閑話 腹黒王太子と呼ばれても(レオ視点)
夜半から降り始めた小雨が本格的な雨に変わり、窓から見える中庭を濡らしていた。
庭師たちが丹精込めて育てた花たちも、この雨のせいで打ちのめされてしまっている。
今朝ほどまでは見事に咲いていた花も例外ではなく、重たく水を含んだ花びらのせいで頭を垂れ、ぬかるんだ土の上に無惨に散ってしまっていた。
泥まみれになり落ちた花を見て、無意識に笑みがこぼれる。
「殿下、本当によかったのですか?」
不意に後ろに控えていた一番の側近であるリークが声をあげる。
「何がだ?」
「侯爵に婚約破棄させるために、あの女をけしかけたことですよ」
「ああそんなことか……」
男遊びが激しく妊娠してしまった、新興貴族の令嬢。
彼女は子どもの父が誰だか分からないため、ずっと夫となる男を探していた。
条件はただ自分に従順であり、金を持っていることだけ。
だからちょうどいい物件を、裏から手を回し紹介してやったにすぎない。
そうただそれだけのこと。
こんなことに何の問題があるというのだろうか。
まったく何年も俺の側で仕えているというのに、リークのこの真面目な性格は一度も歪むことはないな。
むしろ俺が歪めば歪むほど、それが際立っているようにさえ思える。
まぁ、だからこそ傍に置いているとも言えるんだが。
「そんなことって……」
眉を顰め、非難の目をリークはこちらに向けていた。
「目的のためならば何でもするさ。それにけしかけたところで、侯爵が気にも留めなければ何も起こりはしないだろう?」
この計画を思いついたのはもうずっと前のこと。
夜会で見かけた彼女の顔が、あまりにも幸せとは遠いものだったから。
彼女があの男の病気のせいで、婚約をしたのは理解している。
子爵が断れなかった経緯も、なんとか自分を納得させた。
だがそれと、彼女が幸せではないということはまったくの別問題だ。
彼女はこの国の中で誰よりも幸せにならなければいけない人だ。
多くのものを犠牲にし、声を上げて泣くことすら出来なかった人だから。
それなのにあの婚約者は、まるで傍にいることは当たり前かのように振舞い、彼女をないがしろにしていた。
調査させて驚いたのは、屋敷内でも使用人のように扱われていることだ。
彼女が幸せだったら諦めようとずっと思っていたのに。
そう、すべてあいつが悪いんだ。
「それはそうですが……。ですが、薬師令嬢様がそのために傷ついてしまったら意味がなくないですか?」
「彼女はそれくらいではどうにもならないさ」
そう、あの泥の中ですら美しい花のように。
彼女はいつだって、どんな状況であっても咲き誇ることが出来る人間なのだから。
だからむしろ、ココにまで堕ちてきて欲しい。
そうすればもう、二度と誰にも手出しなどさせない。
「まったくあなたという人は……。ちょっとは人の心を学んだ方がよいですよ?」
「そういうおまえこそ、真面目過ぎるんだ。もう少し物事の表面だけ見ずに判断したらどうだ?」
「これくらいが普通なんです。まったく……昔は雷が鳴っても泣いてしまうほど可愛らしかったというのに」
「いつの話をしているんだ、おまえは。だいたい、俺とおまえの歳など変わらないだろ。何目線だよ」
「そう言いたくもなりますよ。ほぼずっと一緒に育ったのに、こんなに腹黒く変わってしまったんですから」
「……」
まったく幼馴染が側近と言うのも考え物だな。
何かにつけて過去を引き合いに出して来る。
だいたい歳も一つくらいしか変わらないというのに、なんでそう上から目線なのか意味不明だ。
王宮や貴族といったドロドロとした人間関係の中で、歪まない方が不思議なくらいだろう。
どこにいっても人のエゴや陰謀ばかりなのだから。
「腹黒でもなんでも、目的のためになら手段など選んでいられないだろう?」
「それはそうかもしれませんが」
手に入れたいが、壊したいわけではない。
だからどんな手段を使っても、彼女を守り抜くさ。
もう二度と失わないために……。
「もっとも、殿下が薬師令嬢様を誰よりも欲する気持ちは分からなくもないんですよ? あの流行病にかかり、皆が自分にもうつるのではないかと嫌煙する中で、あの方だけは殿下に手を差し伸べてくれたわけですから」
「それもそうだが、それが全てではないさ。彼女は俺の看病のせいで、最愛たる母親の死に目にも間に合わなかった」
「そういえばそうでしたね。確か葬儀には殿下も参列さなったんでしたっけ」
「ああ。彼女は最後まで人前では泣かなかったよ。あとから聞いた話だが、自分たちが助けられなかった命がたくさんあるからこそ、泣いてはいけない気がしたのだと言っていた」
「そんな! あれは薬師様たちのせいではないじゃないですか」
「みんなそう思っているさ」
だからこそ、彼女は誰より幸せにならなければならない。
そうこの国の誰よりも、だ。
侯爵が幸せに出来ないのならば、手放すべきなのは当たり前のこと。
幸せに出来ない者など、彼女の隣どころかこの国にいる資格すらないのだから。
あの日から、俺にはずっと見続けている夢がある。
何度も何度も、それこそ悪夢とも言えるくらいの同じ夢を。
幼い頃に掴み損ねて失ってしまった彼女の夢。
いつだって悲し気に微笑んでいた彼女の……。
「どちらにしても、裏で暗躍するのはほどほどにして下さいね。あとで愛しの薬師令嬢様に泣かれてしまったら意味がないんですから」
「ああ、分かっているよ」
リークの小言に苦笑いをしながら、窓の外を見る。
あれほど降り続いていた雨が嘘のように止み、薄っすらと差し始めていた。




