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Never Die、初実戦

 木々の向こうから、切羽詰まった声が聞こえた。


「信号は上げた! もう少し下がろう!」


「無理だ……足が……」


「くそっ、まだ来ないのかよ……!」


俺は枝を避け、木立の間を抜けた。


視界が開ける。


草のまばらな地面に、一人の少年が座り込んでいた。


片脚を抱えている。


その前では、もう一人が剣を構え、何かを睨んでいた。


「大丈夫か!」


俺が声をかけると、剣を持った少年が振り返った。


「アドリス……!」


見覚えのある顔だった。


同じ教室にいた生徒だ。


「俺は平気だ。でも、こいつが……」


座り込んだ少年の脚を見る。


ふくらはぎの辺りで服が裂け、その下から血が滲んでいた。


立ち上がろうとしたが、すぐに顔を歪めて座り直す。


「こ、これじゃ走れないよ」


追いついてきたノアが、息を弾ませながら言った。


その時、低い唸り声が聞こえた。


俺は顔を上げる。


二人の正面に、猪に似た魔獣がいた。


大鼠より、二回りほど大きい。


短く太い脚。


盛り上がった肩。


口元からは、湾曲した二本の牙が突き出している。


もう一体は、少し離れた倒木の向こうにいた。


こちらへ回り込む場所を探すように、睨みつけている。


『デンスボアか』


ガイルたちとの旅で、見たことがあった。


課題に指定されていた、大鼠ではない。


座り込んだ少年の傷も、あの牙にやられたのだろう。


「そいつを支えて、左の岩陰へ下がってくれ」


俺は、剣を持つ少年に言った。


「で、でも、あいつらが――」


「こっちへ向ける」


右手で小剣を抜く。


「二人とも、そこから出るなよ」


少年は一瞬だけ俺を見た。


それから頷き、相棒の腕を自分の肩へ回した。


俺は、デンスボアから目を離さずにノアへ声をかける。


「ノア。朝の火球、いけそうか?」


「い、いきなり本番……?」


杖を握る指が、強くなる。


目の前にいるのは、動かない的じゃない。


牙があり、脚があり、こっちへ襲いかかってくる魔獣だ。


怖くないはずがなかった。


「大きくしなくていい。朝と同じでいい」


俺は、奥にある大岩へ目を向けた。


周囲に生徒はいない。


岩までの地面にも、ほとんど草が生えていなかった。


「俺が、あっちへ誘う。隙ができたら合図する」


「う、うん」


「ただし、膨らみそうなら撃つな」


ノアが俺を見る。


「その時は、俺がやる」


しばらくして、ノアが頷いた。


「や、やってみる」


「頼む」


二匹目は、まだ倒木の向こうだ。


回り込んでくるまでに、まず一匹。


俺は前へ出た。



     ◇



――正面で受けるな。


ガイルの声が、頭の中に蘇った。


デンスボアは、身体の割に力が強い。


小さいからと侮って受け止めれば、そのまま牙を突き立てられる。


――突っ込んだ後を狙え。


俺は左手を向けた。


「《ウィントゥス》!」


風の塊が、近くにいた一体の鼻先を打つ。


傷をつけるほどの威力はない。


だが、こちらへ注意を向けるには十分だった。


「ブゥッ!」


デンスボアが、勢いよく俺を見る。


牙の下から、涎が落ちた。


俺は大岩を背にする位置へ動く。


それを追って、魔獣の頭が下がった。


前脚が地面を掻く。


『来る』


次の瞬間、短い脚が土を蹴った。


速い。


低い姿勢のまま、一直線に迫ってくる。


『まともに受けたら、まずいな』


牙を剣で止めようとはしなかった。


突進の向きを見て、身体を横へ外す。


すぐ脇を、硬そうな毛に覆われた背中が通り過ぎた。


ドンッ!


鈍い音が響く。


デンスボアの肩が、背後の大岩へぶつかった。


勢いを殺しきれず、前脚が滑る。


『今だ』


俺はさらに横へ離れた。


ノアと魔獣の間に、何もなくなる。


「ノア!」


ノアは、すでに杖を構えていた。


先端に赤い光が集まる。


魔力の流れは細い。


僅かに揺れているが、太くなってはいない。


拳より少し大きい火球が、丸い形を取った。


「い、いくよ……《イグニス》!」


火球が飛ぶ。


狙っていた胴体の中央から、少しだけ逸れた。


それでも、デンスボアの肩口へ命中する。


バッ!


