死んだ幼馴染が、丘に来いと言った
「三日前に埋めた幼馴染が」
男は、首から下げた金属タグを強く握りしめた。
指先が白くなるほどに。
「昨夜、帰ってきたんです」
酒場の喧騒が、ほんの一瞬だけ、遠のいたように感じた。
「……なんだって?」
ダイスが木匙を置く。
目の前に立つ男は、冗談を言っているようには見えなかった。
使い込まれた革鎧。
腰に下げた片手剣。
冒険者らしい装備を身につけている。
だが、顔色はひどく悪い。
目の下には濃いクマ。
髪は乱れ、靴や服の裾には乾いた土がこびりついていた。
酒場の扉が音を立てるたび、男は怯えたように振り返る。
まるで、そこから何かが入ってくることを、恐れているように。
ガイルが男の顔を見た。
「まあ、座れ」
向かいの空いた椅子を顎で示す。
「立ったままじゃ話しにくいだろ。落ち着いて、最初から話せ」
「……ありがとうございます」
男は、ぎこちなく椅子へ座った。
それでも、握りしめた金属タグから、手を離そうとはしなかった。
「僕はラギドといいます」
一度、深く息を吸う。
「守線級の冒険者です」
「一人なの?」
ジルが尋ねる。
ラギドの表情が歪んだ。
「三日前までは、二人でした」
答えは、聞くまでもなかった。
「相方は、エリックという名前です」
ラギドは俯いたまま続ける。
「幼馴染で……十五年、ずっと一緒でした」
「何があった」
ガイルが聞く。
「三日前、二人で近くのダンジョンへ入ったんです」
ラギドの声が、少しずつ震え始める。
「浅層で終わる依頼でした。出てくるとしても、ゴブリンが数匹程度だと聞いていました」
だが、実際に現れたのは、十を超えるゴブリンの群れだった。
引き返そうとしたときには、別の群れに、退路まで塞がれていた。
「エリックが、道を開いてくれたんです」
ラギドの指が、金属タグをさらに強く握る。
「自分が後ろを押さえるから、僕に助けを呼んでこいって」
ラギドは走った。
村まで戻り、他の冒険者や村人を連れて、再びダンジョンへ向かった。
だが、間に合わなかった。
エリックは、浅層の通路へ倒れていた。
身体には、いくつもの傷。
そして、首には、深い刃傷が残っていた。
「もう……息をしていませんでした」
誰も口を挟まない。
「村へ連れ帰って、共同墓地に埋めました」
「お前も、埋葬に立ち会ったんだな?」
ガイルが確認する。
「はい」
ラギドが頷く。
「僕が、土をかけました」
そこまで聞いても、まだ現実感がなかった。
死んだ人間を埋めた。
その人間が戻ってきた。
言葉だけなら、前世で見た怪談や、物語の導入みたいだった。
でも、ラギドの震える手を見ていると、笑い飛ばす気にはなれなかった。
「それで」
ジルが静かに尋ねる。
「昨夜、何があったの?」
ラギドは、一度、酒場の扉を見た。
「夜中に、戸を叩く音がしたんです」
ラギドは昨夜の出来事を、ゆっくりと語り始めた。
コン。
コン。
最初は、風かと思った。
だが、少し間を置いて、また二度。
コン。
コン。
誰かが、確かに、扉を叩いていた。
ラギドは灯りを持ち、玄関へ向かった。
「誰だ」
返事はなかった。
だが、扉の向こうに、人の気配がする。
ラギドは片手を剣の柄へ置いたまま、警戒しながら、ゆっくりと鍵を外した。
扉を少しだけ開く。
そこに、エリックが立っていた。
「……エリック?」
ラギドの手から灯りが落ちかけた。
月明かりの下。
いつもの顔。
いつもの髪。
何度も見てきた革鎧。
だが、服には、墓の土がこびりついている。
首には、死んだときと同じ傷が残っていた。
塞がっていない。
血が乾き、黒く変色した傷口。
それでも、エリックは何でもないことのように笑った。
「おう」
生前と変わらない声だった。
「何だよ、その顔」
「君は……」
ラギドは、うまく息ができなかった。
「だって、君は……死んだ」
「まあな」
あまりにも普通に返された。
まるで、三日前に少し怪我をした。
その程度の話でもしているように。
