ただの護衛の...はずだった
父さんと母さんを埋葬してから、二日が経った。
カタカタ、カタカタ。
馬車の車輪が、乾いた街道を叩き続けている。
俺は幌馬車の後ろ側に腰を下ろし、隙間から流れていく景色を眺めていた。
この二日間。
必要なこと以外は、ほとんど口にしていない。
ガイルたちも、無理に話しかけてはこなかった。
食事の時間になれば、
「食うか?」
と聞かれる。
夜になれば、
「今日はここで寝るぞ」
と言われる。
朝になれば、
「出るぞ、坊主」
と起こされる。
それだけだった。
今の俺には、その距離がありがたかった。
笑って話をしたり。
自分のことを説明したり。
まして、これからどう生きていきたいのかなんて。
まだ考える気にはなれなかった。
それに、この三人と一緒にいられるのも次の町までだ。
あと数日。
町へ着けば、俺は役所か教会へ連れていかれるのだろう。
モニスへ戻されるのか。
会ったこともない親戚を探されるのか。
孤児を預かる施設へ入れられるのか。
何も分からない。
別れると決まっている相手なら、最初から距離があった方が楽だ。
俺は、そう思っていた。
ただ。
三人の会話を黙って聞いているうちに、この世界のことも少しずつ分かってきた。
冒険者には、実績や実力に応じたランクがある。
依頼にも、それぞれ危険度が設定されている。
そして冒険者の仕事は、魔獣を討伐することだけではない。
素材の採取。
行方不明者の捜索。
商人や旅人の護衛。
報酬さえ支払われるなら、大抵の仕事は引き受けるらしい。
『何でも屋に近いんだな』
知識としては理解した。
それでも。
前世で見ていた物語の影響なのだろう。
冒険者と聞けば、どうしても剣を振るって魔獣と戦う姿を想像してしまう。
魔獣を倒し。
角や牙を持ち帰り。
報酬の金貨で酒場を貸し切って騒ぐ。
現実は、もう少し地味らしい。
「よし」
御者台に座っていたガイルが口を開いた。
「今日の仕事を確認するぞ」
ジルとダイスが顔を上げる。
俺も、何となくガイルへ視線を向けた。
「この先の荷継ぎ場で商人と合流する」
「護衛?」
ジルが尋ねる。
「ああ」
ガイルは手綱を握ったまま頷いた。
「商人と荷物をエガン平原の東側まで運ぶ。向こうで取引相手へ引き渡して終わりだ」
思わず、口が動いた。
「……それだけ?」
三人の視線が一斉に俺へ向く。
『しまった』
この二日間。
ほとんど話していなかったのに。
初めて自分から口にした言葉が、これか。
ダイスが少し笑った。
「何だよ。もっと派手な仕事がいいのか?」
「いや……」
俺は少し考えてから答えた。
「護衛っていうから、魔獣や山賊と戦うのかと思ってた」
「出てくれば戦うさ」
ダイスは肩をすくめる。
「出てこなければ?」
「戦わない」
「それで仕事になるの?」
「なるに決まってるだろ」
ダイスが呆れたように言った。
「護衛の仕事は、敵を倒すことじゃない。人と荷物を無事に目的地まで届けることだ」
「……なるほど」
言われてみれば、その通りだ。
戦わずに終わるなら、それが一番いい。
「魔獣の巣へ入って銀貨十枚と、半日の街道護衛で銀貨十枚」
ダイスが左右の人差し指を一本ずつ立てる。
「お前ならどっちを選ぶ?」
「街道護衛」
即答した。
「だろ?」
実に合理的だ。
『売上が同じなら、原価が低い方が利益は残る……みたいなものか』
命を原価扱いするのはどうかと思うが。
考え方としては、それほど違わない気もする。
「まあ」
ガイルが言った。
「今回は坊主を連れてる。危険が少ないに越したことはねえ」
俺はガイルを見た。
やはり。
俺がいることも考えて、仕事を選んでいる。
申し訳なさが胸に浮かんだ。
「……ごめん」
