少しずつ、前へ
翌朝。
俺たちは、村の入口でラギドと別れることになった。
「本当に、ありがとうございました」
ラギドが深く頭を下げる。
その胸元で、二枚の金属タグが小さくぶつかった。
チリン。
昨夜まで、一枚はエリックの首へ掛けられていたものだ。
今は二枚とも、ラギドの胸元にある。
「これから、どうする?」
ガイルが尋ねた。
ラギドはすぐには答えなかった。
胸元のタグへ触れながら、少しだけ考える。
「冒険者は続けます、だけどそれ以外は」
「まだ、決めていません」
以前なら、その答えをエリックに求めていたのだろう。
だが、ラギドは自分で顔を上げた。
「今までは、エリックに決めてもらっていました」
「それでよかったんです」
二枚のタグを握る。
「でも、これからのことは……自分で考えてみます」
「そうか」
ガイルはそれ以上、何も言わなかった。
ダイスとジルも、短い別れの言葉だけを交わす。
俺たちは馬車へ乗り込んだ。
走り出した馬車の中から、村の入口を見る。
ラギドは一人で立っていた。
それでも、以前より少しだけ真っ直ぐ前を向いているように見えた。
俺もいつか。
ガイルたちに進む道を決めてもらうのではなく。
自分で。
その先を選ばなければならない。
胸元で鳴る二枚のタグが見えなくなるまで、俺はラギドの姿を見つめていた。
ラギドと別れてから、四日が経った。
「違う!」
朝の野営地にダイスの声が響く。
「石を跳ねさせるんじゃねえ。狙った場所へ転がすんだ!」
「分かってる!」
地面へ置かれた平たい板。
その上に、親指ほどの小石が一つ。
板から少し離れた地面には、紐で小さな円が作られている。
あの円の中へ、小石を転がす。
それが今朝の課題だった。
俺は肩の力を抜く。
周囲へ漂う魔元素を取り込み、地属性へ変換する。
五相杖は使わない。
補助があれば、もっと簡単に石を動かせる。
だが今は、杖がなくても小さな現象だけなら起こせるようになるための訓練だった。
石へ細く魔力を流す。
『跳ねさせるな』
強く押せば、また昨日のようにどこかへ飛んでいく。
必要なのは、ほんの少しだけ転がす力。
『ゆっくり……』
小石が震えた。
コロッ。
板の上を転がる。
端から落ち、地面へ。
コロコロと進んでいく。
そして。
紐で作られた円の中で止まった。
「入った!」
「一回で喜ぶな」
ダイスが腕を組む。
「今のを、考えなくてもできるまで繰り返すんだよ」
「また?」
「また」
少しくらい褒めてもいいと思う。
それでも、四日前よりは確実に前へ進んでいた。
火属性は、蝋燭ほどの炎を以前より長く保てるようになった。
水滴も、十回に六回くらいは狙った器へ落とせる。
風は、吊るした細い布を数秒なら同じ角度で揺らし続けられる。
雷は、二本の金属針の間へ三回に一度ほど火花を飛ばせるようになった。
そして地属性。
震えるだけだった石ころを。
少しなら。
狙った方向へ転がせる。
どれも、戦闘用の魔術とは呼べない。
敵を倒すほどの威力なんてない。
それでも。
昨日できなかったことが。
今日は少しだけできる。
「次」
ダイスが板の上へ新しい小石を置いた。
「もう一回だ」
「はいはい」
「返事が軽い」
「誰かさんに似たんじゃない?」
「俺はもっと真面目だろ」
「どこが?」
言い返しながらも、俺は再び小石へ意識を集中させた。
魔術の訓練が終われば、次は剣だ。
「九十八!」
木剣を振る。
ブンッ。
「足が止まってるぞ」
ガイルの声が飛んでくる。
「九十九!」
足で地面を押す。
腰。
肩。
腕。
剣。
百回目。
ブンッ!
以前より、少しだけ軽い音が鳴った。
「百!」
木剣を下ろす。
腕は重い。
だが、百回振っただけで立っていられなくなることはなくなった。
「だいぶ音が良くなった気がする」
「余計なこと考えてるから、最後に足が止まるんだ」
「何で分かるの?」
「顔に書いてある」
この人には、何も隠せないらしい。
素振りの次は、ガイルとの打ち込み。
俺は木剣を構える。
向かいのガイルは、片手で木剣を持ったまま、ほとんど構えてすらいない。
「来い」
俺は一歩踏み込むふりをして、すぐに止まった。
フェイント。
ガイルの反応を見る。
だが、何も動かない。
今度は肩を僅かに動かし、脇腹を狙うふりをする。
それでも、ガイルの木剣は動かなかった。
『読まれてる』
分かっている。
このまま踏み込めば、また簡単に流される。
「相手がどう動くか分からねえなら」
ガイルが言った。
「最初から踏み込むな」
「じゃあ、どうするの?」
「先に相手を動かせ」
ガイルの木剣が小さく揺れた。
反射的に、俺は半歩下がってしまう。
次の瞬間。
木剣の先端が、俺の喉元へ止まっていた。
「今みたいにな」
「ずるくない?」
「実戦で同じこと言ってみろ」
言えるわけがない。
ガイルは木剣を下げた。
「相手が動けば、必ずどこかが空く」
「そこへ踏み込む?」
「ああ」
ガイルが顎を動かす。
「もう一度だ」
俺は木剣を構え直した。
何度も、見よう見まねで相手を動かそうとする。
当然、ガイルにはすべて見抜かれた。
それでも。
最後の一度だけ。
ガイルの木剣を外側へ誘い、空いた肩へ踏み込むことができた。
コツン。
俺の剣が届く前に、額を叩かれたが。
「最後の踏み込みは、まあまあだ」
「本当?」
「調子に乗るな」
褒めたのか。
褒めていないのか。
どちらかにしてほしい。
木剣を腰へ戻す。
その反対側には、鞘へ収められた短い実剣があった。
ラギドと別れた日。
村を出てすぐに、ガイルから渡されたものだ。
――護身用だ。
――抜くのは、逃げ道がなくなったときだけにしろ。
父さんからもらった木剣とは違う。
鋼の刃を持つ。
本物の武器。
まだ一度も鞘から抜いて使ったことはなかった。
だが。
その日の昼。
俺は、本当に逃げ道を失った。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
これからどんどん成長していくアドリスをよろしくお願いします。
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