないことはない。
似ているから嫌いってわけではないけれど、どちらにしても好きになれそうな部類の人間ではない。
「過去にすがるって」
別に栄光にすがって何かをしたことも、もらったこともないのに。
なんであそこまで言われなくちゃいけないのかしら。
いくらレオ様の婚約者候補だと言ったって……。
そこまで考えて、私はベッドに寝転ぶ。
ベッドにはレオ様の残り香が。
私は何気なく彼の枕を掴み、抱きかかえてみた。
「……」
あの方が婚約者になったら、ここに私の居場所はない。
そうなったら私、どうしたらいいんだろう。
前までならどこかの田舎で開業してって思えたのに。
今ではそんな未来すら思い描くことが出来ない。
このままずっとなんてありえない夢なのに、夢であって欲しくない。
「ベッド、冷たいなぁ」
何が悲しいのかも分からないまま、ただ涙がこぼれて来た。




