適性試験まで、あと三日
ブンッ!
木剣が、朝の空気を切った。
「九十八」
踏み込み、地面を蹴る。
腰を回し、肩から腕へ。腕から、木剣へ。
身体全体の力を、一つにつなぐ。
「九十九」
もう一度。
「百!」
最後の一振りを終え、振り抜いた木剣を正面で止めた。
息を吐く。
額には、少し汗が滲んでいる。
けれど。腕は、まだ上がる。
『……百回か』
初めてガイルに剣を教わった頃。
百回も振れば、腕が鉛みたいに重くなっていた。
最後の方なんて、木剣を持ち上げるだけで精一杯だった。
今は違う。
あと百回。
いや。二百回くらいなら――
「遅え」
後ろから声が飛んできた。
振り返る。
少し離れた場所で、ガイルが腕を組んでいた。
「……今、ちょっと成長を実感してたところなんだけど」
「実戦で相手が待ってくれんのか?」
「待ってくれないね」
「なら、もっと速く振れ」
「はい」
相変わらず厳しい。
まあ。これも、いつものことだ。
俺は木剣を地面へ置いた。
代わりに、腰の小袋から小さな杖を取り出す。
初心者用の補助具、《五相杖》。
一年以上使い続けているせいで、握る部分は少しだけ色が変わっていた。
杖を前へ向ける。
意識を集中する。
周囲に漂う魔元素を取り込み、自分の魔力で干渉する。
火属性へ変換。
杖先に、小さな赤い光が灯った。
「《イグニス》」
火球が飛ぶ。
十数歩先に立ててあった木板へ、真っ直ぐ命中した。
パッ、と火花が散る。
すぐに術を解く。
次は、水。
薄青色の水球が生まれ、別の標的へ飛んだ。
板の中央へ命中し、水滴が弾ける。
風。
目には見えにくい風の塊が、木から吊るされた布を大きく揺らした。
地。
足元の土が僅かに盛り上がり、その上に置いてあった小石が、狙った場所へ転がっていく。
そして。雷。
杖先で黄色い光が弾けた。
バチッ!
細い雷が伸び、木板の表面へ小さな焦げ跡を残す。
「……よし」
威力は、どれも大したことはない。
でも。以前とは違う。
火。
水。
風。
地。
雷。
五つとも、狙った場所へ、狙った強さで作用させられるようになった。
それに。
「もう一回」
後ろから声がした。
ダイスだ。
いつの間にか、少し離れた木の幹へ寄りかかっている。
「今度は、俺が言った順番でな」
「分かった」
杖を構え直す。
「雷」
杖先で、黄色い火花が弾ける。
「火」
赤い光。
「水」
薄青色の水球。
「地」
足元の小石が動く。
「風」
見えない風が、吊るされた布を揺らした。
ダイスが眉をひそめた。
「……やっぱ気味悪いな」
「それ、褒めてる?」
「もちろん」
「どこが?」
「普通じゃねえってことだよ」
「もっと言い方あるだろ」
後ろでジルが吹き出した。
「ダイス、それ褒め方として最低よ」
「いや、だって見てみろよ」
ダイスが俺の杖を指差す。
「そもそも普通は、属性を切り替えるなんてできねえんだぞ」
「……まあ、そうだけど」
「複数属性を扱える奴だって珍しい。それをこいつは、五つ全部をほとんど淀みなく切り替えやがる」
ダイスが呆れたように頭を掻いた。
「五属性ってだけでも十分おかしいのに、俺はそっちの方が気味悪い」
一年七か月をかけて。少しずつ、できることは増えた。
剣も。魔術も。旅の仕方も。魔獣との戦い方も。
今なら。
あのとき、俺一人ではどうすることもできなかった若いグレイファングも。
一頭だけなら、一人で仕留められる。
もちろん。群れを相手にするなら逃げる。
そこを勘違いすると死ぬ。
自分が強くなったことと。何でもできるようになったことは、同じじゃない。
それも、この一年七か月で嫌というほど教えられた。
「アドリス」
ジルが呼ぶ。
「そろそろ朝食にしましょう。冷めちゃうわよ」
「はーい」
俺は五相杖をしまい、木剣を拾った。
そのとき。ガイルが俺を見た。
「……そろそろか」
ダイスも、何かを思い出したように声を上げる。
「ああ」
身体を起こしながら、頭の後ろを掻いた。
「もうそんな時期か」
ジルも俺を見る。
「ですね」
俺は頷いた。
「うん」
俺がガイルたちと正式に旅を始めてから、一年と七か月。
そして。
十歳の適性試験まで。
あと三日だった。
適性試験。
アレス領に住む子供が、十歳になる頃に受ける公的な試験だ。
