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獣人グレンが決めた道

「イグリザド……」


声が少し掠れた。


見つけられる。名前も知っている。どんな魔獣なのかも。


でも、目の前にいると、脚が固くなった。


「あ、合図するね」


ノアが笛を吹いた。


ピーッ!


鋭い音に、一体目が頭を上げる。


そのまま枝の下を抜けてきた。


僕は引き綱を握る。


前脚。


肩。


『もう少し』


身体が、網の下へ入る。


『今!』


綱を引いた。


バサッ!


折り畳まれていた網が落ちる。


「キュァッ!」


イグリザドが暴れた。


尾が地面を叩き、爪が網へ絡まる。


『かかった……!』


僕が選んだ道を、本当に通ってきた。


胸の奥が跳ねた。


その瞬間、後ろの一体が大きく口を開いた。


口の奥に、赤い光。


「火が来る!」


僕の声と同時に、アドリスの左手が上がる。


「《アクア》!」


放たれた炎へ、水の塊がぶつかった。


ジュッ!


白い湯気が弾ける。


「グレン、下がれ!」


引き綱を離す。


ウォルスが横へ回り、網に絡まった一体の正面を避ける。


「頭の前は危ない!」


「分かってる!」


イグリザドが首だけをウォルスへ向ける。


だが、身体は網から抜けない。


ウォルスが脇へ踏み込んだ。


剣が走る。


「ギィッ!」


短い悲鳴。


ウォルスはすぐに離れる。


もう一体が、アドリスへ飛びかかった。


「《ボルト》!」


バチッ!


前脚が、一瞬だけ止まる。


そこへ、アドリスが踏み込んだ。


一閃。


イグリザドが枯れ葉の上へ倒れる。


気づけば、二体とも動かなくなっていた。


僕は、止めていた息を吐いた。


「グレン!」


ウォルスが振り返る。


「見たか! お前の罠――」


「待って」


鼻を動かす。


焦げた匂い。


濡れた土。


血。


その奥に、まだ違う匂いが残っている。


近い。


『いる』


すぐ右で、落ち葉が鳴った。


「ウォルス、右!」


茂みが割れた。


三体目。


低い姿勢のまま、飛び出してくる。


ウォルスが振り向き、剣を上げた。


ガッ!