思わず言うと、ガイルが眉を寄せた。
「何がだ?」
「俺がいるから、危なくない仕事にしたんだろ」
「お前のためだけじゃねえよ」
ガイルは前を向いたまま答えた。
「割がよくて、次の町へ向かう途中で済む。それだけだ」
本当かどうかは分からない。
おそらく。
半分は本当で、半分は嘘なのだろう。
それでも、俺はそれ以上聞かなかった。
昼前。
街道脇に、小さな荷継ぎ場が見えてきた。
粗末な屋根の下に、いくつもの木箱が積まれている。
その前で、一人の男がこちらへ大きく手を振っていた。
五十歳前後だろうか。
少し出た腹。
目立つ赤い上着に、黒いズボン。
愛想のいい、どこにでもいそうな商人だった。
「あれじゃない?」
ジルが言う。
ガイルが手綱を引き、馬車を止めた。
俺たちが降りると、男は満面の笑みで近づいてきた。
「いやあ、助かりました!」
両手を揉みながら、何度も頭を下げる。
「ガイルさん御一行ですね?」
「ああ」
「お待ちしておりました。私、ベルトンと申します」
商人――ベルトンは、一人ずつ丁寧に挨拶をした。
俺の前まで来ると、わずかに首を傾げる。
「こちらの坊ちゃんは?」
「事情があって一緒にいる」
ガイルがそれだけ答える。
ベルトンは深く追及しなかった。
「なるほど、なるほど」
そして俺へ、にこやかに笑いかけた。
「よろしくね、坊ちゃん」
「……よろしくお願いします」
「目的地は?」
ガイルが尋ねる。
「エガン平原の東側です。ここからなら半日ほどでしょう」
「荷物は?」
「あちらに用意してあります」
ベルトンが、屋根の下に積まれた木箱を示した。
「では、早速積み込みをお願いできますかな?」
ガイルが振り返る。
「ダイス、ジル」
「はいはい」
「分かったわ」
三人が積み荷へ向かう。
俺も反射的に立ち上がった。
小さな箱くらいなら、八歳でも運べる。
そう思ったのだが。
「坊主」
ガイルに止められた。
「そこで見てろ」
「でも、小さい箱なら――」
「どれも重い。落としたら危ねえ」
「……分かった」
言い方はぶっきらぼうだ。
だが、今の俺が手伝ったところで、かえって邪魔になるのだろう。
俺は馬車の脇へ腰を下ろした。
荷物が次々と積み込まれていく。
暇だった。
だから、何となく数えていた。
一箱。
二箱。
三箱。
大きな木箱。
中くらいの箱。
細長い木箱。
『四、五、六……』
なぜ数えているのか、自分でも分からない。
気づけば、最後まで数え終えていた。
『十二箱』
大箱が四。
中箱が六。
細長い木箱が二。
十二箱が、荷台へ隙間なく組まれていく。
箱と箱の間には布や藁を詰め。
最後に、全体へ太い縄を交差させて回す。
ダイスが縄を強く引き、荷物の形に沿わせて固く結んだ。
余った縄の先は短くまとめられ、結び目へ挟み込まれている。
『上手いもんだな』
その様子を眺めているうちに、前世を思い出した。
俺は製造業向けの営業をしていた。
納品。
検品。
棚卸し。
倉庫との数量確認。
一つ数字が合わないだけで、客先と倉庫と社内を何往復したか分からない。
『……って』
我に返る。
『何数えてんだ、俺』
身体に染みついた癖というものは、世界が変わっても簡単には消えないらしい。
「終わったぞ」
ダイスが結び目と縄の張りを、もう一度確認する。
ベルトンも荷台を覗き込み、満足そうに頷いた。
「ありがとうございます。では、参りましょう」
◇
護衛は、拍子抜けするほど順調だった。
魔獣は出ない。
山賊も出ない。
ガイルが手綱を握り。
ジルとダイスが、馬車の前後から周囲を警戒している。
俺とベルトンは、荷台の前方に並んで座っていた。
「いやあ、本当に助かります」
ベルトンが、何度目か分からない礼を口にした。
