ゴールとは逆、だけど
大鼠の生息範囲は、地図にも記されていた。
岩場の南側。
木々の根元や、浅い岩穴が点在する一帯だ。
近づくと、早くも生徒たちの声が聞こえてきた。
「そっち行ったぞ!」
「分かってる!」
一匹の大鼠が、二人の生徒の間を駆け抜けた。
猫より一回り大きい。
剣を持った少年が追いすがる。
だが、刃が届く寸前、大鼠は身体を低くし、木の根元の穴へ滑り込んだ。
「ああ、くそ!」
少年が、悔しそうに穴を覗き込む。
『速いんだよな、あいつら』
ガイルたちとの旅でも、何度か見たことがある。
一匹一匹は、それほど強くない。
ただ、逃げるのが上手い。
姿を見つけてから追いかけても、狭い穴へ入られれば終わりだ。
「ア、アドリス。どこを探す?」
「まず、通った跡」
俺は木の根元へ目を向けた。
樹皮に細かな噛み跡。
地面には、齧られた木の実の殻。
柔らかい土の上を、何本もの細い足跡が横切っている。
しゃがんで、その先を見る。
踏み分けられた草が、岩の裂け目へ続いていた。
「あそこだ」
「い、いるの?」
「たぶん。旅の途中で見た巣も、こんな感じだった」
地図を確認する。
岩穴は、生息範囲の内側。
入口から奥を覗くと、土の床が数歩続き、その向こうは岩壁になっていた。
深くはない。
俺は荷物に括りつけた短い松明を取り出した。
枝の先へ指を向ける。
「《イグニス》」
小さな火が灯り、松明へ燃え移った。
暗かった岩穴の奥が、ぼんやりと浮かび上がる。
「キィッ!」
何かが動いた。
灰色の毛。
細長い尾。
三匹。
「い、いた……」
ノアが杖を握り直す。
俺は岩穴の広さを見る。
狭い。
大鼠との距離も近い。
ここでノアの火球が想定より膨らめば、大鼠より先に、俺が焼かれそうだ。
「ノア」
「う、うん」
「今回は、火はやめとこうか」
ノアが俺と大鼠の距離を見比べた。
「そ、そうだね。僕も、そう思う」
二人で少しだけ苦笑する。
「明かりを頼む。入口から奥へは来るなよ」
「う、うん」
松明をノアへ渡す。
俺は小剣を抜いた。
大鼠の一匹が、牙を剥く。
踏み込む。
刃を走らせた。
だが、目前で大鼠が沈んだ。
剣が、灰色の毛先だけを掠める。
『速っ――』
右。
別の一匹が、足首へ飛びかかってきた。
「っ!」
半歩引く。
剣の腹で鼻先を弾いた。
「キィッ!」
大鼠が地面へ転がる。
すぐに起き上がり、奥へ駆け戻った。
俺は三匹を見る。
どいつも、同じ場所を気にしている。
岩壁の下。
暗い横穴。
『……あれが逃げ道か』
一匹が走る。
俺は左手を向けた。
「《グラド》!」
ボコッ!
横穴の手前に溜まっていた土が、一気に盛り上がる。
大鼠が潜り込める、あの隙間。
せり上がった土が、穴を塞いだ。
「キィッ!?」
先頭の大鼠が急停止する。
後ろから来た二匹が、その背中へぶつかった。
三匹がもつれる。
『今』
地を切る。
次。
雷。
「《ボルト》!」
バチッ!
