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評価基準が、ありません

 ノアと別れたあと、俺は午後の学術試験を受けた。


読み書き。


計算。


アレス領の地理や歴史。


魔獣の基礎知識。


それから、商人組合や冒険者ギルドなど、この世界で暮らすために必要な制度について。


読み書きと計算は、ほとんど問題なかった。


旅へ出てから机に向かう時間は減ったけど、母さんに嫌というほど叩き込まれている。


『まさか、こんなところで教育の貯金に助けられるとはな』


前世でいうところの、かなり教育熱心な母親だった。


当時は、


――もう少し遊ばせてくれてもいいのに。


と思っていたけど。


今になってみれば、感謝しかない。


地理や魔獣についても、ガイルたちとの旅で実際に見聞きしたものが多かった。


一方。


歴史は、ところどころ怪しい。


『……この王様、何した人だっけ』


何とか記憶を引っ張り出し、答案を埋める。


全体としては。


良くも悪くも、普通くらいだと思う。


少なくとも、魔術試験のように途中で試験を止められることはなかった。


     


その日の試験がすべて終わったあと。


俺は一人、学院の階段を上っていた。


魔術試験の主任から、


――試験終了後、追加の確認を行う。


と言われていたからだ。


階段を上がった先には、赤い絨毯が敷かれた長い廊下が続いていた。


壁には立派な額縁に収められた絵画。


一定の間隔で、魔導ランタンが淡い光を灯している。


『前世の高級ホテルみたいだな』


学院というより。


貴族の屋敷にでも入り込んだような気分になる。


それだけ。


この国にとって、王立学院は重要な場所なのだろう。


廊下の奥。


教えられた部屋の前で立ち止まる。


コンコン。


扉を叩いた。


「入れ」


中から声が返ってくる。


「失礼します」


扉を開ける。


部屋の奥では、先ほどの主任が机に向かっていた。


試験会場では立ったままだったけど。


こうして座っていると、思っていたより年齢が高い。


白髪の混じった髪を後ろへ撫でつけ、細い眼鏡を掛けている。


「おお、アドリス君」


主任が書類から顔を上げた。


「座りなさい」


「はい」


机の前に置かれた椅子へ腰を下ろす。


主任は、何枚かの書類を揃えた。


一番上には。


俺の名前と、五つの属性が記されていた。


「先ほどは驚かされたよ」


「いやあ……まあ」


何と答えればいいんだろう。


驚かせようと思ってやったわけではない。


主任が眼鏡の位置を直す。


「いくつか確認したい」


「はい」


「五属性を扱えると分かったのは、いつ頃だ?」


「一年くらい前です」


正確な日付までは覚えていない。


五相杖を使い。


初めて五つの属性を発現させた夜。


ダイスの顔が、今でも忘れられない。


「指導した者は?」


「ダイスという魔術師です。雷属性を使います」


「冒険者か?」


「はい」


主任が、書類へ何かを書き込む。


「五つの属性を使ったあと、頭痛や吐き気を感じたことは?」


「今のところはありません」


「魔力が急激に減る感覚は?」


「一つの属性を使うときと、そんなに変わらないと思います」


「五つを同時に扱ったことは?」


「ありません」


俺は首を横へ振った。


「一つずつ切り替えているだけです」


「……なるほど」


主任のペンが止まる。


五属性を使えるといっても。


一度に五つの術を放てるわけじゃない。


一つを解き。


次の属性へ切り替える。


主任はしばらく書類を見つめたあと、俺へ顔を向けた。


「五属性については、正式な試験記録として残させてもらう」


「はい」


「ただし、必要もなく外部へ公表するつもりはない。君の情報をどう扱うかについては、学院側でも慎重に判断する」


少しだけ安心した。


試験会場にいた人たちには、もう見られてしまったけど。


国中へ、


――五属性の子供が現れた!


