014 都合のいい話
一人のベッドは、いつも以上に広く感じた。
もう何日も使っていない自室のベッドはどこまでも冷たく、いつ眠ってしまったのかも分からないほど。
朝起きるとすでにレオ様の部屋からは物音ひとつしないところを見ると、昨日部屋に戻ってきたのかも分からない。
これが普通のことであり、当たり前の生活なのに、心の中はモヤがかかる。
「……はぁ。出かけようかな」
部屋の中にいても、ろくな考えが浮かばない私は街中へ一人買い物へ出ることを決めた。
元々貴族令嬢ではあっても、薬草の買い付けなど一人で行っていた私には、街へ一人で行くことに抵抗などなかったから。
さすがにドレスなどでは出かけられず、自宅から持ってきた一番地味なワンピースに着替えて出かけた。
「ああ、これも紺色なのね」
別にあえてこの色を選んだわけでもちろんないのに、街のショーウィンドウに映る自分を見た瞬間、自分でも驚いてしまった。
あの方の瞳の色によく似た服。
無意識でこんなのを選んでしまうなんて、もう重症すぎる。
せっかく買い物に来たというのに、買ったものもレオ様へのお土産だけだし。
私、本当にどうしちゃったのかな。
なんだか自分が自分ではないみたい。
「これじゃあ、全然気分転換にもならないわ」
今日何度目かのため息を漏らす。
こんな気分じゃあ、マトモに買い物も出来そうにないなら、いっそ甘い物でも食べよう。
その方がちょっとは気が紛れるかもしれないわね。
そう思いキョロキョロと辺りを見渡せば、流行のお店だろうか。
外にまで椅子やテーブルを並べ、色とりどりのパラソルが並ぶお店が見える。
こんな昼過ぎの時間にしてはお客さんも多く、みんながテラス席で甘いパンケーキを頬張っていた。
近づけば、はちみつのいい匂いがしてくる。
お城でもよくレオ様が甘いものを用意してくれていたが、レオ様自身があまり甘いものがお好きではないみたいで、私も合わせるように食べるのを控えていたんだっけ。
今日はどうせ一人だし、お昼ご飯はあれでいいわね。
幸せそうなお客の顔を見ていると、こちらまで満たされていく気がして、私はそのまま入店した。
若い店員さんたちは愛想もよく、テラス席の一番端の街中が良く見渡せる場所に案内された。
注文は三段のふわふわしたパンケーキに、ブラックのコーヒー。
普段レオ様にコーヒーを禁止にしているのに、なんだか申し訳ないなと思いつつも、甘いものを食べるならブラック一択だと注文してしまった。
手のひらよりもかなり大きめのパンケーキが絶妙なバランスで三つ積み重なっている。
少しでも触れると、今にも崩れてしまいそうなのに、店員さんは颯爽と持ってきてくれた。
フォークでそれをつつけば、しっとりしつつも、しっかりとした弾力が感じられる。
そこに付属してきたはちみつを贅沢に上からかければ、パンケーキが黄金に輝いて見えた。
「ふふふ。ちょっと食べすぎかしら」
明らかに一人で食べる量ではなさそう。
周りの人たちも恋人同士や家族などで一つ頼み、分け合って食べている。
「でもたまにはいいわよね」
美味しいものを前にほころぶ顔を隠しきれずに、私は一番上のパンケーキにそのままフォークを刺した。
そして口に入れようとしたまさにその瞬間、会うはずのない人物が私を見つけ近づいてきた。
ああ、最悪ね。
せっかく美味しい物を食べようと思っていたのに、一気にそんな気分ではなくなってしまったわ。
「はぁ」
再び溢れるため息。
しかし私はそれを隠すこともしなかった。
自分でも驚くほど、うんざりとした顔をしているのが分かる。
「ルクレツィア! ああ、よかった。こんなとこにいたんだね」
「……ルドガー」
ルドガーは私を見つけ、どこか嬉しそうに声を上げた。
そしてそのまま近づいてくると、空いている正面の席に許可なく座る。
私がさんざんな顔をしているというのに、彼はまったく気づいてはいないようだった。
「あなた、どうしてここに?」
「君をずっと探していたんだ。あれから実家に戻って行ったと思ったのに、すぐに王宮へ就職してしまったと聞いて、困っていたんだよ」
「困る? 私が王宮に就職することで、あなたに何か困ることがあるの? ああ、あの慰謝料の振込先とか? 別に現金で実家に持って行ってくれればいいのよ。執事長が代わりに対応してくれるだろうから」
別にお金なんてどうでもいいんだけど、貰えるものは貰っておかないとね。
あれからかなりの日数が経ったというのに、実家から連絡はないからおかしいとは思っていたけれど、未払いだったのね。
侯爵家にお金がないわけではないはずなのに、なんで払わないのかしら。
でもこの感じだと、振込先が知りたかったって顔ではなさそう。
「そうじゃない、そうじゃないんだ。ルクレツィア」
ルドガーは必死に首を横に振る。
その顔色はあの日最後に見た時より、やややつれたように見える。
まぁ、だいたい何があったかは察しがつくけれど。
「やっぱりおれには君しかいないんだ。あれは、一時の気の迷いだったんだ。ルクレツィア、婚約破棄をなかったことにして欲しい」
ルドガーはそう言いながら、テーブルの上に置かれた私の手を握ってきた。
私は自分の手を掴む彼の手を見る。
今までだったら何も感じなかったであろうその手が、どこまでも気持ちの悪いものに思えて仕方がなかった。