細い雷が、一匹の身体を打った。
大鼠が跳ねる。
一瞬、大鼠の身体が固まった。
それで十分だった。
踏み込む。
突く。
手に抵抗。
すぐに刃を引く。
一匹目が崩れ落ちた。
その後ろ。
二匹目が飛び出そうとする。
だが、倒れた仲間を避けた分だけ、遅い。
俺は追わない。
返した刃を、その進路へ突き出す。
「キッ――!」
短い鳴き声。
二匹目が、土の上へ倒れた。
最後の一匹が、横穴へ走る。
だが、逃げ道は、もうない。
盛り上がった土へ鼻先を突っ込み、慌てて身体をひねった。
『そこ』
踏み込む。
剣を振り下ろす。
三匹目が動かなくなった。
静かになった岩穴に、松明の燃える音だけが残る。
「……ふう」
息を吐いた。
『追いつく必要なんてないんだ』
逃げ道を潰す。
動く場所を絞る。
あとは、剣の届くところへ来た瞬間を狙えばいい。
「す、すごい……」
入口で、ノアが俺を見ていた。
「わ、分かってたけど。アドリスって、こんなに強かったんだ」
「相手が大鼠だったからな」
そう答えたものの、褒められて、悪い気はしなかった。
俺は小剣の汚れを拭い、三匹の尾を討伐証明用の袋へ収める。
必須課題は二匹。
一匹分、多い。
「これで両方そろったな」
「う、うん」
「帰ろう」
ノアから松明を受け取り、俺たちは岩穴を出た。
◇
採取物の正確さ。
討伐数。
帰還した時刻。
順位は、それらを合わせて決まる。
大鼠をもう少し探す手もあった。
でも、逃げ込まれれば、その分だけ時間を使う。
必須分はそろっている。
ノアのおかげで、薬草の状態もいい。
今なら、早く戻った分の点も狙えるはずだ。
「これ、俺たちかなり早くない?」
帰還地点へ続く道を走りながら、俺は言った。
「う、うん。採取、すぐ終わったから」
「ノアのおかげだな」
「ね、ネズミは、アドリスのおかげだよ」
思わず笑った。
ちゃんと、二人で進めている。
そのことが、妙に嬉しかった。
木々の切れ目から、飛竜の石像の翼が見え始める。
集合した場所だ。
あそこへ戻れば、課題は終了。
『一位、狙えるんじゃないか?』
そう思ったところで、別の道から、二人の生徒が現れた。
オスカーと、そのバディだった。
向こうも、こちらに気づく。
「意外だね」
オスカーが、僅かに目を細めた。
「君たちが、ここまで早く戻れるとは」
「そっちこそ」
俺は足を緩めずに答える。
「でも、先に着くのは俺たちだ」
「帰るのが早ければ勝ち、という課題ではないだろう?」
「分かってるよ」
余裕のある言い方が、少し腹立たしい。
ただ、あいつらも、必須課題を終えて戻ってきたのだろう。
自信だけでなく、ちゃんと結果も持っている。
ここから先は、帰還するまで気を抜けない。
その時だった。
パンッ!
近くの森の上で、光が弾けた。
俺も、オスカーも足を止める。
空へ昇った光が、細い煙を残している。
非常用の信号具。
授業で何度も確認したものと、同じだった。
「……救難信号」
ノアが杖を握る。
俺は、光が上がった辺りへ目を向けた。
道から外れた先。
木々の向こうは、ここからでは見えない。
オスカーも一度だけ森を見た。
そして、すぐに顔を戻す。
「行くぞ」
自分のバディへ声をかけ、帰還地点へ向き直った。
「行かないのか?」
俺が聞くと、オスカーは不思議そうに振り返る。
「なぜ?」
「救難信号だぞ」
「だからだろう。信号は上がった。監視役が向かう」
当然のことを説明するような口調だった。
「僕たちの課題は、救助ではない。任せておけばいい」
「間に合わなかったら?」
オスカーの表情は変わらない。
「もっと早く信号を上げるべきだったんじゃないか?」
俺は、言葉を失った。
「ほかの組の失敗で、僕たちまで損をする理由はないね」
オスカーは、帰還地点を顎で示す。
「君たちも点を取るつもりなら、急いだ方がいい」
そのまま、バディを連れて走り出した。
俺は一瞬、飛竜の石像を見る。
もう、戻れる。
薬草もある。
討伐証明もある。
ここまで順調だった。
今、森へ入れば、オスカーたちは先に着く。
ノアが採取で稼いでくれた時間も、大鼠を手早く倒した分も、なくなるかもしれない。
その時。
木々の向こうから、悲鳴が聞こえた。
短く、切羽詰まった声だった。
俺はノアを見る。
「……ノア」
ノアも、信号が上がった方を見ていた。
杖を握る指に、力が入っている。
怖くないわけじゃないのだろう。
それでも。
「い、行こう」
先に答えたのは、ノアだった。
「だよな」
俺たちは、同時に地面を蹴った。
オスカーたちは、帰還地点へ。
俺たちは、悲鳴の聞こえた森へ。
今度は、ゴールとは、逆の方向へ。




