救えたのは、一人
檻の女性たちが地上へ運び出された後、ダイスが一冊の帳簿と、何枚かの書類を持ってきた。
「長机の下に散らばってた」
ガイルが受け取る。
紙面へ目を走らせ、表情を険しくした。
「発注書か」
「人間の?」
俺が聞く。
「ああ」
そこには、番号、年齢、性別、金額、引き渡し予定地。
人を扱う書類とは思えないほど、整然と情報が並んでいた。
さらに、別の紙には、荷物を運ぶための輸送認可が記されている。
その隅には、秤と硬貨を組み合わせた紋章。
ヴァルド商会の印が押されていた。
「これ……」
見覚えがある。
ヴァルドへ入った日に見た、商会本部に掲げられていた紋章だ。
「ヴァルド商会が関わってるの?」
「まだ分からねえ」
ガイルが答える。
「品目欄だけ、別の文字で書き換えられてる」
ダイスが横から覗き込む。
「押印は?」
「俺には真贋までは分からん」
ガイルは認可書を折らずに、慎重にまとめた。
「ただ。本物だったら、面倒な話になる」
帳簿には、すでにここから運び出された女性の記録も残っていた。
ミラ。
そして、残る二人。
三人とも、俺たちがここへ来るより前に、別の場所へ送られている。
俺たちは、ニナを助けた。
だが、全員を救えたわけではなかった。
◇
翌日。
俺たちは冒険者ギルドへ、依頼の完了報告を行った。
エルド。
買い手。
三人の用心棒。
彼らはヴァルドの衛兵へ引き渡された。
救出された女性たちは、市内の治療院と保護施設へ移されている。
そして、すでに売られていた三人については、帳簿に残された引き渡し先をもとに、各地の衛兵と冒険者ギルドが捜索を続けることになった。
「依頼内容を大幅に超える事態でしたが」
受付の女性が書類を確認する。
「行方不明事件の原因特定、および被害者の救出により、依頼達成として処理します」
報酬の入った革袋が、ガイルへ渡された。
だが、誰も喜ぶ気にはなれなかった。
一人は救えた。
三人は、まだ見つかっていない。
それが、今回の結果だった。
◇
午後。
俺たちは、押収された輸送認可書を持ってヴァルド商会を訪れた。
対応したのは、街へ入った日に見かけた、領主家の若い息子だった。
整えられた淡い金髪。
濃紺の上着。
多くの商人に囲まれながら、丁寧に話を聞いていた男。
若い幹部は、ガイルから書類を受け取る。
認可印を確認し、表情を曇らせた。
「印そのものは、本物です」
ガイルの目が細くなる。
「じゃあ、商会が出した書類か」
「正確には、正規の輸送業者へ発行した認可書です」
若い男は、品目欄を指差す。
「ただし、こちらは後から書き換えられている」
「流出したってこと?」
俺が尋ねると、男は俺へ視線を向けた。
「その可能性が高いでしょう」
落ち着いた声だった。
「内部の者が関与したのか。輸送業者が横流ししたのか。あるいは、別の方法で盗まれたのか」
書類を職員へ手渡す。
「発行記録をすべて確認してください」
「承知しました」
職員が部屋を出ていく。
若い男は、俺たちへ向き直った。
「我が商会の認可が、これほど卑劣な犯罪に利用されたことを、深くお詫びいたします」
頭を下げる。
貴族の息子。
ヴァルド商会の幹部。
そんな立場の人間が、冒険者である俺たちへ、迷いなく頭を下げていた。
「救出された方々への支援も、商会から手配します」
「そこまで?」
俺が聞く。
「商会の信用は、書類と約束によって成り立っています」
男は顔を上げた。
「その信用が悪用されたのであれば、我々にも責任があります」
やはり、仕事のできる人なのだろう。
最初に見たときと同じ印象だった。
「調査結果は、冒険者ギルドを通じて皆様へお伝えします」
ガイルは若い男をしばらく見ていた。
「分かった」
それだけ答え、俺たちは商会を後にした。
◇
それから数日。
ヴァルドへ入ってから、六日目の朝。
俺たちは街を出ることになった。
城門の前には、マルタと、歓楽街で働く女たちが見送りに来ていた。
その中に、ニナもいる。
顔には、まだ包帯が巻かれている。
歩き方も少し不安定だった。
それでも、自分の足で立っていた。
「もう出るの?」
マルタが尋ねる。
「ああ」
ガイルが答えた。
「長居しすぎた」
「色々あったものね」
マルタが苦笑する。
ニナが、少し恥ずかしそうに、マルタの後ろから顔を出した。
「アドリス」
「うん」
「この前は……ありがとう」
「俺は、何もしてないよ」
「したわ」
ニナは、包帯の上から自分の頬へ触れた。
「まだ、これから何をするのかは分からない」
「うん」
「あなたの言葉も……本当にそうなのか、まだ分からない」
「それでいいと思う」
ニナが小さく笑った。
「でも」
マルタを見る。
「しばらく、マルタの店で働かせてもらうことにしたの」
「酒場で?」
「まずは厨房の片付けと、皿洗いから」
「そっか」
「向いてなかったら」
少し間を置いて。
「そのとき、また考えるわ」
俺は頷いた。
「うん」
ニナが手を差し出す。
俺も手を伸ばした。
大人と子供。
大きさの違う手が、短く重なった。
「ありがとう、アドリス」
「……うん」
俺たちは、マルタたちに見送られながら、ヴァルドの城門を抜けた。
振り返る。
巨大な城壁。
多くの店。
止まることなく行き交う商人と荷車。
華やかで、豊かで。
その地下には、人間まで商品にする闇があった街。
一つの事件は終わった。
それでも、売られた三人は、まだ帰ってきていない。
ヴァルド商会の認可書が、なぜ犯罪者の手に渡ったのかも分からない。
何もかも、綺麗に終わったわけではなかった。
「よし」
ガイルが前を向く。
「ディアドラへ行くぞ」
「ディアドラ?」
俺が聞き返す。
「アレス領の冒険者ギルド本部がある街だ」
「そこへ行く予定だったの?」
「ああ」
ガイルが頷く。
「ヴァルドは、坊主の身の振り方を決めるために寄っただけだ」
『俺のために?』
俺がいなければ、この三人は、とっくにディアドラへ向かっていた。
「ガイルって、意外と優しいところあるのよ」
ジルが笑う。
「聞こえてるぞ」
「聞こえるように言ったもの」
「余計なこと言うな」
ダイスが後ろから口を挟む。
「照れてるんですよ」
「お前も黙れ」
三人の声を聞きながら、俺は少し笑った。
また、旅が始まる。
そのとき、ダイスが俺の横へ並んだ。
「そういや、アドリス」
「何?」
「ヴァルドで後回しにした話、覚えてるか?」
隠匿術式の残滓を見つけたとき。
身体強化された用心棒の攻撃を避けたとき。
ダイスが、何か言いたそうに、俺を見ていた。
「……魔術のこと?」
「ああ」
ダイスは歩きながら、腰の短杖へ触れた。
「今夜の野営で、お前の適性を調べる」
「適性?」
「ヴァルドで、初心者用の補助杖を買っておいた」
「いつの間に?」
「お前が寝てる間だよ」
「何を調べるの?」
ダイスは、意味ありげに笑った。
「全部だ」
ここまでお読みいただきありがとうございます。
これからどんどん成長していくアドリスをよろしくお願いします。
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