ディアドラに着いたら、聖騎士がピンチだった
グレイファングとの一件から、さらに二日が経った。
馬車はディアドラへ続く街道を進んでいる。
短剣の刃は何度も洗い、油を塗り直した。
それでも手のひらには、まだグレイファングへ刃を突き立てた感触が残っている気がした。
硬い毛皮。
その下にあった肉。
指へ流れてきた、温かい血。
俺は腰に差した短剣から目を逸らし、窓の外を見た。
緩やかな丘陵の向こうに、遠く大きな城壁が見え始めている。
「あれがディアドラ?」
俺が御者台のガイルへ尋ねる。
「ああ」
答えたのは、荷台から顔を出したダイスだった。
「アレス領じゃ、冒険者なら一度は名前を聞く街だな」
「何で?」
「冒険者ギルドの本部がある」
「本部?」
ダイスが指を折る。
「冒険者の登録」
「階級審査」
「大規模依頼の編成」
「各地の支部への連絡」
最後の一本を折り、遠くの城壁を指差した。
「そういうのをまとめてんのが、ディアドラだ」
なるほど。
ヴァルドが商人と金の集まる街なら、ディアドラは冒険者の集まる街ということらしい。
「だから、ここへ来たの?」
「それもある」
ガイルが答えた。
「あとはお前の一時保護と、俺たちのパーティへの同行登録を通したい」
「じゃあ」
俺は思わず身を乗り出した。
「正式に、みんなの仲間になれるの?」
「冒険者としての登録じゃねえぞ」
ガイルは前を見たまま言う。
「お前はまだ八歳だ。ギルドでは、保護同行者として扱われる」
「保護同行者……」
「だが」
一度だけ、ガイルが俺を振り返った。
「手続きが済めば、ギルドの上でも俺たちの一員だ」
『パーティの一員』
その言葉だけで、胸が少し高鳴った。
異世界へ来て初めて冒険者を見た日。
何人かでパーティを組み、依頼を受け、魔獣と戦いながら旅をする。
そんな生き方を少し格好いいと思った。
まさか、自分が本当にその中へ加わることになるとは思っていなかった。
「何笑ってんだ?」
ダイスが聞く。
「別に」
「パーティって響きに浮かれてんだろ」
「浮かれてない」
「顔に出てるぞ」
「出てない」
ジルが小さく笑った。
「楽しみにするくらい、いいじゃない」
「だよね?」
「ただし」
ジルが俺を見る。
「登録したからって、勝手に危険な依頼へついていっていいわけじゃないわよ」
「分かってる」
「あなたの『分かってる』は、あまり信用できないのよね」
なぜかガイルまで頷いていた。
ディアドラへ近づくにつれて、街道の様子が変わっていった。
剣を背負った男。
杖を手にしたエルフの魔術師。
巨大な盾を担いだ獣人。
傷だらけの鎧を着た冒険者たちが、次々と街道を行き交っている。
街へ向かう馬車には、討伐した大型魔獣の角や何枚も重ねられた分厚い皮、俺の背丈ほどもある牙まで積まれていた。
城壁の向こうには何本もの尖塔が見える。
アレスほど巨大ではない。
ヴァルドほど華やかでもない。
それでも壁の上には監視塔が並び、門の近くには武器や防具を扱う店の看板が密集していた。
『本当に冒険者の街なんだな』
ガイルたちと初めて会った、アレスの酒場を思い出す。
あの頃の俺は、冒険者がどんな仕事をするのかさえよく分かっていなかった。
今は。
魔獣の血の臭いも。
人間が死ぬところも。
依頼の裏にある危険も。
少しだけ知っている。
それでも街を見ていると、胸が高鳴った。
ここからまた新しい旅が始まる。
そう思った。
そのときだった。
ドォンッ!
腹の底へ響くような轟音が、城壁の方向から聞こえた。
「……何だ?」
馬車の全員が、同時に顔を上げる。
少し遅れて、遠くで土煙が上がった。
「魔導砲だ」
ダイスが立ち上がった。
「街の防衛用の?」
俺が聞く。
「ああ」
ダイスの声から、いつもの軽さが消えている。
「普通の魔獣相手に、あんなもんは使わねえぞ」
二発目。
ドォンッ!
城壁近くから黒い煙が上がった。
さらに、警告を知らせる角笛が響く。
ブォォォォ――。
街道を歩いていた冒険者たちが、一斉に走り始めた。
だが、向かっているのはディアドラではない。
街から離れる方向だった。
「逃げろ!」
城門側から走ってきた男が叫ぶ。
「魔獣の群れだ!」
男の服には血が付いている。
その後ろからも、荷物を抱えた住民や足を引きずる兵士、泣いている子供が次々と逃げてきた。
ガイルが手綱を引く。
馬車が止まった。
「何があった?」
逃げてきた男の腕を掴む。
「西門の外だ!」
男が荒い息を吐きながら答えた。
「聖騎士が押さえてる! でも、数が多すぎる!」
「統率種までいるって――」
「統率種?」
俺が聞き返すより先に、ガイルが馬車を降りた。
「ダイス」
「はいはい」
「ジル」
「分かってる」
三人が何の相談もせず、同時に動く。
「俺も――」
「坊主」
ガイルが振り返った。
「ジルから離れるな」
「でも」
「さっき言ったばかりだろ」
鋭い視線。
「パーティに入るってのは、勝手に動いていいって意味じゃねえ」
「……分かった」
ガイルはそれ以上何も言わず、西門へ向かって走り出した。
俺たちも後を追った。
西門の外は、すでに戦場になっていた。
大小の魔獣が、城壁へ続く道を埋め尽くしている。
狼に似たもの。
猪のような牙を持つもの。
岩のような皮膚を持つ大型個体。
種類は違う。
それなのに、すべてが一つの群れのように動いていた。
城門へ逃げ込もうとする住民たちを左右から回り込み、退路を塞ぐように襲っている。
その前へ、聖騎士たちが立っていた。
銀色の鎧。
王国の紋章。
アレスで見た凱旋式と同じ装備。
だが、あの日とはまるで違った。
盾列は崩れ、何人もの聖騎士が地面へ倒れている。
治療班は負傷者へ囲まれ、後方の魔術師たちは住民を巻き込まないよう、十分な火力を出せずにいた。
前衛が押し戻されるたび、後衛の詠唱が中断される。
左側の盾列は、避難路のすぐ手前まで下がっていた。
このままもう一度押されれば。
逃げている住民ごと、魔獣に呑まれる。
第一部も残りわずかになりました。
引き続きよろしくお願いします。