なんて言い触らされるよりは、ずっといい。


「もし王立学院へ進むことになれば、改めて確認させてもらう可能性がある」


「また五属性を出すんですか?」


「おそらくは」


主任が僅かに笑った。


「こちらにも、五属性の術者を評価するための基準が存在しないのでね」


「基準がないんですか?」


「少なくとも、私が扱った試験記録の中にはない」


主任が書類を閉じた。


「今日の確認は以上だ。残りの試験も、通常どおり受けてくれ」


「分かりました」


椅子から立ち上がる。


扉へ向かおうとしたところで。


「アドリス君」


主任に呼び止められた。


振り返る。


「五属性に目が行くのは当然だが」


主任は、机の上の書類へ目を落とした。


「君が今日見せたものの多くは、生まれつきの才能だけでは身につかない」


魔術試験で放った、二つの火球。


同じ大きさ。


同じ出力。


ほとんど同じ着弾位置。


「指導してくれた魔術師へ、感謝しておきなさい」


俺は少しだけ笑った。


「はい」


ダイスに言ったら。


たぶん、調子に乗るだろうけど。


     


王立学院を出る頃には、空が赤く染まり始めていた。


長い坂を下り。


大通りへ戻ろうとしたところで。


「アドリス!」


名前を呼ばれた。


振り返る。


少し先に、セドリックが立っている。


その隣には。


聖騎士の制服を身につけた、一人の男性がいた。


ガイルほどではないけど、かなり背が高い。


厚い胸板。


腰には剣。


ただし。


ガイルのような無骨さはなく、立ち方にも表情にも、どこか品がある。


『聖騎士って感じだな』


こんなことを本人の前で言ったら。


ガイルは、たぶん不機嫌になる。


「お疲れ、アドリス」


セドリックが近づいてくる。


「お、おう」


「お前が剣を習っている、ガイルという冒険者のことを父上へ話したんだ」


隣の男性が、俺の前へ進み出た。


「初めまして。私はレグルスだ」


穏やかな声だった。


「セドリックの父で、聖騎士団に所属している」


「アドリス・ライラスです」


俺は頭を下げる。


レグルスも、小さく頷いた。


「君がガイルから剣を習っていると聞いてね」


「ガイルを知ってるんですか?」


「知っているとも」


レグルスが懐かしそうに目を細める。


「私が騎士団にいた頃の後輩だ」


「後輩……」


そういえば。


ガイルが聖騎士だったことは知っているけど。


騎士団にいた頃の話は、ほとんど聞いたことがない。


尋ねても、


――昔、少しいただけだ。


それで終わらされる。


「大剣を使う、口数の少ない男だろう?」


「はい。あと、すぐ遅いって言います」


レグルスが笑った。


「それなら間違いない」


「そんなので分かるんですか?」


「あいつは昔から、他人にも自分にも厳しかったからね」


レグルスは、俺の腰にある木剣へ目を落とした。


「剣だけではない。周囲を見るのが早く、人を動かすことにも長けていた」


ディアドラで。


崩れかけた聖騎士たちを、ガイルが一瞬で動かした光景が浮かぶ。


やっぱり。


あれは、昔からだったらしい。


「騎士団を離れてからは、一度も会っていない」


レグルスは学院の門へ視線を向けた。


「今日、挨拶ができればと思ったが、私はこれから任務があってね」


「ガイルなら、宿にいると思いますけど」


「残念だが、時間がない」


そう言ってから、俺を見る。


「元気そうだったと、伝えておいてくれないか」


「分かりました」


レグルスが頷く。


その横で。


セドリックが俺を真っ直ぐ見ていた。


「アドリス」


「何?」


「お前も、王立学院へ進むつもりなのか?」


「受かれば、行きたいとは思ってる」


「そうか」


セドリックの表情が、僅かに明るくなる。


「なら、次は俺と手合わせしろ」


「俺と?」


「ああ」


「まだ一回も戦ってないけど」


「だからだ」


「セドリック」


レグルスが苦笑する。


「勝負を申し込むのは、二人とも進学が決まってからにしなさい」


「ですが、父上」


「そもそも君は、今日アドリス君の試合を見ただけだろう?」


セドリックが一瞬、言葉に詰まる。


 「……それでも、強いことは分かります」


「そうか」


レグルスが、少し嬉しそうに笑った。


セドリックは改めて俺へ向き直る。


「学院で会ったら、今度は負けない」


「まだ戦ってもいないだろ」


「負けない」


聞いてない。


でも。


嫌な感じはしなかった。


「分かった」


俺も笑う。


「学院で会ったらな」


「ああ」


セドリック親子と別れ。


俺は宿へ向かった。

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