「このところ、物騒でしてね」
「物騒?」
珍しく、俺は聞き返した。
「ええ。魔獣もそうですが、山賊も増えている。知り合いの商人も、何人か行方不明になっていまして」
山賊。
その言葉を聞いた瞬間、身体が固まった。
血の匂い。
倒れる父さん。
動かなくなった母さん。
あの日の光景が、一瞬ですべて蘇る。
「……坊ちゃん?」
「何でもない」
俺は街道の脇へ顔を背けた。
ベルトンは、それ以上聞かなかった。
ガイルだけが一度こちらを見た。
やはり、何も言わなかった。
「まあ、多少金がかかっても、命には代えられませんからな」
ベルトンのその言葉だけが。
妙に耳に残った。
◇
午後。
山道を抜けると、突然視界が開けた。
「……おお」
思わず声が漏れる。
草原。
見渡す限り。
どこまでも草原だった。
風が吹くたび、緑色の大地が波のように揺れている。
遠くには、雲の影がゆっくりと流れていた。
「エガン平原だ」
ダイスが言った。
『これが……』
前世にも、広い平原はあったのだろう。
だが。
俺はこんな景色を見たことがなかった。
写真でも。
映像でもない。
自分の目で見るというだけで、まるで違っていた。
ほんの少しだけ、胸が動く。
父さんと母さんが死んでも。
まだ、この世界を美しいと思える自分が残っている。
それが。
少しだけ嬉しかった。
しばらく進むと、前方に数台の馬車と、何人かの人影が見えてきた。
ベルトンが立ち上がる。
「おお! あれです、あれです!」
ガイルが手綱を引き、馬車を止めた。
向こうから、身なりのいい男が歩いてくる。
「ベルトンさん」
「これはこれは、エイ様!」
ベルトンは馬車を降りると、これまで以上に深く頭を下げた。
「本日はありがとうございます。ご注文の品、無事にお持ちいたしました」
「こちらこそ。街道が荒れていると聞いていましたので、心配していました」
エイと呼ばれた男は、ガイルたちへ視線を移す。
「護衛の皆様も、ありがとうございます」
「仕事だからな」
ガイルが短く答えた。
エイは頷き、従者へ指示を出す。
「では、品物を確認しましょう」
荷台を覆っていた幌が外される。
固く結ばれていた縄が解かれ、木箱が一つずつ地面へ下ろされていく。
大箱が四つ。
中箱が六つ。
細長い木箱が二つ。
『十二』
出発前と同じだ。
破損した箱もない。
封も、すべて残っている。
問題なく仕事は終わったらしい。
最後の箱が地面へ置かれると、エイの従者が帳面を見ながら、もう一度荷物を数え始めた。
「一、二、三……」
指先が箱を追っていく。
やがて。
従者の手が止まった。
「エイ様」
「どうしました?」
「十二箱です」
エイが眉を寄せた。
「十二?」
従者から帳面を受け取り、記載された内容を確認する。
「……妙ですね」
ベルトンが、笑顔のまま首を傾げた。
「何かございましたか?」
「こちらの発注書では、十四箱となっています」
「十四箱?」
ベルトンの笑みが消えた。
積み上げられた箱へ駆け寄り、自分でも数え始める。
一度。
二度。
数え終えるたび、顔色が変わっていく。
「ない……」
小さく呟いた。
そして次の瞬間。
平原中に響くような声を上げた。
「二箱ない!」
ガイルたちが一斉に振り返る。
「何だと?」
「十四箱積んだはずなんです!」
ベルトンは荷物を指差しながら叫んだ。
「二箱とも高価な魔導部品だ! 途中で盗まれたに違いない!」
ガイルが荷台へ向かう。
ジルとダイスも、縄や箱の状態を確認し始めた。
俺だけは、その場から動けなかった。
大箱が四つ。
中箱が六つ。
細長い木箱が二つ。
あの荷継ぎ場で。
俺は確かに数えている。
十四箱ではない。
最初から、十二箱だった。




