俺、魔術の才能ある?
ブンッ。
九十八。
木剣が、まだ薄暗い空を切る。
足で地面を押す。
その力を腰へ通し、肩、腕、剣へとつなげる。
――つもりだ。
九十九。
剣先がわずかに右へ流れた。
『今のは曲がったな』
ガイルに言われなくても、少しずつ分かるようになってきた。
最後の一振り。
一度息を整え、木剣を頭上へ構える。
百。
ブンッ。
「……ふう」
木剣を下ろした。
腕は重い。
手のひらも、昨日と同じところが痛む。
ガイルに剣を教わってから、二度目の朝。
たった二日だ。
木剣が身体に馴染んだなんて、とても言えない。
それでも最後の一回だけは、昨日より真っ直ぐ振れた気がした。
「昨日よりはマシだな」
声がした。
振り返る。
少し離れた焚き火の前で、ガイルが朝食の鍋をかき混ぜていた。
「見てたの?」
「見てねえ」
「じゃあ、なんで分かるんだよ」
「音だ」
ガイルは鍋から目を離さない。
「昨日より少し軽くなった」
「それって褒めてる?」
「調子に乗るから褒めねえ」
「昨日は最後の一回だけ真っ直ぐだったって言ったじゃん」
「聞き間違いだ」
絶対に言った。
この男、意外と面倒くさいな。
でも。
見ていないふりをして、ちゃんと聞いていてくれた。
それだけで少し嬉しかった。
俺は汗を袖で拭い、木剣を革紐へ戻した。
そこで。
珍しいものを見つけた。
「……ダイス?」
普段なら朝食ができる寸前まで寝ている男が、今日はもう起きている。
しかも、かなり真剣な顔をしていた。
地面へ敷いた布の上には一本の短杖。
金属製の細い軸には細かな術式が刻まれ、先端には親指ほどの赤い魔導晶石が埋め込まれている。
その奥で、小さな炎のような光が揺れていた。
ダイスは柔らかい布で晶石を磨き、時折角度を変えて傷や濁りを確認している。
いつもの軽い雰囲気とは違う。
大切なものを扱っているようだった。
「おい」
ダイスが顔を上げる。
「めっちゃ見るな」
「そんなに見てた?」
「ずっとな」
短杖を持ち上げる。
「興味あるのか?」
俺は迷わず頷いた。
「うん」
「剣を始めたばっかりだろ」
「剣と魔術は別だろ?」
「両方やるつもりか?」
「できるなら」
ダイスが笑った。
「欲張りだな」
「小さい頃から、父さんの部屋にあった魔導書を読んでたんだ」
「父親は魔術師だったのか?」
「いや。魔術師を支える仕事をしてた。薬剤を準備したり、古い術式を調べたり」
「そうか」
「父さんは魔術を使えなかったけど、それでも魔術が好きで――」
言葉が止まった。
父さんの顔が浮かぶ。
魔術師になれなかったと話したときの顔。
それでも、自分の仕事には誇りを持っていると言った笑顔。
「それで?」
「……いや。何でもない」
ダイスは一瞬だけ俺を見た。
だが、追及しなかった。
「そうか」
短杖を布の上へ戻す。
「少しだけ、やってみるか?」
「え?」
「魔術」
「いいの?」
「基礎中の基礎だけだぞ」
「やる」
「即答かよ」
ダイスが笑った。
「なら、こっち来い」
ダイスは焚き火のそばへ小さな金属皿を置いた。
火の残った細い木片を一本移すと、先端に蝋燭ほどの炎が残った。
さらに周囲へ荷物を置き、風を遮る。
「焚き火じゃ駄目なの?」
「勝手に揺れるからな。お前が動かしたのか、風なのか分からなくなる」
なるほど。
「魔術がどうやって生まれるかは知ってるか?」
「少しだけ」
父さんの本で読んだ記憶を引っ張り出す。
「大気中にある魔元素を使う」
「それから?」
「取り込んだ魔元素を、自分の魔力で火とか水の属性へ変える……だったと思う」
「正解」
ダイスが指を一本立てた。
「まず、大気中の魔元素を体内へ取り込む」
二本目。
「そいつを自分の魔力で属性へ変換する」
三本目。
「術式やイメージで形と動きを与える」
四本目。
「最後に外へ放出する」
立てた指を順番に折る。
「取り込む。変換する。形成する。放出する。この四つだ」
「それで魔術になる?」
「ああ」
思っていたより、工程が多い。
ダイスは金属皿の炎を指差した。
「今日は最初だけだ。魔元素を取り込む」
「属性変換は?」
「まだ早い」
「火を出したりは?」
「論外」
即答だった。
「まず材料を扱えなきゃ話にならねえ」
材料。
魔元素。
そう考えると少し分かりやすい。
「でも魔元素って見えないよね?」
「ああ。だから最初は、こいつを使う」
ダイスが炎へ手を向ける。
「火の周囲は魔元素の流れを確認しやすい。周りの魔元素を体へ取り込めば、その流れに引かれて炎もわずかに傾く」
ダイスが目を閉じた。
ゆっくりと息を吸う。
何かが変わった。
空気そのものではない。
目には見えない何かが、周囲からダイスへ集まっていくような感覚。
