八歳の俺に、できること
「最初から十二箱だったよ」
気づけば、そう口にしていた。
全員の視線が俺へ集まる。
「……は?」
ベルトンが、間の抜けた声を出した。
「最初から」
俺は地面へ下ろされた積み荷を指差す。
「大きい箱が四つ。中くらいの箱が六つ。細長い箱が二つ」
指を折りながら数える。
「全部で十二箱」
ベルトンの顔が、一瞬だけ固まった。
「な、何を言っているんだ」
すぐに引きつった笑みを浮かべる。
「子供が適当なことを――」
「適当じゃないよ」
俺は荷台を見た。
「積み込むところを、ずっと見てたから」
「しかし、私は確かに十四箱――」
「それに」
俺は解かれた縄を指差した。
「本当に二箱なくなったなら、この縄もおかしい」
ガイルが振り返る。
「縄?」
「うん」
俺は荷台へ近づいた。
「積み終わったあと、箱の形に合わせて縄を締めたよね」
「ああ」
ダイスが答える。
「箱と箱の間にも、ほとんど隙間がなかった」
今の荷台にも、十二箱がぴったりと収まっていた跡が残っている。
敷かれた藁。
箱の角が押しつけられた布。
縄が木箱へ食い込んでできた細い筋。
「もし十四箱積んでいて、途中で二箱だけなくなったなら」
俺は縄を見た。
「箱二つ分の隙間ができて、縄が緩むはずだよ」
ガイルが縄を掴み、強く引いた。
結び目を解かれる直前まで、縄は荷物へ固く張っていた。
「残った箱を並べ直して、縄を締め直したなら別だけど」
俺は結び目を指差す。
「これ、最初にダイスが結んだままだったよね?」
ダイスが縄を拾い上げる。
指先で結び目の跡をなぞり、表情を変えた。
「ああ」
低い声で答える。
「俺の結び方だ。途中で解かれた跡もねえ」
ジルも縄を確認する。
「休憩中の見張りは私よ」
「荷台から離れたか?」
ガイルが尋ねる。
「一度も」
「移動中に馬車を止めたのは?」
「休憩した一度だけだ」
ダイスが答える。
「その間も全員、近くにいた」
ガイルが、ゆっくりとベルトンへ顔を向けた。
ベルトンは何も言わない。
「ベルトンさん」
エイが静かに呼びかける。
「……はい」
「こちらは十四箱で契約しています」
「…………」
「しかし、この子の話が正しいのであれば」
エイは積み荷を見る。
「あなたは最初から、十二箱しか用意していなかったことになる」
「違います!」
ベルトンが叫んだ。
「十四箱あったんです! 間違いなく!」
ガイルがベルトンを見る。
「十四箱」
低い声だった。
「本当にあったんだな?」
「も、もちろんです!」
「数え間違いじゃない?」
「間違いありません!」
「そうか」
ガイルは一度荷台を見てから、再びベルトンへ視線を戻した。
「じゃあ、残り二箱はどこだ?」
「…………」
ベルトンの口が止まる。
「俺たちは移動中、一度も荷台を無人にしてねえ」
ガイルが続ける。
「休憩中もジルが残ってた」
「ええ」
「縄も、出発したときのままだ」
ガイルが一歩、ベルトンへ近づく。
「それで二箱だけ消えたっていうなら、どうやったのか説明してみろ」
ベルトンの目が泳いだ。
俺は、その顔を前世で何度も見たことがあった。
客先。
会議。
商談。
追及された人間が、頭の中で必死に言い訳を探しているときの顔。
『ああ』
やっぱり。
嘘だ。
「す……」
ベルトンが口を開く。
「すみませんでした!」
勢いよく頭を下げた。
「私の勘違いです! 十四箱ではなく、最初から十二箱だったのかもしれません!」
誰も答えなかった。
風だけが、平原の草を揺らしている。
ガイルが静かに口を開いた。
「勘違い?」
「は、はい!」
「十四箱あったって、さっきから何回言った?」
「それは……」
「発注書には十四箱。実際に積んだのは十二箱」
ベルトンが後ずさる。
「残り二箱はどこへやった?」
「…………」
答えない。
いや。
答えられないのだろう。
エイの表情も変わっていた。
先ほどまでの、穏やかな商人の顔ではない。
「ベルトンさん」
「は、はい」
「私は十四箱分の商品を受け取る契約をしています」
「…………」
「それを十二箱しか用意せず、残り二箱は護衛中に紛失したことにする」
エイは一度、ガイルたちを見る。
「そうすれば、不足分の責任を彼らへ負わせられる」
ベルトンの顔から血の気が引いていく。
「ち、違います! そんなつもりでは――」
「だったら、二箱はどこだ」
ガイルが聞いた。
「…………」
「答えろ」
ベルトンは俯いたまま。
最後まで答えなかった。
だが。
それで十分だった。
『なるほどな』
俺にも、ようやく全体が見えてきた。
十四箱あるはずの商品。
実際に運んだのは十二箱。
残り二箱がどこにあるのかは分からない。
別の誰かへ売ったのかもしれない。
最初から仕入れてすらいなかったのかもしれない。
だが、ここで。
――護衛中に盗まれました。
ということにしてしまえば。
少なくとも、不足した二箱の責任を自分だけで負わずに済む。
場合によっては、ガイルたちへ補償まで求めるつもりだったのだろう。
『……せこいな』
そう思った。
だが、前世でも。
規模こそ違えど、似たようなことはあった。
責任の所在。
契約条件。
検収。