エリックは自分の首へ触れた。
「ああ、これ?」
傷口を見て、苦笑する。
「派手にやられたよな」
そして、いつもの調子で、ラギドの肩を軽く叩いた。
「まあ、こんななりだけど気にすんな」
冷たかった。
生きている人間の手とは思えないほど。
「どうやって……」
「何が?」
「墓から……どうやって出たんだよ」
エリックは答えなかった。
代わりに、夜空を見上げる。
「明日の夜、あの丘に来いよ」
「あの丘?」
「俺たちが、冒険者になるって決めた場所」
ラギドが何も言えずにいると、エリックは笑った。
「次の依頼の作戦を立てるぞ」
死んだことなど、三日前の出来事など、何もなかったような口調だった。
「日が落ちた頃にな」
エリックは背を向ける。
「遅くなるなよ」
「待て!」
ラギドが呼び止める。
だが、エリックは振り返らなかった。
暗い道を歩き、夜の向こうへ消えていった。
玄関の前には、共同墓地と同じ湿った黒土が、足跡となって残されていた。
「そんなはずねえだろ」
話を聞き終えたダイスが、信じられないという顔で言った。
「死んだ人間だぞ?」
「分かっています!」
ラギドが声を上げる。
すぐに、力を失ったように俯いた。
「僕だって……そんなはずないと思ってる」
「夢だった可能性は?」
ジルが聞く。
ラギドは首を振った。
「違います」
「どうして言い切れるの?」
「十五年、一緒にいたんです」
ラギドが顔を上げた。
「声も」
「話し方も」
「笑うときに、少しだけ左の口元が上がるところも」
「全部、エリックでした」
信じたい。
けれど、信じてはいけない。
ラギドの顔には、その二つが同時に浮かんでいた。
ジルがゆっくり口を開く。
「神官魔術でも、死者を生き返らせることはできないわ」
「でも、実際に――」
「大神官でも無理よ」
ジルは、はっきりと言った。
「治癒術は、まだ身体に残っている命を支える術なの」
「失われた命を、元へ戻す術じゃない」
もし、本当に、死者を生き返らせる術があるのなら。
ほんの一瞬、父さんと母さんの顔が浮かんだ。
だが、そんなものが存在するとは俺も聞いたことがない。
「僕、怖いんです」
ラギドが震える声で言った。
「エリックが本当に生きて帰ってきたなら、嬉しい」
「でも……そんなはずがない」
首の傷。
墓の土。
冷たい手。
それでも、十五年間聞き続けた声で、丘へ来いと言われた。
一人では、行けない。
かといって、行かずに済ませることもできない。
「お願いします」
ラギドは頭を下げた。
「今夜、僕と一緒に丘まで来てください」
ガイルが腕を組む。
「丘までは?」
「村の外へ出て、歩いて三十分ほどです」
「遠くはねえな」
ガイルは小さく息を吐いた。
「どうせ今日は、この村に泊まる予定だ」
それから、ラギドを見る。
「分かった。付き合ってやる」
「本当ですか!?」
「ああ」
「ありがとうございます!」
ラギドが何度も頭を下げる。
「日が沈む頃、村の門で待っています」
そう言い残し、ラギドは酒場を出ていった。
扉が閉じる。
ダイスが腕を組んだ。
「ガイルさん」
「何だ」
「本当に行くんですか?」
「行くって言っただろ」
「いや、そうじゃなくて」
ダイスは声を落とした。
「どう思います?」
ガイルは、ラギドが出ていった扉を見つめる。
「分からん」
「夢や見間違いでは?」
ジルが言った。
ガイルは首を振る。
「だったら、それで終わりだ」
「でも、違ったら?」
「確かめるしかねえな」
ガイルは、酒場の窓へ目を向けた。
外にはまだ、昼の光が残っている。
だが、日が沈めば。
俺たちは、三日前に埋められた男へ、会いに行く。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
これからどんどん成長していくアドリスをよろしくお願いします。
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