019 誰が一番の悪かなんて
「おれはただ……ルクレツィアのことが」
「だいたいもう婚約者でもない女性の名を呼ぶことすら、どうかと思うんだが?」
「ですからそれは、今から復縁を」
「そんなことが出来るとでも?」
レオ様の視線はいつも以上に鋭いものだった。
睨みつけるとかそういう生易しいものではない。
その瞳だけで人を殺せてしまいそうなくらいの……そう殺意がこもっているように思えて仕方なかった。
あまりのいつもとのギャップに私が驚いていると、レオ様は一つため息をついたあと、私の顔を見てただニコリと笑う。
そしておもむろに私の両耳をその手で優しく塞ぐ。
「君にはあの令嬢がお似合いだと思うよ?」
「そ、それはどういう意味でしょうか。彼女、フィオナはおれの子ではなく他の男の子を妊娠していて」
「ああ、知っている」
「知っている?」
「そうさ。だって、彼女に君のことを教えたのは俺だからね」
二人の会話は私にはまったく聞こえない。
だけどどこまでもにこやかに微笑むレオ様と、大きな口を開けて驚愕するルドガーの顔があまりに対照的に思える。
「どうしてそのようなことを!」
「まだ分からないのかい?」
「ルクレツィア……ルクレツィアなのですか?」
「君がずっとないがしろにするからだよ。俺が何よりも大切に思ってきたものを」
「!」
「でもまぁ、けしかけたのは俺だが、それに乗っかったのはお前だよ。今更後悔したところでもう全て遅いのさ」
何を言い聞かされたのか分からないが、ルドガーは今にも崩れ落ちそうな顔をしている。
よほどキツクレオ様から怒られたのかしらね。
何にしても、これならもう馬鹿げた復縁なんて言い出さなそう。
もうこれっきりにして欲しいわ。
接近禁止にしてあったのに、違約金も欲しいくらいよ。
私ももう迂闊に一人で街に出るのはやめよう。
今回はたまたまレオ様が私を見つけて下さったから良かったものの、あのままだったらルドガーの屋敷に連れていかれるところだった。
いくらもうルドガーに失うものがないとはいえ、こんな強硬……。
「さぁ、帰ろうか、ルクレツィア」
話し合いが終わったのか、レオ様は塞いでいた私の耳から手を離す。
私の顔をのぞき込んできたその顔は、いつものような優しいものに戻っていた。
よかった。
すごく怒っていたから、心配したけど、もう大丈夫みたい。
私はレオ様が差し出したその手を掴む。
「この国の薬師に手を出したこと、後悔するといいよ」
歩き出そうとしたレオ様がふと止まり、わざとらしく大きな声でそうルドガーに伝える。
しかし周りを見渡せば、その言葉がルドガーに向けられたモノのはなかったことに私はすぐ気づいてしまった。
「薬師」その言葉に、周囲の人間は過剰なまでに反応していた。
非難の目だけではない。
囲んだ多くの人たちが囃し立てるようにルドガーに苦情を言い始める。
さすがにここまで来ると少し気の毒ではあるけれど、庇う気にはなれなかった。
そしてレオ様が手配していた馬車にそのまま私たちは乗り込む。
「ありがとうございました、レオ様」
私は馬車の扉が閉まると同時に、すぐに感謝を伝える。
「隣国の方のご案内をされていたというのに、お仕事の邪魔をしてしまってすみません」
偶然とはいえ、大事な外交の邪魔をする形になってしまった。
大きな問題にならないといいけれど。
「いや、問題ないさ。とにかく君が無事でよかった」
「ありがとうございます」
「それにしても君の元婚約者があれほど諦めの悪いやつだとは思わなかったよ」
やや呆れたように言うレオ様に、私も釣られて苦笑いをする。
「本当ですね。あんな性格だったとは、私も知りませんでした」
「交わした契約書の賠償金の支払いなどもまだなのだろう?」
「みたいですね」
正確な金額は分からないけれど、払えないはずはないのに。
払わないことで引き延ばせるとでも思ったのかしら。
「とにかくこの件はぼくからも男爵家に抗議を入れておくよ」
「そんな申し訳ないですわ。ただでさえお忙しいのに」
「いやいいんだ。一度釘をさしておけば、これ以上強硬には及ばないだろう」
確かにその方が安心感はある。
やりすぎかもしれないけれど、もう二度目は御免だわ。
「すみません」
「大丈夫だよ、ルクレツィア」
そう言いながら、レオ様はふわりと笑った。
ああ、本当にもう……。
なんでこんなにも満たされていくのだろう。
ただ私に微笑んでくれている。
それだけなのに。
「そういえば、一緒に街に来られた方はどうされたのですか?」
「ああ、彼女なら、先に馬車で王宮に戻ってもらったよ」
「彼女……」
たったその二文字に、胸がざわめく。
隣国から来た女性。
レオ様には未だに婚約者はいない。
考えすぎかもしれないけれど、考えるなと言う方がおかしくもある。
元から手など届かない人なのに……もし……。
「彼女が君に会いたいとしつこくてね。明日にでも紹介するよ」
そう言ったレオ様の言葉に、私はどんな顔をして返事を返せばいいものか全く分からなかった。
それでも仮面のように微笑んだのは、わずかに残った貴族令嬢としての矜持みたいなものだったのかもしれない。




