感知だけじゃ、ない?
ヴァルドを出て、半日ほどが経った。
馬車は、ディアドラへ続く街道を進んでいる。
窓の外には、どこまでも草原が広がっていた。
風に揺れる草。
遠くに連なる山。
街道を行き交う商人の荷馬車。
穏やかな景色を眺めながら。
俺は、ヴァルドでの戦いを思い返していた。
用心棒の全身を巡っていた、目には見えない何か。
殴りかかる直前。
それが右腕へ集まった。
俺は理由も分からないまま、その拳を避けた。
そして。
ガイルに教わった通り、木剣を振った。
足で地面を押す。
腰。
肩。
腕。
剣。
今までで一番、真っ直ぐな一振りだった。
確かに届いた。
だが。
身体強化術を掛けられた男には、何の傷も与えられなかった。
次の斬撃も。
どこから来るのかは分かっていた。
それでも。
八歳の身体が追いつかなかった。
ガイルが間に合わなければ。
俺は、間違いなく死んでいた。
『戦えたわけじゃない』
避けただけ。
一度、木剣を当てただけ。
最後は助けてもらっただけだ。
それでも。
毎朝繰り返してきた一振りが。
初めて、実戦へ届いた。
その感触だけは。
今も両手に残っていた。
日が傾き始めた頃。
俺たちは街道脇の開けた場所で、野営の準備を始めた。
ガイルは馬と馬車の確認。
ダイスは薪集め。
ジルは、いつものように夕食を作っている。
大きな任務を終えた直後だからだろうか。
今日のジルは、妙に張り切っていた。
鍋からは肉と香草の匂いが漂い。
その隣では、薄く切った芋が鉄板の上で焼かれている。
「今日、豪華じゃない?」
俺が聞くと。
ジルは鍋をかき混ぜながら笑った。
「大きな仕事が終わったんだもの。少しくらい、いいものを食べてもいいでしょう?」
「賛成!」
薪を抱えて戻ってきたダイスが、真っ先に答える。
「あなたは、いつでも賛成でしょう」
「美味い飯を断る理由あります?」
「手伝ってから言いなさい」
ダイスは抱えていた薪を、焚き火の横へ置いた。
それから。
俺へ目を向ける。
「おう、アドリス」
「何?」
「あれ、やるぞ」
「あれ?」
「街を出るとき、言っただろ」
ダイスが腰の荷袋を探る。
中から取り出したのは。
布に包まれた、短い杖だった。
子供の腕ほどの長さ。
先端には、透明な魔導晶石。
その周囲を囲むように、色の違う五つの小さな晶石が埋め込まれている。
「それが、補助杖?」
「ああ」
ダイスは得意げに杖を掲げた。
「初心者用の属性変換補助杖――《五相杖》だ」
「いつ買ったの?」
「ヴァルドにいる間」
「俺のために?」
「安かったから、ついでに買っただけだ」
「いくら?」
「聞くな」
高かったらしい。
「その杖が、魔術を使ってくれるの?」
「だったら、誰でも魔術師になれるだろ」
ダイスは、五つの小さな晶石を指差した。
「こいつがやるのは、属性へ変換するための型を作ることだけだ」
「型?」
「火、水、風、地、雷。それぞれの変換経路へ、魔力を誘導してくれる」
ダイスが杖を俺へ向ける。
「お前が魔元素を取り込み、自分の魔力で属性へ変換できれば、小さな現象が出る」
「適性がなかったら?」
「何も出ねえ」
「戦闘には使える?」
「無理だな。確認用に出力を抑えてある」
なるほど。
五相杖そのものが、魔術を発生させるわけではない。
属性変換を補助し。
その属性が使えるかどうかを、目に見える形で教えてくれる道具らしい。
「早くやろう」
俺が手を伸ばすと。
ダイスは杖を後ろへ引いた。
「その前に、確かめたいことが二つある」
「二つ?」
「まずは、お前の魔力感知だ」
ダイスの表情から、いつもの軽さが少し消えた。
「隠匿術式の残滓を、俺より先に見つけた」
「うん」
「用心棒が殴る前にも、右腕へ魔力が集まったのを感じたんだろ?」
「たぶん」
「たぶんじゃ困る。どこまで感じ取れるのか、ちゃんと確かめる」
「もう一つは?」