炎が弾けた。


「ギィィッ!」


毛が焦げ、魔獣が首を振り上げる。


止まった。


俺は、その隙へ踏み込んだ。


硬い背中を斬る必要はない。


持ち上がった顎の下。


露わになった喉元へ、小剣を突き込む。


すぐに刃を引き抜き、横へ退く。


デンスボアの脚が折れ、身体が地面へ崩れ落ちた。


『一体』


息をつく前に、もう一体へ目を向ける。


倒木の端から、デンスボアが姿を現した。


倒れた仲間を見る。


次に、その横へ立つ俺を見た。


鼻息が荒くなる。


「ノア、もう一発いけるか?」


「う、うん!」


ノアが杖を持ち直した。


先端に、再び赤い光が灯る。


だが、今度は違った。


魔力が揺れる。


細かった流れが、急に太くなり始めた。


『まずい――』


「と、止める!」


俺が声をかけるより先に、ノアが魔力を切った。


膨らみかけた赤い光が消える。


火球は、放たれなかった。


『止めたか』


今日の今日で一発成功、十分だ。


なら、次は俺だ。


デンスボアが、ノアの方へ頭を向けた。


俺は左手を掲げる。


「《ウィントゥス》!」


風が、魔獣の頬を叩いた。


怒ったように頭を振り、こちらへ向き直る。


『こっちだ』


俺は岩陰の二人とノアから離れるように、斜め前へ進んだ。


デンスボアが、その動きを追う。


突進する向きが定まる、その一瞬。


俺は風属性への変換を解いた。


次は、水。


「《アクア》!」


水の塊が、デンスボアへぶつかった。


魔獣の身体が、濡れる。


当然、それだけでは止まらない。


デンスボアが、地面を蹴った。


俺は水属性への干渉を切る。


次。


雷。


「《ボルト》!」


細い雷が、濡れた毛へ触れた。


バチッ!


瞬間。


雷が、身体を覆う水を伝って広がった。


「ギィィッ!」


デンスボアの身体が大きく跳ねる。


前脚が硬直し、突進が止まった。


『今だ』


俺は横へ踏み込み、牙の進路から身体を外した。


地面を押す。


腰を回す。


肩から腕へ、力を伝える。


もう何度練習したかわからない、一振り。


通り過ぎる魔獣の喉元を、小剣が斬り抜いた。


デンスボアは数歩進み、そのまま前のめりに倒れる。


土の上を滑った身体が、動かなくなった。


俺は剣を下ろさず、周囲へ目を向けた。


倒木の向こう。


近くの茂み。


木々の間。


新しく飛び出してくるものは、いない。


「……ふう」


ようやく、息を吐いた。


二体。


倒した。


今度は、ガイルが後ろにいたわけじゃない。


俺とノアで、やれた。



     ◇



「ア、アドリス!」


ノアが駆け寄ってきた。


俺の顔と、倒れたデンスボアを何度も見比べている。


「す、すごいよ……!」


「一匹目は、ノアのおかげだ」


「え、え?」


「お前の火で隙ができたから、剣が届いた」


俺は最初に倒した一体を見る。


焦げた肩口。


あそこへ当たらなければ、もう一度突進させることになっていたかもしれない。


「助かった。ありがとう」


ノアは杖へ目を落とした。


少しだけ口元が緩む。


でも、すぐに眉が下がった。


「で、でも。二回目は、撃てなかった……」


「無理に撃たなかったんだろ?」


ノアが顔を上げる。


「え、え?」


「俺が言う前に止めたじゃん。あれでよかった」


以前なら、そのまま火が膨らんでいた。


今日は違った。


自分で変化に気づいて、自分で止めた。


「危ないって分かったなら、止めていいんだよ」


「う、うん……」


「その後は、俺がやれたしな」


ノアはしばらく黙っていた。


それから、自分の杖を握り直す。


「よ、よかった……」


小さな声だった。


俺は、岩陰の二人へ向き直った。


剣を持っていた少年が、相棒の傷へ丸めた上着を当てている。


負傷した少年は、痛そうに顔を歪めながらも、こちらを見ていた。


「もう平気だ」


俺が言うと、二人の肩から力が抜けた。


「ありがとう……」


剣を持っていた少年が、掠れた声で言った。


その声を聞いて、ふと思い出す。


――近くにいて大丈夫なのか?


入学した日。


ノアを遠巻きに見て、そんな話をしていた少年だ。


彼は俺の隣へ視線を向けた。


「ノア」


名前を呼ばれ、ノアが僅かに背筋を伸ばす。


「……あの火、助かった」


少年が頭を下げた。


「ありがとう」


ノアは、すぐには答えなかった。


何度か目を瞬く。


それから、少しだけ俯いた。


「う、ううん。間に合って、よかった」


杖を握る手に、力が入る。


その口元は、僅かに笑っていた。


「おーい!」


木々の向こうから、大人の声が聞こえた。


「信号を上げたのは、こっちか!」


監視役の冒険者が、木立の間から走り込んでくる。


後ろには、学院の腕章をつけた救護担当の姿もあった。


冒険者は倒れた二体を見て、足を緩めた。


「デンスボア……お前たちが?」


「はい。怪我人が一人います。脚を見てあげてください」


俺が岩陰を指すと、救護担当がすぐに膝をついた。


「分かった。君たちは少し離れて」


俺とノアは、二人から距離を取った。


監視役が、改めてこちらを見る。


「お前たちに怪我は?」


「ありません」


「ぼ、僕も、大丈夫です」


「そうか」


冒険者は、俺たちの顔と装備を確かめた。


「バディ名は?」


「《Never Die》です」


「分かった。ここは引き受ける。お前たちも、帰還地点へ戻れ」


「はい」


俺は小剣の汚れを拭い、鞘へ収めた。


ノアも杖を抱え直す。


立ち去る前に振り返ると、救護担当が傷を確認しながら、負傷した少年へ穏やかに話しかけていた。


もう、俺たちがそばにいなくても大丈夫だ。


「行こう、ノア」


「う、うん」


今度こそ、帰還地点へ向かった。

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