爪と刃がぶつかる。


「うおっ!」


押し込まれる。


一歩。


二歩。


三歩目。


踵が、張り出した木の根へ引っ掛かった。


ウォルスの身体が倒れる。


イグリザドが、その足元へ着地した。


アドリスが動く。


でも、太い木の根と倒れたウォルスが、射線へ重なっている。


ノアも杖を上げたが、すぐに止めた。


近すぎる。


ウォルスへ当たる。


僕だけが、すぐ横にいた。


「グレン!」


槍を握った。


手が震える。


穂先が、細かく揺れた。


『怖い』


イグリザドが口を開く。


尖った歯。


喉の奥へ、赤い光が集まる。


ウォルスは、まだ起き上がれない。


――戦うのが怖いこと、無理に隠さなくていいのよ。


お母さんの声が蘇った。


――怖いなら、怖いままでいい。


怖い。


今だって、逃げたい。


槍を捨てて、誰かに任せたい。


――でも。


もう一つ、お母さんの言葉を思い出す。


――あなたが本当に守りたいと思うものができた時には。


――その時だけは、ほんの少し勇気を出してみて。


目の前には、ウォルスがいた。


僕の見つけた道を信じ、僕が選んだ場所に罠を仕掛けてくれた。


戦うのが好きじゃないと話しても、笑わなかった。


『……嫌だ』


ウォルスが傷つくのは、嫌だ。


怖くなくなったわけじゃない。


手だって、まだ震えている。


それでも、槍を握り直した。


一歩、前へ出る。


「うおおおおおっ!」


槍を突き出した。


開いた顎の下。


鱗の薄い喉元。


穂先が沈む。


ズッ――。


重い。


腕が押し返される。


怖い。


手も震えている。


それでも、離さなかった。


「……っ!」


槍を握る。


イグリザドの脚が地面を掻く。


喉に集まっていた赤い光が消えた。


尾が跳ねる。


一度。


二度。


そして、止まった。


「……」


僕は、槍を握ったまま立っていた。


息の仕方が分からない。


もう動いていない。


分かっているのに、目を離せなかった。


「グレン」


声がした。


「もう、大丈夫だ」


顔を上げる。


ウォルスは土まみれで、袖も擦れていた。


でも、立っていた。


「……怪我は?」


「大したことねえよ」


ウォルスが、僕の手を見る。


まだ震えていた。


何も言わず、槍の柄へ手を添える。


「抜くぞ。ゆっくりな」


「……うん」


二人で槍を引く。


穂先が抜けた。


その瞬間、膝から力が抜けそうになった。


ウォルスが腕を掴む。


「おっと」


「ご、ごめん」


「何で謝んだよ」


顔を上げる。


ウォルスが、真っ直ぐ僕を見ていた。


「助かった」


いつもの大きな声じゃなかった。


「ありがとな、グレン」


何も言えなかった。


ウォルスの肩越しでは、アドリスが周囲を警戒している。


ノアも、杖を握ったまま木々の間を見ていた。


みんな、ちゃんといる。


ウォルスも、僕の目の前にいる。


「……うん」


ようやく、それだけ言えた。



     ◇



エルディン先生が来たのは、そのすぐあとだった。


倒れた魔獣を確認し、次に僕たちを見る。


「怪我は?」


「俺が、ちょっと擦ったくらい」


ウォルスが袖を捲る。


先生が傷を確認している間に、アドリスが起きたことを説明した。


エルディン先生は最後まで黙って聞き、網に絡まった魔獣へ目を向ける。


「罠を置く場所を決めたのは?」


「グレン」


ウォルスが、すぐに答えた。


「俺は向こうだと思ってたけど。こいつが、こっちだって」


先生が僕を見る。


「足跡か?」


「それも見ましたけど……」


まだ、声が少し震えた。


「匂いが、こっちの方が新しかったので」


先生が獣道を見る。


「それと、岩と木の根があったから。ここなら横に逃げにくいかなって」


「なるほど」


短く頷く。


「実習記録に書いておけ」


「……はい」


「場所だけじゃない。どうしてそこを選んだかもな」


「はい」


先生は、ほかの班へ合図を送った。


僕たちは道具を片づけることになった。



     ◇



少し離れた場所へ座り、槍の汚れを拭く。


上手く手が動かず、布が同じ場所を何度も往復する。


隣に、ウォルスが腰を下ろした。


しばらく、何も言わなかった。


「……僕」


気づけば、口にしていた。


「やっぱり怖かった」


ウォルスがこちらを見る。


僕は、自分の手を見る。


「今も、まだ震えてる」


「見りゃ分かる」


「一匹倒せたからって、平気になったわけじゃない」


ウォルスは僕の槍を見る。


それから、自分の剣へ目を落とした。


「俺さ」


頭の後ろを掻く。


「お前、身体もでけえし。そんな槍持ってるし」


「うん」


「俺と並んで前に出たいんだと思ってた」


僕は黙っていた。


「ちゃんと聞きゃよかったな」


顔を上げる。


ウォルスは、僕を見ていた。


「探す方が好きなんだろ?」


「……うん」


「じゃあ、そっちはお前に任せてもいいか?」


「え?」


「罠を置く場所とか。道とか」


ウォルスが、さっきの獣道を指差した。


「俺も足跡くらいは見られる。でも、あの匂いは分からねえ」


少し笑う。


「三匹目も、お前がいなきゃ気づけなかったしな」


「僕で……いいの?」


「お前がいいんだろ?」


胸の奥が、少しだけ熱くなった。


ウォルスが立ち上がる。


剣の柄を軽く叩いた。


「戦う方は、俺ももっと上手くなる」


「うん」


「今日みたいに転んでばっかじゃ、格好つかねえし」


思わず笑った。


ウォルスも笑う。


次も前へ出ろとは、言われなかった。


魔獣を倒せとも、言われなかった。


僕が好きだと言ったことを、任せたいと言ってくれた。


「僕」


槍を拭く手を止めた。


「今日みたいに探すの、もっとできるようになりたい」


「ああ」


「罠も。どこに置けばいいか、もっと分かるようになりたい」


「頼むぜ」


ウォルスが、地面の荷物を持ち上げる。


向こうから、アドリスとノアが戻ってきた。


「こっちは片づいたぞ」


アドリスが言う。


「そっちは?」


「今、終わった」


僕も立ち上がった。


ノアが、僕の顔を見上げる。


「グ、グレン、大丈夫?」


「うん。もう大丈夫」


「そ、そっか」


ノアが、ほっとしたように笑った。


ウォルスが鞄を肩へ掛ける。


「グレン」


「うん?」


「帰りの道、頼めるか?」


林を見る。


風。


木々の隙間。


僕たちが踏んできた草。


来た時には気づかなかった目印まで、今は見えた。


「うん」


僕は槍を背負った。


「こっちだよ」


今度は、自分から先頭を歩いた。



     ◇



その夜。


寮の机へ向かい、便箋を広げた。


向かいでは、ウォルスが剣の手入れをしている。


「また家に書くのか?」


「うん」


「俺からも、よろしくって書いといてくれ」


「分かった」


ペンを持つ。


もう、指は震えていなかった。


拝啓 お母さん。


今日、罠の実習がありました。


僕が選んだ道に罠を仕掛けたら、本当に魔獣が来たんだよ。


先生にも、どうしてそこを選んだのか書いておくように言われました。


それから。


初めて、槍で魔獣を倒しました。


ウォルスが危なかったから、前に出ました。


でも、やっぱり、怖かったです。


終わったあとも、ずっと手が震えていました。


きっと、次も怖いと思います。


でも、お母さんが書いてくれたこと。


少しだけ、分かった気がします。


怖くなくならなくても。


大切な人を守りたいと思った時には、前へ出られることもあるんだね。


ウォルスに、戦うのが怖いことも話しました。


そうしたら、


今度から、罠の場所や道を選ぶのは僕に任せたいって言ってくれました。


お母さん。


今日。


僕も「助かった」って言ってもらえたよ。


ペンが止まった。


文字が、少しだけ滲んで見えた。


手の甲で目元を拭う。


「どうした?」


向かいから、ウォルスの声。


「……何でもない」


「そうか」


それ以上、聞いてはこなかった。


もう一度、便箋を見る。


最後に、続きを書いた。


まだ、できないことはたくさんあります。


でも、次の授業が、少し楽しみです。


また手紙を書くね。


グレンより。


ペンを置いた。


机の隅には、お母さんから届いた手紙。


その横へ、書き終えたばかりの手紙を置く。


少しだけ、胸を張って送れる気がした。

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