「魔力制御だ」
「俺、制御も得意なの?」
「それは、まだ分からねえ」
ダイスは五相杖を軽く掲げた。
「最初に教えたとき、お前は一度で魔元素を取り込んだ。あれが少し引っ掛かってる」
「だから調べる?」
「ああ」
ダイスは俺の正面へ立った。
「まず、目を閉じろ」
「見なくていいの?」
「見えたら試験にならねえだろ」
言われた通りに、目を閉じる。
「今から、身体のどこかへ魔力を集める」
「分かった」
何も見えない。
ダイスの足音もしない。
それでも。
意識を集中させると。
ダイスの身体を静かに巡っていた何かが、右側へ流れていくのを感じた。
用心棒のときほど激しくはない。
もっと静かで。
滑らかだった。
「……右手」
少し沈黙があった。
「次だ」
右手へ集まっていた魔力が、一度胸へ戻り。
今度は、身体の下へ流れていく。
「左足」
「……じゃあ、これは?」
魔力の流れが細くなる。
消えたように感じた。
だが。
完全に消えたわけではない。
ダイスの身体から外へ伸び。
腰に差した短杖へ流れている。
「短杖の先」
目を開ける。
ダイスが。
信じられないものを見るような顔で、俺を見ていた。
「そこまで分かるのかよ」
「何となくだけど」
「普通は、その何となくが分からねえんだ」
ダイスは腕を組んだ。
「感知については、間違いなさそうだな」
「何が?」
「お前の魔力感知は、明らかに普通じゃない」
胸が、少し高鳴った。
ヴァルドで感じたものは。
やはり、偶然ではなかったらしい。
「じゃあ俺、敵の攻撃が全部分かるようになる?」
「調子に乗るな」
即答だった。
「魔力の動きが分かっても、それが何を意味するのか判断できなきゃ役に立たねえ」
「でも、用心棒の拳は避けたよ」
「二発目は?」
「…………」
「分かってても、身体が追いつかなかっただろ」
何も言えない。
「それに、手練れは魔力を乱さねえ」
ダイスが、焚き火の向こうにいるガイルを見る。
「ガイルさんなんか、攻撃するときもほとんど流れが変わらねえぞ」
俺もガイルを見る。
ガイルは馬車の車輪を確認しながら、こちらの話など聞いていないような顔をしている。
本当に。
どこまで強いんだ、あの人は。
「次は制御だ」
ダイスが五相杖を差し出した。
「どうやって調べるの?」
「中央の透明な晶石は、流した魔力の量に応じて光る」
俺は杖を受け取った。
「まず、魔元素を一息分だけ取り込め」
ヴァルドへ着く前に教わったことを思い出す。
肩の力を抜き。
周囲へ漂う魔元素を感じる。
身体の外から内側へ。
細い通り道を作る。
何かが。
胸の奥へ、すっと沈んだ。
「取り込んだ」
「そこへ自分の魔力を、糸一本分だけ流せ」
俺は胸の内側にある、自分の魔力を探した。
その一部を。
できるだけ細く。
手から五相杖へ流していく。
透明な晶石の中央に。
細い白い光が灯った。
「止めろ」
魔力の流れを止める。
光も、その大きさのまま止まった。
「半分だけ戻せ」
『半分……』
杖へ流した魔力を感じる。
そこから半分だけを。
自分の身体へ引き戻した。
晶石の光が。
きれいに半分ほどまで縮んだ。
ダイスが黙った。
「何?」
「普通、初めてでそんな細かく止められねえんだよ」
「できたけど」
「だから、おかしいって言ってんだ」
ダイスは頭を掻いた。
「感知だけじゃねえ」
俺を見る。
「お前、魔力制御までおかしいぞ」
「おかしいって……良い意味?」
「ああ」
少し間を置く。
「かなり良い意味だ」
胸の高鳴りが、さらに大きくなった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
これからどんどん成長していくアドリスをよろしくお願いします。
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