次の瞬間。
炎が。
ダイスへ引かれるように細く傾いた。
「おお……」
風ではない。
草も。
ダイスの服も動いていない。
それなのに炎だけが傾いている。
やがてダイスが息を吐くと、炎は元へ戻った。
「今ので一息分だ」
「体の中に入ったの?」
「ああ。属性変換しないなら、後でそのまま外へ逃がす」
「溜めておいたら?」
「扱えない魔元素を溜め込めば、頭痛や吐き気の原因になる。最初は絶対にやるな」
魔術。
思っていたより危険らしい。
「じゃあ、やってみろ」
俺は金属皿の前へ座った。
「どうすればいい?」
「目を閉じろ」
言われた通りにする。
「魔元素を肺へ吸うんじゃねえ。身体全体で取り込むイメージだ」
「身体全体……」
「大気中に見えないものが漂っていると思え。それを自分へ引き込む」
目には見えない。
触れることもできない。
それでも。
そこにある。
俺は炎の周囲に、無数の小さな粒が漂っている光景を想像した。
それを。
自分の身体へ。
『……来い』
何も起きない。
さらに意識を強める。
「力むな」
ダイスの声が飛んだ。
「でも何も分からない」
「最初はそんなもんだ。掴もうとするな。通り道を作れ」
通り道。
外から身体の中へ。
細い糸が一本通るような道を思い浮かべる。
肩の力を抜く。
剣と同じだ。
力任せじゃ駄目。
息を吸う。
その瞬間。
皮膚の内側を。
何かが、すっと通り抜けた。
冷たくもない。
熱くもない。
ただ。
自分ではない何かが、胸の奥へ沈んだ。
『……あ』
指先がわずかに痺れる。
そして。
炎が。
ほんの少しだけ。
俺の方へ傾いた。
「おお」
ダイスの声。
俺は目を開けた。
「今の、俺?」
「ああ」
胸へ手を当てる。
まだ何かが残っているような、不思議な感覚があった。
できた。
初めて。
この世界に漂う魔元素を、自分の身体へ取り込んだ。
「どう?」
思わず身を乗り出す。
「俺、才能ある?」
ダイスが少し笑った。
「初めてにしちゃ、取り込む感覚は悪くない」
『来た』
これは。
来たんじゃないか。
魔術の才能。
転生者特典。
剣術は普通でも、魔術なら――。
「じゃあ次は属性変換?」
「調子に乗るな」
「なんでだよ」
額を指で弾かれた。
「痛っ」
「今のお前は、材料を一息分取り込めただけだ」
「でも、感覚はいいって」
「取り込む感覚と属性適性は別だ」
「違うの?」
「取り込める量。自分の魔力量。属性への変換効率。術式制御。放出精度。全部別だ」
一気に現実へ戻された。
「じゃあ、今ので分かったのは?」
「最初の扉を開けられそうだってことだけだ」
「それだけ?」
「十分だろ」
そう言われると。
そんな気もする。
父さんは魔術を使えなかった。
俺は、その最初の一歩を踏み出せた。
それだけでも嬉しかった。
「胸に残ってる感じがする」
「なら外へ逃がせ。取り込んだのと逆だ」
俺は目を閉じる。
胸の奥にある異物感を探し、ゆっくり身体の外へ流す。
しばらくすると。
その感覚が消えた。
「これでいい?」
「たぶんな」
「たぶん?」
「倒れてねえなら大丈夫だ」
雑だ。
「続きは?」
「ここまで」
「ええ?」
「属性変換から先は、ちょっと教えて終わりってわけにはいかねえ」
「ちゃんと教えてよ」
ダイスは短杖を布で包んだ。
「街へ着いたら、俺たちとは別れるだろ」
その一言で。
浮かれていた気持ちが止まった。
そうだった。
今日。
ヴァルドへ着く。
ガイルに剣を教わるのも。
ダイスに魔術を教わるのも。
そこで終わる。
「……そっか」
ダイスは包んだ短杖を腰へ差した。
「今の感覚だけは忘れるな。少量を取り込んで、必ず外へ逃がす。それだけなら練習していい」
「うん」
「無茶すんなよ」
そう言って。
俺の頭を軽く叩いた。
「最初の一歩としては悪くなかった」
「……うん」
少し離れたところでは。
ガイルが鍋をかき混ぜながら、こちらを見ていた。
目が合う。
すぐに逸らされた。
昨日まで。
ただ助けてもらっただけの人たちだった。
それなのに。
別れると思うと。
思っていたより、胸が重かった。
その日の夕方。
馬車が速度を落とした。
外から御者の声がする。
「ヴァルドに着きましたよ!」
窓の外を見る。
城門の向こうに。
馬車と人で埋め尽くされた大通りが続いていた。
商人の怒鳴り声。
荷車の車輪。
金属を叩く音。
積み上げられた木箱。
見たことのない店の看板。
商業都市ヴァルド。
本来なら。
飛び出して見て回りたくなる街だった。
でも。
ガイルが馬車から降りながら言った。
「まず役所だ」
俺も木剣を持って後へ続く。
「坊主の今後を決める」
その言葉に。
俺は返事ができなかった。
ここが。
三人と別れる街だ。