水晶に手を置いた瞬間、
――お前は剣士だ。
――お前には魔術師の才能がある。
と、人生のすべてを決められるようなものではない。
筆記。
武術。
魔術。
面談。
数日かけて、それらを総合的に見られる。
今、何ができるのか。
どんな分野に適性があるのか。
そして。これから、どの方向へ伸びる可能性があるのか。
試験結果によって、いくつかの進路が示される。
特に優秀な成績を収めれば、アレス王立学院への進学資格を得られる。
王立学院以外にも。各地にある職業訓練校。
専門的な技術を学ぶための教育施設。
職人や商人のもとで働くための道。
いくつもの選択肢がある。
もちろん。学校へ進まない者だって珍しくない。
実家へ戻り、商売を継ぐ者。
畑仕事を学ぶ者。
親の仕事を手伝いながら、そのまま家業を受け継ぐ者。
そういう生き方を選ぶ人間も、たくさんいる。
つまり。適性試験が示すのは。
『今の自分なら、どんな道へ進めそうか』
という選択肢だ。
王立学院への進学資格を得た場合は。
聖騎士。
魔術師。
神官。
冒険者。
そうした分野の中から、本人に適した学科も推薦されるらしい。
ただし。推薦されたからといって、その道を選ばなければならないわけじゃない。
試験は。人生を決めるものではない。
最後に決めるのは、自分だ。
「よし」
朝食を終えたガイルが立ち上がった。
「支度しろ」
「はい」
俺も立ち上がる。
「はいはい」
ダイスが名残惜しそうに皿を見る。
「もう少し、ゆっくり食べたかったんだけどな」
「あなた、三杯食べたでしょう」
ジルが呆れた顔をする。
「試験を受けるの、俺なんだけどな……」
俺たちは野営地を片づけ、荷物をまとめた。
向かう先は。首都アレス。
馬車が街道を進んでいく。
車輪が石を踏むたび、荷台が小さく揺れた。
俺は壁にもたれながら、後ろへ流れていく景色を眺めていた。
向かい側では、ダイスが横になっている。
ジルは本を読んでいた。
ガイルは御者台。
いつもの旅だった。
だけど。この旅が終われば。
少しだけ、何かが変わる。
そんな気がしていた。
「そういやよ」
ダイスが突然、口を開いた。
「ん?」
「お前」
寝転んだまま、俺を見る。
「結局、何になりたいんだ?」
少し考えた。
「……聖騎士」
「お」
「には、なりたいと思ってる」
ダイスが片眉を上げる。
「歯切れ悪いな」
「うん」
自分でも分かっている。
二年前なら。迷わず答えていたと思う。
聖騎士になりたい。
クオン・レオンディアを見た、あの日。
父さんと母さんの前で、俺はそう言った。
父さんは笑った。
その日の帰り。俺に木剣を買ってくれた。
聖騎士は。俺がこの世界で初めて持った夢だった。
だけど。
「冒険者も、楽しいんだよね」
「へえ」
「この二年で、いろんな場所に行ったし」
ヴァルド。
ディアドラ。
名前も知らなかった、小さな村。
街道。
森。
草原。
依頼で出会った人たち。
助けられた人もいる。
助けられなかった人もいる。
怖いことも。嫌なものも。たくさん見た。
それでも。
次の街が見えてくる瞬間。
知らない依頼を受ける瞬間。
今まで見たことのない場所へ向かう瞬間。
俺は。どうしようもなく、わくわくしていた。
「まあ」
俺は頭を掻いた。
「まだ迷ってる」
「あら」
ジルが本から顔を上げる。
「そうだったの?」
「うん」
「てっきり、聖騎士になるものだと思っていたわ」
「俺も」
ダイスが言う。
そして、ニヤリと笑った。
「ま、五属性様なら、どこでも選び放題だろ」
「今、絶対馬鹿にしたでしょ」
「褒めてんだよ」
「絶対褒めてない」
ジルが吹き出した。
「五属性だって、威力は普通なんだからな」
「はいはい」
「なんだよ、その顔」
御者台から、ガイルの声が飛んできた。
「うるせえぞ」
「ガイルさん。アドリスが、進路に迷ってるらしいですよ」
「お前が聞いたんだろ」
「そうですけど」
少しだけ間があった。
やがて。前を向いたまま、ガイルが言う。
「結果が出てから考えりゃいい」
「……うん」
「何を勧められようが」
手綱が鳴る。
「最後は自分で決めろ」
俺は。ガイルの大きな背中を見た。
「うん」
短く答えた。