損害負担。
問題が起きた瞬間。
誰の責任なのか。
誰が金を払うのか。
人間は、そこだけは恐ろしいほど真剣になる。
世界が変わっても。
人のやることは、案外変わらないらしい。
「ガ、ガイルさん」
ベルトンが縋るように言った。
「本当に申し訳ありませんでした。ですから――」
ガイルは、じっとベルトンを見つめている。
俺は少し身構えた。
二日前。
この男が山賊をどうしたのか。
俺は知っている。
振るわれた大剣。
飛んだ首。
地面へ広がった血。
あの光景が、脳裏をよぎる。
『……まさか』
さすがに殺しはしないだろう。
だが。
殴るくらいは――。
「依頼料」
ガイルが言った。
「え?」
「契約通り払え」
「…………」
「俺たちは荷物をここまで運んだ。護衛の仕事も果たした」
ガイルは淡々と言う。
「だから、お前は契約通り報酬を払う」
「は、はい!」
ベルトンが何度も頷いた。
ガイルは、さらに一歩近づく。
「この件はギルドへ報告する」
ベルトンの肩が跳ねた。
「そ、それは……」
「当然だろ」
「…………」
「それから」
ガイルがベルトンを見下ろす。
「二度と俺たちに依頼すんな」
「…………!」
「次は受けねえ」
「は、はい!」
ベルトンは何度も頭を下げた。
エイも、冷たい目でその姿を見ている。
「不足分については、私とあなたで話しましょう」
「エ、エイ様……」
「護衛の方々には関係ありません」
逃げ道は、完全になくなったらしい。
『……怖』
大剣を振るうガイルより。
今のエイの方が、少し怖く見えた。
◇
ベルトンから依頼料を受け取り。
エイから、荷物を目的地まで運んだことを証明する署名をもらう。
それで、ガイルたちの仕事は終わった。
不足した二箱については、ベルトンとエイの間で話し合うらしい。
俺たちは再び馬車へ乗り、来た道を戻り始めた。
しばらく。
誰も何も言わなかった。
俺は幌の隙間から、外を眺める。
エガン平原の草が、風に揺れている。
別に。
大したことをしたとは思っていない。
荷物を数えていただけだ。
縄を見ただけだ。
前世なら、それこそ仕事の一部にすぎなかった。
それでも。
少しだけ、妙な感覚があった。
この世界へ来てから。
俺はずっと、何かをしてもらう側だった。
父さんに育ててもらった。
母さんに教えてもらった。
ガイルたちに助けてもらった。
両親を埋葬するときだって、三人に手伝ってもらった。
俺は、何も返せていない。
けれど今日。
ほんの少しだけ、誰かの役に立てた。
それだけのことが。
妙に嬉しかった。
「なあ」
向かいから声がした。
顔を上げる。
ダイスが、俺をじっと見ている。
「何?」
「お前」
少し間を置く。
「本当に八歳か?」
「八歳だけど」
「嘘つけ」
「なんでだよ」
「八歳児は普通、積み荷の数と縄の結び方なんか見てねえよ」
「たまたまだよ」
「大箱四。中箱六。細長いの二」
ダイスが指を折る。
「全部覚えてたじゃねえか」
「……たまたま」
「怪しいなあ」
ダイスが身を乗り出した。
「実は、ちっこいおっさんなんじゃねえの?」
『…………』
一瞬、心臓が跳ねた。
もちろん。
冗談だ。
分かっている。
だが。
当たらずとも遠からず。
というか。
ほとんど正解だった。
「そんなわけないだろ」
できるだけ普通に返した。
すると、横にいたジルが。
「ふふっ」
と吹き出した。
ダイスが振り返る。
「何だよ」
「ちっこいおっさんって」
「だって、おかしいだろ」
「あなたよりは頭が回るかもしれないわね」
「おい」
「少なくとも、積み荷の数は覚えていたもの」
「俺は護衛担当なの!」
「言い訳ね」
「違う!」
二人が、くだらない言い争いを始める。
俺は、その様子を見ていた。
そして少しだけ。
口元が緩んだ。
「あ……」
自分で気づいた。
笑った。
父さんと母さんが死んでから。
初めて。
俺は笑った。
そのことに気づいた瞬間。
胸の奥へ、小さな罪悪感が生まれた。
こんなに早く、笑っていいのか。
けれど、すぐに父さんの顔が浮かんだ。
たぶん。
あの人なら怒らない。
そんな気がした。
「……何だ?」
ダイスが俺を見る。
「いや」
俺は首を振った。
「何でもない」
「絶対、何か思っただろ」
「思ってない」
「嘘つけ」
今度は。
さっきより少しだけ、自然に笑えた。
しばらくして。
ガイルが口を開いた。
「なあ、坊主」
「何?」
「さっきは助かった」
俺は少し驚いた。
ガイルは、外を見たままだった。
「別に」
「別にじゃねえ」
「でも、数えてただけだし」
「それで俺たちが面倒なことにならずに済んだ」
ガイルが、こちらを見る。
「だから、助かった」
短い。
それだけだった。
けれど、その言葉は胸の奥へすっと入ってきた。
この世界へ来てから。
誰かに守られることはあった。
誰かに教えられることもあった。
けれど。
自分が誰かの役に立ったのは、これが初めてだったのかもしれない。
「……うん」
今度は、ちゃんと頷けた。
腰に差した木剣へ、そっと手を触れる。
頭で役に立てることは分かった。
いつか。
この八歳の身体でも。
誰かを守れるようになりたい。
そう思った。




