015 托卵という真実
手から伝わる、ぞわぞわとする感覚。
まるで虫が自分の手から体に這い上がってくると表現してもおかしくはないくらい。
「どうして? あなた真実の愛を見つけたって、どこまでも喜んでいたじゃない」
私はそう言いながら、ルドガーの手を思いきり振り払う。
その行為が傷ついたとばかりに、彼は悲しそうな顔をこちらに向けた。
冗談じゃないわ。
そんな被害者面したって、全然私には通じないのよ。
婚約破棄した男と手を繋ぎたいなんて、誰が思うっていうのよ。
むしろ今すぐ消毒したい気分だわ。
なんで今日に限って仕事用の道具を持っていないのかしら。
「あの時はそう思ったんだ……。でも違ったんだ」
「何が?」
悲劇の主人公を気取るルドガーに、淡々と私は話しかける。
「ルクレツィアに子どもが出来ない体だと言われたあと、母さんにも確認したんだ」
「そう。で、どうだったの?」
「もちろんすごく怒られたよ。君は全てを知っていた上で、おれと婚約してくれていたのにって」
この点についてだけは、思うことがないわけではない。
実際ルドガー自身も、自分が子どもをつくれない体だとは知らなかったのだから。
彼を傷つけないために言わなかったことが、今回の発端でもある。
全てがルドガーのせいだってわけではないけれど、不誠実だったことには変わりないのよね。
「それで?」
「それでもフィオナはお腹の子がおれの子だと引かなくて、もう一度診察を受けることにしたんだ。この国には医者がいないから、すぐに隣国まで行ってさ」
「それはご苦労様だったわね。で、結果はどうだったの? 奇跡でも起こっていたのかしら」
「……いや、ルクレツィアの言った通りだった。おれには生殖能力がもうないらしい。だからフィオナのお腹の子がおれの子であることは絶対にないって」
でしょうね、としか言いようがない結果ね。
でもまぁ、そんなことを調べるためにわざわざ隣国まで行くところがなんともね。
結局最後まで、彼女の言葉を信じていたってことでしょう。
それなのにこんな風に意気消沈してまで私のところに来るなんて、どうかしているわ。
「彼女のお腹の子が自分の子じゃなかったことが、そんなにショックだったの?」
私の言葉に、ルドガーは顔を上げる。
彼は言葉を詰まらせていたが、おそらくそうなのだろう。
運命の~なんて言っていたくらいだものね。
ショックなのは分からなくもないけれど、それでも私にはもう関係のない話だわ。
「自分の子じゃなかったことがショックというより、彼女が嘘をついていたことがショックだったんだ」
「ふーん」
「だってそうだろう? 彼女のせいで、すべておかしくなってしまったんだ」
そこからルドガーは恨み言のようにつらつらと言葉を重ねていく。
自分はいかに本気だったのか、彼女に騙されてしまったのか。
自分は被害者で、こんなはずではなかったのか。
彼の計画では、人生は常に順風満帆だったらしい。
それを横から壊したのがフィオナなのだという。
ルドガーの主張はどこまでいっても、自分だけが被害者だというものだった。
私は半ば呆れながら、しぼみ始めたパンケーキを一口ずつ頬張っていく。
この人さえこなければもっと美味しかったはずなのに。
ただコーヒーの苦さだけが、口の中に残る。
「ルクレツィア、君だってそう思うだろう? まさか自分に近づいてきた女が托卵をするだなんて」
「そうね。普通ならばあり得ないわね」
「だろう?」
私が彼の意見に同意したことがよほど嬉しいのか、それとも今までのうっ憤を私にぶつけたのがすっきりしたのか。
ここへ来た時よりも、ルドガーの血色はやや良い。
「フィオナさんのお腹の子は、誰か分かったの?」
「それが彼女は社交界でいろいろな男と遊び歩いていたようなんだ」
「へー」
「おれもこんなことになってようやく、彼女の素行を調べて知ったことなんだけど」
「じゃあ、相手が誰かまでは分かっていないのね」
「ああ、そうなんだよ」
それは何とも大変そうな話ね。
托卵は確かに罪ではあるけれど、相手が分からなければ、責任も取ってもらえなさそうだし。
新興貴族だから、結婚しなくとも特に親はうるさくない感じなのかしら。
あー、でも、ルドガーに子どもを託そうとした辺りからして、そうでもないのかな。
ま、もう関係ないからいいけど。
「二人とも大変ね」
「ルクレツィア、さっきからそうだけど、どうしてそうも興味なさそうなんだい?」
何を言い出すかと思えば、逆にどうしたら私がこんな話に興味があると思うのかしら。
私とは縁が切れた人たちがどうなろうと、全然興味ないんだけど。
「んー。逆に聞くけれど、どうして私がこの話に興味があると思ったの?」
「それはそうだろう。だっておれと君は婚約者だったのだから」
「そうね。だった、の。全てはもう過去形なのよ。あの誓約書の内容見た? 私は金輪際、あなたたちと関わらない。そして互いに近づかない。と、書いたはずよね」
「そ、それはそうだが」
私に誓約書の内容を指摘され、ルドガーは急に口ごもる。
自分でサインしたくせに、知らなかったとは言わせないわよ。
「でもルクレツィアは、おれのことを愛していたから托卵のことを教えてくれたんだろう?」
能天気というか、お目出たいとでも言うか。
今頃気づいたのだけど、もしかしてこの人は私がまだ自分のことを好きだと勘違いしているみたいね。
あんなことをしでかしたというのに、どこからそんな自信が湧くのか私には到底理解が出来なかった。




